木村真理子の文学 『みだれ髪』好きな人のページ

与謝野晶子の『みだれ髪』に関連した詩歌を紹介し、現代語訳の詩歌に再生。 また、そこからイメ-ジされた歌に解説を加えます。

薄田泣菫「暮春の賦」

2012-07-01 03:24:49 | 薄田泣菫

 

           薄田泣菫「暮春の賦」               ―『暮笛集』 金尾文淵堂(明治32年11月)より―

 

 一   冷(つめ)たき土窟(むろ)に醸(か毛)されて、               若紫(わかむらさき)の色深(いろふか)く、

      泡(あは)さく酒(さけ)の盃(さかづき)を、                 吾唇(わがくちびる)に含(ふく)ませよ、

      暮(く)れ行(ゆ)く春(はる)を顫(わなヽ)きて、               細(ほそ)き腕(かひな)の冷(ひ)ゆる哉(かな)。

 

 二   心周章(こヽろあは)つる佐保姫(さほひめ)が、              旅(たび)の日(ひ)急(せ)くか、この夕(ゆふべ)、

      人(ひと)は夕飯(ゆふげ)に耽(ふけ)る間(ま)を、           花(はな)、そここゝに散(ち)りこぼれ、

      痛(いた)ましい哉(かな)、春(はる)の日(ひ)の             快楽(けらく)も土(つち)にかへりけり。

 

 三   垂(た)るゝ若葉(わかば)の下(した)がくれ、                乱(みだ)れて細(ほそ)き燈火(と毛しび)に、

      瞳(ひとみ)凝(こ)らして見入(みい)るれば、               蕚(うてな)にぬれる蕊(ずい)の粉(こ)や、

      花(はな)なき今(いま)も香(か)を吹(ふ)いて、             残(のこ)れる春(はる)を焼(や)かんとす。

 

 四   足(あし)にさはりて和(やは)らかき                      名(な)もなき草(くさ)の花(はな)ふみて、

      思(お毛)ふは弱(よわ)き人(ひと)の春(はる)、             蹠(あなうら)粗(あら)き運命(うんめい)に、

      恋(こひ)の常花(とこばな)ふみさかれ                    憂(う)しや、 逝(ゆ)く日(ひ)の無(な)くてかは。

 

 五   暗(やみ)まだ薄(す)き彼方(かなた)より、                 常若(とこわか)に笑(ゑ)む星(ほし)の影(かげ)、

     知恵(ちゑ)ある風(ふり)にきらめきて、                    夏来(なつく)と知(し)らす顔付(かほつき)よ。

     今(いま)冷(ひや)やかに見(み)かへして、                 吾(われ)、 嘲(あざ)けるを江堪(た)へじな。

 

 六   耳(みヽ)をすませば薄命(はくめい)の                    長(なが)き恨(うらみ)か、 暗(やみ)の夜(よ)を、

     くだけて落(お)つる芍薬(しやくやく)や                    吾(われ)も沈(しづ)める 此(この)夜半(よは)を、

     毒(どく)ある花(はな)の香(か)に酔(ゑ)ひて、               消(き)江て人霊(すだま)と化(か)せん哉(かな)。

 

 七   かゝる静寂(しヾま)をことならば、                       心(こヽろ)ある子(こ)がものすざび、

      顫(わな)なく絃(いと)にふれもせば、                    弱(よわ)き我身(わがみ)はくだけても、 

      琴(こと)ひく君(きみ)が胸(むね)の上(へ)に、              涙(なみだ)のかぎりかけましを。

 

  八     あゝ恨(うら)みある春(はる)の夜(よ)の                   ほそきあらしに熱情(ねつじよう)の

     焔(ほのほ)な消(け)しぞ、木(こ)がくれに、                 のがれて急ぐ佐保姫(さほひめ)が、

     旅路(たびぢ)を咀(のろ)ふ蠱術(まじ毛の)の                息吹(いぶき)とはかん血汐(ちしほ)なり。   

 

  (注) 漢字は新漢字を用い、 節の番号は便宜上付けました。   江=え。  毛=も。  咀(のろ)ふ→「詛(のろ)ふ」の間違い。 晶子も『みだれ髪』(267)に於いて、同じ誤りをしています。   著作本『百年目の泣菫『暮笛集』』には、 訳も違っている箇所があることもあり、 『みだれ髪』にとっては非常に重要な詩ですので、 再度引用させて頂くと共に、 以前よりも直訳を心掛けました。     

  

 

            泣菫「暮春の賦」の訳                         木村真理子   

 

  1  冷たい室(むろ)に醸造され、                           若紫の奥深く、

     発泡してくる酒の杯を                                私の唇に与えよ。

     暮れて行く春を嘆いて、                              私の細い腕が冷たくなってくるから。

 

  2  心焦(こころあせ)る佐保姫が                          夕暮れになり、 旅路を急ぐのか、

     人々の夕餉の間に                                 男と交わった。

     花がそこここに散り、                                春の快楽が過ぎ去った。

 

  3  遠くに揺らめく細い燈火を通して、                       瞳を凝らして見入れば、

     垂れる若葉の下に、                               芋茎(ずいき)の粉が塗られていた。

     花のない今も香を放って、                            残る春を燃やそうとする。

 

  4  足に触れる柔らかい                               名もない草(行きずりの男)の花を踏んで

     思うのは、 愛に飢える人の春。                        衝撃的な運命に

     恋する女心を犯されて、                             悲しくて死んでしまいたい。

 

  5  薄暗い夕闇の彼方より                              永遠の輝きを見せる星影。

     物知り顔に煌めいて、                               夏がやって来ると知らせる。

     今、 冷ややかに見返して、                           星々が嘲るのを堪えた。

 

  6  薄幸の運命の長い恨みか、                           闇の中、 耳を澄ますと

     砕け落ちる芍薬(しゃくやく)の音がする。                   私も心(こころ)沈むこの夜半、

     毒ある花の香りに酔って、                            消えて人霊(ひとだま)となってしまおうか。

 

  7  この様な静寂の一方で、                             利かん気な子供の叫び声がする、

     感傷に浸る私に・・・・。                               弱い我が身は、性愛に耽(ふけ)る

     君の胸に飛び込み、                                涙が涸れるまで泣いていたい。  

 

  8  ああ、 恨みに思う春の夜、                           恋心に情熱を傾けた

     炎をなぜ消すのか、木立に身を                        隠しながら急ぐ佐保姫が、

     旅路を儚む出来事に、                              ため息を吐(つ)く血汐である。 

     

           泣菫「暮春の賦」と『みだれ髪』との対比 

 

 10年も前に書いた自著本ですが、・・・・もう一度「暮春の賦」の四章を読み直してみて、 自分でもなんかスゴイコト書いてるなって感心しました。

 晶子は駆け落ちを遂行する為に鉄幹と京都で待ち合わせをするのですが、一泊した後、鉄幹に「あなたは日にちを置いて後から来なさい。」と言われ、一人残されます。 それから放浪の旅が始まるのですが、その日の出来事を「暮春の賦」に一字一句漏らさず踏んで歌を詠んでゆきます。 この事件があってこそ『みだれ髪』が完成した、と言える程ですから、この詩が『みだれ髪』にいかに重要な位置を占めているかが窺えます。

