木村真理子の文学 『みだれ髪』好きな人のページ

与謝野晶子の『みだれ髪』に関連した詩歌を紹介し、現代語訳の詩歌に再生。 また、そこからイメ-ジされた歌に解説を加えます。

 銅鐸解読 Ⅱ  -大神(三輪)神社額字の古代文字-

2013-11-10 12:45:19 | 銅鐸解読

 吾郷清彦先生と知り合いになったのは、 私が古本屋さんで見つけた 吾郷清彦著 『日本神代文字 -古代和字総観』 (大陸書房 昭和50年) という本がきっかけです。 その本の 口絵第5図に、「三輪神社額字」 と題した文字があり、これがどうも、・・・・何という文字かわからないようだったので・・・・ 以下本文掲載。

:::: 大和(三輪)神社額字文字について

                       (図 1)

                 ①「三輪神社額字 (図 1‐右)」 と  ②「石鏡古字 (図1‐左)」

 

   ① 三輪神社字 (図 1‐右) - 『日文伝』 疑字篇(十六丁)に「三輪ノ神社額字」と題し、 図のごときある種のアワセナ(合体字)を載せ、 『右ハ伝ヘテ神代之字ト称ス也。 字ノ長サ三尺一寸、 横一尺一寸七分。 今其ノ額蔵メテ興福寺ノ庫中ニ在リト云フ』   と、巷説を記し 『今有るのか無いのか知らないが、 漢字ではないと思う。 俗に神代の字と云うので、 ここに挙げた』 という意味の註を施している。   そして、篤胤は、 大竹政文が、 『此は大勳という五字ならむ(註:本来は「」の異字体を記入)』 と言っているが、 どうであろうかと、 漢字であることを否定している。          これに対し真澄は『古字考』 第十七章沖縄字において、 大阪博覧会出品の石鏡図 (第十一図の一甲) を載せ、 『此ノ字伝付録ニ三輪社ノ額字ナリトテ、 石器ノ表面ナル字ヲ載セタリ。 今其ノ額蔵シテ、 興福寺庫中ニ在リト云フ奥書アリ。 サレド今興福寺庫中ニ在ルヲ聞カズ。 三輪神社ノ額字ト云フハ信ジ難シ。 然ルニ真澄明治九年大阪ノ博覧会出品中ニ一ノ石器ヲ見タリ』 (同署下二四丁) と、述べている。

   ② 石鏡台字 (図 1‐左)  - 真澄も前項の解説することが出来なかったものらしく、 これを『字カ、 若クハ神像ナルベシ』 とすこぶる簡単に片づけ、 この石鏡の台に彫りこんである古字の説明に力を注いでいる。 (以下略)  

     * 石台下の文字は、ー 篤胤は、 石鏡台字と全く同一の十二字を『日文伝』に掲げ、 子から癸までの漢字を傍注している。 そして、 『右ニ山崎垂加翁切紙ノ伝、 並ニ渋川晴海瓊矛拾遺ニ之ヲ出ス。 神代の文字ナリ』 と解説を加えている。 - 即ち、 子、丑、虎、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥 の十二支の文字。   

 

 1) 三輪神社額字 は、 「美和」 の漢字

 この様な解説がなされていた訳ですが、・・・・ 私は即座に 「美和」 の漢字 (図 2)であると判断し、 それを吾郷先生に手紙でお知らせしたところ、 その私見を 『日本神学』 (日本神学連盟) に掲載して下さいました。   

                                      (図 2)

                                  三輪神社額字 の中の 「美和 の漢字」

 それ以降だったと思いますが、 吾郷先生が、 大津の宮部誠一朗先生(近江の超古代研究家)ご夫妻 とご一緒に、 大和、葛城・三輪社を巡る為、 関西に来られるという事で、 千早赤坂かどこかで待ち合わせをして、 宮部先生の奥様の巧みな運転で、 大和を巡り、 頂いた手紙には、 昭和57年3月24日の日付けがあるので、・・・・その年の4月7日だったと思います。  その帰り、 金剛山の山頂でお別れをしたと思うのですが、・・・・ とても不思議な事があったので、 お話します。 

