木村真理子の文学 『みだれ髪』好きな人のページ

与謝野晶子の『みだれ髪』に関連した詩歌を紹介し、現代語訳の詩歌に再生。 また、そこからイメ-ジされた歌に解説を加えます。

島崎藤村「天馬-牝馬」  -『若菜集』より―

2012-05-25 18:03:26 | 島崎藤村

     

            島崎藤村「天馬-牝馬」

                                        『文学界』(明治30年1月)    ―『若菜集』(明治30年8月29日)よりー

 

 一   青波(あをなみ)深きみづうみの                       岸のほとりに生れてし

      天の牝馬(めうま)は東(あづま)なる                    かの陸奥(みちのく)の野に住めり

 五   霜に霑(うるほ)ひ風に擦(す)れ                       音もわびしき枯くさの

      すゝき尾花にまねかれて                           荒野(あれの)に嘆く牝馬かな

      誰か燕の声を聞き                          十    たのしきうたを耳にして

      日も暖に花深き                                 西の空をば慕はざる

      誰か秋鳴くかりがねの                             かなしき歌に耳たてゝ

 一五  ふるさとさむき遠空(とほぞら)の                      雲の行衛(ゆくへ)を慕はざる

      白き羚羊(ひつじ)に見まほしく                        透(す)きては深く柔軟(やはらか)き

      眼(まなこ)の色のうるほひは                   二〇  吾が古里を忍べばか

      蹄も薄く肩痩せて                                四つの脚さへ細りゆき

      その鬣(たてがみ)の艶(つや)なきは                   荒野の空に嘆けばか

 二五  春は名取(なとり)の若草や                         病める力に石を引き

      夏は国分(こくぶ)の嶺(みね)を越え                    牝馬にあまる塩を負う

      秋は広瀬の川添の                          三〇  紅葉(もみぢ)の蔭にむちうたれ

      冬は野末に日も暮れて                            みぞれの道の泥に餓(う)ゆ

      鶴よみそらの雲に飽き                             朝の霞の香に酔ひて

 三五  春の光の空を飛ぶ                               羽翼(つばさ)の色の嫉(ねた)きかな

      獅子よさみしき野に隠れ                            道なき森に驚きて

      あけぼの露にふみ迷ふ                       四〇  鋭き爪のこひしやな

      鹿よ秋山妻恋(つまごひ)に                          黄葉(もみぢ)のかげを踏み分けて

      谷間の水に喘(あへぎよる)                          眼睛(ひとみ)の色のやさしやな

 四五  人をつめたくあぢきなく                             思ひとりしは幾歳(いくとせ)か

      命を薄くあさましく                                思ひ初(そ)めしは身を責むる

      強き軛(くびき)に嘆き侘び                      五〇 花に涙をそゝぐより

      悲しいかなや春の野に                             湧ける泉を飲み干すも

      天の牝馬のかぎりなき                             渇ける口をなにかせむ

 五五  悲しいかなや行く水の                             岸の柳の樹の蔭の

      かの新草(にひぐさ)の多くとも                        餓ゑたる喉(のど)をいかにせむ

      身は塵埃(ちりひぢ)の八重葎(やへむぐら)           六〇  しげれる宿にうまるれど

      かなしや地(つち)の青草は                         その慰籍(なぐさめ)にあらじかし

      あゝ天雲(あまぐも)や天雲や                         塵(ちり)の是世(このよ)にこれやこの

 六五  轡(くつわ)も折れよ世も捨てよ                        狂ひもいでよ軛(くびき)さへ

      噛み砕けとぞ祈るなる                             牝馬のこゝろ哀(あはれ)なり

      尽きせぬ草のありといふ                       七〇  天つみそらの慕はしや  

      渇かぬ水の湧くといふ                             天の泉のなつかしや

      せまき厩(うまや)を捨てはてゝ                        空を行くべき馬の身の

 七五  心ばかりははやれども                             病みては零(お)つる泪(なみだ)のみ

      草に生れて草に泣く                               姿やさしき天の馬

      うき世のものにことならで                       八〇 消ゆる命のもろきかな

      散りてはかなき柳葉(やなぎは)の                     そのすがたにも似たりけり     

      波に消え行く淡雪(あはゆき)の                       そのすがたにも似たりけり

 八五  げに世の常の馬ならば                             かくばかりなる悲嘆(かなしみ)に

      身の苦悶(わづらひ)を恨み侘び                       声ふりあげて嘶(いなゝ)かん

      乱れて長き鬢の毛の                         九〇  この世かの世の別れにも

      心ばかりは静和(しづか)なる                         深く悲しき声きけば

      あゝ幽遠(かすか)なる気息(ためいき)に                  天のうれひを紫の

      野末の花に吹き残す                               世の名残こそはかなけれ                           

 

     (注)「軛(くびき)」 = 頸木(くびき) → 車のながえの先の横木、 牛馬の首にかける。

 

              藤村「天馬-牝馬」           (訳)木村真理子

      

  1  青波立つ深き湖の                                 岸の辺(ほとり)に生れた

     天の牝馬は、 東の                                あの陸奥(みちのく)の野に住んでいる。

  5  霞に濡れ、 雨に苛(さいな)まれ、                      枯草の擦れ合う音も侘しい

     風吹くすすき尾花の                                荒野に嘆く牝馬。

     誰が、 燕の啼く声を聞き                        10  楽しい歌を耳にして、

     日も暖かく、 花が咲き乱れる                          西の空の彼方(かなた)を慕わずにいられようか。

     誰が、 秋に啼く雁(かり)が音(ね)の                     悲しい歌に耳を欹(そばだ)て、

 15  寒い故郷(ふるさと)の天遠く流れる                      雲の行方(ゆくえ)を慕わずにいられようか。                            

     白い羊に見られるように、                            深く透明で柔らかく

     潤っている眼の色は、                          20  我が故郷を偲ぶからか。      

     蹄(ひづめ)が薄く、 肩が痩せ                         四つの脚さえ細ってしまった・・・・。

     その鬣(たてがみ)の艶のなさは、                      荒野の空で嘆くからか。

 25  春は、 田畑を耕す名人、                            病める力に石臼を曳き、

     夏は、 国分の嶺を越えて、                           牝馬の力以上の塩を運ぶ。

     秋は、 広瀬の川沿いの                        30  紅葉の木陰に鞭打たれ、

     冬は、 日も暮れた野末(のずえ)の                     霙(みぞれ)が降る泥道に苦しむ。

     鶴は、 空の雲に飽いて                             香り高い朝の霞の中を舞い、 

 35  春の光の空を飛んでいく・・・・。                        その耀(かがやく)く翼(つばさ)が嫉ましい。

     獅子は、寂しい野に隠れ、                           道なき森に驚き、 曙の露に濡れた道に

     迷い込んだ獲物を一撃する・・・・。                  40  その鋭い爪が羨ましい。

     鹿は、 秋の山に妻恋しと、                           黄葉(もみじ)の蔭を踏み

     谷間の水辺に睦み合う・・・・。                         その瞳の色の優しいこと。

 45  人間を冷淡に                                   思ってから幾歳月、

     命を儚く、 情けなく思い始めると                       我が身を責めることとなる。

     強い頸木(くびき)に嘆き苦しみ、                   50  花を見て感動するよりも、  

     春の野に湧く                                    泉の水を飲み干すために

     天の牝馬は、 限りなく渇く口を                        どうにかして自由にしたいと願う。

 55  流れる水辺の柳が                               芽吹いた樹の蔭に、

     新草(にいぐさ)が多く生えていようと、                   渇いた喉(のど)をどうにかして潤したいと願う。

     身は、 粗末な八重葎(やえむぐら)が                60  繁る宿に生れたが、

     悲しいかな地の青草は                              その牝馬の慰みとはならない。

     ああ雨雲や、 雨雲を請う・・・・。                        塵芥(ちりあくた)のこの世に、

 65  轡(くつわ)が折れ、 世を捨て                         頸木を噛み砕くくらい暴れ、

     自由になりたいと祈っていた                          牝馬の心が哀れである。

     食べきれない位の草が生えているという              70  天上が慕わしい。

     水が永遠に湧くという                               天の泉が慕わしい。

     狭い厩(うまや)を捨て、                             空に想いを馳せる馬の

 75  心だけは逸(はや)るが、                            病んだ身には涙が零(こぼ)れるのみ。

     草に生れて草に泣く                                姿やさしい天の馬の、                  

     この世の生き物に違(たが)わず、                    80  消えてゆく命は脆(もろ)い。 

     葉が散り果てた柳の                                その姿にも似て・・・・、

    波に降る淡雪の                                    消えていく姿にも似ている。

 85 実に、 世の常の馬であったなら、                         この様な悲嘆(ひたん)に、

    身の苦悶(くもん)を恨み儚(はかな)んで、                   大声で嘶(いなな)くだろう。

    長い鬣(たてがみ)が、想いを                       90  乱すが、 この世の別れにも

    心だけは冷静である。                                ああ、 幽(かす)かに深く悲しい

    終焉(しゅうえん)の気息(ためいき)を聴けば、                天の憂いを紫の 

 95 野末の花に吹き残した牝馬の                           この世の名残こそ・・・・儚い。       

 

             藤村「天馬-牝馬」  『みだれ髪』との対比

 

 ここで重要なのは、(44)と(266)が対となって、藤村「牝馬」を踏んでいるということです。

 (44)は鹿の妻を恋する優しい瞳の色の対極である飢えた羊の瞳の色-鉄幹の瞳の色。 (266)は羊の古里を忍ぶ涙の瞳の色-晶子の瞳の色を対峙させています。

  一七     

     *白き羚羊(ひつじ)に見まほしく/ 透(す)きては深く柔軟(やはらか)き/眼(まなこ)の色のうるほひは/吾が古里を忍べばか/蹄も薄く肩痩せて/四つの脚さへ細りゆき/その鬣(たてがみ)の艶(つや)なきは/荒野の空に嘆けばか

