木村真理子の文学 『みだれ髪』好きな人のページ

与謝野晶子の『みだれ髪』に関連した詩歌を紹介し、現代語訳の詩歌に再生。 また、そこからイメ-ジされた歌に解説を加えます。

『枕草子』  清少納言

2013-02-10 01:34:45 | 古典

 

            清少納言 から蕪村、 そして晶子へ

 

 

         蕪村  「 冬鶯むかし王維が垣根哉    うぐひすや何こそつかす藪の霜    しら梅に明る夜ばかりとなりにけり 

     蕪村が没したのは六十八歳、 天明三年十二月二十五日。 その前日に臨終の吟の三句を弟子の月渓に書き取らせています。  第一句の 王維は唐の詩人、 その家の垣根にも鶯が鳴いていただろうか、 というものです。 第二句は、今現在の蕪村の家。 そして第三句は、平安時代の清少納言 『枕草子 三十四段』 の 「朝露に濡(ぬ)れたる朝ぼらけの桜」 を、 想っていたのではないでしょうか? 蕪村は消え入る意識の中で、 過去(唐) → 現在(自宅) → 過去(日本・平安時代) 、 そして、 王維 → 自分(蕪村) → 清少納言 へと想いを廻らせていきます。 

       三十四段  ―  木の花は、濃きも淡きも紅梅

   四月(しぐわち)の晦(つもごり)、 五月(ごぐわち)の朔日(ついたち)のころほひ、 橘(たちばな)の葉の濃く青きに、 花のいと白く咲きたるが、雨うち降りたる早朝(つとめて)などは、 世になう心あるさまに、 をかし。 花のなかより、黄金の玉かと見えて、 いみじうあざやかに見えたるなど、 朝露に濡(ぬ)れたる朝ぼらけの桜に劣らず、 郭公(ほととぎす)のよすがとさふ思へばにや、 なほさらに、いふべうもあらず。

 「朝ぼらけの桜」 が、 蕪村の 「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」 です。 「桜」 と 「しら梅」 に違いがありますが、 清少納言が、「木の花は、 濃きも淡きも紅梅」 と言っていますので、 それに対抗して、蕪村が 「そりゃあ、 しら梅だろう」 と言っている姿を彷彿させます。  また、 「朝露」 が 「藪の霜」 であり、 「郭公」 が 「鶯」 へと変遷しています。   

       ― 『みだれ髪 132』 君が前に李春蓮説くこの子ならずよき墨なきを梅にかこつな     ; 「李春蓮」は、「李青蓮」の誤植。

 晶子も、この蕪村の三連句を見逃すはずがありません。 三句を一纏めにしたのが、(132) です。 「李青蓮 は、李白(青蓮は号)」のこと。 「王維」 が蕪村が一番好んだ「李白」へと変遷し、 「よき墨なき」は、 蕪村のように、 「良い句を詠めないこと」 を意味し。 「しら梅」 は 「梅」と合致しています。  また、三連句の一つと考えるなら、 第一句です。 

            【132 訳】〔表訳〕 君(鉄幹)の前で、李青蓮の詩を解説する私ではありません。 良い句が出来ないのを、 梅の所為(せい)にしないで下さい。

                    〔裏訳〕 私・晶子も 蕪村に習い三連句を詠もうとしましたが、 中々できるものではありません。 「冬鶯むかし王維が垣根哉」 に対峙。

        ― 『みだれ 髪 115』 ゆふぐれを籠へ鳥よぶいもうとの爪先(つまさき)ぬらす海棠の雨

 集中において、(115) の意図が解かりませんでしたが、 「いもうと」が、 尊敬している蕪村・ 歌の師である蕪村の妹 - 晶子自身を指していることが知れると、 自然と意図を持ってきます。 (115)も蕪村の三連句の総合であり、 単独に位置付けるなら、 第二句です。  「明る夜」 が 「ゆうぐれ」に対峙し、 「鶯」 が 「鳥」、 「藪の霜・しら梅」 が 「海棠の雨」でしょう。 「鳥よぶ」 が 鶯を呼ぶ、 でもあり、 蕪村を呼ぶ、 でもあります。 「いもうとの爪先」 は、晶子が蕪村の詩の域にまで到達しようと、背伸びをしている姿でもあります。 初出の 『明星 13号(明治34年5月)』 とは、趣の異なった歌となっています。 初出は、「鶏」と「褄(つま)さき」。

