木村真理子の文学 『みだれ髪』好きな人のページ

与謝野晶子の『みだれ髪』に関連した詩歌を紹介し、現代語訳の詩歌に再生。 また、そこからイメ-ジされた歌に解説を加えます。

北村透谷「楚囚之詩」

2012-05-04 08:45:43 | 北村透谷

 

        北村透谷「楚囚之詩」       (明治二十二年)     

 

 第一  

     嘗(か)つて誤つて法を破り                     政治の罪人(つみびと)として捕はれたり、

     余と生死を誓ひし壮士等の                     数多(あまた)あるうちに余は其首領なり,

          中(なか)に, 余が最愛の                     まだ蕾の花なる少女も、

          国の為とて諸共に                           この花婿も花嫁も。  

 第二      

     余が髪は何時(いつ)の間(ま)にか伸びていと長し、      前額(ひたひ)を蓋(おほ)ひ眼を遮(さへぎ)りていと重し、

     肉は落ち骨出で胸は常に枯れ、                   沈み、 萎(しを)れ、 縮み、 あゝ物憂し、

            歳月(さいげつ)を重ねし故にあらず、              又た疾病に苦む為ならず,

            浦島が帰郷の其れにも                       はて似付かふもあらず,

     余が口は涸(か)れたり、 余が眼は凹(くぼ)し、

     嘗つて世を動かす弁論をなせし此口も,               嘗つて万古を通貫したるこの活眼も、

     はや今は口は腐れたる空気を呼吸し                 眼は限られたる暗き壁を睥睨(へいげい)し  

     且つ我腕は曲り、 足は撓(た)ゆめり,                嗚呼(あゝ)楚囚!  世の太陽はいと遠し!

     噫此は何の科(とが)ぞや?                       たゞ国の前途を計りてなり!

     噫此は何の結果ぞや?                          此世の民に尽したればなり!

          去れど独り余ならず、

     吾が祖父は骨を戦野に暴(さら)せり、                 吾が父も国の為めに生命(いのち)を捨たり,                 

         余が代(よ)には楚囚となりて、                     とこしなへに母に離るなり。

 第三

     獄舎(ひとや)!  つたなくも余が迷入れる獄舎(ひとや)は,   二重(ふたへ)の壁にて世界と隔たれリ 

     左れど其壁の隙(すき)又た穴をもぐりて                 逃場を失ひ、 馳込む日光もあり、

     余の青醒(あをざ)めたる腕を照らさんとて                壁を伝ひ、 余が膝の上まで歩寄(あゆみよ)れり。

     余は心なく頭を擡(もた)げて見れば、                   この獄舎(ひとや)は広く且(かつ)空しくて、

     中に四つのしきりが境となり、                        四人の罪人(つみびと)が打揃ひて――

     嘗つて生死を誓ひし壮士等が、                       無残や狭まき籠に繋れて!

     彼等は山頂の鷲なりき、                            自由に喬木の上を舞ひ、

     又た不羈(ふき)に晴朗の天を旅(たび)し、                ひとたびは山野に威(ゐ)を振ひ,

     慓悍なる熊をおそれしめ、                           湖上の毒蛇の巣を襲ひ

     世に畏(おそ)れられたる者なるに                      今は此籠中に憂き棲ひ!

     四人は一室(ひとま)にありながら                      物語りする事は許されず,

     四人は同じ思ひを持ながら                          そを運ぶ事さえ容(ゆる)されず,

     各自(かくじ)限られたる場所の外(ほか)へは              足を踏み出す事かなはず、

          たゞ相通ふ者とては                               同じ心のためいきなり。

 第四

                四人の中にも、   美くしき                          我花嫁・・・・  いと若(わ)かき    

          其の頬の色は消失(きえう)せて                       顔色の別(わ)けて悲しき!

          嗚呼余の胸を撃(う)つ                             其の物思はしき眼付き!

     彼は余と故郷を同じうし、                            余と手を携へて都へ上りにき――

     京都に出でゝ琵琶を後(あと)にし                       三州の沃野(よくや)を過(よぎ)りて、 浜名(はまな)に着き、

     富士の麓に出でゝ函根を越し、                         遂に花の都へは着(つき)たりき,

     愛といひ恋といふには科(しな)あれど、                    吾等双個(ふたり)の愛は精神(たま)にあり、

     花の美くしさは美くしけれど、                           吾が花嫁の美(び)は、 其蕊(しべ)にあり,

     梅が枝(え)にさへづる鳥は多情なれ、                    吾が情はたゞ赤き心にあり,

     彼れの柔(よわ)き手は吾が肩にありて、                   余は幾度(いくたび)か神に祈を捧(さゝげ)たり。     

     左れどつれなくも風に妬(ねた)まれて、                         愛も望みも花も萎れてけり, 

     一夜の契りも結ばずして                             花婿と花嫁は獄舎(ひとや)にあり。

          獄舎(ひとや)は狭し                                狭き中にも両世界(りやうせかい)――!

     彼方の世界に余の半身(はんしん)あり、                    此方の世界に余の半身あり、

     彼方が宿(やど)か此方が宿か?                        余の魂(たま)は日夜(にちや)独り迷ふなり!

 第五

     あとの三個(みたり)は少年の壮士なり、                    或は東奥、 或は中国より出でぬ、

     彼等は壮士の中にも余が愛する                         真に勇豪なる少年にてありぬ,

     左れど見よ彼等の腕の縛らるゝを!                       流石(さすが)に怒れる色もあらはれぬ――

     怒れる色!  何を怒りてか?                               自由の神は世に居(ゐ)まさぬ!

     兎(と)は言へ、 猶ほ彼等の魂(たま)は縛られず、             磊落(らいらく)の遠近(をちこち)の山川に舞ひつらん、

     彼の富士山の頂(いたゞき)に汝の魂は留りて、                雲に駕(が)し月に戯れてありつらん、

     嗚呼何ぞ穢(きた)なき此の獄舎の中に、                    汝の清浄なる魂が暫時(しばし)も居(を)らん!

     斯(か)く云ふ我が魂も獄中にはあらずして                   日々(ひび)夜々(やや)軽るく獄窻を逃伸びつ

     余が愛する少女の魂も跡を追ひ                          諸共に、昔の花園に舞ひ行きつ

     塵(ちり)なく汚(けがれ)なき地の上にはふ(ママ)バイヲレツト 

     其名もゆかしきフオゲツトミイナツト                       其他種々(いろ〃)の花を優(やさ)しく摘みつ

     ひとふさは我胸にさしかざし                            他のひとふさは我が愛に与へつ

     ホツ!   是(こ)は夢なる!                           見よ!   我花嫁は此方を向くよ!      

     其の痛ましき姿!

         嗚呼爰(ここ)は獄舎(ひとや)                             此世の地獄なる。

 第六

     世界の太陽と獄舎の太陽とは物異(ものかは)れり              此中には日と夜との差別の薄かりき、

     何(な)ぜ・・・・余は昼眠(ね)る事を慣(なれ)として              夜の静(しづか)なる時を覚め居(ゐ)たりき,

     ひと夜(よ)。  余は暫時(しばし)の座眠(ざすゐ)を貪りて         起き上り、厭(いと)はしき眼を強ひて開き

     見廻せば暗さは常の如く暗けれど、                        なほさし入るおぼろの光・・・・是れは月!