 晶子は、堺の実家から駆け落ちをする為に出立します。

       「50  狂ひの子われに焔(ほのほ)の翅(はね)かろき百三十里あわただしの旅」        (訳)恋に狂った私は、情熱に燃えた翅は軽く、東京までの百三十里の道程を慌しく出発します。       (百三十里は、堺~大阪の十里と大阪~東京の百二十里の合計530km)

       「149  うなじ手にひくきささやき藤の朝をよしなやこの子行くは旅の君」           (訳)藤の花が咲く朝、(母が私の)項(うなじ)に手を触れ(後れ毛を身繕いしてくれながら)「(駆け落ちするのは)およしなさい、 この子は・・・・、 あなたが行くのは訳の分からない人ですよ」 と心配そうに囁きました。            「藤」は、大樹の陰‐藤原良房の「藤」でもありますから、母の庇護の下という意図があるかも知れません。

       「127 泣かで急げや手にはばき解くゑにしゑにし持つ子の夕を待たむ」    「ゑにし」は「えにし」の誤り。  手に着けるのは脚絆(きゃはん)、 脚に着けるのが脛巾(はばき)。           (訳)泣かないで(手に脚絆を着け)急ぎましょう。家族との縁を解き、手に着けた脚絆を解いてくれる縁を求め、(その人との縁ができる)夕方を待ちましょう。

 そして京都に到着し、夕方鉄幹と落ち合います。 次の日、鉄幹は一人東京に帰り、晶子は駆け落ちの京都に置いてきぼりをされます。その日が、丁度今の季節、旧暦の4月20日・明治34年6月6日だったと思われます。

       「83 その涙のごふゑにしは持たざりきさびしの水に見し二十日月(はつかづき)」      (訳)私は、その涙(駆け落ちの京都に一人残されたこと)を拭(ぬぐ)う縁は持っていません。 水に映る二十日月(旧暦明治34年4月20日の月)を淋しく眺めています。 

 さらに東京に到着したとされているのが6月14日ですから、 実に一週間以上も掛けて放浪の旅をしたことになります。 その東京までの道筋の歌を当時の天気と絡めて『関西文学 49号』(2005年4月)に解説させて頂きましたが、又いずれ歌だけでもお話ししましょう。  

 ここでは、一人置いてきぼりにされた6月6日頃の出来事を紹介します。 泣菫詩「暮春の賦」にピッタリ一致したのでしょう。 晶子はこの詩を一字一句漏らさず踏むことにより、 自身を慰めていたにちがいありません。

 

  一

     冷(つめ)たき土窟(むろ)に醸(か毛)されて/若紫(わかむらさき)の色深(いろふか)く/泡(あは)さく酒(さけ)の盃(さかづき)を/吾唇(わがくちびる)に含(ふく)ませよ

      ―「367 その酒の濃きあちはひを歌ふべき身なり春のおもひ子」       「あちはひ」=「あぢはひ」の誤植。   (訳)その「若紫(わかむらさき)の色深(いろふか)く/泡(あは)さく」酒の味わいを噛み締めている私-春を求める私です。

 「その酒」は、上記を踏んで、佐保姫が酔う「冷(つめ)たき土窟(むろ)に醸(か毛)されて/若紫(わかむらさき)の色深(いろふか)く/泡(あは)さく酒」とし、対象を晶子自身としました。 (もっと簡素なものだと思い、著作本とは変更しました。)

 

     暮(く)れ行(ゆ)く春(はる)を顫(わなヽ)きて/細(ほそ)き腕(かひな)の冷(ひ)ゆる哉(かな)             

       ―「320 いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯くぞ覚ゆる暮れて行く春」         (訳)せめて(恋の炎よ)燃えるがままに、燃え尽きよ。 この様に惨めな終わり行く恋を。

 (320)は上記を踏み、 「斯くぞ覚ゆる」は、駆け落ちの京都に一人残された恨み、この時を忘れない、という気持ちが込められていると思います。   

 二

     心周章(こヽろあは)つる佐保姫(さほひめ)が/旅(たび)の日(ひ)急(せ)くか、この夕(ゆふべ)/人(ひと)は夕飯(ゆふげ)に耽(ふけ)る間(ま)を/花(はな)、そここゝに散(ち)りこぼれ/痛(いた)ましい哉(かな)、春(はる)の日(ひ)の/快楽(けらく)も土(つち)にかへりけり

       ―「88 恋か血か牡丹に尽きし春のおもひとのゐの宵のひとり歌なき」          (訳)(表訳)か家族か(行くか帰るか)、恋という人生の華に尽きる青春の想い(の為ここまで来ましたが・・・・)、宵の宿屋で一人打ちひしがれています。    (裏訳)愛を勝ち取るか、刃傷沙汰もしくは自殺か、牡丹(の赤)に尽きる青春の想い、一人寝の宵に睦みはありません。

 上記を踏んでいますから、二重詠みの歌と解しました。  「恋か血か」=鉄幹との恋か家族との血縁か? このまま駆け落ちを遂行して行くべきか、それとも家族の元に帰るべきか? の選択。  裏歌の「恋か血か」=激しい恋か、血を見る刃傷沙汰もしくは自殺か、という苦境の選択です。  「牡丹に尽きし春のおもひ」=恋という人生の華に尽きる青春の想い、この想いによって駆け落ちを遂行して来たこと。  「とのゐ・宿直」=京都まで駆け落ちをして来て、鉄幹に置いてきぼりされた宿屋での一人寝。 「歌」=言葉・気持ちと、恋の睦み、との意図と解しました。

 

 三

     垂(た)る ゝ若葉(わかば)の下(した)がくれ/乱(みだ)れて細(ほそ)き燈火(と毛しび)に/瞳(ひとみ)凝(こ)らして見入(みい)るれば

       ―「82 おりたちてうつつなき身の牡丹見ぬそぞろや夜(よる)を蝶のねにこし」        (訳)(表訳)空ろな私は、(庭に)降り立って牡丹の花を見ました。 「そぞろや?」夜に蝶が眠りに来ています。   (裏訳)思い立って、空ろな我が身の牡丹を見ました。この虚しい夜を蝶の恋人よ、睦みに来て下さい。

 「おりたちて」=降り立つ、と思い立っての掛詞。  「牡丹」=牡丹の花、と女性性器の掛詞。  「そぞろや」=?(逸見久美『新みだれ髪全釈』では、「すずろ」と同じであって、「意外・思いがけない」と訳されていました。)が、解からないので、ここは保留とさせて頂きます。  もう一方は、気が落ち着かない、そわそわするの意味で、「虚しい」を当てました。  「ねにこし」=寝に来る・寝にやって来たの意、と寝に来られたし・寝にいらっしゃい、の掛詞。

 

     花(はな)なき今(いま)も香(か)を吹(ふ)いて/残(のこ)れる春(はる)を焼(や)かんとす

       ―「255 夜の神のあともとめよるしら綾の髪の香朝の春雨の宿」      (訳)夜の恋人(鉄幹)の後を追い求める私の白綾に染み付いた鬢の香りが、朝の春雨が降る宿に漂っています。

 (255)は上記の部分を踏んでいますから、「鬢の香」は直接的には女性性器の匂いであって、二重詠みとも言える歌です。   「もとめよる」=求め寄る、ではなく、「求める+~しよる」という方言。 「し」はdoです。 自分の意思に反して身体が自然と「鬢の香」を放つことを示しています。