           【115 訳】〔表訳〕 夕暮に、 (庭の)海棠が雨に濡れ、 その雨が、 鳥籠へ小鳥を呼ぶ妹の爪先にも、 降りかかっています。  

                   〔裏訳〕 「うぐひすや何こそつかす藪の霜」 に対峙。 

         ― 『みだれ髪 248』 しら梅は袖に湯の香は下のきぬにかりそめながら君さらばさらば  

 強いて言うなら、(248)が、蕪村の第三句でしょう。 「しら梅」 が同じ、 で、「蕪村の死」 が、 「君さらばさらば」 です。 初出は、(115)と同時期の作であり、 晶子が駆け落ちの京都に置いてきぼりされ、 鉄幹が一足先に東京に帰ってしまった時のものです。  「しら梅は袖に」 は、鉄幹と蕪村の三連作を話し合った、 もしくは、二人して、 歌を詠み合ったことを指すのでしょう。 「湯の香は下のきぬに」は、鉄幹と睦み合ったこと。 「かりそめながら君さらばさらば」は、 後で、 日にちを置いてから、 晶子が東京に行く、 という約束。   

            【248 訳】〔表訳〕 しら梅の歌を認(したた)め合い、 (華頂温泉の)湯の香と伴にあなたと睦み合いましたが、 暫くですが、 お別れしましょう。 (私が後から追い駆けますからね。)    

                    〔裏訳〕 「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」 に対峙。

 

 

           蕪村 「ゆく春やおもたき琵琶の抱きごゝろ」       

    八十九段 ― 上(うへ)の御局(みつぼね)の御簾(みす)の前にて、 殿上人、

   まだ御格子(みかうし)はまゐらぬに、 大殿油(おほとなぶら)差し出でたれば、 戸の開(あ)きたるがあらはなれば、 琵琶(びは)の御琴(おんこと)を、 縦(たた)ざまに、 持たせたまへり。 紅の御衣(おんぞ)どもの、 いふも世の常なる袿(うちぎ)、 また張りたるどもなどを、 あまたたてまつりて、 いと黒う艶やかなる琵琶に、 御袖をうちかけて把(とら)へさせたまへるだにめでたきに、 稜(そば)より、 御額(ひたひ)のほどの、 いみじう白うめでたく、 けざやかににて、 はづれさせたまへるは、 譬(たと)ふべきかたぞなきや。   

    ;(新潮社版 注) 格子がまだ上げたままになっているところへ、 中宮のお傍近く燭台が差し出されたので、 孫廂にいる殿上人たちから中宮のお姿が簾越にくっきり見える。 そこで中宮は、琵琶を膝の上に立てて転手(てんじゆ)の蔭に、 お顔を隠されたのである。 それでも、 転手の角(かど)から額だけは外れて見える。           

 蕪村の句は、 『枕草子 八十九段』の 御殿油で照らされた御簾を通して見える中宮(定子)が、顕わに見える自身の姿を恥らう気持ち、その気持ちのまま、 琵琶を弾いている姿を詠んでいるのだと思います。 

       ― 『みだれ髪 29』 人かへさず暮れむの春の宵ごこち小琴(をごと)にもたす乱れ乱れ髪

 蕪村が、 「琵琶を抱く・ ごころ」 と詠んだので、 晶子は、「小琴に凭れる・ 乱れ乱れ髪」 と詠みました。 「もたす」は、 凭す、 間をもたす、 耽(ふけ)る 、 の意です。

            【29 訳】〔表訳〕 鉄幹を帰さず、 暮れてゆく春の宵、 琵琶を弾いて間をもたせる乱れた私の気持ち。 

                   〔裏訳〕 情愛の晶子の気持ちです。    蕪村の句に対峙しています。

   

    

