島崎藤村 「おきぬ」 (うすごほり) 『文学界 四八号』(明治29年12月)
- 『若菜集』 六人の処女-より
一 みそらをかける猛鷲(あらわし)の 人の処女(をとめ)の身に落ちて
花の姿に宿かれば 風雨(あらし)に渇(かわ)き雲に餓(う)ゑ
天翔(あまかけ)るべき術(すべ)をのみ 願う心のなかれとて
黒髪長き吾身こそ うまれながらの盲目(めしひ)なれ
二 芙蓉(ふよう)を前(さき)の身とすれば 泪(なみだ)は秋の花の露
小琴(をごと)を前の身とすれば 愁(うれひ)は細き糸の音
いま前の世は鷲の身の 処女にあまる羽翼(つばさ)かな
三 あゝあるときは吾心 あらゆるものをなげうちて
世はあぢきなき麻茅生(あさぢふ)の 茂れる宿と思ひなし
身は術(すべ)もなき蟋蟀(こほろぎ)の 夜(よる)の野草(のぐさ)にはひめぐり
たゞいたづらに音(ね)をたてゝ うたをうたふと思ふかな
四 色にわが身をあたふれば 処女のこゝろ鳥となり
恋に心をあたふれば 鳥の姿は処女にて
処女ながらも空の鳥 猛鷲(あらわし)ながら人の身の
天(あめ)と地(つち)とに迷ひぬる 身の定めこそ悲しけれ
島崎藤村 「おきぬ」 (訳)木村真理子 ・・・・ 晶子に成り代わって・・・・
1 美空を翔る荒鷲(あらわし)が 人間(ひと)の身に落ちて、
花のような乙女(おとめ)の姿に宿った。 嵐を望み、雲を請い、
天翔(あまかけ)る術を 願う心がないようにと、
黒髪長い私は 盲目(めしい)として生まれた。
2 前世が芙蓉だとすれば、 (前妻は白芙蓉の滝野) 涙は秋の花の露。 (恋の涙は登美子の秋の山蓼に)
前世が小琴とすれば、 細き糸の音(ね)に愁いが響く。
けれども前世は鷲の身、 今の乙女にゃ身にあまる翼。
3 ああ、ある時は我が心、 あらゆるものを擲(なげう)って
今は、味気ない浅茅(あさじ)が原の 生い茂る宿にいると思って・・・・。
身は蟋蟀(こおろぎ)となって、 夜の野草を這い回り、
ただ、悪戯(いたずら)に大声をあげ、 歌を唄いたいと願う。
4 恋に我が身を置けば、 乙女の心が鳥になり、
心が恋に芽生えれば、 鳥の姿は乙女となって・・・・。
乙女であるが空の鳥、 荒鷲であるが人間であり
天と地に迷っている。 定められた乙女こそ悲しい。
藤村「おきぬ」 『みだれ髪』に対比
第一
*風雨(あらし)に渇(かわ)き雲に餓(う)ゑ /天翔(あまかけ)るべき術(すべ)をのみ /願う心のなかれとて/黒髪長き吾身こそ/うまれながらの盲目(めしひ)なれ
―「362 罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ」
「黒髪長き」を、・・・・自分が「盲目」ではなく、相手・男性の方を懲らしめるという手法に置換しています。
第二
* 芙蓉(ふよう)を前(さき)の身とすれば / 泪(なみだ)は秋の花の露
このフレーズが、晶子には一番に堪えたでしょう。 白「芙蓉」は鉄幹の前妻であり、「泪は秋の花の露」とは、鉄幹が登美子に与えた長詩・山蓼『明星 八号』(明治33・11)-「秋の花」であり、この二人の女性が晶子をどんなに悩ませたか・・・・。
―鉄幹「春の花に栄ある恋は人知らむわれは秋草すくせさびしき」 『明星』(明治34・1)
―「28 わすれがたきとのみに趣味(しゆみ)をみとめませ説かじ紫その秋の花」 (訳)忘れ難い、とだけ、その嗜好をお認めなさい。 登美子を愛している、と言ってはいけません。その登美子を思い出す秋の花(山蓼)に象徴されるあなたの嗜好に・・・・。
―「195 その血潮ふたりは吐かぬちぎりなりき春を山蓼(やまたで)たづねますな君」