       ― 「266 そのわかき羊は誰に似たるぞの瞳(ひとみ)の御色(みいろ)野は夕なりし」      (訳)その若い羊である私は、いったい誰の瞳の色に似ているのでしょう?  野が夕焼けに染まり、 私の瞳の色も涙で真っ赤に染まっています。

 色々に訳されている様ですが、藤村「牝馬」の「白き羚羊(ひつじ)に見まほしく/・・・・/眼(まなこ)の色のうるほひは/吾が古里を忍べばか」を踏んでいます。 詠まれたのは、 鉄幹と駆け落ちをすべく京都にやって来た晶子でしたが、 鉄幹は一人東京に帰ってしまいます。 その一人京都に残された時の歌で、夕焼けのように真っ赤な瞳の色に晶子の涙の様子が窺えます。

 

  四一

     *鹿よ秋山妻恋(つまごひ)に/黄葉(もみぢ)のかげを踏み分けて/谷間の水に喘(あへぎよる)/眼睛(ひとみ)の色のやさしやな

       ―「44 水に飢ゑて森をさまよふ小羊のそのまなざしに似たらずや君」       (訳)情愛に飢えて、森を彷徨っている小羊のその血走った眼(まなこ)に似ていませんか?  あなた(鉄幹)。

 『みだれ髪を読む』(佐藤春夫 昭和34・6)-恋人に向つて呼びかけた歌である。・・・・という評が、この歌の真価を妨げてきた様に思います。 初出が『明星第七号(明治33・10)』の「清怨」中、 つまり、清い「怨み」がこの歌のテーマです。 晶子が鉄幹と出逢った頃のものですが・・・・、藤村「牝馬」を逆に踏んでいるとすると・・・・、「妻恋い」の為の優しい瞳の色ではなく、 「飢えて・・彷徨う」情欲の為の瞳の色、 血走った瞳の色です。 鉄幹の瞳の色が「水に飢ゑて森をさまよふ小羊のそのまなざしに似たらずや」と晶子が言って揶揄しているのです。 ・・・・当時、出逢った時、 すでに関係を持ってしまったのかも知れません。

   

    (注)漢字は新漢字。  番号は便宜上付けました。  二八の「塩」の旧字体は、「鹽(しお)」(鹵(しお)部首は岩塩を竹の籠に入れた形)。

 


島崎藤村「おくめ」 「おきく」 -『若菜集』六人の処女-より

2012-05-22 09:48:53 | 島崎藤村

 

          島崎藤村「おくめ」 (うすごほり) 明治29年12月『文学界 四八号』    

                                                             『若菜集』-六人の処女-より

 第ー    こひしきまゝに家を出で                          こゝの岸よりかの岸へ

        越えましものと来て見れば                        千鳥(ちどり)鳴くなり夕まぐれ

 

 第二    こひには親も捨てはてゝ                          やむよしもなき胸の火や

        鬢(びん)の毛を吹く河風よ                        せめてあはれと思へかし

 

 第三    河波(かはなみ)暗く瀬を早み                      流れて巌(いは)に砕くるも

        君を思へば絶間なき                            恋の火炎(ほのほ)に乾くべし

 

 第四    きのふの雨の小休(をやみ)なく                     水嵩(みかさ)や高くまさるとも

        よひ 〃 になくわがこひの                        涙の瀧におよばじな

 

 第五    しりたまはずやわがこひは                        花鳥(はなとり)の絵にあらじかし

        空鏡(かゞみ)の印象(かたち)砂の文字                梢の風の音(ね)にあらじ

 

 第六    しりたまはずやわがこひは                        雄々(をゝ)しき君の手に触れて  

        嗚呼(あゝ)口紅(くちべに)をその口に                 君にうつさでやむべきや

 

 第七    恋は吾身の社(やしろ)にて                        君は社の神なれば

        君の祭壇(つくゑ)の上ならで                       なににいのちを奉げまし

 

 第八    砕かば砕け河波よ                              われに命はあるものを

        河波高く泳ぎ行き                               ひとりの神にこがれなむ

 

 第九    心のみかは手も足も                             吾身はすべて火炎(ほのほ)なり

        思ひ乱れて嗚呼(あゝ)恋の                        千筋(ちすぢ)の髪の波に流るゝ

   

           藤村「おくめ」          (訳)木村真理子

 

 第1   君を恋して家を出て、                             この岸よりあの岸へ

       渡って行こうと来てみれば、                         千鳥が夕暮れに鳴いている。

 

 第2   恋のため、 親も捨て、                            それでも断ち切れない胸の炎。

       鬢の毛を吹く川風よ、                             せめて私を憐れめよ!

 

 第3   太陽が沈んだ川瀬を浪が                          足早に流れて巌に砕け散り、

       君を想う我が心は、                              絶えず恋の炎に渇いている。

 

 第4   昨日から降リ続く雨が、                            水嵩(みずかさ)を増やそうとも、

      夕暮れに泣く恋の涙に                             まさることはない。 

 

 第5   知っているでしょう、 我が恋は                       蝶よ、 花よ、 の恋ではなく、

       空に描く文字、 砂の文字、                         そよ風そよぐ恋ではない。

 

 第6   知っているでしょう、 我が恋は                       雄々しい君の手に触れて、

       ああ、 口紅を君の口に                            移さないではいられようか! 

 

 第7   恋は私の全てだから、                             君は私の全て。

       君のためなら、                                 私の命を奉げましょう。

 

 第8   砕くなら砕け、 川浪よ、                            私に命があるのなら、

      この浪を泳ぎ行き                                ひとり君を恋す。

 

 第9   心のみか、 手も足も、                             身は全て炎となり、

       思い乱れて、 ああ恋の                            千筋(ちすじ)の髪が浪に流れる。              

   藤村「おくめ」 『みだれ髪』との対比

             第一 

     *こひしきまゝに家を出で/こゝの岸よりかの岸へ/越えましものと来て見れば/千鳥(ちどり)鳴くなり夕まぐれ

        ―「348 人とわれおなじ十九のおもかげをうつせし水よ石津川の流れ」

 「こひしきまゝに」は、鉄幹を想ってであり、「こひしきまゝに家を出で/こゝの岸よりかの岸へ/越えましものと来て見れば/千鳥(ちどり)鳴くなり夕まぐれ」の続きが、『みだれ髪』の「348 人とわれおなじ十九のおもかげをうつせし水よ石津川の流れ」となります。

 

 第二

     *こひには親も捨てはてゝ/やむよしもなき胸の火や/鬢(びん)の毛を吹く河風よ/せめてあはれと思へかし

       ―「1 夜の帳(ちやう)にささめき尽きし星の今を下界の人の鬢(びん)のほつれよ」

 「鬢のほつれよ」の「鬢」は、何処から来ているのか? を考えた時、私は藤村「おくめ」の第二フレーズによるものだと初めて知りました。 即ち、歌集『みだれ髪』は、「こひには親も捨てはてゝ/やむよしもなき胸の火や/鬢(びん)の毛を吹く河風よ/せめてあはれと思へかし」が根底に流れていて、このことにより歌集が編まれたのです。

 

 第六

     *しりたまはずやわがこひは/雄々(をゝ)しき君の手に触れて/嗚呼(あゝ)口紅(くちべに)をその口に/君にうつさでやむべきや

       ―「373 病みませるうなじに繊(ほそ)きかひな捲くきて熱にかわける御口(みくち)を吸はむ」

 (373)単独だと、どちらかと言うと、抑えた調子の歌だと思っています。 ですから私は、ズーット熱に渇いた自分自身の御口を吸うと想っていました。 しかし、藤村「おくめ」の「嗚呼口紅をその口に/君にうつさでやむべきや」 (やむべきや)という緊迫した勢いを知り、やっとその真意が理解出来たのです。  歌は前出しました。

 

 第九

     *心のみかは手も足も/吾身はすべて火炎(ほのほ)なり/思ひ乱れて嗚呼(あゝ)恋の/千筋(ちすぢ)の髪の波に流るゝ

       ―「260 くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる」

 「おくめ」の第九フレーズそのままが、『みだれ髪』(260)であり、第九フレーズの続きが(260)です。

 藤村「おくめ」は、『みだれ髪』の存在に関わる、根底に流れるものを秘めていたのです。

 

           島崎藤村「おきく」 (うすごほり) 明治29年12月『文学界 四八号』    

                                                             『若菜集』-六人の処女-より

 第一    くろかみながく                                やはらかき

        をんなごゝろを                                たれかしる

 

 第二    をとこのかたる                                ことのはを

        まこととおもふ                                ことなかれ

 

 第三    をとめごゝろの                                あさくのみ

        いひもつたふる                               をかしさや

 

 第四    みだれてながき                               鬢(びん)の毛を

        黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)に                      かきあげよ

 

 第五    あゝ月ぐさの                                 きえぬべき

        こひもするとは                                たがことば

 

 第六    こひて死なんと                                よみいでし

        あつきなさけは                                たがうたぞ

 

 第七    みちのためには                               ちをながし

        くにには死ぬる                                をとこあり

 

 第八    治兵衛はいづれ                               恋か名か

        忠兵衛も名の                                 ために果つ

 

 第九    あゝむかしより                                こひ死にし

        をとこありと                                  しるや君  

 

 第十    をんなごゝろは                                いやさらに

        ふかきなさけの                                こもるかな

 

 第十一  小春はこひに                                 ちをながし

        梅川こひの                                   ために死ぬ

 

  第十二  お七はこひの                                 ために焼け

        高尾はこひの                                 ために果つ

 

  第十三  かなしからずや                               清姫は

         蛇となれるも                                 こひゆゑに

 

  第十四  やさしからずや                               佐容姫(さよひめ)は

         石となれるも                                 こひゆゑに

 

  第十五  をとこのこひの                               たはぶれは

         たびにすてゆく                               なさけのみ

 

  第十六  こひするなかれ                               をとめごよ

         かなしむなかれ                              わがともよ

 

  第十七  こひするときと                                かなしみと

         いづれかながき                               いづれみじかき

 

         藤村「おきく」          (訳)木村真理子 

 

 第1    黒髪が長く                                   柔らかな

        女ごころを                                   誰が知るでしょう。

 

 第2    男が語る                                    言葉を

       真実と思う                                   ことがないように。

 

 第3   乙女ごころは、                                 浅いとのみ

       思われる                                     不思議さ。

 

 第4   乱れて長い                                    鬢(びん)の毛を、

       黄楊(つげ)の櫛(くし)で                           掻揚(かきあ)げましょう。

 

 第5   ああ、月々の絶え間ない                           語り草となる

       恋話を提供するとは、                             誰の言葉でしょう。

 

 第6   恋して死んでしまおうと                            詠み始める

       情熱の想いとは、                               誰の歌でしょう。

 

 第7    道の為に                                    血を流し、

        故郷には死ぬ                                 男があります。

 

 第8    治兵衛は                                    恋か名に迷い、

        忠兵衛も名の                                 ために死ぬ。

 

 第9    ああ、昔より                                  恋に死んでしまう

        男があると、                                  あなたは知っていますか?

