木村真理子の文学 『みだれ髪』好きな人のページ

与謝野晶子の『みだれ髪』に関連した詩歌を紹介し、現代語訳の詩歌に再生。 また、そこからイメ-ジされた歌に解説を加えます。

北村透谷「楚囚之詩」 訳

2012-05-01 08:54:50 | 北村透谷

 

      北村透谷「楚囚之詩」     (訳)  木村真理子

 第1

      以前、 誤って法を破り                 政治の罪人として捕らえられ、

      私と生死を誓った血気盛んな同士の        数ある内の、私はその首領である。

          (獄舎)の中に、 私の最愛の             まだ蕾の花のような少女も、

          国の為として共に立ち上がり、             この私・・・・花婿も、花嫁も囚われの身。

 第2

      私の髪は何時の間にか伸び、             額を覆い、 眼を遮り、 重苦しく、

      私の肉は落ち、 骨は出、 胸は枯れて、      沈み、 萎(しお)れ、 縮み、 ああ鬱陶(うっとう)しい。

          歳月を重ねた訳ではなく、                また疾病に苦しんだ訳でもなく、

          浦島太郎の帰郷に                     似ているということでもない。

      私の口は渇き、 私の眼は窪み、                以前、世を動かす弁論を吐いたこの口も、

          以前、永遠を見通したこの口も、        もはや今は・・・・、 口は腐った空気を呼吸し、

      眼は限られた暗い壁を睨み、              さらに腕は曲がり、 足は萎(な)えている。   

      ああ、 悲しき囚人!  世の太陽は遠い!     ああ、 これは何の罪か?  

          ただ、 国の前途を策略したのみ!      ああ、 これは何の結果か?  

          この世の人々に、 尽くしただけ!           しかし、 独り私だけではなく、

      私の祖父は戦いで骨を野に晒し、            私の父も国の為に命を捨てた。                  

      私は、 私の代に哀しき囚人となって、         常に母と離れている。    

 第3  

      獄舎!  私が迷い込んだ獄舎は、          二重の壁に世界と隔たっている。

      しかし、 その壁の隙間や穴から            行き場を失い、 入り込む日光もあり、

      私の蒼ざめた腕を照らそうと               壁を伝い、 私の膝の上までやって来る。     

        心なく頭を上げて見れば、                この獄舎は広く、 そして空しく、

      中に四つの仕切りが境となって、            四人の罪人が揃い――

      以前、 生死を誓い合った仲間等が、          無残にも狭い檻に繋がれて!

      彼等は、山頂にいる鷲である。               

           自由に高い樹々の上を舞い、              また、 自由に青天を旅し、

           一度は山野に威厳を示し、                荒々しい熊を恐れさせ、

           湖上の毒蛇の巣を襲い、                 世に畏れられた者達なのに・・・・

           今はこの檻に繋がれている。

      四人は一室に居ながら                  話す事を許されず、

      四人は同じ想いを持ちながら              それを伝える事さえ許されない。

      各自限られた場所以外へは、              足を踏み出す事が出来ない。

           ただ意志が通じる者としては、              同じため息が出る。

 第4

          四人の中にも、 美しく                   若い・・・・我が花嫁、

          その頬の色は消え失せ、                 顔色が取り立てて悲しい!

          ああ、 私の胸を打つ                   その物思う目付き!          

      彼女と私は故郷が同じで、                京都に出て、 琵琶湖を後にし、

      濃尾平野の沃野を過ぎて、 浜名湖に着き、      富士山の麓に出て、 

      箱根を越し、                          ついに、 花の都の東京に着いた。

      愛と言い、 恋と言うには気恥ずかしいが、      我等二人の愛は本物であり、

      花の美しさは、 美しいけれど、              我が花嫁の美は、 その心にある。

      梅の枝に囀る鳥は、 多情であり、            私の愛情も、 ただ赤い情熱である。

      彼女の柔らかい手は私の肩にあって、         私は幾度か、 神に祈りを奉げた。

           しかし、 薄情にも風に妬まれて、             愛の希望も花も萎び、    

           一夜の契りも結ばず                      花婿と花嫁は獄舎に居る。

           獄舎は狭く、                           狭い中にも両世界――!

      かなたの世界に、 私の半身を置き、               こなたの世界に、 私の半身を置く。

      かなたが現実か、 こなたが現実か?             私の魂は日夜、 ひとり迷う!