「28」は、鉄幹の歌に対して詠んでいます。 「説かじ紫」は、登美子を愛していると言ってはいけません、という意。 「195 その血潮ふたりは吐かぬちぎりなりき」とは、登美子が鉄幹と睦んでしまったことであり、それを鉄幹と晶子の二人は誰にも言わないという約束したことです。 「春を山蓼たづねますな君」は、春に鉄幹が晶子と居るにも係わらず、登美子を愛した季節が山蓼が咲く秋だったので、それを思い出して山蓼をさがそうとする鉄幹、登美子を思っている証拠だと悲しむ晶子でした。
*小琴(をごと)を前の身とすれば / 愁(うれひ)は細き糸の音
―「29 人かへさず暮れむの春の宵ごこち小琴(をごと)にもたす乱れ乱れ髪」
―「30 たまくらに鬢(びん)のひとすぢきれし音(ね)を小琴(をごと)と聞きし春の夜の夢」
―「276 そら鳴りの夜ごとのくせぞ狂(くる)ほしき汝(なれ)よ小琴(をごと)よ片袖かさむ」
―「277 ぬしえらばす胸にふれむの行く春の小琴とおぼせ眉やはき君」 (琴のいらへて) (訳)殿方を選ばず、心に思うがままの情愛をする私だとお思い下さい。にやけ顔のあなた(鉄幹)。 (私である琴が苛立って)
これら四首は、すべて藤村「おきぬ」の「小琴」を踏んでいます。 即ち「小琴」とは、艶な女性の生理的欲求です。 この様に観ると、「277」は一部通説の、男に見立てられた琴が少女の誘いに応えたものではないことが解かります。 「眉やはき」とは、眉が柔らかい=眉が下がってにやけた顔を意図します。 「29」の「人かへさず」は、鉄幹を家(晶子の元に)帰さないで、の意。「もたす」は琴に「凭れる」と、間を「持たせる」の掛詞です。 「30」の「たまくら」は、「手枕」と「たまたま」?、の掛詞。 「276」の「片袖かさむ」 は自認行為を意図すると思われます。「かさむ」は「貸さむ」ではなくて、「重む」 。
島崎藤村「おつた」(うすごほり) 『文学界 四八号』(明治29年12月)
『若菜集』より -六人の処女-
第一
花仄見(ほのみ)ゆる春の夜の すがたに似たる吾命(わがいのち)
朧々(おぼろ 〃 )に父母は 二つの影と消えうせて
世に孤児(みなしご)の吾身こそ 影より出でし影なれや
たすけもあらぬ今は身は 若き聖(ひじり)に救はれて
人なつかしき前髪の 処女(をとめ)とこそはなりにけれ
第二
若き聖ののたまはく 時をし待たむ君ならば
かの柿の実をとるなかれ かくいひたまふうれしさに
ことしの秋もはや深し まづその秋を見よやとて
聖に柿をすゝむれば その口唇(くちびる)にふれたまひ
かくも色よき柿ならば などか早くわれに告げこぬ
第三
若き聖ののたまはく 人の命の惜しからば
嗚呼(あゝ)かの酒を飲むなかれ かくいひたまううれしさに
酒なぐさめの一つなり まづその春を見よやとて
聖に酒をすゝむれば 夢の心地(こゝち)に酔ひたまひ
かくも楽しき酒ならば などか早くわれに告げこぬ
第四
若き聖ののたまはく 道行き急ぐ君ならば
迷ひの歌をきくなかれ かくいひたまふうれしさに
歌も心の姿なり まづその声をきけやとて
一ふしうたひいでければ 聖は魂(たま)も酔ひたまひ
かくも楽しき歌ならば などかは早くわれに告げこぬ
第五
若き聖ののたまはく まことをさぐる吾身なり
道の迷(まよひ)となるなかれ かくいひたまふうれしさに
情(なさけ)も道の一つなり かゝる思(おもひ)を見よやとて
わがこの胸に指ざせば 聖は早く恋ひわたり
かくも楽しき恋ならば などかは早くわれに告げこぬ
第六
それ秋の日の夕まぐれ そゞろあるきのこゝろなく
ふと目に入るを手にとれば 雪より白き小石なり
若き聖ののたまはく 知恵の石とやこれぞこの
あまりに惜しき色なれば 人に隠して今も放(は)なたじ