 私は当時、 主人の大阪の実家の近所に住んでいて、 まだ娘も小さく、 義母に預けて出て来たので、 早く帰らなければならないと思い、 宮司さんがご祈祷をしてくださる間を惜しんで、 先にケーブルカーで下山することにしました。  山頂からケーブルまでの道程が杉林で暗く、 行ったこともない所だったので、 すごく不安だったのです。 教えられた道を少し進むと、 ひよどり位の大きさの青一色の鳥が現れ、 私の7~8m先を低く飛んで、 また私が近付くと、 その先を飛んで・・・、 途中、 一人で道普請をしているおじさんに出合い、 ニッコリ微笑んで下さったことを覚えています。 その間も青い鳥は、私を先導してくれて、 結局ケーブルカーの見える所まで送ってくれました。  何か、 夢の様な出来事で、 すごく不思議だったことを覚えています。  その後、 宮部先生の古代近江を巡る旅にも参加させて頂いて、 『古代近江王朝の全貌』 吾郷清彦著 (琵琶湖研究会 -発行者 宮部誠一朗 昭和55年11月) 等も知ることになりました。

 それから数年して、 友達皆と三輪山に登拝する機会があり、 その帰り、 三輪神社の宝物館 (大礼記念館) に寄ってみたんです。  そこには、 「三輪神社の額字」 と同じ文様の物? や、 石鏡と同じ文様の銅製品? (記憶が定かでない) が展示してあり、 説明文には、「美和と書いてあると思われる」 という様な文面が添付されていました。 「書いてあると思われる、  って??」 それって、 私が言ったんでしょう!  と思いましたが、 「木村真理子さんが解きました」 といった所で、 どんな信憑性があるのでしょう? 説が一人歩きしているということは、 認められた。  ということだから、 まあ、・・・・ いいかっ。  なんて思ったのを覚えています。  しかし、 その時には既に、 「美和」 の漢字だけではなかったことを、 川崎真治先生の数々のご著書で知っていたのでした。

 

   2)-ア 「美和」の額字は、ガシャン 、バール 、奉。  

 

              (図 3)    (図 4)『古代日本の未解読文字』より     (図 5)

                                              

  昭和55年に出版された 川崎真治著『日本語のルーツが分かった』(徳間書店) や 昭和59年の 『古代日本の未解読文字』(新人物往来社)等を読み、 私は、 川崎先生の古代日本に於ける 「ガシャン神・バールツ神」 の発見に魅せられてしまいました。  以前から、 川崎先生のウル・シュメール語を基盤とする比較言語学 に興味を持っていたのですが、 実際に日本に現存する石や土器に、 古代オリエントの文字やオリエントの神々が見出されたことに驚きました。 

 有名な水窪石 (図 4) や、 群馬県上野村出土の石文字。 鳥取県国府町・今木神社の石碑に、 それぞれの文字で、 「g-sh-n ガシャン、 b-a-l-t バールツ、 奉(タテ)」 の文字が線刻されています。 (図 5)

 ガシャンは、 紀元前30世紀のウル語、シュメール語の女主、 又は主。 バールは、 紀元前20世紀の西セムの主・日神マルドゥク。 バールツは、 東セムの女神だが、 「ガシャン、バールツ」 で男女一対の神に対応しているという。    

 奉る意味する 「F」 は、古代ペリシャ文字の字形だが、 本絵は、 エジプト象形文字(ţa-t   ţa-ţe)の両腕を差し出した形。   日本語の「奉(タテまつ)る」 も、古代エジプト語から。 中国の「奉」の字形もそうである。   今木神社の女魃を意味する 「П(b) ・t ・ 虎」 は、 殷の甲骨文字と同じ様に、 シナイ文字の「 b と t 」 を添えている。 この様に古代日本では、 ウル語、 シュメール語、 セム語、 エジプト語を、 シナイ文字・中国の甲骨文字を使って書かれていた。