 第5 

      後の三人は、 少年の同士である。            東北地方、 或は中国地方の出身者であり、

      彼等は同士の中でも、 私が愛する            真に勇敢な少年である。

      しかし見よ、 彼等の縛られている腕を!         さすがに、 怒りの表情は見せてはいないが――

      怒りの色! 何を怒ってのこと?                   自由の神は世には居ない。

      とは言え、 なお、 彼等の魂は縛られず、        豪快に遠き近き山河を舞う。

      あの富士山の頂に、 君等の魂は留まり、         雲に乗り、 月と戯れる。

      ああ、どうして、 汚いこの獄舎の中に、          君等の清浄な魂が、 片時も居ることが出来ようか!

      こう言う我が魂も、 獄中に居ず、              日々、 夜毎に、 軽く獄窓を越えて、

      私の愛する少女の魂と共に、                 昔、 二人で行った花園に舞い行く。

      塵もなく、 汚れもなき地上に這う紫の菫や、    その名も奥床しい“ for get me not ”忘れな草、

      その他色々な花を優しく摘み                 一房は、 私の胸に挿し、

      他の一房は、 私の愛する・・・・我が恋人に・・・・       エッ! これは夢!

      見て! 我が花嫁はこちらを向く!              この痛ましい姿!

           ああ、 ここは獄舎                        この世の地獄。

 第6

      世界の太陽と獄舎の太陽とは異なり、           その中には昼と夜の区別が少ない。

      なぜ・・・・私は昼、 眠ることを習慣とし、          夜の静かな時に目覚めているのか。

      ある夜、 私は一時のうたた寝から起き上がり、      眠たい目を強いて開いて見廻すと、

      暗さはいつもの様に暗いけれど、               射し入る、 ぼんやりとした光・・・・これは月!

      月と知れば、 私の胸に常に思う想いがある。            仮に、 「今日の月は昨日の月か?」 と問えば、

      yes. 「踏んでも、 消しても、 消えない光明の月」。   

      ああ、 遠い昔、 少年の頃・・・・富士登山をし、      その頂上で、 間近に見た美しい月  

      美の女王!  また隅田川に舟を浮かべ、          満開の桜の中にも、 その姿を慕った。

           同じ月!  しかし私には見えず、               同じ光!  しかし私には届かない。

           呼んでも、 招いても・・・・                     月よ!  もう我が友ではない。  

 第7

      牢番は疲れて快く眠り、                     小水の想いが過(よ)ぎる。

      意中の恋人は、 私の目覚めを知らない・・・・        眠りの極楽・・・・今、 彼女は快く眠り、             

      ああ、 二枚の毛布の寝床にも                 この天女の眠りは安らかだ!

      私は、 幾度も足を踏み鳴らし、                 恋人の眠りを覚まそうとしたが、

      しかし、 安らかに眠っているものを              目覚めさせて、 現実に戻してはいけない。

      私は、 目を鉄窓の方へ向け、                 行くともなく窓の下へ行った。

      逃げ道を見付ける為ではなく、                 ただ、 足に任せてやって来た。

           もれ入る月の光                          まあ、 その姿の懐かしいこと!       

 第8

      想いは迸(ほとばし)り、過ぎた昔は日々新しい。      あの山、 あの水、 あの庭、 あの花に、 我が心を残し・・・・

      あの花!  私と、 私の母と、 私の花嫁と、        皆で植えた花にも別れてしまった。

      思えば・・・・別れを告げる暇さえなかった。          誰に気遣うこともないけれど、 偲んで

      私は獄窓の下に身を近づけ、                  何でもよいから、 何かがやって来る様にと願う。

      待つ事に喜びがある! ・・・・これは何の香りか?     流れ来る懐かしい菊の香!

      私は思わず鼻を動かす。                     これは我が家の庭の菊の香、 私を忘れないで

      遠く西の都まで、私を見舞いにやって来た。              

           ああ、 私を想う友!           叶うなら、 この香り          我が手に触れてみたい。       

 第9

      またある朝、 遅く目覚めると、                  高く壁を伝って差し込む日の光

      私は、 先ず我が花嫁の方に眼を遣ると、           これはどうしたことか!  影も形もない我が花嫁!