 

 第10   女ごころは                                   それ以上、

        深い情けが                                  込められています。

 

 第11   小春は恋に                                  血を流し、

        梅川は恋の                                  ために死ぬ。

 

 第12   お七は恋の                                  ために焼け、

        高尾も恋の                                  ために死ぬ。

 

 第13   悲しくも                                     清姫が

        蛇となったのも                                恋のため。

        

 第14   優しくも                                     佐夜姫は、

        石となったのも                                恋ゆえに。

 

 第15   男の恋の                                    戯れは、

        旅から旅へと                                 流れて行きます。

 

 第16   恋をするなよ                                  乙女達。

        悲しむなよ                                   我が友よ。

 

 第17   恋をする時と                                  悲しみと、

        どちらが長く                                  どちらが短いでしょう。 

 

     (注)第八の「治兵衛はいづれ/恋か名か/忠兵衛も名の/ために果つ」は→ 「治兵衛はいづれ/恋か名か」=(治兵衛は、恋か名のどちらか) + 「治兵衛はいづれ/・・・・/・・・・/ために果つ」=(治兵衛は、やがて死ぬ。) という「いづれ」の意味を多様した複合文章 と、 「忠兵衛も名の/ために果つ」(忠兵衛も、名のために死ぬ)が合体した節。

 

         藤村「おきく」 『みだれ髪』との対比     

 第一・第二・第三

     *くろかみながく/やはらかき/をんなごゝろを/たれかしる   *をとこのかたる/ことのはを/まこととおもふ/ことなかれ

     *をとめごゝろの/あさくのみいひもつたふる/をかしさや

            ―「362 罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ」

 (362)は、「をとこのかたる/ことのはを/まこととおもふ/ことなかれ ・・・・ をとめごゝろの/あさくのみいひもつたふる/をかしさや」を暗々裏に踏み、 だから晶子は「罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ」と生れ出たのだと思います。    

 

 第一・第二・第四

     *くろかみながく/やはらかき/をんなごゝろを/たれかし     *をとこのかたる/ことのはを/まこととおもふ/ことなかれ

     *みだれてながき/鬢(びん)の毛を/黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)に/かきあげよ

       ―「6 その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」

 以前、晶子自身ではなく、登美子のことだと述べましたが、 第二節「をとこのかたる/ことのはを/まこととおもふ/ことなかれ」を暗々裏に踏み、晶子の悲しい嫉妬心を含んだ歌ではないだろうか? と老婆心ながら思いました。 

 (6)と(362)は、登美子と晶子の対峙した歌ではないでしょうか?   (6)美しい登美子には、第四節「みだれてながき/鬢(びん)の毛を/黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)に/かきあげよ」を与え、 (362)歌の晶子自身には第三節「をとめごゝろの/あさくのみいひもつたふる/をかしさや」の言論を与えています。 両歌共に「をとこのかたる/ことのはを/まこととおもふ/ことなかれ」をキーワードとし、陰陽の意味づけをしています。 う・・・・ん、晶子の性格が出ている・・・・??

 

 第三  

     *  をとめごゝろの/あさくのみいひもつたふる/をかしさや

       ―「393 庫裏(くり)の藤に春ゆく宵のものぐるひ御経のいのちうつつをかしき」

 以前、河野鉄南の所で述べましたが、「うつつをかしき」は、「をとめごゝろの/あさくのみいひもつたふる/をかしさや」を暗に踏み、 女をバカにするんじゃないよ、と言いたいのではないでしょうか?

 

 第七

     *みちのためには/ちをながし/ くにには死ぬる/をとこあり

       ― 晶子「君死にたまふことなかれ」 詩(明治37年9月)『明星』                     

 第十七  

     *こひするときと/かなしみと/いづれかながき/いづれみじかき

       ―「98 人ふたり無才(ぶさい)の二字を歌に笑みぬ恋(こひ)二万年(ねん)ながき短き」       (訳)意味の通じない歌を詠んでいる私達二人を、「無才」だと笑い合いました。(鶴は千年、亀は万年共に白髪が生えるまで・・・・、お互い一万年づつ生きたとしたら)「こひするときと/かなしみと/いづれかながき/いづれみじかき」でしょう。 

  (98)は、「鶴は千年、亀は万年」の俗謡と、藤村「おきく」の第十七節が一首に詠み込まれています。

   

    (注)漢字は、新漢字を採用。  詩の節の番号は、便宜上付けました。  佐容姫は、佐用姫、小夜姫の当て字があり、夫を想う余り、石と成ってしまったという伝説が付随しています。  尚、晶子の歌集『佐保姫』は、奈良方面の春と織物に関係した女神のようです。

                   


島崎藤村「おきぬ」 「おつた」 -『若菜集』六人の処女 -より

2012-05-17 04:52:54 | 島崎藤村

 

        島崎藤村 「おきぬ」 (うすごほり) 『文学界 四八号』(明治29年12月)             

                                                            - 『若菜集』 六人の処女-より

   一  みそらをかける猛鷲(あらわし)の                   人の処女(をとめ)の身に落ちて

     花の姿に宿かれば                             風雨(あらし)に渇(かわ)き雲に餓(う)ゑ

     天翔(あまかけ)るべき術(すべ)をのみ                願う心のなかれとて

     黒髪長き吾身こそ                              うまれながらの盲目(めしひ)なれ

 

  二  芙蓉(ふよう)を前(さき)の身とすれば                 泪(なみだ)は秋の花の露

     小琴(をごと)を前の身とすれば                     愁(うれひ)は細き糸の音

     いま前の世は鷲の身の                          処女にあまる羽翼(つばさ)かな

 

  三  あゝあるときは吾心                             あらゆるものをなげうちて

     世はあぢきなき麻茅生(あさぢふ)の                  茂れる宿と思ひなし

     身は術(すべ)もなき蟋蟀(こほろぎ)の                 夜(よる)の野草(のぐさ)にはひめぐり

     たゞいたづらに音(ね)をたてゝ                      うたをうたふと思ふかな

     

  四  色にわが身をあたふれば                         処女のこゝろ鳥となり

     恋に心をあたふれば                            鳥の姿は処女にて

     処女ながらも空の鳥                             猛鷲(あらわし)ながら人の身の

     天(あめ)と地(つち)とに迷ひぬる                    身の定めこそ悲しけれ

 

               島崎藤村 「おきぬ」          (訳)木村真理子  ・・・・ 晶子に成り代わって・・・・

 

  1  美空を翔る荒鷲(あらわし)が                        人間(ひと)の身に落ちて、

     花のような乙女(おとめ)の姿に宿った。                 嵐を望み、雲を請い、

     天翔(あまかけ)る術を                            願う心がないようにと、 

     黒髪長い私は                                  盲目(めしい)として生まれた。

    

  2  前世が芙蓉だとすれば、 (前妻は白芙蓉の滝野)          涙は秋の花の露。 (恋の涙は登美子の秋の山蓼に)

     前世が小琴とすれば、                            細き糸の音(ね)に愁いが響く。

     けれども前世は鷲の身、                           今の乙女にゃ身にあまる翼。

                                                                       

  3  ああ、ある時は我が心、                            あらゆるものを擲(なげう)って

     今は、味気ない浅茅(あさじ)が原の                    生い茂る宿にいると思って・・・・。                 

     身は蟋蟀(こおろぎ)となって、                        夜の野草を這い回り、

     ただ、悪戯(いたずら)に大声をあげ、                   歌を唄いたいと願う。

 

  4  恋に我が身を置けば、                             乙女の心が鳥になり、

     心が恋に芽生えれば、                             鳥の姿は乙女となって・・・・。

     乙女であるが空の鳥、                             荒鷲であるが人間であり

     天と地に迷っている。                              定められた乙女こそ悲しい。       

                                             

       藤村「おきぬ」    『みだれ髪』に対比 

 第一

     *風雨(あらし)に渇(かわ)き雲に餓(う)ゑ /天翔(あまかけ)るべき術(すべ)をのみ /願う心のなかれとて/黒髪長き吾身こそ/うまれながらの盲目(めしひ)なれ

       ―「362 罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ」

 「黒髪長き」を、・・・・自分が「盲目」ではなく、相手・男性の方を懲らしめるという手法に置換しています。

 

 第二

     * 芙蓉(ふよう)を前(さき)の身とすれば / 泪(なみだ)は秋の花の露

 このフレーズが、晶子には一番に堪えたでしょう。 白「芙蓉」は鉄幹の前妻であり、「泪は秋の花の露」とは、鉄幹が登美子に与えた長詩・山蓼『明星 八号』(明治33・11)-「秋の花」であり、この二人の女性が晶子をどんなに悩ませたか・・・・。

       ―鉄幹「春の花に栄ある恋は人知らむわれは秋草すくせさびしき」  『明星』(明治34・1)

       ―「28 わすれがたきとのみに趣味(しゆみ)をみとめませ説かじ紫その秋の花」     (訳)忘れ難い、とだけ、その嗜好をお認めなさい。 登美子を愛している、と言ってはいけません。その登美子を思い出す秋の花(山蓼)に象徴されるあなたの嗜好に・・・・。