 紀元前のアメリカ・ニューハンプシャー州、 ミステリーヒル出土の石にも、 シナイ文字で、「バール、 ティティン、 イル・カ・ガ」。 シナイ半島碑文にもシナイ原字で、 「ネテル(神)、 バール、 ティティン、 イル・カ・ガ」 の文字が線刻され、 紀元前20世紀前葉の中国の仰韶(ヤンシャオ)半坡(ハンパ)期の彩陶土器に、紀元前30世紀のウルの記号文字や、 紀元前20世紀前葉のシナイ文字(ガシャン、 バアル、 イル・カ・ガ)が描かれている。  「人類の古代文字とは、 メソポタミアのウルク市、ウル市の絵文字、 そこから発展した楔形文字、 エジプトの象形文字、 記号文字、 そしてエジプト文字から派生したシナイのアルファベット表音文字、 この三系統の文字群が人類文字の基本である。」 と 「原始宗教のかなりの部分が、 古代オリエントからの伝播であった。」 が、 川崎先生の主張です。

 【結論】 この先例の遺物から、 「美和」 の文字の中に 「美」 は、「g‐a-sh-n」(図 3の①)。 それ と 「和」が、「b-a-l」 と「ヒ(奉)」(図 3の②)。 それらが内在されていると比定しました。 (「禾」偏の部分 が「b」と「a」。 「口」の部分が、 「l」 と 「ヒの逆字」の「奉」。 

 

   2)-イ 「美和」の額字は、ガシャン 、グブ 、ラル 、奉。

 

                      (図 3)          (図 6 の上) 『誰も言わなかった古代史の話』より                                                                                            

                                                          

  美和の漢字の文字に内在された「ガシャン、 バール、 奉」 を見出した訳ですが、 もう一つ、 川崎真治著『誰も言わなかった古代史の話』(新人物往来社 昭和60年8月) に掲載されていた「大阪府 一須賀古墳天井石の文字」 の古代文字に注目しました。 川崎先生の解読によると、 「gashmu(神蛇)-gub(神亀)-lal( 結合) 」 というのですが、 このオリエント古代文字も、 「美和」の漢字に内在されていると思いました。 

 【結論】 「美」は、「g‐a‐sh‐n」 (図3 の①) 。 「和」 の「禾」は、 「g‐b」(図3 の③)。 「美」 の下「大」の左部分は、「小 L(エル)」」 と、 「口」の一画目、 縦棒が、「大L(エル)」 で、 合体すると、「lal (結合)」 (図3 の③)。 「口」の右部分、 「ヒの逆字」 が 「奉」(図3 の②と③は同様)。 つまり、 「g‐a‐sh‐n、   g‐u‐b 、  lal 、  ヒ」 ―  「 ガシャン、 グブ、 ラル、 奉 」(図3 の①) + (図3 の③)。

 このガシャン主神は、 (図 6 の下の左)-川崎真治著『古代日本の未解読文字』より―、 埼玉県入間市瑞穂町の資料館に展示していた縄文土器の文様に、 川崎先生が 「ガシャン主神」 を想定されました。  ― 【川崎注釈】 波状は、シナイ文字のg とs の連続文様。  蛇紋は、 エジプト象形文字の「蛇」の‘くずし,字で、 シナイ半島の西セム人も、 この「蛇」字を母字として、 アルファベットの「n」を造字していた。 なお、 翻字で示した「n」は、 エジプト象形文字そのままの「蛇」である。 

