木村真理子の文学 『みだれ髪』好きな人のページ

与謝野晶子の『みだれ髪』に関連した詩歌を紹介し、現代語訳の詩歌に再生。 また、そこからイメ-ジされた歌に解説を加えます。

銅鐸解読 Ⅰ -銅鐸解読の糸口 ・ 桜ヶ丘1号銅鐸- 

2013-10-18 10:05:07 | 銅鐸解読

 

 いつもは 「みだれ髪好きな人のページ」 ですが、   祝 孫誕生として、  「銅鐸好きな人のページ」 バージョンを書いてみます。

 私のような市井のお小母さん? 違ったオバアサンの -銅鐸解読の夢物語- ではなく、 出来ればチャントシタ学問として受け継いでほしいからです。 ・・・・ 太一君が興味がなかったとしても・・・・、 こういうことを考えていた人がいる、 と知っておいてもらえたら・・・・、 こちらは、 原稿用紙に書き出してありますので、 興味のある方に、 後を考えてもらえば良いかなぁ。 

 

 「太一」 という名は、 字画数からパパママが決めたようですが、 私の父・太一君の曽祖父にも 「太」 の文字が入り、 靖太 (せいた) と言いました。 その弟が 靖仁 (せいじ)、「せいじん」さん と呼称されているようですが・・・・。 

 さて、その 「太一」 ですが、 川崎真治著 『古代日本の未解読文字』 新人物往来社 (昭和59年6月 出版) によると、京都府与謝郡加悦町 須代神社前より出土した 須恵器には、 「太一」 の漢字の文字と魚の絵がヘラ書きされていたそうです。 

 川崎先生によると、 漢語 「太一」 とは、 北極星を意味し、 それは古代メソポタミア神界での最高神、 天父神アンの中国的表現であり、 その北極星信仰が、 中国で 「太一」 信仰となり、 その信仰が、 弥生時代の丹波丹後 に伝来したという。

 また、 この須恵器に、 シナイ系アルファベット文字、 g、sh、n、b、a、l、 すなわち ガシャン・バール神 も線刻され、 先生によると、 古代日本に古代オリエントの 神々が伝来し、 その遺物として、 石・土器・土偶・青銅器等に線刻されていると説いておられ、 元来、 先生は、 比較言語学の権威でいらっしゃるから、 言葉による伝来 というものも、 提唱されておられます。 

 

 ::::  酋長オピポーの空中文字

  千葉県銚子市余山の砂浜で、 若き日の浅川利一先生(玉川大学)が縄文土器を拾われたという。  それは、 霊媒者の口寄せによって、 余山の酋長、 オピポーのものだったと判明、 ある時、 霊媒者が両手を使って、 空中に文字を書いた。  その浅川先生が筆記した文字が、 古代文字研究家の吾郷清彦先生へ送られ、 さらに川崎先生へ問い合わせて来られた、 という手話文字による古代祈願文があった。 

 私は、 吾郷先生主宰の 『日本神学』 誌 (昭和57年7月) に於いて、 『古代日本の未解読文字』 よりも先に、 この手話文字を見ていました。 (以下に示しましたが、web上なので、 正確には描けません・・・・本のページをコピーしたのですが、 見づらいので・・・・) それを、 ウル・ シュメールの楔形文字・エジプトやシナイ文字として捉え、 川崎先生が解読 されたのが、 下記に示しました。

                           

                                                        『古代日本の未解読文字』 川崎真治著 204ページより

     手話文字による古代祈願文


 

      卄  / 縦横の3本線  / 〇〇 ・ 卄   /  〇〇〇 /   井 ・ 〇〇  /  縦横の3本線 /

      ma /    (休み・文節)  /  tam  - ma   /   ešše   /   ka  -  tab    /  (休止符)     / 


 

      #  ・  井 / ↑ の下に ı  ・ 川   /  △ ・ 北(右はヒではなく、左右対称) / 祈るの人型 /  縦横の3本線  /

          ka   -   ga  /               i r            /     du  -    ma             /  祈      /    (休止符)   /


      ヒ (+ と下に -) /  縦横の3本線  /   D の 横向きのような日の出の太陽の半円 /

           奉        /   (休止符)    /          日の出の太陽             /


 

  全体の訳は、 「顕現あれ、 父なる日の神の霊よ、 託宣を(授けられんことを) 祈り、祈り、祈り、奉る、日祖神さま・・・・」 だという。

  嘗て、 大羽弘道著『銅鐸の謎』(カッパブックス 昭和49年5月) や 相馬龍夫著『日本古代文字の謎を解く』(新人物往来社 昭和49年9月) などの 「銅鐸絵解読書」 を、 興味深く読んだけれど・・・・、 鍵となる言語、 他の遺物の検証・・・・、 これが成されていなかったのではないか?  川崎先生の手話解読から古代文字として捉えられたこの 「祈願文」。 私は、 この 「祈願文」 こそ、 銅鐸絵=銅鐸絵文字として捉えられているのではないか? と思いました。 

 では、 この祈願文は、どの絵に当て嵌めたらよいのか? 単独の絵よりも、 フレーズとして捉えるのが良いように想いました。

  

   :::: 銅鐸絵 の中の 祈願文

                            

                           『銅鐸』 藤森栄一著 92ページより 

 

 思い出したのは、 藤森栄一著 『銅鐸』(学生社 昭和39年7月) の中の、 四個の同笵鐸 〔滋賀県野洲郡中洲村新庄(大坪正義氏旧蔵) ・ 出所不明(吉川氏旧蔵) ・ 出所不明(辰馬悦蔵氏蔵) 〕を持つ 鳥取県東伯郡泊村小浜池ノ谷で、 二本の青銅舌 と伴に発掘された 「胴部の狩猟農耕図と舞の上に鋳出された人物像」 (上図) の流水文鐸 です。 それ以後、 兵庫県灘区・ 桜ヶ丘1号銅鐸が発見され、 合計5個の同笵鐸があるようです。 