 『枕草子』 をテーマにしたことで、 一番困ったことは、 参考文献に何を選ぶか? ということでした。 私が読んだのは、いつもながらの『すらすら読める』や、小学館、岩波、新潮社などの、 図書館で普通に読める解説書でしたが、 これらの本は、何を定本にしているのか?  段も全て異なっているし、 無いのもある。 それを探すのも結構大変な作業でした。 (前のブログから日が経過している言い訳です。)  新潮社版【三巻本】のものが、 読み易く、 訳としても解かり易く、 一番優れているように思いましたが、・・・・ 素人なので、 良く分からないですが、 ここは根本的に理解しやすいように改竄しているのでは? と思われる部分もあります。  その点を補ってくれたのが、小学館版【能因本】のものですが、 この二冊の本を基本、参考とさせて頂きました。  簡単に目を通しただけですので、 やはりジックリ読むには、 数年かかってしまいそうです。  ・・・・で、 兎に角、 新潮社版のものを ここでは参考文献として、 提示させて頂きます。

   

               『枕草子』と『みだれ髪』の対比

  

     二段 ― ころは、 正月(しやうぐわち)・三月(さんぐわち)、 四月(しぐわち)・五月(ごぐわち)、

   祭ちかくなりて、 青朽葉(あをくちば)・ 二藍(ふたあゐ)の物どもおし巻きて、 紙などに、 けしきばかりおしつつみて、 いきちがひ持てありくこそ、 をかしけれ。 末濃(すそご)・むら濃なども、 つねよりはをかしく見ゆ。 

        ― 『みだれ髪 300』 春を細き雨に小鼓(こづつみ)おほひゆくだんだら染の袖ながき君       ; (こづつみ)のルビは、(こつづみ)の誤植。  

 (300)は、舞姫の章にあることもあり、 当然、 小鼓を抱えた舞妓の姿、 とされています。 しかし、晶子は、単なる舞妓の情景など詠んでいません。 全て、晶子自身に関して詠っているのが、『みだれ髪』なのです。 

 ここでは、 『枕草子』 の 「むら濃」が、 「だんだら染」であり、 「物どもおし巻きて、 紙などに、 けしきばかりおしつつみて、 いきちがひ持てありくこそ、 をかしけれ。(反物などを、巻いて、紙などに、申し訳程度に包んで、持ち歩き、その人々が往来しているのが、おもしろい。)」 を暗々裏に踏んでいると思います。

 これは舞姫についてでしょうか?  私は、 春雨に濡れ、 雨に濡れた着物がだんだら染めになり、 歌集を入れた風呂敷包みを小脇に抱えた鉄幹の姿を想定します。  そう、 (こづつみ) のルビが正解で、 漢字が「小包」 なのです。 晶子は、 常に、皆が理解する様に、 『みだれ髪』 を改定しています。 さらに、 鉄幹の着物は、 通常の労働する男性が着る袖の短い着物ではなく、 袖の長い着物を着ているのです。

           【300 訳】 春、 小雨が降る中を、 (歌集を包んだ風呂敷)包みを抱えた(鉄幹が、) 雨に濡れた着物をだんだら染めに濡らしながら帰って行きました。 その着物の袖は、長いです。 

 

 

      二十段 ― 清涼殿(せいらうでん)の丑寅(うしとら)の角(すみ)の、 北のへだてなる御障子(みさうじ)は、

    いと久しうありて、 起きさせたまへるに、『なほ、 このこと勝ち負けなくてやませたまはむ、 いとわろし』 とて、 下の十巻を、 『明日にならば、 異をぞ見たまひ合はする』 とて、『今日、 定めてむ』と、 大殿油(おほとなぶら)まゐりて、 夜ふくるまで読ませたまひけり。 されど、 つひに負けきこえさせたまはずなりにけり。 

       ― 『みだれ髪 350』 大御油(おほみあぶら)ひひなの殿にまゐらするわが前髪に桃の花ちる

 「大御油」は、「大殿油」のこと。 (350)は、『よしあし草』(明治33年4月)初出であり、この歌だけが集中に採られた。 三四版では、「村はづれひもも花さく板橋の橋のたもとを右へわかれぬ」を補入。 晶子は、歌の意味が解せないとすると、 同じ意味の別の歌を補入していますから、 酔茗に関係している歌として訳します。