 

 四

     足(あし)にさはりて和(やは)らかき/名(な)もなき草(くさ)の花(はな)ふみて/思(お毛)ふは弱(よわ)き人(ひと)の春(はる)

        泣菫『暮笛集』「村娘」―神よ情(じやう)ある人の子に、/盲目をゆるせ、 ゆく春の/長きうれひを眺めては、/か弱き胸の堪へざるに。

       ―「217 神ここに力をわびぬとき紅(べに)のにほひ興(きよう)がるめしひの少女(をとめ)」      (訳)神様は、ここに非力を詫びて下さっているでしょう。私は、危険な恋を面白がっている恋に盲目の少女です。 

 「暮春の賦」‐思ふは弱き人の春は、「村娘」‐か弱き胸の堪へざるに、という意図によって、「村娘」を踏んで成立しています。  「とき紅(べに)のにほひ興(きよう)がる」→危険な恋を面白がる。  鉄幹歌話は参考にせず、常に歌に忠実になる方が良いと思います。

 

     蹠(あなうら)粗(あら)き運命(うんめい)に/恋(こひ)の常花(とこばな)ふみさかれ/ 憂(う)しや、 逝(ゆ)く日(ひ)の無(な)くてかは

     泣菫『暮笛集』「巌頭にたちて」―耳をすませば、岩(いは)がくれ/薄き命の響きして、/風にわなゝく蘆(あし)の葉の/波間に沈む一ふしよ。

       ―「250 二十(はた)とせのうすきいのちのひびきありと浪華の夏の歌に泣きし君」      (訳)(表訳)二十年の幸せ薄い命の響きがあると、 (去年の)大阪での夏の歌に泣いて下さったあなたでしたのに・・・・。   (裏訳)二十年の幸せ薄い命の響きがあると(去年の)大阪での夏の睦みに(結婚すると)約束して下さったあなたでしたのに・・・・。

 直接的には「巌頭にたちて」を踏んでいますが、暗々裏には、「恋(こひ)の常花(とこばな)ふみさかれ/ 憂(う)しや、 逝(ゆ)く日(ひ)の無(な)くてかは」を踏み、

       「253 君ゆくとその夕ぐれに二人して柱にそめし白萩の歌」      (訳)登美子が帰って後、その夕暮に二人で睦んだ、私の愛。 → この時、既に晶子は鉄幹と結婚する約束をしていたのでしょう。 鉄幹はそんなつもりは毛頭なかったにしろ・・・・。

この歌を念頭に置いて詠まれています。

 

 五

     暗(やみ)まだ薄(す)き彼方(かなた)より/常若(とこわか)に笑(ゑ)む星(ほし)の影(かげ)/知恵(ちゑ)ある風(ふり)にきらめきて/夏来(なつく)と知(し)らす顔付(かほつき)よ

       ―「1 夜の帳(ちやう)にささめき尽きし星の今を下界(げかい)の人の鬢(びん)のほつれよ」       「長恨歌」を参照して下さい。

 

     知恵(ちゑ)ある風(ふり)にきらめきて/夏来(なつく)と知(し)らす顔付(かほつき)よ

       ―「135 春はただ盃にこそ注(つ)ぐべけれ知恵あり顔の木蓮や花」      (訳)知恵あり顔をしている木蓮の花よ、春はただ、盃に酒を注ぐべきだ。

 「夏来(なつく)と知(し)らす顔付(かほつき)よ」 を暗々裏に踏み → 「春来と知らす顔付よ」 → そんなに落ち込んでいないで、いずれ恋が成就しますよ、と言う「知恵あり顔の木蓮の花」に、苛(いら)ついての一言。 「恋は、一途なものですよ。」 が、「春はただ盃にこそ注(つ)ぐべけれ」。

 

     今(いま)冷(ひや)やかに見(み)かへして/吾(われ)、 嘲(あざ)けるを江堪(た)へじな 

        ―「266 そのわかき羊は誰に似たるぞの瞳(ひとみ)の御色(みいろ)野は夕なりし」       (訳)その若い羊は、誰に似ているでしょう? と思える程の瞳の野の夕焼けの色です。  (彷徨える羊である私の瞳も、この夕焼けの野のようです。)

 「吾(われ)、 嘲(あざ)けるを江堪(た)へじな」を踏み、 晶子が自分自身を嘲笑っています。 涙で真っ赤になった瞳の色、 その色が梅雨の合間の夕焼け空に染まった野の色と一緒だったのでしょう。

 

  六

     耳(みヽ)をすませば薄命(はくめい)の/長(なが)き恨(うらみ)か、 暗(やみ)の夜(よ)を

       ―「264 行く春の一弦(ひとを)一柱(ひとぢ)におもひありさいへ火(ほ)かげのわが髪ながき」       (訳)春が過ぎ行き、駆け落ちの一つ一つに思い出があります。とは云うものの、燈火の影の私の髪は(あなたを恨んで)長く伸びています。

「行く春」=過ぎ行く季節と、過ぎ行く青春と、駆け落ちの道程。 「一弦(ひとを)一柱(ひとぢ)に」=琴を弾いている訳ではなく、一つ一つの出来事の譬え。 「さいへ(さ云へ)」=とは言うものの。 「B-わが髪ながき」=A さ云へ「B」 → A の逆説が「B」 、つまり 「B-わが髪ながき」は、「A-行く春の一弦一柱におもひあり」 の肯定文に対しての逆説であり、 否定的文章-悪い意味で「髪が長い」となり、 「長(なが)き恨(うらみ)か、 暗(やみ)の夜(よ)を」 を踏んだものが、「火(ほ)かげのわが髪ながき」です。

 

      くだけて落(お)つる芍薬(しやくやく)や/吾(われ)も沈(しづ)める 此(この)夜半(よは)を/毒(どく)ある花(はな)の香(か)に酔(ゑ)ひて/消(き)江て人霊(すだま)と化(か)せん哉(かな)。

        ―「262 とどめあへぬそぞろ心は人しらむくづれし牡丹さぎぬに紅き」       (訳)抑えることが出来ない空虚感をあなたにはお解かりにならないでしょう。 裂かないのに崩れてしまった牡丹が咲ききらないで紅く(散っています)。

 「くだけて落(お)つる芍薬(しやくやく)や」を「くづれし牡丹」、「吾(われ)も沈(しづ)める 此(この)夜半(よは)を」を「とどめあへぬそぞろ心」とし、「毒(どく)ある花(はな)の香(か)に酔(ゑ)ひて/消(き)江て人霊(すだま)と化(か)せん哉(かな)」を暗々裏に踏んでいます。

 (262)五句を〔新潮〕では「袂に紅き」、〔改造〕では「大地に紅し」と変更していますから、どうも五句の「さぎぬ」の語彙がしっくりいかなかったのでしょう。 「さぎぬ」=着物ではなくて、「裂ぎぬ(さぎぬ)と咲きぬ(さきぬ)」の掛詞。 「さきぬ」とすれば、「咲きぬ」の意味に特化されてしまう為、「裂きぬ」の意図が飛んでしまうからです。 晶子としては鉄幹との駆け落ちが、自分の意思ではないこと(裂かないのに)を強調したかったのだと思います。