       ―「195 その血潮ふたりは吐かぬちぎりなりき春を山蓼(やまたで)たづねますな君」

 「28」は、鉄幹の歌に対して詠んでいます。 「説かじ紫」は、登美子を愛していると言ってはいけません、という意。    「195 その血潮ふたりは吐かぬちぎりなりき」とは、登美子が鉄幹と睦んでしまったことであり、それを鉄幹と晶子の二人は誰にも言わないという約束したことです。  「春を山蓼たづねますな君」は、春に鉄幹が晶子と居るにも係わらず、登美子を愛した季節が山蓼が咲く秋だったので、それを思い出して山蓼をさがそうとする鉄幹、登美子を思っている証拠だと悲しむ晶子でした。

      

     *小琴(をごと)を前の身とすれば / 愁(うれひ)は細き糸の音

       ―「29 人かへさず暮れむの春の宵ごこち小琴(をごと)にもたす乱れ乱れ髪」

       ―「30 たまくらに鬢(びん)のひとすぢきれし音(ね)を小琴(をごと)と聞きし春の夜の夢」

       ―「276 そら鳴りの夜ごとのくせぞ狂(くる)ほしき汝(なれ)よ小琴(をごと)よ片袖かさむ」

       ―「277 ぬしえらばす胸にふれむの行く春の小琴とおぼせ眉やはき君」  (琴のいらへて)      (訳)殿方を選ばず、心に思うがままの情愛をする私だとお思い下さい。にやけ顔のあなた(鉄幹)。   (私である琴が苛立って)

 これら四首は、すべて藤村「おきぬ」の「小琴」を踏んでいます。 即ち「小琴」とは、艶な女性の生理的欲求です。 この様に観ると、「277」は一部通説の、男に見立てられた琴が少女の誘いに応えたものではないことが解かります。 「眉やはき」とは、眉が柔らかい=眉が下がってにやけた顔を意図します。 「29」の「人かへさず」は、鉄幹を家(晶子の元に)帰さないで、の意。「もたす」は琴に「凭れる」と、間を「持たせる」の掛詞です。 「30」の「たまくら」は、「手枕」と「たまたま」?、の掛詞。 「276」の「片袖かさむ」 は自認行為を意図すると思われます。「かさむ」は「貸さむ」ではなくて、「重む」 。

 

         島崎藤村「おつた」(うすごほり) 『文学界 四八号』(明治29年12月)             

                                                             『若菜集』より    -六人の処女-

 

 第一

     花仄見(ほのみ)ゆる春の夜の                        すがたに似たる吾命(わがいのち)

     朧々(おぼろ 〃 )に父母は                          二つの影と消えうせて

     世に孤児(みなしご)の吾身こそ                        影より出でし影なれや

     たすけもあらぬ今は身は                             若き聖(ひじり)に救はれて

     人なつかしき前髪の                                処女(をとめ)とこそはなりにけれ

 第二

     若き聖ののたまはく                                時をし待たむ君ならば

     かの柿の実をとるなかれ                            かくいひたまふうれしさに

     ことしの秋もはや深し                               まづその秋を見よやとて

     聖に柿をすゝむれば                               その口唇(くちびる)にふれたまひ

     かくも色よき柿ならば                               などか早くわれに告げこぬ

 第三

     若き聖ののたまはく                               人の命の惜しからば

     嗚呼(あゝ)かの酒を飲むなかれ                       かくいひたまううれしさに

     酒なぐさめの一つなり                              まづその春を見よやとて

     聖に酒をすゝむれば                               夢の心地(こゝち)に酔ひたまひ

     かくも楽しき酒ならば                               などか早くわれに告げこぬ

 第四

     若き聖ののたまはく                                道行き急ぐ君ならば

     迷ひの歌をきくなかれ                              かくいひたまふうれしさに

     歌も心の姿なり                                   まづその声をきけやとて

     一ふしうたひいでければ                             聖は魂(たま)も酔ひたまひ

     かくも楽しき歌ならば                               などかは早くわれに告げこぬ

 第五

     若き聖ののたまはく                                まことをさぐる吾身なり

     道の迷(まよひ)となるなかれ                          かくいひたまふうれしさに

     情(なさけ)も道の一つなり                            かゝる思(おもひ)を見よやとて

     わがこの胸に指ざせば                              聖は早く恋ひわたり

     かくも楽しき恋ならば                               などかは早くわれに告げこぬ

 第六

     それ秋の日の夕まぐれ                              そゞろあるきのこゝろなく

     ふと目に入るを手にとれば                           雪より白き小石なり

     若き聖ののたまはく                                知恵の石とやこれぞこの

     あまりに惜しき色なれば                             人に隠して今も放(は)なたじ

 

          藤村「おつた」                     (訳)木村真理子

 第1

     花が仄(ほの)かに見える春の夜の                      姿に似ている我が命。

     父母は知らぬ間に                                 二つの影となって消え失せ、

     孤児(みなしご)となった我が身こそ                      影より出た影である。

     人の助けもない身だけれど、                          今は聖(ひじり)に救われて、

     昔なつかしいおかっぱの                             乙女となった。

 第2

     若き聖が言うには、                                刻(とき)を待てない君だから

     あの柿の実を取ってはいけない。                       この様に言うので心配して、

     今年の秋も既(すで)に深まり                          先ずその秋を見てもらおうと           

     聖に柿を差し出すと、                               聖の唇に柿が触れた。

     この様に美味しそうな柿ならば                         なぜ早く私に告げに来ないか。

 第3

     若き聖が言うには、                                長生きしたいのなら

     ああ、あの酒を飲んではいけない。                      この様に言うので心配して、

     酒は心を楽しくさせる一つの方法である。                  先ずその春を見てもらおうと

     聖に酒を勧めると                                 酔って夢見心地になった。

     この様に楽しい酒ならば                             なぜ早く私に告げに来ないか。

 第4

     若き聖が言うには、                                生き急ぐ君だから、

     歌を聴いてはいけない。                            この様に言うので心配して、

     歌も心の姿である。                                先ずその声を聴いてもらうと

     聖は魂を揺すぶられ                               感動した。                         

     この様に楽しい歌ならば                             なぜ早く私に告げに来ないか。  

 第5

     若き聖が言うには、                                真(まこと)を求道する我が身でから、

     君は仏門の迷いとなる。                             この様に言うので心配して、

     情けも道の一つである。                             あなたを愛する心を見てもらおうと

     我が胸にあなたの手を引き寄せれば、                    聖は忽(たちま)ち恋の虜(とりこ)となった。

     この様に楽しい恋ならば                             なぜ早く私に告げに来ないか。  

 第6

     秋の日の夕暮れ刻、                                何気なく歩いている最中に  

     ふと目に入ったものを拾い上げると、                     雪より白い小石であった。

     若き聖が言うには、                                 これぞ知恵の石である。

     余りに貴重な色なので                              人に隠して今も大切に持っていると。  

   

      (注)「かくいひたまふうれしさに」の「うれしさ」=「憂(うれ)しさ」→ 悲しんで、心配して。

 

        藤村「おつた」  『みだれ髪』に対比

  藤村「おつた」は、晶子の「君死にたまふことなかれ」(明治37・9)『明星』の思想を形成した元詩になったものと思われますが、ここでは『みだれ髪』との対比を考察します。

 第一

     *世に孤児(みなしご)の吾身こそ/ 影より出でし影なれや/たすけもあらぬ今は身は/若き聖(ひじり)に救はれて/人なつかしき前髪の/処女(をとめ)とこそはなりにけれ

      ―「7 堂の鐘のひくきゆふべを前髪の桃のつぼみに経(きやう)たまへ君」

      ―「303 桃われの前髪ゆへるくみ紐(ひも)やときいろなるがことたらぬかな」

 (7)も(13)も晶子の暗い家庭から僧によって開放された、という彼女の想いから上記を踏んで「前髪」という語彙を用いています。 (7)は、以前述べた河野鉄南に対してです。 (303)は、元僧の鉄幹に対してであり、舞姫の章にありますが、晶子自身の前髪です。 しかし、 「ときいろ」=鴇(朱鷺)色-淡紅色 なのが物足らない、と述べていますので、 鉄幹は最初、晶子に対しては積極的ではなかったのでしょう。

 

 第二

    *時をし待たむ君ならば/かの柿の実をとるなかれ/・・・・/まづその秋を見よやとて/聖に柿をすゝむれば/その口唇(くちびる)にふれたまひ

      ―「164 牛の子を木かげに立たせ絵にうつす君がゆかたに柿の花ちる」

 私自身も理解に苦しむ歌です。 通常解されている様なそのままの歌ではないことは、確かでしょう。 推測の域を出ませんが、この歌は上記を踏み、「牛の子」とは晶子自身であり、しかも女性の乳房を述べているのではないか?  下記の『みだれ髪 (25)』と関連あるかも知れません?