 そしてこの文様は、 そのまま 桜ヶ丘5号銅鐸の蛙の足に蛇がくっ付いた絵(図6 の下の右)の「g ‐sh ‐n ・ ガシャン」 であり、 その区画面下に描かれた人物は、「g ‐b ・ グブ」の神像でしょう。   そのグブ神が抹消されている。 これが、 銅鐸が一斉に埋納された理由でもあります。

 

   3)―ア 「美和」の額字は、中国甲骨文字でもあり、それは日祖神パッダ を表す。

 

                        (図 1)              (図 7)『古代日本の未解読文字』より 

 

 中国の甲骨文字(図 7 の右)- 丁山著『甲骨文所見氏族及其制度』(1956年)より- について、 川崎真治著 『古代日本の未解読文字』 によると、― 【川崎注釈】 図中の甲骨文字(紀元前1300年前後)は、 (A)(B)(C)(D) が同じ字である。 ついで同字に 「父丙」のついたのが(E)、 「父丁」のついたのが(F)、  「父乙」のついたのが(G)、 「父丁」のついたのが(H)、 「土」がついたのが(I)である。  (中略) 上部二字は、 ウル文字の巫女寝台(または神託秘儀神殿) と日祖神パッダの殷人的うつしで、 元初の文字は、 次(図7 の左)のとおりである。 

 (図7 の左)絵文字(右)は、 紀元前30世紀中葉、 楔形文字は紀元前20世紀のものである。 以上の二例を見れば分かるように、中国」の甲骨文字は絵文字の段階で中国入りしたものが殷ナイズされたと推定できよう。 なお nad (または na)には「交合」という意味があり、 pad には「神意を認める」 「神を見る」 「神託を云う」 の意味があり、 そして 『ム・パッダ』 といえば 「神によって任じられた王」、 また、 「芦(ギ)」 を頭につけて 『ギ・パドゥ』 といえば、 日本で言う左義長になる。 ―

 

 この殷の甲骨文字を見ていた私は、 この文字も「美和」の漢字に内在されているのではないか? と思いました。 

 額字と石鏡文字とも、 「美」の上部が巫女寝台であり、 「美」の下部が、 中国の学者が魚の骨や蜻蛉と見た日祖神パッダ。 特に興味深いのは、 石鏡古字の方で、 頭部の王冠の様な 「巫女寝台」 が顕著であり、 2つの目が印象的です。  これは良いとして、 問題は「和」の方です。  

(図 7)の (F) を想定すると、 「和」の「禾」が、 「父」 であり、 「口」の部分が 「丁」 である様に思いがちです。  しかし、 石鏡古字をよく観察すると、 「口」である部分が「父」であり、  「禾」の部分が、「甲」?  と解しても良い様な形をしています。  さらに詳細に観ると、 特に石鏡古字の方の 「父」 の右部分に注目すると、 「工字」 を形成しているのではないか? と思います。 これは、 桜ヶ丘4・5号に見られる 「工 を持った人物」 として描かれているあの 「工」 と同じではないか? と思います。 川崎先生によると、「クシャンの神名は、 共工である」 という記述と、 何か関係があるかも知れません。  兎に角、 「口」の部分が、 甲骨文字の「父」に相当します。  「禾」の部分は、 「甲?」 と述べたのには、 「十干」 は、 「宇宙の樹 を表す十本の樹」 ではないか?  「十二支」 とは、 宇宙に存在する十二柱の神様ではないか? という考えがあるからですが、・・・・これについては、又、 別の機会に述べましょう。  

 【結論】 額字の方が、 「美和」 の漢字 と シナイ文字系のアルァベットをより強調し、 石鏡古字は、 甲骨文字を強調した字体になっていて、  大和・三輪神社額字・石鏡文字は、 1)「美和」 の漢字で神社名を表し、 2)「ガシャン・バール」 と、 「ガシャン・グブ の結合」をシナイ系文字で奉り、  3) 「日祖神パッダ」 の神託を殷の甲骨文字で表しています。

  