  

  七

      かゝる静寂(しヾま)をことならば/心(こヽろ)ある子(こ)がものすざび

        ―「126 春の川のりあひ舟のわかき子が昨夜(よべ)の泊(とまり)の唄(うた)ねたましき」       (訳)春の川の乗合い舟に乗り合わせた子供が、昨夜の宿で唄って(騒いで)いたのが妬ましかったです。

 「春の川のりあい舟のわかき子が」=嵐山遊覧(保津川下り)の舟に乗り合わせた子供が。 「かゝる静寂(しヾま)をことならば」-晶子が鉄幹に置いてきぼりをされ、沈んでいる一方で。 「心(こヽろ)ある子(こ)がものすざび」-躾の悪い子が騒ぐ。 

 

      顫(わな)なく絃(いと)にふれもせば/弱(よわ)き我身(わがみ)はくだけても/琴(こと)ひく君(きみ)が胸(むね)の上(へ)に/涙(なみだ)のかぎりかけましを

        ―「260 くろ髪の千すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる」        (訳)(私の)黒髪の千筋の乱れ髪が、(恋によって)さらに思い乱れ、乱れています。

 初出は『みだれ髪』ですが、「暮春の賦」を一字一句踏みたいという意図により、編纂時に挿入されたのでしょう。 晶子の言葉の遣い方でスゴイと思うのは、「かつ」の語彙を挿入したことです。 「尚且つ(なおかつ)」の「かつ」ですが、畳み掛ける用法としても、音としてのアクセントとしても区(句)切れにも効果を演出しています。

 

  八

      あゝ恨(うら)みある春(はる)の夜(よ)の/ほそきあらしに熱情(ねつじよう)の

        ―「83 その涙のごふゑにしは持たざりきさびしの水に見し二十日月(はつかづき)」       (訳)上記を参照して下さい。

 登美子「その涙のごひやらむとのたまひしとばかりまでは語りうべきも」 (訳)「その涙を拭ってあげるわ」と言うばかりまでは、語り合えるのですが・・・・。  この登美子の歌を引用し、 登美子なら、鉄幹は一緒に東京に連れて行ったでしょう、という思いが根底にあります。 「その涙のごふゑにしは持たざりき」は、結婚の約束をしたけれど、まだ妻ではないし・・・・、を意図します。

  

      焔(ほのほ)な消(け)しぞ、木(こ)がくれに/のがれて急ぐ佐保姫(さほひめ)が

        ―「129 小川われ村のはづれの柳かげに消えぬ姿を泣く子朝見(あさみ)し」      (訳)小川よ、あなたは村の外れの柳陰に泣きながら消えていった私の姿を朝、見ましたよね。

 「のがれて急ぐ佐保姫(さほひめ)が」ですから、晶子が逃れて急いで消えていきます。 「われ」=私ですが、呼びかけの二人称「あなた」を意図し、「小川われ」=小川に呼びかけた「小川よ、あなたは」の意。 歌全体が小川に呼びかけた文章。 「消えぬ」=消える(反語)。 「小川われ/村のはづれの柳かげに/泣く子/消えぬ姿を/朝/見(あさみ)し」 の置換です。

 

      旅路(たびぢ)を咀(のろ)ふ蠱術(まじ毛の)の/息吹(いぶき)とはかん血汐(ちしほ)なり

      泣菫『暮笛集』「村娘」― 和肌に/指をさはれば此は憂しや、潮に似たる胸の気の浪とゆらぐを今ぞ知る

      泣菫『暮笛集』「尼が紅」― 乳房さはりて吾胸の/力ある血の気は立ちぬ

        ―「392 誰に似むのおもひ問はれし春ひねもすやは肌もゆる血のけに泣きぬ」     (訳)誰に似ているか? と自問してみる程の、春の一日中(私の)柔肌を燃やす血の気に泣いています。

 直接的には泣菫の「村娘」と「尼が紅」を踏んでいますが、佐保姫が自身のことを「息吹(いぶき)とはかん血汐(ちしほ)なり」と述べていますので、 晶子自身のことを言っています。  「誰に似むのおもひ問はれし」=誰のような生き方をしたいかと問われた、のではなく、 「誰に似むの」思いを問い掛ける程の、意であって、「やは肌もゆる血のけに泣きぬ」に掛かります。

 


薄田泣菫「古鏡賦」

2012-06-06 12:59:19 | 薄田泣菫

 

        薄田泣菫「古鏡賦」                  ―『暮笛集』(明治32年11月)金尾文淵堂書店― より

 

  泣菫『暮笛集』の訳と『みだれ髪』の対比は、以前‐近代文芸社‐より出版したので重複するのですが、読んでおられない方もいらっしゃると思いますので、『みだれ髪』にとっては重要な詩ですので、ここに挙げさせて頂ます。

 

 一   斧(をの)に倒(たふ)れし白檀(びやくだん)の              高(たか)き香(か)森(もり)に散(ち)る如(ごと)く、

     薄衣(うすぎぬ)とけば遠(とほ)き世(よ)の                 ふかき韻(にほひ)ぞ身(み)に迫(せま)る。

     向(むか)へば花(はな)の羽衣(はごろも)の                袖(そで)のかほりを鼻(はな)に嗅(か)ぎ、

     叩(たヽ)けば玉(たま)の白金(しろがね)の                  冠リ(かひり)を弾(はじ)く響(ひヾき)あり。

   

 二  こは古鏡(ふるかヾみ)、 往(い)にし世(よ)に、              額(ぬか)白(しろ)かりし上臈(せうらふ)の

     恋(こひ)得(江)で髪(かみ)を裁(た)ちし時(とき)、           投(な)げてしものと。 君(きみ)も見(み)よ、

     横(よこ)さにかゝる薄雲(うすぐも)の                     曇(くも)れる影(かげ)も故(ゆゑ)づきて、

     頼(たの)もしい哉(かな)、 祭壇(かみどこ)の              聖(きよ)き姿(すがた)をうち湛(たヽ)ふ。 

 

 三  千載銹(せんざいさび)の鈍(に)ばみきて、                               冷(ひ)江たる面(おも)にさはりみよ、

     花(はな)くだけちる短夜(みじかよ)を、                    瞳子(ひとみ)凝(こ)らしゝ少女子(をとめご)が

     玉(たま)の額(ひたひ)をながれたる                     熱(あつ)き血汐(ちしほ)の湧(わ)きかへり、

     春(はる)の潮(うしほ)と見(み)る迄(まで)に、               昔(むかし)の夢(ゆめ)の騒(さわ)ぐらし。

 

 四   乱心地(みだりごヽち)の堪(た)へざるに、                 泡咲(あはさ)く酒(さけ)の雫(しづく)だに、

     渇(かは)ける舌(した)にふくませよ、                     袖(そで)に抱(いだ)いて人知(ひとし)れず、

     深野(ふけの)の末(すゑ)に踏(ふ)み入りて、               妻覓(めまぎ)と見るか。 物狂(ものぐるひ)、

     背(そびら)叩(たヽ)いて面(お毛)撫(な)でゝ、               有心者(うしんじや)得(ゑ)ぬと歌(うた)はんに。

 