     月と認(み)れば余が胸に絶えぬ思ひの種(たね)、             借に問ふ、今日(けふ)の月は昨日(きのふ)の月なりや? 

          然り!  踏めども消せども消へぬ明光(ひかり)の月,    

     嗚呼少(わか)かりし時、 嘗つて富岳(ふがく)に攀登(よぢのぼ)り、   近かく、其頂上(いただき)に相見たる美くしの月

      美の女王!  嘗つて又た隅田に舸(ふね)を投げ、            花の懐(ふところ)にも汝とは契をこめたりき。

          同じ月ならん!  左れど余には見えず,                    同じ光ならん!  左れど余には来らず,

              呼べど招けど、   もう                           汝は吾が友ならず。

 第七

      牢番は疲れて快(よ)く眠り,                            腰なる秋水のいと重し,

      意中の人は知らず余の醒(さめ)たるを・・・・                  眠の娯楽・・・・尚ほ彼はいと快(こころよ)し

      嗚呼二枚の毛氈(もうせん)の寝床(とこ)にも                 此の神女の眠りはいと安し!

      余は幾度も軽るく足を踏み、                            愛人の眠りを攪(さま)さんとせし,

      左れど眠りの中に憂(うさ)のなきものを、                    覚(さま)させて、 其(そ)を再び招かせじ,

      眼を鉄窻の方に回(か)へし                            余は来るともなくそう窻下(そうか)に来れり             

      逃路を得んが為ならず                               唯だ足に任せて来りしなり 

      もれ入る月のひかり                                 ても其姿の懐かしき!

 第八

     想ひは奔(はし)る、  往きし昔は日々に新なり                彼山、 彼水、 彼庭、 彼花に余が心は残れり,

     彼の花!   余と余が母と余が花嫁と                     もろともに植ゑにし花にも別れてけり,

     思へば, 余は暇(いとま)を告ぐる隙(ひま)もなかりしなり。

     誰れに気兼(きがね)するにもあらねど、 ひそひそ              余は獄窻の元に身を寄せてぞ

     何にもあれ世界の音信(おとづれ)のあれかしと                待つに甲斐あり!   是は何物ぞ?

     送り来れるゆかしき菊の香(かをり)!                      余は思はずも鼻を聳えたり,

     こは我家(わがや)の庭の菊の我を忘れで,                  遠く西の国まで余を見舞ふなり,

          あゝ我を思ふ友!             恨むらくはこの香(かをり)              我手には触れぬなり。

 第九

     またひとあさ余は晩(おそ)く醒(さ)め、                      高く壁を伝ひてはひ登る日の光(め)

     余は吾花嫁の方に先づ眼を送れば、                       こは如何に!    影もなき吾が花嫁!

     思ふに彼は他の獄舎に送られけん、                        余が睡眠(ねむり)の中に移されたりけん、

     とはあはれな!  一目なりと一せきなりと、                  (何ぜ、 言葉を交(か)はす事は許されざれば)

     永別(わかれ)の印(しるし)をかはす事もかなはざりけん!

     三個(みたり)の壮士もみな影を留(と)めぬなり、                ひとり此広間に余を残したり,

     朝寝の中に見たる夢の偽なりき,                         噫偽りの夢!  皆な往けり!

          往けり、   我愛も!                                また同盟の真友も!

 第十

     倦(う)み来りて、 記憶も歳月も歳月も皆な去りぬ、              寒くなり暖(あつ)くなり,  春,  秋, と過ぎぬ,

     暗さ物憂さにも余は感情を失ひて                         今は唯だ膝を組む事のみ知りぬ,

     罪も望みも、  世界の星辰も皆尽きて、                     余にはあらゆる者皆,・・・・無(む)に帰して

     たゞ寂寥, ・・・・微(かす)かなる呼吸――                    生死の闇の響(ひゞき)なる,

     甘き愛の花嫁も、 身を擲(なげう)ちし国事も                  忘れはて、 もう夢とも又た現(うつつ)とも!

     嗚呼数歩を運べばすなはち壁,                          三回(みたび)まはれば疲る、  流石に余が足も!

 第十一

     余には日と夜との区別なし、                             左れど余の倦(うみ)たる耳にも聞きし、

     暁(あけ)の鶏(にはとり)や、また塒(ねぐら)に急ぐ烏(からす)の声、   兎は言へ其形・・・・想像の外(ほか)には嘗つて見ざりし。

     ひと宵(よひ)は早くより木の枕を                          窻下に推し当て、 眠りの神を

     祈れども、 まだこの疲れたる脳は安(やすま)らず、             半分(なかば)眠り――且つ死し、 なほ半分(なかば)は

     生きてあり、 ――とは願はぬものを。

     突如(とつじよ)窻を叩いて余が霊を呼ぶ者あり                 あやにくに余は過にし花嫁を思出たり、

     弱き腰を引立て、 窓に飛上らんと企てしに、                  こは如何に!  何者・・・・余が顔を撃(うち)たり!

     計らざりき、 幾年月の久しきに、                          始めて世界の生物(せいぶつ)が見舞ひ来れり。

     彼は獄舎の中を狭しと思はず、                           梁(はり)の上梁の下俯仰自由に羽(は)を伸ばす、

     能(よ)き友なりや、 こは太陽に嫌はれし蝙蝠(かうもり)、          我無聊(ぶれう)を訪来れり、  獄舎の中を厭はず,

     想ひ見る!  此は我花嫁の化身ならずや                    嗚呼約せし事望みし事は遂に来らず、

     忌はしき形を仮りて、 我を慕い来(く)るとは!                 ても可憐(あはれ)な!  余は蝙蝠を去らしめず。

 第十二

     余には穢(きた)なき衣類のみならば,                       是を脱ぎ,  蝙蝠に投げ与ふれば、

     彼は喜びて衣類と共に床(ゆか)に落たり、                    余ははい寄りて是を抑(おさ)ゆれば、

     蝙蝠は泣けり、 サモ悲しき声にて、                        何ぜなれば、 彼はなほ自由を持つ身なれば,

     恐るゝな!  捕ふる人は自由を失ひたれ、                    卿(おんみ)を捕ふるに・・・・野心は絶えて無ければ。

     嗚呼!    是(こ)は一の蝙蝠!                         余が花嫁は斯(かゝ)る悪(に)くき顔にては! 

    左れど余は彼を逃げ去らしめず、                           何ぜ・・・・此生物は余が友となり得れば、

    好し・・・・暫時(しばし)獄中に留め置かんに、                   左れど如何にせん?  彼を留め置くには?

    吾に力なきか、此一獣を留置くにさへ?                      傷(いた)ましや!  なほ自由あり、 此獣(けもの)には。

          余は彼を放ちやれり、         自由の獣・・・・彼は喜んで、         疾(と)く獄窻を逃げ出たり。

 第十三  

    恨むらくは昔の記憶の消えざるを、                         若き昔時(むかし)・・・・其の楽しき故郷!