藤村「おつた」 (訳)木村真理子
第1
花が仄(ほの)かに見える春の夜の 姿に似ている我が命。
父母は知らぬ間に 二つの影となって消え失せ、
孤児(みなしご)となった我が身こそ 影より出た影である。
人の助けもない身だけれど、 今は聖(ひじり)に救われて、
昔なつかしいおかっぱの 乙女となった。
第2
若き聖が言うには、 刻(とき)を待てない君だから
あの柿の実を取ってはいけない。 この様に言うので心配して、
今年の秋も既(すで)に深まり 先ずその秋を見てもらおうと
聖に柿を差し出すと、 聖の唇に柿が触れた。
この様に美味しそうな柿ならば なぜ早く私に告げに来ないか。
第3
若き聖が言うには、 長生きしたいのなら
ああ、あの酒を飲んではいけない。 この様に言うので心配して、
酒は心を楽しくさせる一つの方法である。 先ずその春を見てもらおうと
聖に酒を勧めると 酔って夢見心地になった。
この様に楽しい酒ならば なぜ早く私に告げに来ないか。
第4
若き聖が言うには、 生き急ぐ君だから、
歌を聴いてはいけない。 この様に言うので心配して、
歌も心の姿である。 先ずその声を聴いてもらうと
聖は魂を揺すぶられ 感動した。
この様に楽しい歌ならば なぜ早く私に告げに来ないか。
第5
若き聖が言うには、 真(まこと)を求道する我が身でから、
君は仏門の迷いとなる。 この様に言うので心配して、
情けも道の一つである。 あなたを愛する心を見てもらおうと
我が胸にあなたの手を引き寄せれば、 聖は忽(たちま)ち恋の虜(とりこ)となった。
この様に楽しい恋ならば なぜ早く私に告げに来ないか。
第6
秋の日の夕暮れ刻、 何気なく歩いている最中に
ふと目に入ったものを拾い上げると、 雪より白い小石であった。
若き聖が言うには、 これぞ知恵の石である。
余りに貴重な色なので 人に隠して今も大切に持っていると。
(注)「かくいひたまふうれしさに」の「うれしさ」=「憂(うれ)しさ」→ 悲しんで、心配して。
藤村「おつた」 『みだれ髪』に対比
藤村「おつた」は、晶子の「君死にたまふことなかれ」(明治37・9)『明星』の思想を形成した元詩になったものと思われますが、ここでは『みだれ髪』との対比を考察します。
第一
*世に孤児(みなしご)の吾身こそ/ 影より出でし影なれや/たすけもあらぬ今は身は/若き聖(ひじり)に救はれて/人なつかしき前髪の/処女(をとめ)とこそはなりにけれ
―「7 堂の鐘のひくきゆふべを前髪の桃のつぼみに経(きやう)たまへ君」
―「303 桃われの前髪ゆへるくみ紐(ひも)やときいろなるがことたらぬかな」
(7)も(13)も晶子の暗い家庭から僧によって開放された、という彼女の想いから上記を踏んで「前髪」という語彙を用いています。 (7)は、以前述べた河野鉄南に対してです。 (303)は、元僧の鉄幹に対してであり、舞姫の章にありますが、晶子自身の前髪です。 しかし、 「ときいろ」=鴇(朱鷺)色-淡紅色 なのが物足らない、と述べていますので、 鉄幹は最初、晶子に対しては積極的ではなかったのでしょう。
第二
*時をし待たむ君ならば/かの柿の実をとるなかれ/・・・・/まづその秋を見よやとて/聖に柿をすゝむれば/その口唇(くちびる)にふれたまひ
―「164 牛の子を木かげに立たせ絵にうつす君がゆかたに柿の花ちる」
私自身も理解に苦しむ歌です。 通常解されている様なそのままの歌ではないことは、確かでしょう。 推測の域を出ませんが、この歌は上記を踏み、「牛の子」とは晶子自身であり、しかも女性の乳房を述べているのではないか? 下記の『みだれ髪 (25)』と関連あるかも知れません?