 五   宿(やど)る人霊(すだま)のひゞらかば、                  怨(うら)みある世(よ)の夢(ゆめ)がたり、

     名(な)に恋(こひ)しれど嫉(ねた)みある                  女神(めがみ)、 女子(をんな)に幸(さち)貸(か)さず、

     人(ひと)の情(なさけ)の薄(うす)かるに、                 細(ほそ)き命(いのち)をつなぎわび、

     泣(な)いて逝(ゆ)きたる上臈(しやうらふ)の               秘(ひ)めし思(お毛ひ)を悼(いた)まんか。

 

 六  あゝ幾度(いくたび)か、 若(わか)き身(み)の、              狂気(くるひ)をこそは望(のぞ)みしか、

     今(いま)ぞ興(きよう)あり、 怨(うら)みある、               其世(そのよ)の紀念(かたみ)、 古鏡(ふるかヾみ)、

     これ吾襟(わがゑり)に蔵(をさ)め得(江)ば、               よし京童(きやうだう)は嘲(あざけ)るも、

     世(よ)の煩(わづ)らひを打(う)ち捨(す)てゝ、               知覚(ちかく)なき身(み)と化(くわ)しもせん。

 

 七   なう古鏡(ふるかヾみ)このあした、                      汝(なれ)を抱(いだ)いて嘆(なげ)く身(み)の

     述懐(お毛ひ)は夢(ゆめ)か。 蜃気楼(かひやぐら)、          それにも似(に)たる 幻(まぼろし)か、

     孰(いづ)れ覚(さ)むべきものならば、                     儘(まヽ)よ、 短(みじ)かき昼(ひる)の間(ま)を、

     飽(あ)かぬ睦(むつび)にあこがれて、                    悲(かな)しき闇(やみ)を忘(わす)れまし。  

 

    (注) ・ 「冠リ(かひり)」の「リ」は、「日かんむりの下に免」の文字。パソコンにはありませんでした。 

         ・ 二節-上臈(せうらふ)  五節-上臈(しやうらふ)  のふりがなは異なりますが、原詩に従いました。 (著作本も同様)

         ・ 六節-紀念(かたみ)の「紀」は、原詩では糸偏に「巳(シ・み)」でしたが、本稿はパソコンには無いので「紀」を用いました。

         ・ 節の番号は便宜上付け、漢字も新字を用いました。

         ・ 訳は、間違っていた部分もあったので、著作本とは少し変更しました。 

 

                泣菫「古鏡賦」       (訳) 木村真理子   

 1   斧で切り倒された白檀(びゃくだん)の                     高い香りが森に散るように、

     古鏡(こきょう)を包む布を紐解(ひもと)けば、 遠い昔の        深い気韻(きいん)が身に迫ります。

     古鏡に向かえば、 花のような羽衣の                     袖(そで)の香りを鼻に嗅ぎ、

     古鏡を叩けば、 玉のような白金の                       冠(かんむり)を指で弾く響きがします。     

 

 2  これは古鏡(ふるかがみ)、 昔、                        肌白く身分の高い女官が、

    恋を得られず髪を切って尼になった時に、                  投げたものだと知って下さい。

    側面に薄雲が掛った様な                            曇った影も因縁めいて、

    頼もしくも祭壇に奉納されるような                       神聖な姿が現れています。

 

 3  長い年月に錆(さ)びてしまった                         冷たい表面を触ってごらんなさい。

    処女を喪失するその夜に                             瞬きもせず緊張していた乙女が、

    玉のような額に                                   熱い血汐が湧き上がり、

    春の潮となるまで                                  昔の夢が騒ぎ立てます。   

 

 4  心が乱れ、 堪えられないから、                         発酵した新鮮な酒の雫でも

    渇(かわ)いた口に含ませて下さい。                      古鏡を袖に抱いて、 人知れず

    深い野の果てまで踏み込むと、                         夫を探し求めていると思われるでしょうか?

    私は古鏡に狂って背面を叩き、 表面を撫で、                古鏡の信奉者が出来たと歌いたいのに・・・・。

 

 5  古鏡に宿る女官の霊魂が響けば、                       怨みある世に、夢語りをします。

    女神(めがみ)という名に憧れもしたが、                    女子(おなご)を幸せにせず、嫉みが残っています。

    人の情けも薄いので、                                幸薄い命を繋げず、 儚んで

    死んでしまった女官の                               秘めた想いを悼んで下さい。

 

 6  ああ、 若い私は恋の絶望から                         幾度か狂ってしまいたいと望んでいましたが、

    今は、 恋の怨みが残るこの古鏡に興味があります。           女官の、 その世の形見の古鏡(ふるかがみ)、

    これを私の着物の襟に挿(はさ)めば、                    たとえ京わらべが嘲笑(あざわら)っても、

    世の悩みを捨て、                                 知覚のない身体となれるでしょう。

 

 7  ねぇ古鏡、 これから先、                             汝(なんじ)を抱いて嘆く私の述懐は

    夢であり、蜃気楼(しんきろう)にも                        似ている幻でしょうか?

    いつかは覚めるものならば、                           ええぃ、 短い昼の間に、

    人間の本能である情交を想って、                        悲しい闇を忘れていたい。 

                  

            泣菫「古鏡賦」 『みだれ髪』との対比

 一

     斧(をの)に倒(たふ)れし白檀(びやくだん)の/高(たか)き香(か)森(もり)に散(ち)る如(ごと)く/薄衣(うすぎぬ)とけば遠(とほ)き世(よ)の/ふかき韻(にほひ)ぞ身(み)に迫(せま)る。

      ―「385 わかき子のこがれよりしは斧のにほひ美妙(みめう)の御相(みそう)けふ身にしみぬ」     「斧」は「鑿(のみ)」の誤植、 三版以下「鑿」。        (訳)若者の憧れは、彫像のような顔立ち。 美しいお顔が、今日身に沁みます。  (注:著作本は訂正します)

 鉄幹歌話(『明星』明治34・9) 「ただ名手の作と聞いたばかりに慕ひよつた積りであるが、今はその芸術の御神(みかみ)の尊さを覚ゆるまでに成つた。 芸術の人を動かすことは此如くである」 という解説から、 「こがれよりし」を「憧れ寄る」→ 憧れて、引き寄せられるという様に解しています。   

  しかし、「こがれよりし」は、「憧れ」+「~しよる」という方言であり、それを標準語風に言っているのではないか? と思います。  「~しよる」は、何て言ったら良いのか、「~しよった(過去)」とか、 相手が能動的に「する・した(動詞)」 行為に対して、 本人・私は、そのことに関して快く思っていない、つまり自分の立場をも明示した方言です。 『みだれ髪』には、所々こういう方言が使われていて、難解にしている要因でもあります。

 この歌は、「36 御相(みそう)いとどしたしみやすきなつかしき若葉(わかば)木立の中のる盧遮那仏(るしやなぶつ)」  (注:「いとど」=「大層(たいそう)」の意、「いっそう」「ますます」の意ではありません。) と対の歌で、 奈良の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)を詠んでいます。 『恋ごろも』に 「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」 があり、鎌倉の大仏は阿弥陀仏なので、盧遮那仏は大日如来なので間違いではないか? という解説書もありますが、これは奈良の大仏なので、毘盧遮那仏で正解です。 晶子が間違える訳はないと思うのですが・・・・。 『みだれ髪』が初出ですが、後から挿入されたもので、 京都に駆け落ちをした晶子でしたが、 鉄幹に独りおいてきぼりにされ 「あなたは日にちを置いて来なさい」 と言われたことから、 なるべく時間を掛けて東京に行く為に、 奈良にやって来て詠んだものです。 美しい登美子なら、直ぐに連れて行ってもらえたのに、 美しくない私だから、置いてきぼりをくった 「美妙(みめう)の御相(みそう)けふ身にしみぬ」 という歌です。 もしも、通常の解説の意味-芸術を感じ入りましたという歌を詠んで、 何の意味があるのでしょう? 