    暗らき中にも,  回想の眼はいと明るく、                     画と見えて画にはあらぬ我が故郷!

    雪を戴(いただ)きし冬の山, 霞をこめし渓(たに)の水,           よも変らじ其美くしさは,  昨日と今日、

         ――我身独りの行末が・・・・如何に                        浮世と共に変り果てんとも!

    嗚呼蒼天!  なほ其処に鷲は舞ふや?                     嗚呼深淵!  なほ其処に魚は躍るや?

          春?   秋?   花?   月?                    是等の物がまだ存(あ)るや?

    嘗つて我が愛と共に逍遥せし、                           楽しき野山の影は如何にせし?

    摘みし野花?  聴きし渓(たに)の楽器?                    あゝ是等は余の最も親愛せる友なりし!

    有る――無し――の答は無用なり,                        常に余が想像には現然たり,

         羽あらば帰りたし, も一度、                             貧しく平和なる昔のいほり。

 第十四

    冬は厳(きび)しく余を悩殺す,                            壁を穿つ日光も暖を送らず,

    日は短し!  して夜はいと長し!                         寒さ瞼(まぶた)を凍らせて眠りも成らず。

    然れども,  いつかは春の帰り来らんに、                    好し, 顧みる物はなしとも, 破運の余に、

    たゞ何心なく春は待ちわぶる思ひする,                      余は獄舎の中より春を招きたり,  高き天(そら)に。

    遂に余は春の来るを告られたり,                          鶯に!  鉄窻の外に鳴く鶯に!

    知らず、 そこに如何なる樹があるや?                      梅か? 梅ならば、 香(かをり)の風に送らる可きに。

    美くしい声!   やよ鶯よ!                             余は飛び起きて,   

    僅に鉄窻に攀ぢ上るに――

    鶯は此響(このひゞき)には驚ろかで,                       獄舎の軒にとまれり,  いと静に!

    余は再び疑ひそめたり・・・・此鳥こそは                      真に,  愛する妻の化身ならんに。       

    鶯は余が幽霊の姿を振り向きて                           飛び去らんとはなさずして

    再び歌ひ出でたる声のすゞしさ!                          余が幾年月の鬱(うさ)を払ひて。

    卿(おんみ)の美くしき衣は神の恵みなる,                    卿の美くしき調子も神の恵みなる,

    卿がこの獄舎に足を留(と)めるのも                        また神の・・・・是(こ)は余に与ふる恵みなる,

    然り!  神は鶯を送りて,                              余が不幸を慰むる厚き心なる!

    嗚呼夢に似てなほ夢ならぬ,                             余が身にも・・・・神の心は及ぶなる。

    思ひ出す・・・・我妻は此世に存(あ)るや否?                   彼れ若し逝きたらんには其化身なり、

    我愛はなほ同じく獄裡に呻吟(さまよ)ふや?                   若し然らば此鳥こそ彼れが霊(たま)の化身なり。

    自由、 高尚、 美妙なる彼れの精霊(たま)が                  この美くしき鳥に化せるはことわりなり,

    斯くして、 再び余が憂鬱を訪ひ来る――                      誠(まこと)の愛の友!  余の眼に涙は充ちてけり。

 第十五

     鶯は再び歌ひ出でたり、                                余は其の歌の意を解(と)き得るなり,

    百種の言葉を聴き取れば、                              皆な余を慰むる愛の言葉なり!

    浮世よりか、将(は)た天国より来りしか?                     余には神の使とのみ見ゆるなり。

    嗚呼左りながら! 其の錬(な)れたる態度(ありさま)              恰かも籠の中より逃れ来れりとも――

    若し然らば・・・・余が同情を憐みて                         来りしか、 余が伴(とも)たらんと思ひて?

    鳥の愛! 世に捨てられし此身にも!                       鶯よ! 卿(おんみ)は籠を出でたれど,

    余は死に至るまでは許されじ!                           余を泣かしめ、 又た笑(ゑ)ましむれど、

    卿の歌は, 余の不幸を救ひ得じ。                         我が花嫁よ, ・・・・否な鶯よ!

    おゝ悲しや, 彼は逃げ去れり                            嗚呼是れも亦た浮世の動物なり。

    若し我妻ならば, 何(な)ど逃去らん!                       余を再び此寂寥(せきれう)に打ち捨てゝ,

    この惨憺たる墓所(はかしよ)に残して                        ――暗らき, 空しき墓所――

    其処(そこ)には腐れたる空気,                           湿(しめ)りたる床のいと冷たき,

    余は爰(ここ)を墓所と定めたり,                           生ながら既に葬られたればなり。

    死や, 汝何時(いつ)来る?                              永く待たすなよ, 待つ人を, 

    余は汝に犯せる罪のなき者を!

 第十六

    鶯は余を捨てゝ去り                                  余は更に怏鬱(あううつ)に沈みたり,  

    春は都に如何なるや?                                確かに, 都は今が花なり!

    斯く余が想像中央(おもひなかば)に                        久し振にて獄吏は入り来れり。

    遂に余は放(ゆる)されて,                              大赦の大慈(めぐみ)を感謝せり

    門を出れば, 多くの朋友,                              集(つど)い, 余を迎え来れり,

    中にも余が最愛の花嫁は,                              走り来りて余の手を握りたり,

    彼れが眼(め)にも余が眼にも同じ涙――                     又た多数の朋友は喜んで舞踏せり,

    先きの可愛(かは)ゆき鶯も爰に来りて                       再び美妙の調べを, 衆(みな)に聞かせたり。 

 

 *漢字は基本的に新字を採用 ― 「窓」の旧字は「窗」なので、ここでは原詩のママ「窻」を使用。「裡」は「裏」の異字体、ママ使用。 「剽悍」も「慓」を、「暴」・「嘗て」もママ。       段落も、インターネット用に改稿。  ふりがなも、原詩にないものも挿入。

 


北村透谷「楚囚之詩」 訳

2012-05-01 08:54:50 | 北村透谷

 

      北村透谷「楚囚之詩」     (訳)  木村真理子

 第1

      以前、 誤って法を破り                 政治の罪人として捕らえられ、

      私と生死を誓った血気盛んな同士の        数ある内の、私はその首領である。

          (獄舎)の中に、 私の最愛の             まだ蕾の花のような少女も、

          国の為として共に立ち上がり、             この私・・・・花婿も、花嫁も囚われの身。

 第2

      私の髪は何時の間にか伸び、             額を覆い、 眼を遮り、 重苦しく、

      私の肉は落ち、 骨は出、 胸は枯れて、      沈み、 萎(しお)れ、 縮み、 ああ鬱陶(うっとう)しい。

          歳月を重ねた訳ではなく、                また疾病に苦しんだ訳でもなく、

          浦島太郎の帰郷に                     似ているということでもない。

      私の口は渇き、 私の眼は窪み、                以前、世を動かす弁論を吐いたこの口も、

          以前、永遠を見通したこの口も、        もはや今は・・・・、 口は腐った空気を呼吸し、

      眼は限られた暗い壁を睨み、              さらに腕は曲がり、 足は萎(な)えている。   

      ああ、 悲しき囚人!  世の太陽は遠い!     ああ、 これは何の罪か?  