      きっと彼女は、 他の獄舎に送られたに違いない。      私が眠っている間に、 移されたに違いない。

      だとしたら、 哀れなこと! 一目なり一言なりと・・・・     (何しろ、 言葉を交わす事が許されないから)     

      別れの sign を交わす事も叶わなかった!         三人の同士も皆、 影も形もない。

      独り、 この広間に私を残して・・・・                朝寝で見た夢が偽りではなかった。

           ああ、 偽りの夢! 皆行ってしまった!     行ってしまった、 我が愛も!      また、 同士の親友も!

 第10

      疲れて、 記憶も歳月も、 皆行ってしまった。         寒くなり熱くなり、 春、 秋、 と過ぎ、

      暗さ気だるさにも、私は感情を失って              今はただ、 膝を抱え込む事のみ。

      罪も希望も、 世界も星々もすべて尽き、            私には、 あらゆるもの皆・・・・無に還り

      ただ寂しく・・・・微かな呼吸――                       生死の闇の響きがする。

      甘い愛の花嫁も、 身を投げた思想も              忘れ果て、 もう夢とも現実とも・・・・

      ああ、 数歩(すうほ)歩めば壁!                 三回廻れば疲れる、 さすがに我が足も!

 第11

      私には、昼と夜の区別がない。                  しかし、 私の弱った耳にも聞こえる

      暁の鶏や、 夕暮れに巣に帰る鳥の声、            とは言うものの、 想像しているだけだが・・・・

      ある夜、 私は早くから木の枕を窓の下に近づけ、      眠りの神を招くが、

      まだこの疲れた脳は休まらず、                  半分眠り―― 同時に死んで、 また半分は

      生きている――とは願わないのだが・・・・           突然、窓を叩いて私の魂を呼ぶ者がある。

      憎らしくも、 私は行ってしまった花嫁を思い出し、      弱くなった腰を上げ、窓に飛び上がろうとした。

      これは何! 何者・・・・私の顔に何かが当たった!     思いもよらず、 幾歳月の久し振りに、

      始めて外界の生物が見舞いにやって来た。          彼は獄舎の中を狭いと思わず、

      梁の上、 梁の下、 自由自在に飛び廻る。          有能な友であるが、 太陽に嫌われている蝙蝠。

      獄舎の中を嫌がらず、 退屈な私を訪れて来た。      これは、我が花嫁の化身か? と想ってみると、

      ああ、 約束した事、 望んだ事はやって来ず、         忌まわしい形を仮りて、 私を慕って来るとは!

      いかにも哀れな! 蝙蝠を追い出さないでおこう。

 第12

      私には、 粗末な衣類だけなので、                これを脱ぎ、 蝙蝠に投げ与えると、

      彼は歓んで衣類と共に床に落ちた。                私は這い寄って、これを取り押さえると、

      蝙蝠は、 さも悲しい声で鳴く。                    なぜなら、 彼はやはり、 自由な身であるから・・・・

      恐れるな! 捕らえる人は自由を失っている。          君を捕らえるには・・・・野心は消えてしまっている。

      ああ! これは一匹の蝙蝠!                    私の花嫁が、こんな醜い顔では!

      しかし、 私は彼を逃がさず、                         「何しろ」・・・・この生物は、 私の友となり得るから、

          「よし」・・・・暫く、 獄中に留めておこう。          しかし、 どうしょう? 彼を留めておくには?

      この一獣を留めておくにも、 私には無力だろうか?      可哀想に! この獣には、 まだ自由がある。                    

           私は彼を放した。          自由の獣・・・・彼は喜んで、        素早く獄舎を逃げ出した。

 第13

      恨みに思うのは、 昔の記憶が消えないこと。           若かりし時・・・・その楽しい故郷!

      暗き風景の中にも、 回想の想いは明るく、             その風景の中にも、 生きている人々がいる!

      雪を被った冬の山、 霞に包まれた渓谷、              変わることのない其の美しさは、 昨日も今日も、

      ――我が身独りの行く末が・・・・どの様に                   世間と共に変わろうとも!  

      ああ、 青天! まだそこに鷹は舞っているのか?         ああ、 深淵! まだそこに魚は躍っているのか?

           春? 秋? 花? 月?                      これ等のものが、まだ在るだろうか?

      昔、 私が恋人と散歩した                        楽しかった野山は、 どうなっているだろうか?

      摘んだ野の花は?  渓(たに)のせせらぎは?               ああ、 これ等は、 私の最も親愛なる友である!