                                       

           桜ヶ丘の14個の銅鐸と共伴した7本の銅戈         桜ヶ丘1号銅鐸のB面 (本来は、北と東面)

            『銅鐸の世界展』 神戸市立博物館 8ページ          『国宝桜ヶ丘銅鐸・銅戈 』 神戸市立博物館 

 

    以下、 この「胴部の狩猟農耕図」 に注目し、 オピポーの祈願文を銅鐸絵に当て嵌めてみましょう。         

 

    ::::  桜ヶ丘1号銅鐸の解読

 

      祈願文 を 銅鐸絵 に当て嵌める  

     A ― 舞の部分  

 

                                          桜ヶ丘銅鐸上部・ 舞の部分

 

         中心、 舞の穴より、上部 左から右へ、 次に下部 右から下へ → 右周りに読む

            達磨の穴   / 2人  / 下図のmaと同じ図 /  頭なしの1人図  / 3 人図  /  頭なしの1人図 /

             ma       /  tam   / ma (楔形文字より)  /    (休止符)    /   ešše  /   (休止符)    /

 

            【解読】  「ma     tam ‐ ma   ešše     マ、 タム マ、 エッセ 」  

 

     B ― 身の部分

                            

                           手話文字・楔形及び古代文字 を銅鐸絵に当て嵌める

      

 図のように、  

                                             

                   du  -    ma    /  k i (祈)  /   i r     / tam  - ma   /

                  ドゥ  ‐ マ     /    キ    /  イル  /  タム ‐  マ  /


 

                 tab  - ka     / ka  -   ga  /   sh - ma   /      i r     /   s- ud-r  (日の出の太陽) /

            タァブ ‐ カ  / カ ‐ ガ  /   ス ‐ マ  /    イル    /  スゥドゥラ  (日の出の太陽) /

 

  そして、ここでは 銅鐸の舞が ma(マ)であり、・・・・達磨さんのマですよね。  以下のような という祈願文になるのではないか? と想いました。

           【解読】  「 マ、 タムマ、 タァブカ、 カガ、 スマイル、 スゥドゥラ、 ドゥマ、 キ、 イル 」

 

   「 s- ud-r  (日の出の太陽・シュメール語)」 は、 桜ヶ丘1号銅鐸では、 「イモリ・ 小蛙? ・大蛙?」 という組み合わせでしたが、 桜ヶ丘5号銅鐸では、 蟷螂(ud)-蛙(r)- アメンボウ(s)」→ 「s - ud- r 」 の絵画なのですが、・・・・ 土佐明美出土の弥生土器片文字にも例がある。 ( ud は、楔形文字が蟷螂の絵となる ) 

            ud     ウドゥ            ー 太陽。 日。(ウル・シュメール語)

             p-ad-da   パッダ・ア   ー 日祖神 (ウル・シュメール語)    

                    バッタ(蟷螂)の絵 ー 拝み(オガミ) →  パッダ (日祖神)

 

     C ― 地名を導き出す

  さて、 ここで終わってもよかったのですが・・・・、 もう少し踏み込んで、 これを スゥドゥラ国 ・邪馬台国(ヤンパッダ・ヤンマッタ 国)の地名に当て嵌めたら、どうなるのか? を考えてみることにしました。

         du  - ma    /    k i  (祈) ・臼を搗く絵    /      i r       /  tam - ma   /

            祈り     / 紀州 ・ 杵築(楯縫(F)出雲)  / 和泉 ・ 摂津  / 但馬 ・ 丹波 /    

     

         tab -ka ・鹿を射る絵 / ka  -   ga   /    sh - ma    /    i r     /     s- ud-r      /  

          多賀 ・  伊賀   /   加賀    / 須磨 (祈る)   /  祈る    / 日の出の国 (日本)/      

 

           【訳】 お祈り申し上げます(ドゥマ、キ、奉(タテ))。  紀州、 杵築、 和泉、摂津、 但馬、 丹波、 多賀、 伊賀、 加賀、 須磨国を含む邪馬台国は、 日の出の太陽神に(託宣を) 祈り、 お祈り申し上げます。    (注; 地名は、試作したものす。)

 

  以上、 川崎真治先生の 基幹となる比較言語学のグリムの法則とか、音便変化とか、派生とか、 私も難しいので、 興味のある方は、『古代日本の未解読文字』を参照して下さい。  

  

   :::: 太一君のパパのお母さんが、 つまり向こうのお祖母さまが、 宮参りの時の着物を持って来て下さったのですが、 良く見ると、その家紋がすごく珍しい紋で、 ・・・・ それって・・・・ 楔形文字の 「ma」 を意匠化した紋なんじゃないかな? と想いました。 「マ、 タム、 マ」 の「マ」かもね?  お正月に行った時に写真撮ってきてと、 娘に頼んだので、 又、 いつか紹介出来ると思います。

 なんだか急に、 銅鐸解読の方にいってしまいましたが、 ちょっと 「みだれ髪」 をどうしようか?  とても晶子の知識量には追いつかない!  等と考えている所で、 ・・・・ 銅鐸解読を交えて、 今後、・・・・「みだれ髪」 も同時並行にしようかなぁ・・・・。私の体調があまり良くないので、・・・・ 新しいことが考えられないからですが、 体調次第、 ということで、 お許し下さい。