          ただ、 国の前途を策略したのみ!      ああ、 これは何の結果か?  

          この世の人々に、 尽くしただけ!           しかし、 独り私だけではなく、

      私の祖父は戦いで骨を野に晒し、            私の父も国の為に命を捨てた。                  

      私は、 私の代に哀しき囚人となって、         常に母と離れている。    

 第3  

      獄舎!  私が迷い込んだ獄舎は、          二重の壁に世界と隔たっている。

      しかし、 その壁の隙間や穴から            行き場を失い、 入り込む日光もあり、

      私の蒼ざめた腕を照らそうと               壁を伝い、 私の膝の上までやって来る。     

        心なく頭を上げて見れば、                この獄舎は広く、 そして空しく、

      中に四つの仕切りが境となって、            四人の罪人が揃い――

      以前、 生死を誓い合った仲間等が、          無残にも狭い檻に繋がれて!

      彼等は、山頂にいる鷲である。               

           自由に高い樹々の上を舞い、              また、 自由に青天を旅し、

           一度は山野に威厳を示し、                荒々しい熊を恐れさせ、

           湖上の毒蛇の巣を襲い、                 世に畏れられた者達なのに・・・・

           今はこの檻に繋がれている。

      四人は一室に居ながら                  話す事を許されず、

      四人は同じ想いを持ちながら              それを伝える事さえ許されない。

      各自限られた場所以外へは、              足を踏み出す事が出来ない。

           ただ意志が通じる者としては、              同じため息が出る。

 第4

          四人の中にも、 美しく                   若い・・・・我が花嫁、

          その頬の色は消え失せ、                 顔色が取り立てて悲しい!

          ああ、 私の胸を打つ                   その物思う目付き!          

      彼女と私は故郷が同じで、                京都に出て、 琵琶湖を後にし、

      濃尾平野の沃野を過ぎて、 浜名湖に着き、      富士山の麓に出て、 

      箱根を越し、                          ついに、 花の都の東京に着いた。

      愛と言い、 恋と言うには気恥ずかしいが、      我等二人の愛は本物であり、

      花の美しさは、 美しいけれど、              我が花嫁の美は、 その心にある。

      梅の枝に囀る鳥は、 多情であり、            私の愛情も、 ただ赤い情熱である。

      彼女の柔らかい手は私の肩にあって、         私は幾度か、 神に祈りを奉げた。

           しかし、 薄情にも風に妬まれて、             愛の希望も花も萎び、    

           一夜の契りも結ばず                      花婿と花嫁は獄舎に居る。

           獄舎は狭く、                           狭い中にも両世界――!

      かなたの世界に、 私の半身を置き、               こなたの世界に、 私の半身を置く。

      かなたが現実か、 こなたが現実か?             私の魂は日夜、 ひとり迷う!

 第5 

      後の三人は、 少年の同士である。            東北地方、 或は中国地方の出身者であり、

      彼等は同士の中でも、 私が愛する            真に勇敢な少年である。

      しかし見よ、 彼等の縛られている腕を!         さすがに、 怒りの表情は見せてはいないが――

      怒りの色! 何を怒ってのこと?                   自由の神は世には居ない。

      とは言え、 なお、 彼等の魂は縛られず、        豪快に遠き近き山河を舞う。

      あの富士山の頂に、 君等の魂は留まり、         雲に乗り、 月と戯れる。

      ああ、どうして、 汚いこの獄舎の中に、          君等の清浄な魂が、 片時も居ることが出来ようか!

      こう言う我が魂も、 獄中に居ず、              日々、 夜毎に、 軽く獄窓を越えて、

      私の愛する少女の魂と共に、                 昔、 二人で行った花園に舞い行く。

      塵もなく、 汚れもなき地上に這う紫の菫や、    その名も奥床しい“ for get me not ”忘れな草、

      その他色々な花を優しく摘み                 一房は、 私の胸に挿し、

      他の一房は、 私の愛する・・・・我が恋人に・・・・       エッ! これは夢!

      見て! 我が花嫁はこちらを向く!              この痛ましい姿!

           ああ、 ここは獄舎                        この世の地獄。

 第6

      世界の太陽と獄舎の太陽とは異なり、           その中には昼と夜の区別が少ない。

      なぜ・・・・私は昼、 眠ることを習慣とし、          夜の静かな時に目覚めているのか。

      ある夜、 私は一時のうたた寝から起き上がり、      眠たい目を強いて開いて見廻すと、

      暗さはいつもの様に暗いけれど、               射し入る、 ぼんやりとした光・・・・これは月!

      月と知れば、 私の胸に常に思う想いがある。            仮に、 「今日の月は昨日の月か?」 と問えば、

      yes. 「踏んでも、 消しても、 消えない光明の月」。   

      ああ、 遠い昔、 少年の頃・・・・富士登山をし、      その頂上で、 間近に見た美しい月  

      美の女王!  また隅田川に舟を浮かべ、          満開の桜の中にも、 その姿を慕った。

           同じ月!  しかし私には見えず、               同じ光!  しかし私には届かない。

           呼んでも、 招いても・・・・                     月よ!  もう我が友ではない。  

 第7

      牢番は疲れて快く眠り、                     小水の想いが過(よ)ぎる。

      意中の恋人は、 私の目覚めを知らない・・・・        眠りの極楽・・・・今、 彼女は快く眠り、             

      ああ、 二枚の毛布の寝床にも                 この天女の眠りは安らかだ!

      私は、 幾度も足を踏み鳴らし、                 恋人の眠りを覚まそうとしたが、

      しかし、 安らかに眠っているものを              目覚めさせて、 現実に戻してはいけない。

      私は、 目を鉄窓の方へ向け、                 行くともなく窓の下へ行った。

      逃げ道を見付ける為ではなく、                 ただ、 足に任せてやって来た。

           もれ入る月の光                          まあ、 その姿の懐かしいこと!       

 第8

      想いは迸(ほとばし)り、過ぎた昔は日々新しい。      あの山、 あの水、 あの庭、 あの花に、 我が心を残し・・・・

      あの花!  私と、 私の母と、 私の花嫁と、        皆で植えた花にも別れてしまった。

      思えば・・・・別れを告げる暇さえなかった。          誰に気遣うこともないけれど、 偲んで

      私は獄窓の下に身を近づけ、                  何でもよいから、 何かがやって来る様にと願う。

      待つ事に喜びがある! ・・・・これは何の香りか?     流れ来る懐かしい菊の香!

      私は思わず鼻を動かす。                     これは我が家の庭の菊の香、 私を忘れないで

      遠く西の都まで、私を見舞いにやって来た。              

           ああ、 私を想う友!           叶うなら、 この香り          我が手に触れてみたい。       

 第9

      またある朝、 遅く目覚めると、                  高く壁を伝って差し込む日の光

      私は、 先ず我が花嫁の方に眼を遣ると、           これはどうしたことか!  影も形もない我が花嫁!