 「鑿」の誤植についてですが、 やはり私は、上記を踏んでいるので、(踏んだのは、著作本にある如くです) 最初は「斧」と詠んだと思います。 しかし「斧」では歌の意味が成立し難く、 「鑿」の方が歌意にピッタリするので、 途中から「鑿」の誤植としたのではないでしょうか?

 二

      額(ぬか)白(しろ)かりし上臈(せうらふ)の/恋(こひ)得(江)で髪(かみ)を裁(た)ちし時(とき)、

       ―「361 結願(けちがん)のゆうべの雨に花ぞ黒き五尺こちたき髪かるうなりぬ」      (透谷「楚囚之詩」参照)

 上臈(せうらふ)の額の「白」が「黒」と変遷し、「こちたき髪かるうなりぬ(うるさい髪が、軽くなった)」が、「髪(かみ)を裁(た)ちし時(とき)」 を暗示しています。 ですから(361)は、「恋(こひ)得(江)で髪(かみ)を裁(た)ちし時(とき)」の歌であり、「結願(けちがん)のゆうべの雨」は、駆け落ちの満願の日の成就しなかった日の涙の雨です。

 

      花(はな)くだけちる短夜(みじかよ)を/瞳子(ひとみ)凝(こ)らしゝ少女子(をとめご)が/玉(たま)の額(ひたひ)をながれたる 

        ―「13 海棠にえうなくときし紅(べに)すてて夕雨(ゆふさめ)みやる瞳(ひとみ)よたゆき」        (訳)海棠の木の根元に用の無くなった口紅を溶いた紅を捨てて、夕方の雨をみています。その私の瞳は、力なく、呆けたようになっています。

 「花」と「瞳子」より連想されたのでしょう。 (361)と同じ時の歌で、京都に駆け落ちをして来たにも関わらず、満願が成就しなかった日、東京に行く為の化粧の口紅が必要なくなったという歌です。

 四・五     

       心地(みだりごヽち)の堪(た)へざるに/泡咲(あはさ)く酒(さけ)の雫(しづく)だに/渇(かは)ける舌(した)にふくませよ/袖(そで)に抱(いだ)いて人知(ひとし)れず/深野(ふけの)の末(すゑ)に踏(ふ)み入りて/妻覓(めまぎ)と見るか。 物狂(ものぐるひ)/・・・・・/宿(やど)る人霊(すだま)のひゞらかば/怨(うら)みある世(よ)の夢(ゆめ)がたり/名(な)に恋(こひ)しれど嫉(ねた)みある/女神(めがみ)、 女子(をんな)に幸(さち)貸(か)さず        

        ―「12 まゐる酒に灯(ひ)あかき宵を歌たまへ女(おんな)はらから牡丹に名なき」        (訳) 酔ってしまった酒に、酒屋の灯が明るく照らす宵、(良い)返事を下さいね。 女の私は、心から妻という名には拘(こだわ)らないないから・・・・、(唯愛されたいだけです)。     

       ―(新潮版)「さかづきに灯(ひ)あかき宵を歌たまへ身を牡丹とも思へる人ぞ」       (訳) 杯(さかずき)に、酒屋の灯が明るく照らす宵、牡丹の様な美しい登美子さん、何かアドバイスをお願いします。 (苦しんでいる私に・・・・、あなたなら、きっと鉄幹は一緒に東京に連れて行ったでしょうね。)

  『みだれ髪』は、駆け落ちの歌であり、恋の成就物語なのです。 ですから、晶子は自分に関して以外のことは決して歌にしていませんし、 通説の牡丹に相応しい美しい姉妹の話では断じてありえないのです。 

 (12)は、駆け落ちの京都に、独り残され、酔っ払っている宵の歌です。 「まゐる」は、謙譲語の「さしあげる」でも、尊敬語の「めしあがる」でもなく、 負ける・降参するの意であって「酒に酔う」ことを指します。 「古鏡賦」の 「心地(みだりごヽち)の堪(た)へざるに/泡咲(あはさ)く酒(さけ)の雫(しづく)だに/渇(かは)ける舌(した)にふくませよ」 を踏み、それが「妻覓(めまぎ)と見るか。 物狂(ものぐるひ)」 の情況を生み出しています。 また、「名(な)に恋(こひ)しれど」→妻という名に焦がれる、 が、 (12)「牡丹に名なき」→恋に妻という文字はない、 と述べています。

 三版・改造版では変えなかったものの、やはり意味が通じない歌だということで、新潮版では補正したのですが、それが初版と同じ意味かどうかは疑問です。  「女はらから」を本来の「姉妹」の意味として詠めるように改造したのではないでしょうか?  晶子は、皆に理解される様に、歌の意味を変化させる・・・・、ということを行っていますから。

 

    名(な)に恋(こひ)しれど嫉(ねた)みある/女神(めがみ)、 女子(をんな)に幸(さち)貸(か)さず /人(ひと)の情(なさけ)の薄(うす)かるに/細(ほそ)き命(いのち)をつなぎわび/泣(な)いて逝(ゆ)きたる上臈(しやうらふ)の/秘(ひ)めし思(お毛ひ)を悼(いた)まんか。     

      ―「235 見しはそれ緑の夢のほそき夢ゆるせ旅人かたり草なき」       (訳)(夢を)見たのは、妻になるという平凡な夢、(駆け落ちに独り置いて往かれ) ごめんね彷徨っている私、何も言うことはありません。

 「人(ひと)の情(なさけ)の薄(うす)かるに/細(ほそ)き命(いのち)をつなぎわび」を踏み、(12)では「牡丹に名なき」→恋に妻という文字はない、と言いながら(235)では、「名(な)に恋(こひ)しれど」=「緑の夢のほそき夢」→妻という名を夢見た、と述べています。   「緑」とは、平安、平和、平凡のイメージカラーでしょうし、「旅人」は駆け落ちに独り残され、彷徨って自ずと旅人になってしまった晶子自身です。

 

      *なう古鏡(ふるかヾみ)このあした/汝(なれ)を抱(いだ)いて嘆(なげ)く身(み)の/述懐(お毛ひ)は夢(ゆめ)か。 蜃気楼(かひやぐら)/それにも似(に)たる 幻(まぼろし)か/ 孰(いづ)れ覚(さ)むべきものならば/ 儘(まヽ)よ、 短(みじ)かき昼(ひる)の間(ま)を/ 飽(あ)かぬ睦(むつび)にあこがれて/悲(かな)しき闇(やみ)を忘(わす)れまし。  