 

 第三

     *酒なぐさめの一つなり/まづその春を見よやとて/聖に酒をすゝむれば/夢の心地(こゝち)に酔ひたまひ

       ―「27 許したまへあらずばこその今のわが身うすむらさきの酒うつくしき」      (訳)お許し下さい。生きているからこその今の私、 薄紫の酒-苦しい恋に飲む酒の美味しいこと。

       ―「274 このおもひ真昼の夢と誰か云ふ酒のかをりのなつかしき春」       (訳)この苦しい恋の想いが、「これは、真昼の夢なのですよ」と誰か云って下さい。 お酒の香りに親しんでいる春です。

 (27)の区切れは、「許したまへ/あらずばこその今のわが身/うすむらさきの酒うつくしき」の三部構成であり、「あらずばこそ」は「ない方が良い」「若し私が存在しなかったなら」ではなく、反語であって「あるからこそ」の意。 「存在しているからこそ」を意図します。   (274)は、(27)と同じ意図の歌。 両番号に注目して下さい。 

 

 第五

     *若き聖ののたまはく/まことをさぐる吾身なり/道の迷(まよひ)となるなかれ/かくいひたまふうれしさに/情(なさけ)も道の一つなり/かゝる思(おもひ)を見よやとて/わがこの胸に指ざせば/ 聖は早く恋ひわたり

       ―「26 やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」      (訳)女性の柔らかく、熱い血汐に触れもしないで、お寂しくないですか? 道学者のあなた。

       ―「294 いさめますか道ときますかさとしますか宿世のよそに血を召しませな」      (訳)諌めますか? 道徳を説きますか? 諭しますか? 世間の規範から外れて、毒を呑みましょう。

       ―「352 道を云はず後を思はず名を問はずここに恋ひ恋ふ君と我と見る」

  これら三首は同様の意図を持つ歌であり、藤村「おつた」の上記を踏んでいます。 

 (26)は余りにも有名な歌で、高野山の石碑(昭和25・5建立)にも彫られています。 人通りの多い場所にあるので遭遇すると、本当にびっくりしてしまいますが・・・・、鉄幹?への恋をあきらめさせようとする・・・・という解釈なのだそうです。 何故、その様な解釈になるのか理解に苦しみますが、・・・・「ふれも見で」=「触れもしないで」だし、「道を説く君」は一般的解釈の「道学者」で良いと思います。  対象は、同じく通説の鉄南でも鉄幹でもないでしょう。  二人共、そのような道学者からは最も遠い存在の人達ですし・・・、私的には、河井酔茗説です。 (26)の一つ前の歌に「25 みぎはくる牛かひ男歌あれな秋のみづうみあまりさびし」があるからです。 これは酔茗を詠んでいると思われるので、(26)はその続きの歌だと思うのですが?・・・晶子としては自分の感情に従って、血を滾らせる様な恋をしましょう、という気持ちだったのでしょう。

 (294)は、登美子と粟田山で三人と逢って登美子を見送ってから、その後また、鉄幹と晶子が逢った時の歌だと思いますので、登美子に悪いという気持ちが根底に込められています。 ですから「血を召しませな」の「血」は、血汐滾る情熱の恋ではなくて、毒を含む、それでも已められない恋。 後ろめたい恋を意図しています。 「召しませな」は、「お召しになって下さい」と第三者に言っているのではなく、晶子自身に対して言っています。 自虐の歌です。 (352)は、それに続く歌で、それでも尚「君を我と見る」鉄幹と晶子が見つめているのです。

 

 第六    

       *ふと目に入るを手にとれば/雪より白き小石なり/若き聖ののたまはく/知恵の石とやこれぞこの/あまりに惜しき色なれば/人に隠して今も放(は)なたじ

        ―「230 今日(けふ)を知らず知恵の小石は問はでありき星のおきてと別れにし朝」      (訳)この頃になって、恋がこんなにも苦しいものだとは、知りませんでした。 美しい私でもないにも係わらず、鉄幹は私のことを心底想ってくれています。 世間の規範に従ってお別れした朝から、そんなに日が経っていませんのに・・・・。 (今直ぐにでも、又お逢いしたいです。)

  「知恵の小石」は上記を踏み→「雪より白き・あまりに惜しき色なれば」の小石=美しい石→美しい人→登美子。 ですから「晶子は、登美子の様に美しくない」を意図するのではないでしょうか? 

 鉄幹宛て晶子書簡(明治34・3・20すぎ)―私何故かこのごろかの山のミこひしくてかの時のミこひしくていたしかたなく候・・・・

   

 (注)漢字は新漢字を採用。    詩の節の番号は、便宜上付けました。

 


北村透谷「楚囚之詩」

2012-05-04 08:45:43 | 北村透谷

 

        北村透谷「楚囚之詩」       (明治二十二年)     

 

 第一  

     嘗(か)つて誤つて法を破り                     政治の罪人(つみびと)として捕はれたり、

     余と生死を誓ひし壮士等の                     数多(あまた)あるうちに余は其首領なり,

          中(なか)に, 余が最愛の                     まだ蕾の花なる少女も、

          国の為とて諸共に                           この花婿も花嫁も。  

 第二      

     余が髪は何時(いつ)の間(ま)にか伸びていと長し、      前額(ひたひ)を蓋(おほ)ひ眼を遮(さへぎ)りていと重し、

     肉は落ち骨出で胸は常に枯れ、                   沈み、 萎(しを)れ、 縮み、 あゝ物憂し、

            歳月(さいげつ)を重ねし故にあらず、              又た疾病に苦む為ならず,

            浦島が帰郷の其れにも                       はて似付かふもあらず,

     余が口は涸(か)れたり、 余が眼は凹(くぼ)し、

     嘗つて世を動かす弁論をなせし此口も,               嘗つて万古を通貫したるこの活眼も、

     はや今は口は腐れたる空気を呼吸し                 眼は限られたる暗き壁を睥睨(へいげい)し  

     且つ我腕は曲り、 足は撓(た)ゆめり,                嗚呼(あゝ)楚囚!  世の太陽はいと遠し!

     噫此は何の科(とが)ぞや?                       たゞ国の前途を計りてなり!

     噫此は何の結果ぞや?                          此世の民に尽したればなり!

          去れど独り余ならず、

     吾が祖父は骨を戦野に暴(さら)せり、                 吾が父も国の為めに生命(いのち)を捨たり,                 

         余が代(よ)には楚囚となりて、                     とこしなへに母に離るなり。

 第三

     獄舎(ひとや)!  つたなくも余が迷入れる獄舎(ひとや)は,   二重(ふたへ)の壁にて世界と隔たれリ 

     左れど其壁の隙(すき)又た穴をもぐりて                 逃場を失ひ、 馳込む日光もあり、

     余の青醒(あをざ)めたる腕を照らさんとて                壁を伝ひ、 余が膝の上まで歩寄(あゆみよ)れり。

     余は心なく頭を擡(もた)げて見れば、                   この獄舎(ひとや)は広く且(かつ)空しくて、

     中に四つのしきりが境となり、                        四人の罪人(つみびと)が打揃ひて――

     嘗つて生死を誓ひし壮士等が、                       無残や狭まき籠に繋れて!

     彼等は山頂の鷲なりき、                            自由に喬木の上を舞ひ、

     又た不羈(ふき)に晴朗の天を旅(たび)し、                ひとたびは山野に威(ゐ)を振ひ,

     慓悍なる熊をおそれしめ、                           湖上の毒蛇の巣を襲ひ

     世に畏(おそ)れられたる者なるに                      今は此籠中に憂き棲ひ!

     四人は一室(ひとま)にありながら                      物語りする事は許されず,

     四人は同じ思ひを持ながら                          そを運ぶ事さえ容(ゆる)されず,

     各自(かくじ)限られたる場所の外(ほか)へは              足を踏み出す事かなはず、

          たゞ相通ふ者とては                               同じ心のためいきなり。

 第四

                四人の中にも、   美くしき                          我花嫁・・・・  いと若(わ)かき    

          其の頬の色は消失(きえう)せて                       顔色の別(わ)けて悲しき!

          嗚呼余の胸を撃(う)つ                             其の物思はしき眼付き!

     彼は余と故郷を同じうし、                            余と手を携へて都へ上りにき――

     京都に出でゝ琵琶を後(あと)にし                       三州の沃野(よくや)を過(よぎ)りて、 浜名(はまな)に着き、

     富士の麓に出でゝ函根を越し、                         遂に花の都へは着(つき)たりき,

     愛といひ恋といふには科(しな)あれど、                    吾等双個(ふたり)の愛は精神(たま)にあり、

     花の美くしさは美くしけれど、                           吾が花嫁の美(び)は、 其蕊(しべ)にあり,

     梅が枝(え)にさへづる鳥は多情なれ、                    吾が情はたゞ赤き心にあり,

     彼れの柔(よわ)き手は吾が肩にありて、                   余は幾度(いくたび)か神に祈を捧(さゝげ)たり。     

     左れどつれなくも風に妬(ねた)まれて、                         愛も望みも花も萎れてけり, 

     一夜の契りも結ばずして                             花婿と花嫁は獄舎(ひとや)にあり。

          獄舎(ひとや)は狭し                                狭き中にも両世界(りやうせかい)――!

     彼方の世界に余の半身(はんしん)あり、                    此方の世界に余の半身あり、

     彼方が宿(やど)か此方が宿か?                        余の魂(たま)は日夜(にちや)独り迷ふなり!

 第五

     あとの三個(みたり)は少年の壮士なり、                    或は東奥、 或は中国より出でぬ、

     彼等は壮士の中にも余が愛する                         真に勇豪なる少年にてありぬ,

     左れど見よ彼等の腕の縛らるゝを!                       流石(さすが)に怒れる色もあらはれぬ――

     怒れる色!  何を怒りてか?                               自由の神は世に居(ゐ)まさぬ!

     兎(と)は言へ、 猶ほ彼等の魂(たま)は縛られず、             磊落(らいらく)の遠近(をちこち)の山川に舞ひつらん、

     彼の富士山の頂(いたゞき)に汝の魂は留りて、                雲に駕(が)し月に戯れてありつらん、

     嗚呼何ぞ穢(きた)なき此の獄舎の中に、                    汝の清浄なる魂が暫時(しばし)も居(を)らん!

     斯(か)く云ふ我が魂も獄中にはあらずして                   日々(ひび)夜々(やや)軽るく獄窻を逃伸びつ

     余が愛する少女の魂も跡を追ひ                          諸共に、昔の花園に舞ひ行きつ

     塵(ちり)なく汚(けがれ)なき地の上にはふ(ママ)バイヲレツト 

     其名もゆかしきフオゲツトミイナツト                       其他種々(いろ〃)の花を優(やさ)しく摘みつ

     ひとふさは我胸にさしかざし                            他のひとふさは我が愛に与へつ

     ホツ!   是(こ)は夢なる!                           見よ!   我花嫁は此方を向くよ!      

     其の痛ましき姿!