      きっと彼女は、 他の獄舎に送られたに違いない。      私が眠っている間に、 移されたに違いない。

      だとしたら、 哀れなこと! 一目なり一言なりと・・・・     (何しろ、 言葉を交わす事が許されないから)     

      別れの sign を交わす事も叶わなかった!         三人の同士も皆、 影も形もない。

      独り、 この広間に私を残して・・・・                朝寝で見た夢が偽りではなかった。

           ああ、 偽りの夢! 皆行ってしまった!     行ってしまった、 我が愛も!      また、 同士の親友も!

 第10

      疲れて、 記憶も歳月も、 皆行ってしまった。         寒くなり熱くなり、 春、 秋、 と過ぎ、

      暗さ気だるさにも、私は感情を失って              今はただ、 膝を抱え込む事のみ。

      罪も希望も、 世界も星々もすべて尽き、            私には、 あらゆるもの皆・・・・無に還り

      ただ寂しく・・・・微かな呼吸――                       生死の闇の響きがする。

      甘い愛の花嫁も、 身を投げた思想も              忘れ果て、 もう夢とも現実とも・・・・

      ああ、 数歩(すうほ)歩めば壁!                 三回廻れば疲れる、 さすがに我が足も!

 第11

      私には、昼と夜の区別がない。                  しかし、 私の弱った耳にも聞こえる

      暁の鶏や、 夕暮れに巣に帰る鳥の声、            とは言うものの、 想像しているだけだが・・・・

      ある夜、 私は早くから木の枕を窓の下に近づけ、      眠りの神を招くが、

      まだこの疲れた脳は休まらず、                  半分眠り―― 同時に死んで、 また半分は

      生きている――とは願わないのだが・・・・           突然、窓を叩いて私の魂を呼ぶ者がある。

      憎らしくも、 私は行ってしまった花嫁を思い出し、      弱くなった腰を上げ、窓に飛び上がろうとした。

      これは何! 何者・・・・私の顔に何かが当たった!     思いもよらず、 幾歳月の久し振りに、

      始めて外界の生物が見舞いにやって来た。          彼は獄舎の中を狭いと思わず、

      梁の上、 梁の下、 自由自在に飛び廻る。          有能な友であるが、 太陽に嫌われている蝙蝠。

      獄舎の中を嫌がらず、 退屈な私を訪れて来た。      これは、我が花嫁の化身か? と想ってみると、

      ああ、 約束した事、 望んだ事はやって来ず、         忌まわしい形を仮りて、 私を慕って来るとは!

      いかにも哀れな! 蝙蝠を追い出さないでおこう。

 第12

      私には、 粗末な衣類だけなので、                これを脱ぎ、 蝙蝠に投げ与えると、

      彼は歓んで衣類と共に床に落ちた。                私は這い寄って、これを取り押さえると、

      蝙蝠は、 さも悲しい声で鳴く。                    なぜなら、 彼はやはり、 自由な身であるから・・・・

      恐れるな! 捕らえる人は自由を失っている。          君を捕らえるには・・・・野心は消えてしまっている。

      ああ! これは一匹の蝙蝠!                    私の花嫁が、こんな醜い顔では!

      しかし、 私は彼を逃がさず、                         「何しろ」・・・・この生物は、 私の友となり得るから、

          「よし」・・・・暫く、 獄中に留めておこう。          しかし、 どうしょう? 彼を留めておくには?

      この一獣を留めておくにも、 私には無力だろうか?      可哀想に! この獣には、 まだ自由がある。                    

           私は彼を放した。          自由の獣・・・・彼は喜んで、        素早く獄舎を逃げ出した。

 第13

      恨みに思うのは、 昔の記憶が消えないこと。           若かりし時・・・・その楽しい故郷!

      暗き風景の中にも、 回想の想いは明るく、             その風景の中にも、 生きている人々がいる!

      雪を被った冬の山、 霞に包まれた渓谷、              変わることのない其の美しさは、 昨日も今日も、

      ――我が身独りの行く末が・・・・どの様に                   世間と共に変わろうとも!  

      ああ、 青天! まだそこに鷹は舞っているのか?         ああ、 深淵! まだそこに魚は躍っているのか?

           春? 秋? 花? 月?                      これ等のものが、まだ在るだろうか?

      昔、 私が恋人と散歩した                        楽しかった野山は、 どうなっているだろうか?

      摘んだ野の花は?  渓(たに)のせせらぎは?               ああ、 これ等は、 私の最も親愛なる友である!

           有る――無し――の答えではなく、                   常に私の想像は clear 、

           羽があれば帰りたい、 もう一度、                    貧しく平和な、昔の我が故郷。

 第14

      冬は厳しく、 私を悩ませる。                       壁に射す日光も温かさを伝えず、

      日は短い! そして夜は非常に長い!                寒さが瞼を凍らせ、 眠ることも成らない。

      しかしいつか、 春は必ず戻ってくる。                 後悔することがなくても、 運命を切り開く望みに、

      ただ何となく、 春は待ち焦がれる想いがする。           私は獄舎の中より春を招こう、 高き空に。

      ついに私は、春が来たのを告げられた。                鶯に! 鉄窓の外に鳴く鶯に!

      私は、 そこにどんな樹があるのか知らないが、           梅? 梅ならば、 香りが風に運ばれるだろうに。

      美しい声!  「おーい 鶯よ!」                     私は飛び起きて、

      かろうじて鉄窓に攀じ登ると――                    鶯はこの音に驚かず  

      静かに、 獄舎の軒に止まった。                     私は再び疑い出した・・・・この鳥こそは

      真に、 愛する妻の化身であると。                     

      鶯は、私の亡霊のような姿に                       飛び去ろうとはしないで、

      再び歌いだした。 その声の清々しさよ!                私の幾歳月の憂さを払って・・・・、

      君の美しい衣は、 神の恵みであり、                   君の美しい調子も、 神の恵みである。

      君がこの獄舎に足を留めるのも                      また神の・・・・これは私に与えられた恵みである。

           そう! 神は鶯を送って                      私の心を慰める篤き心である!           

           ああ、 夢に似て、 まだ夢ではない。              私の身にも、 神の慈悲は及ぶだろう。

      想うのに・・・・我が妻は、 この世に在るだろうか?          彼女が、もし死んでしまっていたなら、 この鶯が化身だろう。

      我が愛は、 また同様に獄中を彷徨っているのか?          もしそうなら、 この鳥こそ彼女の魂の化身である。

      自由、 高尚、 美妙な彼女の精神が                   この美しい鳥に化したのは、 道理である。

      こうして、 再び私の憂いを慰めに来る――               誠の愛の友! 私の眼に涙が満ち溢れる。

 第15

       鶯は再び歌い出した。                             私はその歌の意味を解くことが出来る。

      百種の言葉を聴き取れば、                         すべて私を慰める愛の言葉である!

      俗世より、 あるいは天国より来たのか?                私には神の使いである、 とのみ想える。

      ああ、 そうではあるが! その慣れた様子は             まるで籠の中より逃げて来たような――

           もしそうであるなら・・・・私を憐れんで                  来たのだろうか、 私の伴になろうと思って?