        ―「179 いづれ君ふるさと遠き人の世ぞと御手はなしは昨日(きのふ)の夕」    (初出:登美子の君に)     「はなしは」は、「はなちしは」の誤植。           (訳)いつかはあなた、故郷を離れて暮らさなければいけない世間なのだから、(と言って、登美子の)手を離してお別れをしたのは、昨日の夕方でしたのに・・・・。

             (新潮版)「星となる日に思ふこと言はましと御手(みて)はなちしは昨日の夕」        (訳)死んでしまう日に、思うことを言いましょうと、(登美子の)手を離してお別れしたのは、昨日の夕方でした。

 

 当時の新詩社の人々は一種の選民意識をもっていたとされ、この歌も通説では、その一環として捉えられています。 その根拠には、(179)と同じ『明星 第七号』(明治33・10)に掲載された晶子・登美子の連名書簡 「吾妻葡萄」に―  「例の星の世に登りし如き只今のありさま、おしはからせ給へ。たのしき 〃 歌も詠み申し候。(登美子)」 とあり、   「新星のその世ながらの君もあるにわが鬢ぐきよなど色あせし」晶子     「筆あらひ硯きよめて星の子のくだりきますと人へ書くふみ」登美子―     など星に関した歌があることからですが・・・・、これらの歌は、結婚する登美子(明治33年12月に仮祝言を挙げる)が鉄幹と京都で睦み合ったことを述べたこと(例の星の世に登りし如き只今のありさま・新星のその世ながらの君もあるに)であって、それを「星の世・新星」と言って、通常の意識の状態ではないことを示しているのです。  決して選民意識からくる歌ではありません。    このことは、その後暫くは誇らしい登美子でしたが、段々と「躓きの石」となって登美子の人生に影を落とすことになります。  晶子の「わが鬢ぐきよなど色あせし」は、そのことで辛い思いをしたことが窺えますが、(179)の新潮版では、時間の経過と伴に、「星となる日に思ふこと言はまし」と、かなり登美子に対して批判的になっている晶子が表出しています。

 (179)の「いづれ」は、「何れにしても・どちらにしても・どちらか」ではなく、「古鏡賦」の「孰(いづ)れ覚(さ)むべきものならば」の「いづれ」であって、「やがて・何時(いつ)かは」の意味であり、それは新潮版の「星となる日-何時(いつ)か」でも知れます。  「いづれ君ふるさと遠き人の世ぞ」とは、「何時かは、嫁いで生家を出る女の身なのだから」の意味です。  そして登美子が鉄幹と愛し合ったことは、「古鏡賦」の「儘(まヽ)よ、 短(みじ)かき昼(ひる)の間(ま)を/ 飽(あ)かぬ睦(むつび)にあこがれて/悲(かな)しき闇(やみ)を忘(わす)れまし。」であり、(179)はそれを踏んで詠まれているのです。

 (179)の歌の終わり方が、不協和音で終了していますので、余韻を残した終わり方の訳を付けてみました・・・・。

 

 


薄田泣菫「ああ大和にしあらましかば」

2012-03-28 08:31:37 | 薄田泣菫

 薄田泣菫の「ああ大和にしあらましかば」は、『白羊宮』(明治39年)に掲載されているので、晶子『みだれ髪』とは関係がありませんが、泣菫詩の最高峰の一つであり、明治の人々の高雅な詩を味わうには最適だと思います。    


    
   薄田泣菫「ああ大和(やまと)にしあらましかば」 『白羊宮』より(明治39年)



   一 ああ、大和(やまと)にしあらましかば、
     いま神無月(かみなづき)、
     うは葉(は)散り透(す)く神無備(かみなび)の森の小路を、
     あかつき露(づゆ)に髪ぬれて往(ゆ)きこそかよへ、
     斑鳩(いかるが)へ。平群(へぐり)のおほ野、高草の
     黄金(こがね)の海とゆらゆる日、
     塵居(ちりゐ)の窓のうは白(じら)み、日ざしの淡(あは)に、
     いにし代の珍(うづ)の御経(みきやう)の黄金文字、
     百済緒琴(くだらをごと)に、斎(いは)ひ瓮(べ)に、彩画(だみゑ)の壁に
     見ぞ恍(ほ)くる柱がくれのたたずまひ、
     常花(とこばな)かざす芸の宮、斎殿(いみどの)深(ふか)に、
     焚(た)きくゆる香(か)ぞ、さながらの八塩折(やしほをり)
     美酒(うまき)の甕(みか)のまよはしに、
     さこそ酔(ゑ)はめ。



   二 新墾田(にひばりみち)の切畑(きりばた)に、
     赤ら橘(たちばな)葉がくれに、ほのめく日なか、
     そことも知らぬ静歌(しづうた)の美(うま)し音色(ねいろ)に、
     目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲(きびたき)の
     あり樹の枝に、矮人(ちひさご)の楽人(あそびを)めきし
     戯(ざ)ればみを。尾羽身(をばみ)がろさのともすれば、
     葉の漂ひとひるがへり、
     蘺(ませ)に、木の間に、―これやまた、野の法子児(ほふしご)の、
     化(け)のものか夕寺深(ふか)に声(こわ)ぶりの、
     読経(どきやう)や、―今か、静こころ
     そぞろありきの在り人の
     魂にも沁(し)み入(い)らめ。


   三 日は木がくれて、諸とびら
     ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒に、
     そそ走(ばし)りゆく乾反葉(ひそりば)の
     白膠木(ぬるで)、榎(え)、楝(あふち)、名こそあれ、葉広菩提樹(はびろぼだいじゅ)、
     道ゆきのさざめき、諳(そら)に聞きほくる
     石回廊(いしわたどの)のたたずまひ、振りさけ見れば、
     高塔(あららぎ)や、九輪(くりん)の錆(さび)に入日かげ、
     花に照り添ふ夕ながめ、
     さながら、緇衣(しえ)の裾(すそ)ながに地に曳きはへし、
     そのかみの学生(がくしやう)めきし浮歩(うけあゆ)み、―
     ああ大和にしあらましかば、
     今日神無月、日のゆふべ、
     聖(ひじり)ごころの暫しをも、
     知らましを、身に。



   薄田泣菫「ああ大和にしあらましかば」  訳 木村真理子   


    1 ああ、大和であるからこそ、
      今、(神々が出雲に集う)陰暦(いんれき)十月、
      (葉が散って)枯枝が目立つ神奈備(かんなび)山の森の小径を、
      夜明けの露に髪を濡らし、(三輪山から)斑鳩(いかるが)へ行く。
      平群(へぐり)の大原を覆う丈 高(たけだか)い草の
      黄金(おうごん)の海に太陽が揺らめく日、
      白く埃(ちり)が積もった鴨居から、柔らかな日差しが差し込んで、
      古代の珍(めずら)しい経典の黄金文字、
      百済の緒琴(おごと)に、素焼きの祭器(さいき)、彩色された壁画を照らし、
      柱(寺院建築)の向こうに、うっとりする佇(たたず)まいを見せる。
      仏花を奉る伝統の宮、祭殿の奥に
      焚(た)かれた香は、まるで特製の吟醸(ぎんじょう)酒、
      美酒(びしゅ)の瓶から流れ出る芳香な香りに
      それこそ酔ってしまう。