         嗚呼爰(ここ)は獄舎(ひとや)                             此世の地獄なる。

 第六

     世界の太陽と獄舎の太陽とは物異(ものかは)れり              此中には日と夜との差別の薄かりき、

     何(な)ぜ・・・・余は昼眠(ね)る事を慣(なれ)として              夜の静(しづか)なる時を覚め居(ゐ)たりき,

     ひと夜(よ)。  余は暫時(しばし)の座眠(ざすゐ)を貪りて         起き上り、厭(いと)はしき眼を強ひて開き

     見廻せば暗さは常の如く暗けれど、                        なほさし入るおぼろの光・・・・是れは月!

     月と認(み)れば余が胸に絶えぬ思ひの種(たね)、             借に問ふ、今日(けふ)の月は昨日(きのふ)の月なりや? 

          然り!  踏めども消せども消へぬ明光(ひかり)の月,    

     嗚呼少(わか)かりし時、 嘗つて富岳(ふがく)に攀登(よぢのぼ)り、   近かく、其頂上(いただき)に相見たる美くしの月

      美の女王!  嘗つて又た隅田に舸(ふね)を投げ、            花の懐(ふところ)にも汝とは契をこめたりき。

          同じ月ならん!  左れど余には見えず,                    同じ光ならん!  左れど余には来らず,

              呼べど招けど、   もう                           汝は吾が友ならず。

 第七

      牢番は疲れて快(よ)く眠り,                            腰なる秋水のいと重し,

      意中の人は知らず余の醒(さめ)たるを・・・・                  眠の娯楽・・・・尚ほ彼はいと快(こころよ)し

      嗚呼二枚の毛氈(もうせん)の寝床(とこ)にも                 此の神女の眠りはいと安し!

      余は幾度も軽るく足を踏み、                            愛人の眠りを攪(さま)さんとせし,

      左れど眠りの中に憂(うさ)のなきものを、                    覚(さま)させて、 其(そ)を再び招かせじ,

      眼を鉄窻の方に回(か)へし                            余は来るともなくそう窻下(そうか)に来れり             

      逃路を得んが為ならず                               唯だ足に任せて来りしなり 

      もれ入る月のひかり                                 ても其姿の懐かしき!

 第八

     想ひは奔(はし)る、  往きし昔は日々に新なり                彼山、 彼水、 彼庭、 彼花に余が心は残れり,

     彼の花!   余と余が母と余が花嫁と                     もろともに植ゑにし花にも別れてけり,

     思へば, 余は暇(いとま)を告ぐる隙(ひま)もなかりしなり。

     誰れに気兼(きがね)するにもあらねど、 ひそひそ              余は獄窻の元に身を寄せてぞ

     何にもあれ世界の音信(おとづれ)のあれかしと                待つに甲斐あり!   是は何物ぞ?

     送り来れるゆかしき菊の香(かをり)!                      余は思はずも鼻を聳えたり,

     こは我家(わがや)の庭の菊の我を忘れで,                  遠く西の国まで余を見舞ふなり,

          あゝ我を思ふ友!             恨むらくはこの香(かをり)              我手には触れぬなり。

 第九

     またひとあさ余は晩(おそ)く醒(さ)め、                      高く壁を伝ひてはひ登る日の光(め)

     余は吾花嫁の方に先づ眼を送れば、                       こは如何に!    影もなき吾が花嫁!

     思ふに彼は他の獄舎に送られけん、                        余が睡眠(ねむり)の中に移されたりけん、

     とはあはれな!  一目なりと一せきなりと、                  (何ぜ、 言葉を交(か)はす事は許されざれば)

     永別(わかれ)の印(しるし)をかはす事もかなはざりけん!

     三個(みたり)の壮士もみな影を留(と)めぬなり、                ひとり此広間に余を残したり,

     朝寝の中に見たる夢の偽なりき,                         噫偽りの夢!  皆な往けり!

          往けり、   我愛も!                                また同盟の真友も!

 第十

     倦(う)み来りて、 記憶も歳月も歳月も皆な去りぬ、              寒くなり暖(あつ)くなり,  春,  秋, と過ぎぬ,

     暗さ物憂さにも余は感情を失ひて                         今は唯だ膝を組む事のみ知りぬ,

     罪も望みも、  世界の星辰も皆尽きて、                     余にはあらゆる者皆,・・・・無(む)に帰して

     たゞ寂寥, ・・・・微(かす)かなる呼吸――                    生死の闇の響(ひゞき)なる,

     甘き愛の花嫁も、 身を擲(なげう)ちし国事も                  忘れはて、 もう夢とも又た現(うつつ)とも!

     嗚呼数歩を運べばすなはち壁,                          三回(みたび)まはれば疲る、  流石に余が足も!

 第十一

     余には日と夜との区別なし、                             左れど余の倦(うみ)たる耳にも聞きし、

     暁(あけ)の鶏(にはとり)や、また塒(ねぐら)に急ぐ烏(からす)の声、   兎は言へ其形・・・・想像の外(ほか)には嘗つて見ざりし。

     ひと宵(よひ)は早くより木の枕を                          窻下に推し当て、 眠りの神を

     祈れども、 まだこの疲れたる脳は安(やすま)らず、             半分(なかば)眠り――且つ死し、 なほ半分(なかば)は

     生きてあり、 ――とは願はぬものを。

     突如(とつじよ)窻を叩いて余が霊を呼ぶ者あり                 あやにくに余は過にし花嫁を思出たり、

     弱き腰を引立て、 窓に飛上らんと企てしに、                  こは如何に!  何者・・・・余が顔を撃(うち)たり!

     計らざりき、 幾年月の久しきに、                          始めて世界の生物(せいぶつ)が見舞ひ来れり。

     彼は獄舎の中を狭しと思はず、                           梁(はり)の上梁の下俯仰自由に羽(は)を伸ばす、

     能(よ)き友なりや、 こは太陽に嫌はれし蝙蝠(かうもり)、          我無聊(ぶれう)を訪来れり、  獄舎の中を厭はず,

     想ひ見る!  此は我花嫁の化身ならずや                    嗚呼約せし事望みし事は遂に来らず、

     忌はしき形を仮りて、 我を慕い来(く)るとは!                 ても可憐(あはれ)な!  余は蝙蝠を去らしめず。

 第十二

     余には穢(きた)なき衣類のみならば,                       是を脱ぎ,  蝙蝠に投げ与ふれば、

     彼は喜びて衣類と共に床(ゆか)に落たり、                    余ははい寄りて是を抑(おさ)ゆれば、

     蝙蝠は泣けり、 サモ悲しき声にて、                        何ぜなれば、 彼はなほ自由を持つ身なれば,

     恐るゝな!  捕ふる人は自由を失ひたれ、                    卿(おんみ)を捕ふるに・・・・野心は絶えて無ければ。

     嗚呼!    是(こ)は一の蝙蝠!                         余が花嫁は斯(かゝ)る悪(に)くき顔にては! 

    左れど余は彼を逃げ去らしめず、                           何ぜ・・・・此生物は余が友となり得れば、

    好し・・・・暫時(しばし)獄中に留め置かんに、                   左れど如何にせん?  彼を留め置くには?

    吾に力なきか、此一獣を留置くにさへ?                      傷(いた)ましや!  なほ自由あり、 此獣(けもの)には。

          余は彼を放ちやれり、         自由の獣・・・・彼は喜んで、         疾(と)く獄窻を逃げ出たり。

 第十三  

    恨むらくは昔の記憶の消えざるを、                         若き昔時(むかし)・・・・其の楽しき故郷!

    暗らき中にも,  回想の眼はいと明るく、                     画と見えて画にはあらぬ我が故郷!

    雪を戴(いただ)きし冬の山, 霞をこめし渓(たに)の水,           よも変らじ其美くしさは,  昨日と今日、

         ――我身独りの行末が・・・・如何に                        浮世と共に変り果てんとも!

    嗚呼蒼天!  なほ其処に鷲は舞ふや?                     嗚呼深淵!  なほ其処に魚は躍るや?

          春?   秋?   花?   月?                    是等の物がまだ存(あ)るや?

    嘗つて我が愛と共に逍遥せし、                           楽しき野山の影は如何にせし?

    摘みし野花?  聴きし渓(たに)の楽器?                    あゝ是等は余の最も親愛せる友なりし!

    有る――無し――の答は無用なり,                        常に余が想像には現然たり,

         羽あらば帰りたし, も一度、                             貧しく平和なる昔のいほり。

 第十四

    冬は厳(きび)しく余を悩殺す,                            壁を穿つ日光も暖を送らず,

    日は短し!  して夜はいと長し!                         寒さ瞼(まぶた)を凍らせて眠りも成らず。

    然れども,  いつかは春の帰り来らんに、                    好し, 顧みる物はなしとも, 破運の余に、

    たゞ何心なく春は待ちわぶる思ひする,                      余は獄舎の中より春を招きたり,  高き天(そら)に。

    遂に余は春の来るを告られたり,                          鶯に!  鉄窻の外に鳴く鶯に!

    知らず、 そこに如何なる樹があるや?                      梅か? 梅ならば、 香(かをり)の風に送らる可きに。

    美くしい声!   やよ鶯よ!                             余は飛び起きて,   

    僅に鉄窻に攀ぢ上るに――

    鶯は此響(このひゞき)には驚ろかで,                       獄舎の軒にとまれり,  いと静に!

    余は再び疑ひそめたり・・・・此鳥こそは                      真に,  愛する妻の化身ならんに。       

    鶯は余が幽霊の姿を振り向きて                           飛び去らんとはなさずして

    再び歌ひ出でたる声のすゞしさ!                          余が幾年月の鬱(うさ)を払ひて。

    卿(おんみ)の美くしき衣は神の恵みなる,                    卿の美くしき調子も神の恵みなる,

    卿がこの獄舎に足を留(と)めるのも                        また神の・・・・是(こ)は余に与ふる恵みなる,

    然り!  神は鶯を送りて,                              余が不幸を慰むる厚き心なる!