      鳥の愛! 世間に捨てられた我が身でも!               鶯よ! 君は鳥籠を出たけれど、

      私は死に至るまでは許されない!                     私を泣かせ、 また喜ばせるけれど、

      君の歌は、 私の不幸を救う事が出来ない。              我が花嫁よ、・・・・いいや鶯よ!

           おお悲しい、 彼女は逃げ去った。                    ああこれもまた、 浮世の動物である。

      もし我が妻ならば、なぜ逃げる事があろうか!             再びこの寂しさに残して、

      この悲惨な墓場に残して                           ――暗く、 空しい墓場――

      そこには腐った空気、                             湿った冷たい床。

      私は、 ここを墓場と決めた。                        生きながら、 すでに葬られている。

          死は、 神よ、 何時来る?     永く待つ人を、待たすなよ、      私は誓って、 神に罪を犯した事はない!

 第16

      鶯は、 私をすてて去り、                         私は更に、 憂鬱になる。    

      春の都は?                                 確かに、 都は今が花盛り!

          この様に想像をしている最中                  久し振りに獄吏が入って来た。

      ――ついに、 私は許されて、                     大赦の恩恵を受け、 釈放された。

      門を出ると、 多くの朋友が集まり、                  私を迎えにやって来た。

      その中でも、私の最愛の花嫁は、                   走って来て、私の手を握った。

      彼女の眼にも、私の眼にも同じ涙があふれ、            また多くの朋友が喜んで踊り上がった。

      先程の可愛い鶯も、 ここに来て、                    もう一度美しい調べを、皆に聞かせた。                    

 

 


北村透谷「楚囚之詩」  『みだれ髪』に対比

2012-04-30 19:09:19 | 北村透谷

 

      北村透谷「楚囚之詩」    『みだれ髪』に対比 

 第一

     *中(なか)に, 余が最愛の / まだ蕾の花なる少女も、

       ―「7 堂の鐘のひくきゆふべを前髪の桃のつぼみに経たまへ君」         (訳)お堂の鐘が低く響く夕方、桃割れ髪を結っている花の蕾であった私に、お経を唱えて下さい(謝って下さい)。

 大人になっていない少女を「蕾の花」と示し、晶子もそれを取り入れています。

 『みだれ髪』の最初から十首がプロローグ歌だとすると、5番「5 椿それも梅もさなりき白かりきわが罪問はぬ色桃(いろもゝ)に見る」が河井酔茗。 6番「6 その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」は山川登美子。 この7番が晶子と同じ堺市の寺・覚応寺の住職であり、文学同好会の河野鉄南。 そして10番「10 紫の濃き虹説きしさかづきに映(うつ)る春の子眉毛かぼそき」が鉄幹であり、登場人物が一堂に会します。

 他に鉄南の歌としては、 「393 庫裏(くり)の藤に春ゆく宵のものぐるひ御経(みきやう)のいのちうつつをかしき」  があります。   (訳)藤の花の頃の夕方、寺の庫裏であなたは物狂いになりました。 寺の坊主なのに、お経の命とはいったい何なのでしょう。     

       

第二

     *余が髪は何時(いつ)の間(ま)にか伸びていと長し /  前額(ひたひ)を蓋(おほ)ひ眼を遮(さへぎ)りていと重し、

       ―「264 行く春の一弦(ひとを)一柱(ひとぢ)におもひありさいへ火(ほ)かげのわが髪ながき」  

  「わが髪ながき」を、通常、黒髪の自画自賛と捉えられているようですが、 「うっとおしい」 を意図しています。  集中には、五尺の髪を切って軽くなった、という歌もありますので、必ずしも長い髪が良い訳ではないのです。      

  「361 結願(けちがん)のゆふべの雨に花ぞ黒き五尺こちたき髪かるうなりぬ」         (訳)結願の日の昨夜に降った雨で、花が黒くなったように、私の希望が断たれました。(ですから気分を一新しようと)、五尺のうっとおしい髪を切って軽くなりました。

 (注)上田敏の解説からの訳が一般的に浸透していますが、 晶子の意図した歌は別です。 即ち「ゆうべ」は、通常解されている今日の夕方ではなく、「昨夜(ゆうべ)」=「昨日の夜」の意。     「こちたき」は、①言痛し・事痛し-うるさい。わずらわしい。    ②抉(こじ)る-ねじる。ひねる。えぐる。くじる。 「こちたき」の「き」(助詞)は、過去を表すのかも?-「抉(こじ)ってしまった」の意?  「こちたき髪」から、晶子は ①と②の造語? 何だか解からないけれど・・・・、「こちたき髪」を「うっとおしい髪」、そして「切ってしまった髪」として用いている様です?  無理やりですよね・・・・やっぱし。    

 

     * 肉は落ち骨出で胸は常に枯れ、/ ・・・・  余が口は涸(か)れたり、 余が眼は凹(くぼ)し

       ―「373 病みませるうなじに繊(ほそ)きかひな捲きて熱にかわける御口(みくち)を吸はむ」       

 私は最初、 自分で自分の口を吸う、と解していましたが、やはり鉄幹「余が口は涸(か)れたり、 余が眼は凹(くぼ)し」を対象とし、晶子が鉄幹に接吻をしていると思います。 

 中山梟庵-鉄幹宛て書簡(『明星 六号』(明治33・9)「新雁」)  ―御病気とのお知らせを得てより以云ひ知らず胸いたく、あらぬことまで思ひ出候。・・・・晶子様ととみこ様より頻りに御容体の義を尋ねられ候へど・・・・

とあり、晶子と登美子が鉄幹の病気の様子を梟庵に頻りに尋ねていたようです。

  

 第三

     *余の青醒(あをざ)めたる腕を照らさんとて / 壁を伝ひ、 余が膝の上まで歩寄(あゆみよ)れり。

      ― 藤村「白磁花瓶賦 十七・十八」

      ―「312 あでびとの御膝(みひざ)へおぞやおとしけり御幸源氏(みゆきげんじ)の巻(まきゑ)の小櫛(をぐし)」

 舞妓に化して詠んでいますが、結局は晶子自身のことを言っています。

         

     *彼等は山頂の鷲なりき / 自由に喬木の上を舞ひ / 又た不羈(ふき)に晴朗の天を旅(たび) / ひとたびは山野に威(ゐ)を振ひ / 慓悍なる熊をおそれしめ / 湖上の毒蛇の巣を襲ひ / 世に畏(おそ)れられたる者なるに   

       ― 藤村「鷲の歌」

 藤村は、ここから「鷲の歌」を生み出しました。 透谷と藤村の友情・・・・どんなにか藤村は透谷を慕っていたか・・・・。

                   

 第四

     *彼れの柔(よわ)き手は吾が肩にありて / 余は幾度(いくたび)か神に祈を捧(さゝげ)たり。     

       ―「395 室(むろ)の神に御肩かけつつひれふしぬゑんじなればの宵の一襲(ひとかさね)」         (訳)部屋で恋人(鉄幹)の肩に手を掛け跪(ひざまず)きました。 生理の日の夜の愛の営みです。

  窪田空穂『歌話と随筆』(昭和8・11 一誠社) ― 関西へ行つて帰つて来た与謝野氏も、鳳に逢ふと、歌つてものは本当に思つた通りの事を云へばいいものかと聞くので、それでもいい、それだけの物だつて返事をしたが、本当かつて駄目を押して居た、といふ意味の事を云はれた事があつた。