  3)イ― 「美和」の額字は、 足のシルエットをしている。

 

 【川崎解説】 『古代日本の未解読文字』より ― ウル人、 シュメール人は『足』の絵文字を「立つ」「歩く」「行く」等の意味に使い、その『足』 を 『日』 の下につけて『日が立つ』、 すなわち「日の出」という文字、 およびことばにした。 さらに彼らは、 日の出の光り輝く太陽を男祖神、 つまり日祖神として篤く崇拝したので、 「日の出」ということばの語頭に子音pを冠し、 同時に母音をuからaに屈折させて p ‐ad ‐da パドゥダ(約音でパッダ)とし、 そのパッダを「日祖神」ということばにした。  (図 7 左の絵文字)の下の「日祖神パッダ」の部分の絵は、 男根の絵文字と、 旭光の絵文字と、 足の絵文字の組み合わせである。―

  

 【結論】「美和」の額字や、 石鏡文字を横向きにすると良く分かるのですが、・・・・全体で 「足」 の形を形成し、 特に石鏡文字の方が顕著に表われているのですが・・・・ つまり、 これは「日祖神パッダ」 の「足」 を顕現している、 と思います。 

  日本全国には、草鞋などが奉納されている、 脚・足の神様とされる神社がありますが、 これもパッダ神の 「足信仰」 の表れであり、 仏足石などもその類でしょう。

 

  :::: 大和・三輪神社とは?

 

   「中国夏代の岳神図」より、 神奈備山とは?

                                         (図 8)「中国夏代の岳神図」、『日本語のルーツが分かった』より

 【川崎解説】『日本語のルーツが分かった』より― 夏王朝、 殷王朝時代の岳神図(図 8‐上の右)からみてみよう。  獅子神は周の時代、女魃(ジョバツ)といわれていたが、 その女魃の上の、数字の「三」のようにみえる甲骨文字は、実は三ではなくてガシャンの略字だった。 紀元前1800年代の中国に、 ウル、シュメールの楔形文字が入っていたなどというと、 ほんとうにしない人がいるかもしれないが、 (図 8)のように夏代の岳神図と殷代の岳神祈願文がそろっているので、まちがいない。     夏代の岳神図の内容をいうと、 左上が「クシャン」、 獅子が「ルブダル」(漢字で呂葡萄‐ルブダウと書き、 神名では女魃‐ジョバツという)。 鳳凰はいうまでもなくガシャン神だが、 夏語ではパキスタン、 インドなどと同じくクシャンといい、 神明では共工。 そしてクシャンを絵文字三個であらわしている。 すなわち、 畜を刺している武器が「ク」ku。 蝗が「ス」s。 山が「シャン」。 全体で 「kshan クシャン」である。  次に、 右側の猿に見える絵は祈願文を詠唱する司祭で、 漢字で書くと、 「虁‐キ」である。 そして、岳神図全体の意味は、 「ガシャン神、 クシャン神、 鳳凰神、 共工神と、 ルブダル神、 獅子神、 女魃神の二柱の岳神に、 誓って供物を奉ります」 から、 どうか御加護のほどをお願いします・・・・という意味である。 なお、 殷代青銅器の文様のうち、 虁鳳(キホウ)文というのは、 詠唱司祭とガシャン神の組み合わせ文様であり、 饕餮(トウテツ)文というのは、 獅子のルブダルを描いた文様である。 ―

 

 【結論】川崎先生が提示された、 夏代の岳神図の中の「蝗と山」の図の「クシャン」の山図が、 「神奈備山の三輪山」 ということになるでしょう。 蝗を突き刺している山、 即ち蝗→パッタ→パッタ→パッダ神→日の出の日祖神の山が神奈備山です。 そして、「クシャン」の「三 及び三の様な文字」 は、 三連に連なった 「三輪鳥居」 でもあります。