 清涼殿において、村上天皇の御時、帝は、宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)に、古今集の歌二十巻の、「何の年、何の月、何の折、詠み手の歌」 などを当てさせる、 ということをした。 少しは間違いを見付けようとしたが、叶わず、十巻にもなってしまった。 一旦はお休みになられたものの、 「明日になれば、 違っていたところを見付けてしまう、 今日決着をつけよう」 として、 大殿油をお灯しになって続行したが、 結局、女御はお負けにならなかった。 

 という概要ですので、「よしあし草」の「新星会」に於いて、「大御油」を灯して夜更けまで歌を詠み合ったことを指すのではないか? と思われます。 「桃の花ちる」は、晶子の酔茗への恋が成就しなかったことをいうのでしょう。 集中に纂されることにより、 初出とは違った響きが生じるのかもしれません。

           【300 訳】 灯を灯して、(夜更けまで、歌を詠み合う仲でしたが、)恋が叶わず、 私の前髪が桃割れの儘、 終わってしまいました。

  

 

      二十五段 ― にくきもの。 急ぐことあるをりに来て、 長言(ながごと)する客人(まらうど)。

    蚤(のみ)も、 いとにくし。 衣(きぬ)の下に躍りありきて、 もたぐるやうにする。

       ― 『みだれ髪 211』 露にさめて瞳(ひとみ)もたぐる野の色よ夢のただちの紫の虹

 (211)の「もたぐる」は、「瞳も、 手繰(たぐ)る」? もしくは「擡(もた)げる」?ー (頭を擡げる?)だと思っていました。 しかし、これはどこから来たのか? と不思議でなりませんでしたが、『枕草子』の「もたぐる」だと理解すると、 納得することが出来ました。 蚤が飛び跳ねる様子、 その躍動感と同じように「瞳もたぐる」、 瞳も飛び出す様に驚いた、 ということでしょう。 

 この時、晶子は駆け落ちの京都で待ち合わせをした鉄幹に 「あなたは後から日にちを置いて来なさい」 と告げられ、 置いてきぼりにされ、 その後京都から奈良、 信州方面など、を経て一週間以上を掛けて東京に向かいます。 その間野宿もしたでしょう。 その時の歌が(211)です。 この虹の出現によって、 駆け落ちをすることに不安を持っていた晶子を勇気付けました。 

           【211 訳】 (野宿をしていた私は、)露に目覚め、 瞳も飛び出すくらい驚きました。 そこには夢で見た虹その侭(まま)の虹が、 目の前に出現していたからです。 (これで私は、 希望を持って東京に向かいます。)  

 

 

      三十段 ― 説教の講師は、顔よき。

   説教の講師(かうじ)は、顔よき。 講師の顔をつと見守(まも)らへたるこそ、 その説く言(こと)の尊さも、 おぼゆれ。  ひが目しつれば、 ふと忘るるに、 「にくげなるは、 罪や得(う)らむ」 とおぼゆ。  この詞(ことば)、 停(とど)むべし。 すこし歳(とし)などのよろしきほどは、 かやうの罪得がたのことは、 書き出でけめ。 今は、 罪いとおそろし。  また、 「尊きこと」 「道心おほかり」とて、 「説教す」 といふ所毎に、 最初(さいそ)にいきゐるこそ、 なほこの罪の心には、 「いとさしもあらで」 と見ゆれ。