 

     *左れどつれなくも風に妬(ねた)まれて / 愛も望みも花も萎れてけり / 一夜の契りも結ばずして / 花婿と花嫁は獄舎(ひとや)にあり。

       ―「43 春の夜の闇(やみ)の中(なか)くるあまき風しばしかの子が髪に吹かざれ」       (訳)春の夜の闇から吹いて来る恋心を誘う甘い風よ、どうか暫くの間、あの子に(鉄幹の)恋心が向きませんように、私の髪に飾っている鹿の子に吹いて私の方に恋心を運んで下さい。

 佐藤春夫『みだれ髪を読む』(昭和34・6)― 己を三人称で呼んでいるので、それが甚だおもしろい。多分、恋心に思いみだれて春に得堪えぬ自分を疎んでこう客観的に三人称で呼んだ。

 市川千尋『与謝野晶子と源氏』(国研出版 1998年)によると、「かの子」が「浮舟」を指し、― 浮舟の場面が設定され、そこに流れる気分を晶子の現実に当て嵌めた ― という第三者説もありますが、通常、佐藤春夫の説に従い、「かの子」を自分自身としています。

 しかし歌の構造からすると、この「吹かざれ」は、肯定と否定の両方の意味を持たせています。 「彼の子の髪に吹いて下さい」と、「彼の子の髪に吹かないで下さい」です。  従って「かの子」は、己を三人称で呼んだ=私(晶子)であり、 三人称の=三人称→彼の子=あの子でもあるのです。  それは、『新潮社版』「春の夜の闇の中くる甘き風しばし我身を専らに吹け」の改定版でも知られます。 晶子の改定版は歌の向上、というよりも常に補助歌であり、説明歌ですし、また、意味不明と捕られるなら、丸々別の歌に変更したりしています。  また歌の特徴は、二重読みが多く取り入れられていますし、感情が驚くほど直線的です。この歌で晶子が踏みたかったのは、「左れどつれなくも風に妬(ねた)まれて / 愛も望みも花も萎れてけり」であり、登美子との恋の駆け引きだったのでしょう。

 

 第五            

     *余が愛する少女の魂も跡を追ひ / 諸共に、昔の花園に舞ひ行きつ 

       ―藤村「白磁花瓶賦 二十二・二十三」

 

     *塵(ちり)なく汚(けがれ)なき地の上にはふ(ママ) バイヲレツト / 其名もゆかしきフオゲツトミイナツト /  其他種々(いろ〃)の花を優(やさ)しく摘みつ / ひとふさは我胸にさしかざし / 他のひとふさは我が愛に与へつ / ホツ!   是(こ)は夢なる! / 見よ!  我花嫁は此方を向くよ! / 其の痛ましき ! / 嗚呼爰(ここ)は獄舎(ひとや) / 此世の地獄なる。

       ―「275 みどりなるは学びの宮とさす神にいらへまつらで摘む夕すみれ」       (訳)平和に収めることを学びなさい、と指し示す鉄幹に、夕方、苛立って毟り取る菫。 (駆け落ちの約束をして京都まで来たのに、鉄幹が先に一人で東京に帰ってしまい、残された私は、夕暮時に一人苛立ちながら菫を毟り取っています。)

 通常、は違う訳ですが・・・・、緑色が、平和というイメージ。 鉄幹が妻、滝野との穏やかな解決策のため、晶子と一緒に上京しなかったのでしょう。それを、緑という色彩で表現しています。

       ―「279 十九(つづ)のわれすでに菫を白く見し水はやつれぬはかなかるべき」       (訳)十九歳の頃、既に私は恋愛に対して嫌悪感を持っていました。 自然の中のその(塵なく穢れなき地上に這う)菫は、水が干乾びて可哀想な状態です。

 どの解説書にも述べられていませんが、「御経のいのちうつつをかしき」の河野鉄南を指したものかも知れません。

 

     *其他種々(いろ〃)の花を優(やさ)しく摘みつ / ひとふさは我胸にさしかざし / 他のひとふさは我が愛に与へつ    

       ―「372 きけな神恋はすみれの紫にゆふべの春の賛嘆(さんたん)のこゑ」

       ―「237 野茨(のばら)をりて髪にもかざし手にもとり永き日野辺に君まちわびぬ」

 「372」も「237」も上記とは打って変わって愛の賛歌です。

 第六 

      * ひと夜(よ)。  余は暫時(しばし)の座眠(ざすゐ)を貪りて /  起き上り、厭(いと)はしき眼を強ひて開き / 見廻せば暗さは常の如く暗けれど /  なほさし入るおぼろの光・・・・是れは月! / 月と認(み)れば余が胸に絶えぬ思ひの種(たね) / 借に問ふ、今日(けふ)の月は昨日(きのふ)の月なりや? 

        ―「382 月こよひいたみの眉はてらざるに琵琶だく人の年とひますな」     

 (272)と対の歌であり、楠桝江を詠んでいます。   (下記参照)

    

      * 美の女王!  嘗つて又た隅田に舸(ふね)を投げ /  花の懐(ふところ)にも汝とは契をこめたりき。

        ―「158 男きよし載するに僧のうらわかき月にくらしの蓮(はす)の花船(はなぶね)」

        ―「159 経にわかき僧のみこゑの片明(かたあか)り月の蓮船(はすぶね)兄こぎかへる」 

 船の発想は、ここからのイメージかも知れません。藤村「蓮花舟」を参照して下さい。

 

 第七

      *牢番は疲れて快(よ)く眠り / 腰なる秋水のいと重し,

        ―「19 秋の神の御衣(みけし)より曳(ひ)く白き虹ものおもふ子の額に消えぬ」 

 難解な歌ですが、上記の「尿意を催して目覚めた」というところから、発想されたのではないでしょうか?    (訳)は、何だかこれ訳して良いの? という訳になってしまうので・・・・、「白き虹」は、精液か?  「ものおもふ子の額に消えぬ」は、女性の立場? (159) の「兄こぎかへる」が男性の立場から見た場合ではないか? と思います。  「秋の神」=季節が秋であり(初出が明治34・1)、飽いてしまった鉄幹、の掛詞。 意味よりも、どちらかと言えば歌の形態・詠みのリズム、として「秋」を挿入したと思います。      各自訳してみて下さい。

 

      *(第六)何(な)ぜ・・・・余は昼眠(ね)る事を慣(なれ)として /  夜の静(しづか)なる時を覚め居(ゐ)たりき

      *意中の人は知らず余の醒(さめ)たるを・・・・ / 眠の娯楽・・・・尚ほ彼はいと快(こころよ)し / 嗚呼二枚の毛氈(もうせん)の寝床(とこ)にも  / 此の神女の眠りはいと安し!/ 余は幾度も軽るく足を踏み / 愛人の眠りを攪(さま)さんとせし/ 左れど眠りの中に憂(うさ)のなきものを / 覚(さま)させて、 其(そ)を再び招かせじ,