    嗚呼夢に似てなほ夢ならぬ,                             余が身にも・・・・神の心は及ぶなる。

    思ひ出す・・・・我妻は此世に存(あ)るや否?                   彼れ若し逝きたらんには其化身なり、

    我愛はなほ同じく獄裡に呻吟(さまよ)ふや?                   若し然らば此鳥こそ彼れが霊(たま)の化身なり。

    自由、 高尚、 美妙なる彼れの精霊(たま)が                  この美くしき鳥に化せるはことわりなり,

    斯くして、 再び余が憂鬱を訪ひ来る――                      誠(まこと)の愛の友!  余の眼に涙は充ちてけり。

 第十五

     鶯は再び歌ひ出でたり、                                余は其の歌の意を解(と)き得るなり,

    百種の言葉を聴き取れば、                              皆な余を慰むる愛の言葉なり!

    浮世よりか、将(は)た天国より来りしか?                     余には神の使とのみ見ゆるなり。

    嗚呼左りながら! 其の錬(な)れたる態度(ありさま)              恰かも籠の中より逃れ来れりとも――

    若し然らば・・・・余が同情を憐みて                         来りしか、 余が伴(とも)たらんと思ひて?

    鳥の愛! 世に捨てられし此身にも!                       鶯よ! 卿(おんみ)は籠を出でたれど,

    余は死に至るまでは許されじ!                           余を泣かしめ、 又た笑(ゑ)ましむれど、

    卿の歌は, 余の不幸を救ひ得じ。                         我が花嫁よ, ・・・・否な鶯よ!

    おゝ悲しや, 彼は逃げ去れり                            嗚呼是れも亦た浮世の動物なり。

    若し我妻ならば, 何(な)ど逃去らん!                       余を再び此寂寥(せきれう)に打ち捨てゝ,

    この惨憺たる墓所(はかしよ)に残して                        ――暗らき, 空しき墓所――

    其処(そこ)には腐れたる空気,                           湿(しめ)りたる床のいと冷たき,

    余は爰(ここ)を墓所と定めたり,                           生ながら既に葬られたればなり。

    死や, 汝何時(いつ)来る?                              永く待たすなよ, 待つ人を, 

    余は汝に犯せる罪のなき者を!

 第十六

    鶯は余を捨てゝ去り                                  余は更に怏鬱(あううつ)に沈みたり,  

    春は都に如何なるや?                                確かに, 都は今が花なり!

    斯く余が想像中央(おもひなかば)に                        久し振にて獄吏は入り来れり。

    遂に余は放(ゆる)されて,                              大赦の大慈(めぐみ)を感謝せり

    門を出れば, 多くの朋友,                              集(つど)い, 余を迎え来れり,

    中にも余が最愛の花嫁は,                              走り来りて余の手を握りたり,

    彼れが眼(め)にも余が眼にも同じ涙――                     又た多数の朋友は喜んで舞踏せり,

    先きの可愛(かは)ゆき鶯も爰に来りて                       再び美妙の調べを, 衆(みな)に聞かせたり。 

 

 *漢字は基本的に新字を採用 ― 「窓」の旧字は「窗」なので、ここでは原詩のママ「窻」を使用。「裡」は「裏」の異字体、ママ使用。 「剽悍」も「慓」を、「暴」・「嘗て」もママ。       段落も、インターネット用に改稿。  ふりがなも、原詩にないものも挿入。

 


北村透谷「楚囚之詩」 訳

2012-05-01 08:54:50 | 北村透谷

 

      北村透谷「楚囚之詩」     (訳)  木村真理子

 第1

      以前、 誤って法を破り                 政治の罪人として捕らえられ、

      私と生死を誓った血気盛んな同士の        数ある内の、私はその首領である。

          (獄舎)の中に、 私の最愛の             まだ蕾の花のような少女も、

          国の為として共に立ち上がり、             この私・・・・花婿も、花嫁も囚われの身。

 第2

      私の髪は何時の間にか伸び、             額を覆い、 眼を遮り、 重苦しく、

      私の肉は落ち、 骨は出、 胸は枯れて、      沈み、 萎(しお)れ、 縮み、 ああ鬱陶(うっとう)しい。

          歳月を重ねた訳ではなく、                また疾病に苦しんだ訳でもなく、

          浦島太郎の帰郷に                     似ているということでもない。

      私の口は渇き、 私の眼は窪み、                以前、世を動かす弁論を吐いたこの口も、

          以前、永遠を見通したこの口も、        もはや今は・・・・、 口は腐った空気を呼吸し、

      眼は限られた暗い壁を睨み、              さらに腕は曲がり、 足は萎(な)えている。   

      ああ、 悲しき囚人!  世の太陽は遠い!     ああ、 これは何の罪か?  

          ただ、 国の前途を策略したのみ!      ああ、 これは何の結果か?  

          この世の人々に、 尽くしただけ!           しかし、 独り私だけではなく、

      私の祖父は戦いで骨を野に晒し、            私の父も国の為に命を捨てた。                  

      私は、 私の代に哀しき囚人となって、         常に母と離れている。    

 第3  

      獄舎!  私が迷い込んだ獄舎は、          二重の壁に世界と隔たっている。

      しかし、 その壁の隙間や穴から            行き場を失い、 入り込む日光もあり、

      私の蒼ざめた腕を照らそうと               壁を伝い、 私の膝の上までやって来る。     

        心なく頭を上げて見れば、                この獄舎は広く、 そして空しく、

      中に四つの仕切りが境となって、            四人の罪人が揃い――

      以前、 生死を誓い合った仲間等が、          無残にも狭い檻に繋がれて!

      彼等は、山頂にいる鷲である。               

           自由に高い樹々の上を舞い、              また、 自由に青天を旅し、

           一度は山野に威厳を示し、                荒々しい熊を恐れさせ、

           湖上の毒蛇の巣を襲い、                 世に畏れられた者達なのに・・・・

           今はこの檻に繋がれている。

      四人は一室に居ながら                  話す事を許されず、

      四人は同じ想いを持ちながら              それを伝える事さえ許されない。

      各自限られた場所以外へは、              足を踏み出す事が出来ない。

           ただ意志が通じる者としては、              同じため息が出る。

 第4

          四人の中にも、 美しく                   若い・・・・我が花嫁、

          その頬の色は消え失せ、                 顔色が取り立てて悲しい!

          ああ、 私の胸を打つ                   その物思う目付き!          

      彼女と私は故郷が同じで、                京都に出て、 琵琶湖を後にし、

      濃尾平野の沃野を過ぎて、 浜名湖に着き、      富士山の麓に出て、 

      箱根を越し、                          ついに、 花の都の東京に着いた。

      愛と言い、 恋と言うには気恥ずかしいが、      我等二人の愛は本物であり、

      花の美しさは、 美しいけれど、              我が花嫁の美は、 その心にある。

      梅の枝に囀る鳥は、 多情であり、            私の愛情も、 ただ赤い情熱である。

      彼女の柔らかい手は私の肩にあって、         私は幾度か、 神に祈りを奉げた。

           しかし、 薄情にも風に妬まれて、             愛の希望も花も萎び、    

           一夜の契りも結ばず                      花婿と花嫁は獄舎に居る。

           獄舎は狭く、                           狭い中にも両世界――!

      かなたの世界に、 私の半身を置き、               こなたの世界に、 私の半身を置く。

      かなたが現実か、 こなたが現実か?             私の魂は日夜、 ひとり迷う!

 第5 

      後の三人は、 少年の同士である。            東北地方、 或は中国地方の出身者であり、

      彼等は同士の中でも、 私が愛する            真に勇敢な少年である。

      しかし見よ、 彼等の縛られている腕を!         さすがに、 怒りの表情は見せてはいないが――

      怒りの色! 何を怒ってのこと?                   自由の神は世には居ない。

      とは言え、 なお、 彼等の魂は縛られず、        豪快に遠き近き山河を舞う。

      あの富士山の頂に、 君等の魂は留まり、         雲に乗り、 月と戯れる。

      ああ、どうして、 汚いこの獄舎の中に、          君等の清浄な魂が、 片時も居ることが出来ようか!

      こう言う我が魂も、 獄中に居ず、              日々、 夜毎に、 軽く獄窓を越えて、

      私の愛する少女の魂と共に、                 昔、 二人で行った花園に舞い行く。

      塵もなく、 汚れもなき地上に這う紫の菫や、    その名も奥床しい“ for get me not ”忘れな草、

      その他色々な花を優しく摘み                 一房は、 私の胸に挿し、

      他の一房は、 私の愛する・・・・我が恋人に・・・・       エッ! これは夢!

      見て! 我が花嫁はこちらを向く!              この痛ましい姿!

           ああ、 ここは獄舎                        この世の地獄。

 第6

      世界の太陽と獄舎の太陽とは異なり、           その中には昼と夜の区別が少ない。

      なぜ・・・・私は昼、 眠ることを習慣とし、          夜の静かな時に目覚めているのか。

      ある夜、 私は一時のうたた寝から起き上がり、      眠たい目を強いて開いて見廻すと、

      暗さはいつもの様に暗いけれど、               射し入る、 ぼんやりとした光・・・・これは月!

      月と知れば、 私の胸に常に思う想いがある。            仮に、 「今日の月は昨日の月か?」 と問えば、

      yes. 「踏んでも、 消しても、 消えない光明の月」。   

      ああ、 遠い昔、 少年の頃・・・・富士登山をし、      その頂上で、 間近に見た美しい月  

      美の女王!  また隅田川に舟を浮かべ、          満開の桜の中にも、 その姿を慕った。

           同じ月!  しかし私には見えず、               同じ光!  しかし私には届かない。

           呼んでも、 招いても・・・・                     月よ!  もう我が友ではない。  

 第7

      牢番は疲れて快く眠り、                     小水の想いが過(よ)ぎる。

      意中の恋人は、 私の目覚めを知らない・・・・        眠りの極楽・・・・今、 彼女は快く眠り、             

      ああ、 二枚の毛布の寝床にも                 この天女の眠りは安らかだ!