       ― 『みだれ髪 42』 旅のやど水に端居の僧の君をいみじと泣きぬ夏の夜の月

       ― 『みだれ髪 99』 漕ぎかへる夕船(ゆうぶね)おそき僧の君紅蓮(ぐれん)や多きしら蓮(はす)や多き

       ― 『みだれ髪 159』 経にわかき僧のみこゑの片明(かたあか)り月の蓮船(はすぶね)兄こぎかへる

       ― 『みだれ髪 229』 うらわかき僧よびさます春の窓ふり袖ふれて経くづれきぬ

 『枕草子』でなくても、 『みだれ髪』には、僧が多く登場し、 鉄幹も元僧であったこともありますが、  美僧を彷彿させるものが詠まれています。 さらに『みだれ髪』の出発は、 晶子が鉄幹-詩歌の講師- に恋したことであり、 それが 「また、 「尊きこと」 「道心おほかり」とて、 「説教す」 といふ所毎に、 最初(さいそ)にいきゐるこそ、 なほこの罪の心には、 「いとさしもあらで」 と見ゆれ」 とあるように、 親に内緒で鉄幹と逢引を重ね、 それが東京への駆け落ちに発展したこと。 その罪の意識が、 『枕草子』のこの段に表れていると思います。    (訳は、既に記載していますので、 ここでは省かせて頂きます。)

 

 

      六十三段 ― 草は、 菖蒲(さうぶ)。

   沢潟(おもだか)は、 名のをかしきなり。 「心あがりしたらむ」 と思ふに。

       ― 『みだれ髪 167』 五月雨に築地(ついぢ)くずれし鳥羽殿(とばどの)のいぬゐの池におもだかさきぬ

 (167)は、幾度となく採り上げていますので、 ここでは「おもだか」について。 晶子は、清少納言の「「心あがりしたらむと」 とおもふに。」 に同意して、 歌に詠んだのでしょう。  実際に築地に沢潟が咲いていたかどうかは別として、 晶子に引き寄せて考えると、 期待して行った京都での新詩社の歌会に、 「心あがりした人」 がいて、 「築地(鉄幹への思い)が崩れてしまった」 ということではないでしょうか?   今まで気付かなかったですが、 意外と古典に、 ヒントが隠されているものですね。 晶子より先に「新詩社」に加入した美しい登美子を指しているのではないでしょうか。 怖いですねぇ・・・・。

          【167 訳】〔表訳〕 五月雨の中、(京都の歌会から帰る途中、車窓から想う)水無瀬宮、その土塀が崩れ、西北の池に、沢潟が咲いています。   

                  〔裏訳〕 歌の師匠である鉄幹の気を引けなかった私、 いつか歌の実力で、あの「心あがりした女」 を負かしたいです。 

 

 

      七十六段 ― 御仏名(みぶつみやう)のまたの日、 地獄絵の御屏風(みびやうぶ)とりわたして、

    御仏名(みぶつみやう)のまたの日、 地獄絵の御屏風(みびやうぶ)とりわたして、 宮にご覧ぜさせたてまつらせたまふ。 ゆゆしう、 いみじきこと、 かぎりなし。  「これ、見よ、見よ」 と、仰せらるれど、 さらに見はべられで、 ゆゆしさに、 小部屋(こへや)に隠れ臥しぬ。 ・・・・・・ ひとわたり遊びて、 琵琶弾(ひ)きやみたるほどに、 大納言殿、 「; 琵琶、 声やんで、 物語りせむとすること遅し」 と、 誦(ず)したまへりしに、 隠れ臥したりしも起き出でて、 「なほ、 罪は恐ろしけれど、 もののめでたさはやむまじ」 とて、 わらはる。           ; 『白楽天 巻12』 琵琶行 「怱チ聞ク水上琵琶ノ声。 主人ハ帰ルコトヲ忘レ 客ハ発セ不。 声ヲ尋ネテ 暗ニ問フ    弾ク者ハ誰ゾ。 琵,琶,声,停,欲,語,遅,」。  

         ― 『みだれ髪 108』 人まへを袂すべりしきぬでまり知らずと云ひてかかへてにげぬ

 『みだれ髪』は、 晶子の恋愛成就物語なのですが、 何故この歌が混じっているのか? が解けたような気がします。  「ゆゆしさに、 小部屋に隠れ臥しぬ。」 が同じで、「もののめでたさはやむまじ」 を暗々裏に踏んでいると思われます。  つまり、 イヤなことがあっても、和歌に親しみたい。 和歌と関わっていたい、 ということではないでしょうか?