第三
*酒なぐさめの一つなり/まづその春を見よやとて/聖に酒をすゝむれば/夢の心地(こゝち)に酔ひたまひ
―「27 許したまへあらずばこその今のわが身うすむらさきの酒うつくしき」 (訳)お許し下さい。生きているからこその今の私、 薄紫の酒-苦しい恋に飲む酒の美味しいこと。
―「274 このおもひ真昼の夢と誰か云ふ酒のかをりのなつかしき春」 (訳)この苦しい恋の想いが、「これは、真昼の夢なのですよ」と誰か云って下さい。 お酒の香りに親しんでいる春です。
(27)の区切れは、「許したまへ/あらずばこその今のわが身/うすむらさきの酒うつくしき」の三部構成であり、「あらずばこそ」は「ない方が良い」「若し私が存在しなかったなら」ではなく、反語であって「あるからこそ」の意。 「存在しているからこそ」を意図します。 (274)は、(27)と同じ意図の歌。 両番号に注目して下さい。
第五
*若き聖ののたまはく/まことをさぐる吾身なり/道の迷(まよひ)となるなかれ/かくいひたまふうれしさに/情(なさけ)も道の一つなり/かゝる思(おもひ)を見よやとて/わがこの胸に指ざせば/ 聖は早く恋ひわたり
―「26 やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」 (訳)女性の柔らかく、熱い血汐に触れもしないで、お寂しくないですか? 道学者のあなた。
―「294 いさめますか道ときますかさとしますか宿世のよそに血を召しませな」 (訳)諌めますか? 道徳を説きますか? 諭しますか? 世間の規範から外れて、毒を呑みましょう。
―「352 道を云はず後を思はず名を問はずここに恋ひ恋ふ君と我と見る」
これら三首は同様の意図を持つ歌であり、藤村「おつた」の上記を踏んでいます。
(26)は余りにも有名な歌で、高野山の石碑(昭和25・5建立)にも彫られています。 人通りの多い場所にあるので遭遇すると、本当にびっくりしてしまいますが・・・・、鉄幹?への恋をあきらめさせようとする・・・・という解釈なのだそうです。 何故、その様な解釈になるのか理解に苦しみますが、・・・・「ふれも見で」=「触れもしないで」だし、「道を説く君」は一般的解釈の「道学者」で良いと思います。 対象は、同じく通説の鉄南でも鉄幹でもないでしょう。 二人共、そのような道学者からは最も遠い存在の人達ですし・・・、私的には、河井酔茗説です。 (26)の一つ前の歌に「25 みぎはくる牛かひ男歌あれな秋のみづうみあまりさびし」があるからです。 これは酔茗を詠んでいると思われるので、(26)はその続きの歌だと思うのですが?・・・晶子としては自分の感情に従って、血を滾らせる様な恋をしましょう、という気持ちだったのでしょう。
(294)は、登美子と粟田山で三人と逢って登美子を見送ってから、その後また、鉄幹と晶子が逢った時の歌だと思いますので、登美子に悪いという気持ちが根底に込められています。 ですから「血を召しませな」の「血」は、血汐滾る情熱の恋ではなくて、毒を含む、それでも已められない恋。 後ろめたい恋を意図しています。 「召しませな」は、「お召しになって下さい」と第三者に言っているのではなく、晶子自身に対して言っています。 自虐の歌です。 (352)は、それに続く歌で、それでも尚「君を我と見る」鉄幹と晶子が見つめているのです。
第六
*ふと目に入るを手にとれば/雪より白き小石なり/若き聖ののたまはく/知恵の石とやこれぞこの/あまりに惜しき色なれば/人に隠して今も放(は)なたじ
―「230 今日(けふ)を知らず知恵の小石は問はでありき星のおきてと別れにし朝」 (訳)この頃になって、恋がこんなにも苦しいものだとは、知りませんでした。 美しい私でもないにも係わらず、鉄幹は私のことを心底想ってくれています。 世間の規範に従ってお別れした朝から、そんなに日が経っていませんのに・・・・。 (今直ぐにでも、又お逢いしたいです。)
「知恵の小石」は上記を踏み→「雪より白き・あまりに惜しき色なれば」の小石=美しい石→美しい人→登美子。 ですから「晶子は、登美子の様に美しくない」を意図するのではないでしょうか?
鉄幹宛て晶子書簡(明治34・3・20すぎ)―私何故かこのごろかの山のミこひしくてかの時のミこひしくていたしかたなく候・・・・
(注)漢字は新漢字を採用。 詩の節の番号は、便宜上付けました。