      私は、 幾度も足を踏み鳴らし、                 恋人の眠りを覚まそうとしたが、

      しかし、 安らかに眠っているものを              目覚めさせて、 現実に戻してはいけない。

      私は、 目を鉄窓の方へ向け、                 行くともなく窓の下へ行った。

      逃げ道を見付ける為ではなく、                 ただ、 足に任せてやって来た。

           もれ入る月の光                          まあ、 その姿の懐かしいこと!       

 第8

      想いは迸(ほとばし)り、過ぎた昔は日々新しい。      あの山、 あの水、 あの庭、 あの花に、 我が心を残し・・・・

      あの花!  私と、 私の母と、 私の花嫁と、        皆で植えた花にも別れてしまった。

      思えば・・・・別れを告げる暇さえなかった。          誰に気遣うこともないけれど、 偲んで

      私は獄窓の下に身を近づけ、                  何でもよいから、 何かがやって来る様にと願う。

      待つ事に喜びがある! ・・・・これは何の香りか?     流れ来る懐かしい菊の香!

      私は思わず鼻を動かす。                     これは我が家の庭の菊の香、 私を忘れないで

      遠く西の都まで、私を見舞いにやって来た。              

           ああ、 私を想う友!           叶うなら、 この香り          我が手に触れてみたい。       

 第9

      またある朝、 遅く目覚めると、                  高く壁を伝って差し込む日の光

      私は、 先ず我が花嫁の方に眼を遣ると、           これはどうしたことか!  影も形もない我が花嫁!

      きっと彼女は、 他の獄舎に送られたに違いない。      私が眠っている間に、 移されたに違いない。

      だとしたら、 哀れなこと! 一目なり一言なりと・・・・     (何しろ、 言葉を交わす事が許されないから)     

      別れの sign を交わす事も叶わなかった!         三人の同士も皆、 影も形もない。

      独り、 この広間に私を残して・・・・                朝寝で見た夢が偽りではなかった。

           ああ、 偽りの夢! 皆行ってしまった!     行ってしまった、 我が愛も!      また、 同士の親友も!

 第10

      疲れて、 記憶も歳月も、 皆行ってしまった。         寒くなり熱くなり、 春、 秋、 と過ぎ、

      暗さ気だるさにも、私は感情を失って              今はただ、 膝を抱え込む事のみ。

      罪も希望も、 世界も星々もすべて尽き、            私には、 あらゆるもの皆・・・・無に還り

      ただ寂しく・・・・微かな呼吸――                       生死の闇の響きがする。

      甘い愛の花嫁も、 身を投げた思想も              忘れ果て、 もう夢とも現実とも・・・・

      ああ、 数歩(すうほ)歩めば壁!                 三回廻れば疲れる、 さすがに我が足も!

 第11

      私には、昼と夜の区別がない。                  しかし、 私の弱った耳にも聞こえる

      暁の鶏や、 夕暮れに巣に帰る鳥の声、            とは言うものの、 想像しているだけだが・・・・

      ある夜、 私は早くから木の枕を窓の下に近づけ、      眠りの神を招くが、

      まだこの疲れた脳は休まらず、                  半分眠り―― 同時に死んで、 また半分は

      生きている――とは願わないのだが・・・・           突然、窓を叩いて私の魂を呼ぶ者がある。

      憎らしくも、 私は行ってしまった花嫁を思い出し、      弱くなった腰を上げ、窓に飛び上がろうとした。

      これは何! 何者・・・・私の顔に何かが当たった!     思いもよらず、 幾歳月の久し振りに、

      始めて外界の生物が見舞いにやって来た。          彼は獄舎の中を狭いと思わず、

      梁の上、 梁の下、 自由自在に飛び廻る。          有能な友であるが、 太陽に嫌われている蝙蝠。

      獄舎の中を嫌がらず、 退屈な私を訪れて来た。      これは、我が花嫁の化身か? と想ってみると、

      ああ、 約束した事、 望んだ事はやって来ず、         忌まわしい形を仮りて、 私を慕って来るとは!

      いかにも哀れな! 蝙蝠を追い出さないでおこう。

 第12

      私には、 粗末な衣類だけなので、                これを脱ぎ、 蝙蝠に投げ与えると、

      彼は歓んで衣類と共に床に落ちた。                私は這い寄って、これを取り押さえると、

      蝙蝠は、 さも悲しい声で鳴く。                    なぜなら、 彼はやはり、 自由な身であるから・・・・

      恐れるな! 捕らえる人は自由を失っている。          君を捕らえるには・・・・野心は消えてしまっている。

      ああ! これは一匹の蝙蝠!                    私の花嫁が、こんな醜い顔では!

      しかし、 私は彼を逃がさず、                         「何しろ」・・・・この生物は、 私の友となり得るから、

          「よし」・・・・暫く、 獄中に留めておこう。          しかし、 どうしょう? 彼を留めておくには?

      この一獣を留めておくにも、 私には無力だろうか?      可哀想に! この獣には、 まだ自由がある。                    

           私は彼を放した。          自由の獣・・・・彼は喜んで、        素早く獄舎を逃げ出した。

 第13

      恨みに思うのは、 昔の記憶が消えないこと。           若かりし時・・・・その楽しい故郷!

      暗き風景の中にも、 回想の想いは明るく、             その風景の中にも、 生きている人々がいる!

      雪を被った冬の山、 霞に包まれた渓谷、              変わることのない其の美しさは、 昨日も今日も、

      ――我が身独りの行く末が・・・・どの様に                   世間と共に変わろうとも!  

      ああ、 青天! まだそこに鷹は舞っているのか?         ああ、 深淵! まだそこに魚は躍っているのか?

           春? 秋? 花? 月?                      これ等のものが、まだ在るだろうか?

      昔、 私が恋人と散歩した                        楽しかった野山は、 どうなっているだろうか?

      摘んだ野の花は?  渓(たに)のせせらぎは?               ああ、 これ等は、 私の最も親愛なる友である!

           有る――無し――の答えではなく、                   常に私の想像は clear 、

           羽があれば帰りたい、 もう一度、                    貧しく平和な、昔の我が故郷。

 第14

      冬は厳しく、 私を悩ませる。                       壁に射す日光も温かさを伝えず、

      日は短い! そして夜は非常に長い!                寒さが瞼を凍らせ、 眠ることも成らない。

      しかしいつか、 春は必ず戻ってくる。                 後悔することがなくても、 運命を切り開く望みに、

      ただ何となく、 春は待ち焦がれる想いがする。           私は獄舎の中より春を招こう、 高き空に。

      ついに私は、春が来たのを告げられた。                鶯に! 鉄窓の外に鳴く鶯に!

      私は、 そこにどんな樹があるのか知らないが、           梅? 梅ならば、 香りが風に運ばれるだろうに。

      美しい声!  「おーい 鶯よ!」                     私は飛び起きて、

      かろうじて鉄窓に攀じ登ると――                    鶯はこの音に驚かず  

      静かに、 獄舎の軒に止まった。                     私は再び疑い出した・・・・この鳥こそは

      真に、 愛する妻の化身であると。                     

      鶯は、私の亡霊のような姿に                       飛び去ろうとはしないで、

      再び歌いだした。 その声の清々しさよ!                私の幾歳月の憂さを払って・・・・、

      君の美しい衣は、 神の恵みであり、                   君の美しい調子も、 神の恵みである。

      君がこの獄舎に足を留めるのも                      また神の・・・・これは私に与えられた恵みである。

           そう! 神は鶯を送って                      私の心を慰める篤き心である!           

           ああ、 夢に似て、 まだ夢ではない。              私の身にも、 神の慈悲は及ぶだろう。

      想うのに・・・・我が妻は、 この世に在るだろうか?          彼女が、もし死んでしまっていたなら、 この鶯が化身だろう。

      我が愛は、 また同様に獄中を彷徨っているのか?          もしそうなら、 この鳥こそ彼女の魂の化身である。

      自由、 高尚、 美妙な彼女の精神が                   この美しい鳥に化したのは、 道理である。

      こうして、 再び私の憂いを慰めに来る――               誠の愛の友! 私の眼に涙が満ち溢れる。

 第15

       鶯は再び歌い出した。                             私はその歌の意味を解くことが出来る。

      百種の言葉を聴き取れば、                         すべて私を慰める愛の言葉である!

      俗世より、 あるいは天国より来たのか?                私には神の使いである、 とのみ想える。

      ああ、 そうではあるが! その慣れた様子は             まるで籠の中より逃げて来たような――

           もしそうであるなら・・・・私を憐れんで                  来たのだろうか、 私の伴になろうと思って?

      鳥の愛! 世間に捨てられた我が身でも!               鶯よ! 君は鳥籠を出たけれど、

      私は死に至るまでは許されない!                     私を泣かせ、 また喜ばせるけれど、

      君の歌は、 私の不幸を救う事が出来ない。              我が花嫁よ、・・・・いいや鶯よ!

           おお悲しい、 彼女は逃げ去った。                    ああこれもまた、 浮世の動物である。

      もし我が妻ならば、なぜ逃げる事があろうか!             再びこの寂しさに残して、

      この悲惨な墓場に残して                           ――暗く、 空しい墓場――

      そこには腐った空気、                             湿った冷たい床。

      私は、 ここを墓場と決めた。                        生きながら、 すでに葬られている。

          死は、 神よ、 何時来る?     永く待つ人を、待たすなよ、      私は誓って、 神に罪を犯した事はない!

 第16

      鶯は、 私をすてて去り、                         私は更に、 憂鬱になる。    

      春の都は?                                 確かに、 都は今が花盛り!

          この様に想像をしている最中                  久し振りに獄吏が入って来た。

      ――ついに、 私は許されて、                     大赦の恩恵を受け、 釈放された。

      門を出ると、 多くの朋友が集まり、                  私を迎えにやって来た。

      その中でも、私の最愛の花嫁は、                   走って来て、私の手を握った。

      彼女の眼にも、私の眼にも同じ涙があふれ、            また多くの朋友が喜んで踊り上がった。

      先程の可愛い鶯も、 ここに来て、                    もう一度美しい調べを、皆に聞かせた。