           有る――無し――の答えではなく、                   常に私の想像は clear 、

           羽があれば帰りたい、 もう一度、                    貧しく平和な、昔の我が故郷。

 第14

      冬は厳しく、 私を悩ませる。                       壁に射す日光も温かさを伝えず、

      日は短い! そして夜は非常に長い!                寒さが瞼を凍らせ、 眠ることも成らない。

      しかしいつか、 春は必ず戻ってくる。                 後悔することがなくても、 運命を切り開く望みに、

      ただ何となく、 春は待ち焦がれる想いがする。           私は獄舎の中より春を招こう、 高き空に。

      ついに私は、春が来たのを告げられた。                鶯に! 鉄窓の外に鳴く鶯に!

      私は、 そこにどんな樹があるのか知らないが、           梅? 梅ならば、 香りが風に運ばれるだろうに。

      美しい声!  「おーい 鶯よ!」                     私は飛び起きて、

      かろうじて鉄窓に攀じ登ると――                    鶯はこの音に驚かず  

      静かに、 獄舎の軒に止まった。                     私は再び疑い出した・・・・この鳥こそは

      真に、 愛する妻の化身であると。                     

      鶯は、私の亡霊のような姿に                       飛び去ろうとはしないで、

      再び歌いだした。 その声の清々しさよ!                私の幾歳月の憂さを払って・・・・、

      君の美しい衣は、 神の恵みであり、                   君の美しい調子も、 神の恵みである。

      君がこの獄舎に足を留めるのも                      また神の・・・・これは私に与えられた恵みである。

           そう! 神は鶯を送って                      私の心を慰める篤き心である!           

           ああ、 夢に似て、 まだ夢ではない。              私の身にも、 神の慈悲は及ぶだろう。

      想うのに・・・・我が妻は、 この世に在るだろうか?          彼女が、もし死んでしまっていたなら、 この鶯が化身だろう。

      我が愛は、 また同様に獄中を彷徨っているのか?          もしそうなら、 この鳥こそ彼女の魂の化身である。

      自由、 高尚、 美妙な彼女の精神が                   この美しい鳥に化したのは、 道理である。

      こうして、 再び私の憂いを慰めに来る――               誠の愛の友! 私の眼に涙が満ち溢れる。

 第15

       鶯は再び歌い出した。                             私はその歌の意味を解くことが出来る。

      百種の言葉を聴き取れば、                         すべて私を慰める愛の言葉である!

      俗世より、 あるいは天国より来たのか?                私には神の使いである、 とのみ想える。

      ああ、 そうではあるが! その慣れた様子は             まるで籠の中より逃げて来たような――

           もしそうであるなら・・・・私を憐れんで                  来たのだろうか、 私の伴になろうと思って?

      鳥の愛! 世間に捨てられた我が身でも!               鶯よ! 君は鳥籠を出たけれど、

      私は死に至るまでは許されない!                     私を泣かせ、 また喜ばせるけれど、

      君の歌は、 私の不幸を救う事が出来ない。              我が花嫁よ、・・・・いいや鶯よ!

           おお悲しい、 彼女は逃げ去った。                    ああこれもまた、 浮世の動物である。

      もし我が妻ならば、なぜ逃げる事があろうか!             再びこの寂しさに残して、

      この悲惨な墓場に残して                           ――暗く、 空しい墓場――

      そこには腐った空気、                             湿った冷たい床。

      私は、 ここを墓場と決めた。                        生きながら、 すでに葬られている。

          死は、 神よ、 何時来る?     永く待つ人を、待たすなよ、      私は誓って、 神に罪を犯した事はない!

 第16

      鶯は、 私をすてて去り、                         私は更に、 憂鬱になる。    

      春の都は?                                 確かに、 都は今が花盛り!

          この様に想像をしている最中                  久し振りに獄吏が入って来た。

      ――ついに、 私は許されて、                     大赦の恩恵を受け、 釈放された。

      門を出ると、 多くの朋友が集まり、                  私を迎えにやって来た。

      その中でも、私の最愛の花嫁は、                   走って来て、私の手を握った。

      彼女の眼にも、私の眼にも同じ涙があふれ、            また多くの朋友が喜んで踊り上がった。

      先程の可愛い鶯も、 ここに来て、                    もう一度美しい調べを、皆に聞かせた。