    2 新しく開墾した道の、切畑(甘橿丘?)に、
      赤く色づいた蜜柑(みかん)が葉蔭に輝く日中、
      どこからともなく聞こえてくる美しい囀(さえず)り声に   
      目を移すと、ふと黄鶲(きびたき)が見えた。
      (黄鶲が)いる樹の枝に、小さい楽人(がくじん)のように
      戯れている。尾羽が身軽いので、ともすれば
      葉が漂(ただよ)うように翻(ひるがえ)り、
      垣根に、木の間に、―これはまた、野の僧の
      化身(けしん)か、夕方、寺の奥深く、響く調子の
      読経とも聴き、―今この時、静かな我が心。
      当てもなく歩く私(現代人)の
      魂にも染(し)み入る。


    3 樹々に日が暮れて、多くの扉(とびら)の(閉じられる音が)
      緩(ゆる)く軋(きし)む夢殿の夕、庭寒く、
      枯れて反リ返った落ち葉が走り去る。
      白膠木(ぬるで)、榎(えのき)、栴檀(せんだん)、
      名があるのだろうが葉広菩提樹のような木、
      風にうごめく音が、心に響く。
      石回廊の佇まい、振り返ると、
      高塔の錆び色の九輪に入日が差し、(塔の影が地に落ちて、)
      夕日に映える花をあしらった素晴らしい夕方の風景、
      まるで、墨染めの衣の裾(すそ)を地に長く曳き、
      仏典を学ぶ僧のようなその塔の(影の)歩み、―
      ああ、大和であるからこそ、
      今日、神有月(かみありづき)の陰暦十月、日の落ちる頃、
      聖(ひじり)の心の暫しをも
      知った。今、我が身に。




 詩は、泣菫が法隆寺を訪れた時、心の三昧を得た状況を詠んだものですが、キーワードは、前後に復唱される「神無月」にあります。
     前―「ああ、大和にしあらましかば、いま神無月」は、神々が出雲に集う神無月だから大和には今、神々が不在。その大和に来た、の意。
     後―「ああ、大和にしあらましかば、いま神無月」は、神々が不在のはずであったが、今日、私は三昧になった。だから、陰暦十月は神々が出雲に行って神無月と言うけれど、大和は神無月であっても神有月である、の意です。


 ※2002年末、『百年目の泣菫『暮春集』』の広告を出版社が、新聞に大きく掲載して下さったので、それをご覧になった泣菫の子孫でいらっしゃる満谷(みつたに)様からお電話を頂き、近くでもあったので、お宅にお伺いしました。
 折りしも時を同じくして、2003年初、泣菫の長女の夫の満谷昭夫様が泣菫の資料関係をまとめ『泣菫残照』(創元社)として出版され、その貴重なご本を頂いて帰りました。 
 泣菫は、西宮市分銅町に住んでいたのは知っていたのですが、こんな近くに子孫様方がいらっしゃり、しかも立派な方々でしたので、泣菫ファンの私としてはとても安心しました。
 
 

薄田泣菫「虎が雨」  

2012-03-17 00:19:25 | 薄田泣菫

 「虎が雨」は、大磯の虎女が、曽我十郎に別れる涙が変じて雨となった伝承から生まれたものですが、泣菫は同じ『暮笛集』の中の「尼が紅」にも取り入れています。
 晶子はこれらの歌を『みだれ髪』

  「111 紅(あけ)に名の知らぬ花さく野の小道(こみち)いそぎたまふ小傘(おがさ)の一人」

として踏んでいますが、この歌の解釈は普通、-春の野の小道を一人小傘を差して行く少女に、そう急がずに美しく咲いている紅い花でもご覧になって下さい、と恋に誘った歌-とされています。
 しかし、これは「虎が雨」の「そは野の草に注ぎても、花くれなゐに吹くちふを、里の少女童、年二七、若し恋ひずやと思ふ故」を踏んでいますから、訳は、
  
   (訳) (晶子の)紅い血で染められた名前の分からない花が咲く小道を、雨傘を差して行く一人の私、急いではいけません。

 となります。どういう状態で詠まれたか?が大きな問題となりますが、これは、鉄幹と駆け落ちをする為に、京都で待ち合わせをするのですが、鉄幹は晶子を京都に残し、「後から日にちを置いて来なさいと」言い残し、一人東京に帰ってしまいます。その時に詠まれた歌であり、季節は丁度梅雨だったのです。


    薄田泣菫「虎が雨」 『暮笛集』より(明治33年)  

         
 大磯の虎女曽我十郎に別る涙変じて雨となるされば五月二十八日多く雨ふるをかく名づけ来れりわれ一とせ此日此地をよぎりてよめる


    胸(むね)かはきたる人(ひと)の世(よ)に、
    此(こ)はなつかしや虎(とら)が雨(あめ)、
    われ名(な)を聞(き)いて恨みある
    世の情(つれ)なさを忘(わす)れたり。
    
    礫(つぶて)飛ぶ可(べ)きかの畔(くろ)に、
    歌(うた)うてかへる子を呼びて、
    思情(お毛ひ)や湧(わ)くと觸(ふ)れてみる
    手心(てごヽろ)さとくさぐらばや。

    そは野(の)の草(くさ)に注(そヽ)ぎても、
    花くれなゐに吹(ふ)くちふを、
    里の小女童(こめらは)、年(とし)二七(にひち)、
    若(も)し恋(こ)ひずやと思(お毛)ふ故(ゆゑ)。

    あかき涙(なみだ)のこほりたる
    情(なさけ)の雨(あめ)と名(な)を聞(き)けば、
    光(ひか)りさびしきこの夕(ゆふ)を、
    髪もしとゞに染(そめ)よかし。

    額(ひたひ)におつるしたゝりに、
    渇(かは)ける舌(した)を湿(しめ)らせて、
    色香(いろか)なき世(よ)の煩(わづら)ひを、
    しばし忘(わす)れん心(こヽろ)なり。

                        (注)漢字表記は新漢字

       
     
        薄田泣菫「虎が雨」    (訳) 木村真理子 

    
    
 大磯の虎女が、曽我十郎に別れる涙が変わって雨となったという、すなわち、五月二十八日に多く降る雨を、こう名付けられて来た。私はある年のこの日、この地を通りかかってこの詩を詠んだ。


        胸が渇(かわ)く人の世に、
        これは懐かしい虎が雨・・・。
        私はこの名を聞いて、恨みある
        世間の薄情さを思い出す。

        石を打付(ぶつ)けられるが当然の畦道(あぜみち)を、
        歌って帰る子を呼び止めて、
        情が湧くのだろうか、と(子供に)触れてみる。
        かわいい子、と頭を撫でながら・・・。
 
        その雨は、野の花に注(そそ)ぐと、
        紅い花のような血飛沫(ちしぶき)となる。
        もしも、二~七歳の少女であれば、
        恋の苦しみもないと思うから・・・。

        虎が雨は、紅い涙の凍る情けの雨、
        という由来を知れば、
        光(ひかり)乏しいこの夕暮れに、
        髪もぐっしょり濡れて歩きたい。

        額に零(お)ちる雨水に、
        渇いた舌を湿らせて、
        恋の話もない世の煩(わずら)いを、
        暫く忘れる心持ちがする。
        


 (注)『百年目の泣菫「暮笛集」』(日本図書刊行会)の訳が間違っていましたので、ここに訂正させて頂きました。