 銅鐸絵でも蝗の絵が、パッタ神として表現されていましたし、 美和の額字にも魚の骨に似たパッタ神の甲骨文字が隠されていました。  そしてさらに三輪山は、 川崎先生によると、 忌部山→畝傍山→三輪山→巻向山を結ぶ夏至の線上に位置する、―『誰も言わなかった古代史の話』― とおっしゃっておられます。

 :::: 以下は、 私見です。  

 川崎先生が「クシャン」と提示された 「三や、三の様な文字」 についてですが、 私はこれは、「ガシャン神」ではなく、 「三神がクシャツとなった‐三位一体」 を表す文字ではないか? と思います。 ガシャンとクシャンは、最初は違ったのではないか? と思うのです。

 (図 4)の水窪石にも見られますが、・・・・彫られた文字「ガシャン、 バールツ、 祈、 奉」 以外の 「?と書かれた絵2個」 と 「その左側の絵」、 合計3個の分からない絵(神図)がありますが、・・・・その三神(ガシャン、 バールツ=女魃  と  何か? ) が合体したものが、「三や、三の様な文字」の 「クシャン」 だと思います。

 夏代の岳神図で言うと、 パッダ神(蝗と山の絵)、 ルブダル神=女魃(獅子の絵)、 ガシャン神(鳳凰の絵) の三神が合体したものが「三や、三の様な文字」の 「クシャン」 です。  それに 「猿の絵の司祭の 祈」 と、 「+の 奉」 で、 水窪石の三神 と同一の絵になるのではないでしょうか? 三神とは何か? が、 私もまだ良く分かっていないのですが・・・・。 「ガシャン、 グブ、 バールツ」。 「ガシャン、 パッダ神、 ルブダル神・女魃」 。 これらの組み合わせなのですが、・・・・パッダ神が、 グブ神なのか?・・・・ そもそも、 相対を出現させる位置には、「連理の樹」 があり、 そこには、 双子の男の神様二柱 と 女の神様 がいて、 その三柱の神様で相対を創造させる訳ですが、 女の神様は、 言うまでも無く、 ルブダル神・女魃です。  それが、 キリスト教のマリア様や、 日本の天照大神でもあります。  双子の男の神様の方の兄が、 グブ神で、 相対界に近い弟の方がパッダ神なのか?  総称なのか?  それとも全然別の神様なのかが、 私も良く分からないのです。 ともかく、 パッダ神は、 相対を弓矢で殺し(左目‐月)、 また男根で相対を出現 (右目‐太陽) させるようです。 十字架で殺されるキリストは、須佐之男命と同じく、 万物の還元を、 マリア様に抱かれるイエス様は 万物の創造を負っています。 

 夏代の岳神図の 中央の「角のある鹿=大鹿 の絵」 ですが、 これは銅鐸絵にも表われている 「射られた鹿‐イルガガ」。  つまり、ウル絵文字、シュメール楔形文字、エジプト象形文字、中国金文 等に示される 「水・目 (泪)」の涙 で描かれる 「イル」、 即ち、 シュメール、バビロン、アッシリアの楔形文字の 「イル・ガガ」 の省略形の 「祈る」 を示しています。    私が銅鐸を解読していく中で知り得たことは、 古代人は宇宙の原理、 天地万物の創像をシンボライズ化してその 原理を伝えました。  決して稚拙な神という概念ではありません。    この鹿の大角は、 「未(ひつじ)の木の位置」 にあり、 未(ひつじ)の女の神様は殺され、 「未の木の位置」で万物は、 絶対界に還元されるのです。 これが「大角鹿」のシンボルでもあり、 「涙を流して祈る」 の 「イル・ガガ」 の意図するところです。 