           【108 訳】 〔表訳〕 人前で、袂から滑り落ちた絹手毬を、「知らない」と云って、 抱えて逃げました。 (子供の頃の思い出です。) 

                   〔裏訳〕 ? これ以上、 歌の師匠の鉄幹に逢いたくありませんが、 和歌の魅力には勝てません。

 

 

      七十七段 ― 頭の中将の、 そぞろなるそら言をききて、

   「かいをの物語なりや」 とて、 見れば、 青き薄様に、 いときよげに書きたまへり。 心ときめきしつるさまにもあらざりけり。 「 ;蘭省(らんせいの)花時(はなのときの)錦帳下(きんきんやうのもと)」 と書きて、 「末は、 いかにいかに」 とあるを、 いかにかはすべからむ。 「御前(ごせん)おはしまさば、 御覧ぜさすべきを、 これが末を、 知り顔に、 たどたどしき真字(まんな)書きたらむも、 いとみぐるし」 と、 思ひまはすほどもなく、 責めまどはせば、 ただ、 その奥に、 炭棺(すびつ)に消え炭のあるして、 「; 草の庵(いほり)を誰(たれ)かたづねむ」 と書きつけて、 とらせつれど、 また、 返りごともいはず。 みな寝て、 つとめて、 いと疾く局に下りたれば、 源(げん)中将の声にて、 「ここに、『草の庵』やある」 と、 おどろおどろしくいへば、 「あやし。 などてか、 人気(ひとげ)なきものはあらむ。 『玉の台(うてな)』ともとめたまはましかば、 いらへてまし」 といふ。 ・・・・・・・・・・     「 夜べありしやう、 ・・・・・・   さばかり降る雨のさかりにやりたるに、 いと疾(と)く還(かへ)り来、 『これ』 とて、 差し出でたるが、 ありつる文なれば、 『返してけるか』 とて、 うち見たるに合はせて、 をめけば、 『あやし』 『いかなることぞ』 と、 みな寄りて見るに、 『いみじき盗人(ぬすびと)を。 なほ、 得こそ思ひ捨つまじけれ』 とて、 見さわぎて、 『これが本(もと) 付けてやらむ』 『源中将付けよ』 など、 夜更くるまで付けわづらひて、 やみにしことは。 『行く先も、 語り伝ふべきことなり』 などなむ、 みな定めし」  

     『白楽天- 巻十七 廬山(ろざん)ノ草堂夜ノ雨ニ独リ宿ス』 の第三句 (花やかな中央の官庁の錦の帳(とばり)の下で、卿(けい)らは、 さぞ楽しいであろう) の意。  ― 第四句目 「廬山ノ雨ノ夜ノ草庵ノ中(うち)」 を要求される。 ; (注 新潮社版)

     『公任集』 に 「いかなるをりにか『草の庵を誰かたづねむ』 との給ひければ、 蔵人たかただ 『九重(ここのへ)の花を都をおきながら』」 とある連歌の、 公任が出題した下の句を借りた。 

      七十八段 ― かへる年の二月廿余日、 宮の、

   「『西の京といふところの、 あはれなりつること。 もろともに見る人のあらましかばとなむおぼえつる。 垣などもみな旧(ふ)りて、 苔生ひてなむ』 など語りつれば、 宰相の君の、 『瓦(かはら)に松はありつるや』 といらへたるに、 いみじうめでて、 『西の方(かた)、 都門(ともん)を去れること、 いくばくの地ぞ』 と、口ずさみつること」 など、 かしがましきまでいひししこそ、をかしかりしか。

        ― 『みだれ髪 131』 道たま ゝ 蓮月が庵のあとに出でぬ梅に相行く西の京の山

  晶子は、 『枕草子』の中で、 七十七段 と 七十八段 を最も好んだでしょう。 それは、(131)に表出しています。  

 清少納言が、 返歌した公任の句「草の庵を誰かたづねむ」ですが、それは  晶子は、『これが本を付けてやらむ』 というよりも、(131) と共に、 連歌を創作したのではないか? と思います。  