 また、この「未の位置にある木」は、 月の中の 「桂の木」 でもあります。 月-絶対界・黄泉の国 には、「桂と蛙」。 太陽-相対界には、「鳳凰」 が付き物ですよね。   銅鐸絵で 「蛙と蛇の絵」、 これを 「ガシャン」 と解読しました。 また夏代の「鳳凰」、 これも「ガシャン」 でしたよね。 これはどういうことか?  思うに、 宇宙に遍在する万物のその動きであると思います。 「未の位置にある木」 から、 「蛙飛び込む水の音」 ではないけれど、 「蛙が水に飛び込む」 ことにより、 絶対界に還元され、 「蛇」 により絶対となります。 相対界に表出する時は、 「卯 の位置にある連理の樹」の元で、 酉=鳳凰 となり、 相対界を巡ります。  これらがシンボライズ化されたものが、 蛙なり、蛇なり、鳥・鳳凰である訳です。  

 (図 6 ‐左下)の縄文土器の文様は、 その絶対界の 「波々=蛇文様」 と、 そこから生み出される相対界の 下に描かれた「の の字文様」 を表現していると思います。  私が子供の頃、 和歌山市では、 1月10日の 「恵比寿さんの日」 には、紅白の捻り文様の 「のし」の字飴 が売っていて、 それを買ってもらえるのが楽しみだったのですが、・・・・今は、どうかしら?  あの飴の形です。  飴よりも、 恵比寿さんの 「福笹」 の方が一般的ですが、 こちらは、 相対を創造する「連理の樹」 です。    相対界に出現すると、 酉の太陽と共に、 この世を巡るのです。 これを、「ガシャン神」 が担当しているのではないでしょうか?   パッダ神・グブ神? の働きでもって、 女魃・ルブダル神・バールツと合体して、 この女神が相対として物体化し、 ガシャン神の力でもって絶対から相対界を循環していくのではないか? ・・・・まだまだ推測の段階ですが・・・・。

 余談ですが、 私は一度だけ 「鳳凰」 を夢で見たことがあります。 1980年頃だったと思うのですが・・・・、鳳凰というのは、 宇治の平等院に代表される様に、 鶏の頭に孔雀の身体を合わせた様な姿をしていますが、 本当??は、 首も脚も短く、 冠頭の飾りも無く、 どちらかと言えば、 鳩に近い鳥で、 長い尾羽が九枚 (夢の中で、尾羽を数を一生懸命数えていた) あります。  あの短い脚で、 長い尾羽を支えているのが不思議でしたが、 その鳳凰が数羽集まって、 宝塚の様なラインダンスを始めたのです。 その時の鳳凰は、 どういう訳か、 脚に鶴みたいな関節が出来て、 脚を上げて踊っていました。  夢でも、 何か笑ってしまいましたが、・・・・その鳳凰達が一斉に飛び立ち、 巴紋の様にぐるぐる回って、 一個の真っ赤な太陽になって、 夢は終わりました。  その直後でしたでしょうか、 ふらっと立ち寄った梅田のデパートで、 お名前は忘れましたが、 染色家の方の展示会があり、 そこに、 私が夢で見たのと同じ鳳凰の染色絵が飾られていました。  この方も、 夢で御覧になったのだと確信したことを覚えています。  ・・・・そう、 鳳凰は、 太陽となって相対界を巡るのです。 

 

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 三輪神社の伝承と顕彰しよう、 と思ったけれど、データーが重く、パソコンも動かなくなってきたし、疲れてきたので、 これくらいにしておきます。 五十肩がまたぶり返して、 今度は肩と首にきて、 痛く、 下を向くとさらに痛いので、 パソコンの操作は辛いです。  近所の整形の先生が首のMRIを撮ってもらえば? とおっしゃったので、 お願いしたのですが、 まだ骨の検査が残っています。 何ともないことをお祈りして・・・・。  ともかく、 三輪神社の額字 について書こうと思いながら、 原稿用紙にも残さす、 何十年?も経ってしまっていたので、 丁度良かったです。  次回は、 桜ヶ丘5号銅鐸について解読を試みます。  では、 また・・・・。