            【131 訳】 〔表訳〕 散歩途中、 偶然、太田垣蓮月の庵の跡に出ました。 梅を見ながら(鉄幹と)二人で行く西の京の山です。

                     〔裏訳〕  『草の庵を誰かたづねむ』   公任                          (発句)

                            『道たまたま蓮月が庵のあとに出でぬ』  晶子                  (第二句)

                            『もろともに見る人のあらましかばとなむおぼえつる』  斉信(頭の中将)  (第三句)

                            『梅に相行く西の京の山』  晶子                           (第四句)   

                          

   

      七十八段 ― かへる年の二月廿余日、 宮の、 

    御簾(みす)のうちに、 まいて若やかなる女房などの、 「髪うるはしくこぼれかかりて」 などいひめたるやうにて、 もののいらへなどしたらむは、 いますこしをかしう、 見どころありぬべきに、 いとさだすぎ、 ふるぶるしき人の、 髪なども我がにはあらねばにや、 ところどころわななき散りぼいて、 おほかた色ことなるころなれば、 あるかなきかなる淡鈍(うすにび)、 あはひも見えぬ際衣(きはぎぬ)などばかりあまたあれど、 つゆの映えも見えぬに、 おはしまさねば、 裳(も)も着ず、 袿姿(うちぎすがた)にてゐたるこそ、 ものぞこなひにて、 口惜(くちを)しけれ。

       ― 『みだれ髪 339』 朝の雨につばさしめりし鶯を打たむの袖のさだすぎし君

 七十八段の「さだすぎ」は、 ふるぶるしき人・歳をとった女、 を意味しますが、(339)の 「さだすぎし」 は、「沙汰・過ぎし- 行ないが過ぎる → やりすぎ 」。  「さだすぎし君」 で、歳をとった女、 とされていますが・・・・、 鉄幹のこと。 「遣りすぎのあなた」 の意。  何故、 「さだすぎ」の語彙がイメージされたのか? は、やはり、『枕草子』のこの部分、 晶子は、 東京に到着した時、 乞食みたいな酷い恰好だったからです。 何しろ、 一週間以上の放浪の旅だったのですから・・・・。  次の(361)と対の歌。

           【339 訳】 朝の雨に濡れた翼の鶯を、 袖で打つような、遣りすぎのあなた。 

 

 

      七十九段 ― 里にまかでたるに、 殿上人などの来るをも、

    「明日、 御読経(みどきやう)の結願(けちぐわん)にて、 宰相の中将、 御物忌(おんものいみにこもりたまへり。 『妹(いもうと)のありどころ、 申せ申せ』 と、 責めらるるに、 術(ずち)なし。 さらに、 得(え)隠しまうすまじ。 『さなむ』 とやきかせたてまつるべき。 いかに。 仰せに従はむ 」 といひたる、 返りごとは書かぜ、 布(め)を一寸ばかり、 紙につつみてやりつ。 

       ― 『みだれ髪 361』 結願(けちぐわん) のゆふべの雨に花ぞ黒き五尺こちたき髪かるうなりぬ

 『枕草子』 では、宰相の中将が、御読経の結願の日、ということで、 物忌に籠っていますが、 (則光は)妹の場所を申せと責められます。  『みだれ髪 361』 でも、 結願が叶い、 放浪していた晶子が、 東京に到着することによって、 晶子の存在が明らかとなるのです。 晶子の古典を通暁していた気持ちを理解すると、 難解とされる歌も・・・・少し薄められるようです。

 晶子は、 駆け落ちの東京に、 雨の昨夜、 到着しました。 - 「結願(けちぐわん) のゆふべの雨に」。 しかし、 迎えた新詩社の人々には、 とても受け入れられる状態ではありませんでした。 それが 「花ぞ黒き」 であり、 到着した喜びとは裏腹のものでした。 そして、 「こちたき髪」-鬱陶しい髪が、 (切って) 軽くなりました。  (切って)が欠落し、全般が所謂 〔舌足らずの歌〕 ということでしょう。 

            【361 訳】 東京に到着した(結願の)昨夜の雨に、 喜びも暗かったですが、 (長く伸びた)鬱陶しい髪を(切って)少しはスッキリしました。