         ―「272 裾たるる紫ひくき根なし雲牡丹が夢の眞昼(まひる)しずけき」         (訳)表歌 ― (空に)紫の浮き雲が低く垂れ込め、牡丹が夢見て眠っている真昼間、静かです。     裏歌 ― 着物の裾をだらしなく垂らし、恋する意識も低い養女の楠桝江が、恋を夢見て、昼間静かに眠っています。

 表裏二重詠みの歌であり、表歌の「紫ひくき根なし雲」の意味は、「紫」が「ひくき」に掛かり、「雲」に掛からないので、「紫の浮き雲が低く垂れ込め」とするには、歌の文章構造として無理があります。 ですから、裏歌の意味が汲み取れるということなのですが・・・・。

 裏歌の意味は、「紫ひくき」=恋を志向する意識が低い。 「根なし雲」=系統家系を持たないこと、即ち養女であること。 「裾たるる」は「根なし雲」に掛かり、 着物の裾を垂らしている情景。 「牡丹が夢」=恋愛を夢見て、昼寝をしている情景。 裏歌の方は、下記の(382)と対の歌で、「231 春にがき貝多羅葉(ばいたらえふ)の名をききて堂の夕日に友の世泣きぬ」の友の楠桝江のことです。

     晶子の河井酔茗宛て書簡(明治34・3・19)(新間進一「文学」昭和30・9) ― このひとわれより五つばかりの姉様に候。かなしきすくせもつひとに候。 西の別院へ経ならひにゆきかよひしころは、覚応寺の河野様とおなじなりしとに候

     

 第八

      *送り来れるゆかしき菊の香(かをり)! / 余は思はずも鼻を聳えたり / こは我家(わがや)の庭の菊の我を忘れで / 遠く西の国まで余を見舞ふなり /あゝ我を思ふ友! / 恨むらくはこの香(かをり) / 我手には触れぬなり。

       ―「113 師の君の目を病みませる庵(いほ)の庭へうつしまゐらす白菊の花」 

    晶子『歌の作りやう』(大正4・12 金尾文淵堂) ― 私は眼を病んでおいでになる師の庭へ、其お眼の慰みにと思つて、自分の家の白い菊の花を持つて行つて植ゑました。

 

 第十

      *罪も望みも、 世界の星辰も皆尽きて / 余にはあらゆる者皆,・・・・無(む)に帰して / たゞ寂寥, ・・・・微(かす)かなる呼吸―― / 生死の闇の響(ひゞき)なる / 甘き愛の花嫁も、 身を擲(なげう)ちし国事も  /  忘れはて、 もう夢とも又た現(うつつ)とも!

       ―「1 夜の帳(ちやう)にささめき尽きし星の今を下界(げかい)の人の鬢(びん)のほつれよ」

 (1)は、「長恨歌」からだと以前言ったでしょう? といわれそうですが・・・・、透谷もまた「長恨歌」を踏んでいます。

 

 第十一

      *(第三)中に四つのしきりが境となり / 四人の罪人(つみびと)が打揃ひて――

      *(第四)四人の中にも、 美くしき / 我花嫁・・・・  いと若(わ)かき / 其の頬の色は消失(きえう)せて / 顔色の別(わ)けて悲しき / 嗚呼余の胸を撃(う)つ / 其の物思はしき眼付き!

     * 余には日と夜との区別なし / 左れど余の倦(うみ)たる耳にも聞きし / 暁(あけ)の鶏(にはとり)や、また塒(ねぐら)に急ぐ烏(からす)の声 / 兎は言へ其形・・・・想像の外(ほか)には嘗つて見ざりし。

       ―「70 とや心朝の小琴(をごと)の四つの緒のひとつを永久(とは)に神きりすてし」       (訳)朝、我が疑いの心に問いました。 (住之江で遊んだ)四人‐ 鉄幹・梟庵・晶子・登美子の内の一人、登美子を鉄幹は永遠に切り捨てたのでしょうか?

 「朝の」は、(339)の「朝の」と同じ時。 「とや心」=「問や心」と「塒(とや)心」の掛詞 (上記から踏んでヒントを得る?)― 「問う心」と「塒(ねぐら)の心」・・・・疑いの心? を意図する様ですが・・・・(三・四版)では「誰かよくこころとかむと相笑みぬ君がかきし画わが染めし歌」 を補入し、 晶子自身も(70)は意味の取れない歌だとしています。  

 

  第十二 

       *余には穢(きた)なき衣類のみならば  / 是を脱ぎ,  蝙蝠に投げ与ふれば / 彼は喜びて衣類と共に床(ゆか)に落ちたり /  余ははい寄りて是を抑(おさ)ゆれば / 蝙蝠は泣けり、 サモ悲しき声にて / ・・・・ ・・・・ / 卿(おんみ)を捕ふるに・・・・野心は絶えて無ければ。

            ―「119 のろひ歌かきかさねたる反古(ほご)とりて黒き胡蝶をおさへぬるかな」

 有名な歌ですが、(119)の発想は、この詩から生み出されました。 この歌と、下記の(339)がこの詩から生み出された典型的なものでしょう。  松川久子氏は、蕪村「うつつなきつまみごころの胡蝶かな」を指摘されておられる様です・・・・、「胡蝶」という語彙は、そうだと思いますが、 蕪村の句は、蝶の両方の翅を畳んで摘まむ感覚 :なんとも頼りなく、指がグニュグニュした不安な気持ち: を詠んだものですし、 晶子のパシッとした、確(しっか)り取り押さえる感覚とは別のものだと思います。

   晶子『歌の作りやう』(大正4・12 金尾文淵堂) ―  私は陰鬱な家庭を憎んで居る。私を苦しめる保守的な習俗を憎んで居る。私は呪はしい気分に満ちてゐる。私はたまたま黒い蝶の飛んで来たのを見て、あの蝶も憎いと云つて側にあつた歌の草稿で抑へた。 呪詛の歌に満ちた近頃の草稿である。

            

  第十三  

     *――我身独りの行末が・・・・如何に / 浮世と共に変り果てんとも!

       ―「77 ゆあみして泉を出でしやははだにふるるはつらき人の世のきぬ」         注:「やははだ」は「わがはだ」 と晶子自身が訂正。(『明星 十五号』)

 上記を踏んでいる、と想定しました。

 

     *嗚呼蒼天!  なほ其処に鷲は舞ふや? / 嗚呼深淵!  なほ其処に魚は躍るや?

       → 藤村「鷲の歌 七」― わが若鷲は・・・・谷の落(おと)し羽(は)飛ぶときも / 湧きて流るゝ真清水(ましみづ)の水に翼をうちひたし / このめる蔭は行く春のなごりにさける花躑躅(はなつゝじ) 

       →「146 巌(いは)をはなれ峪(たに)をくだりて躑躅(つゝじ)をりて都の絵師と水に別れぬ」

       →「381  金色(こんじき)の翅(はね)あるわらは躑躅(つゝじ)くはへ小舟(をぶね)こぎくるうつくしき川」

 

     *羽あらば帰りたし, も一度 / 貧しく平和なる昔のいほり。    

       ―「171 春かぜに桜花ちる層塔(そうたふ)のゆふべを鳩の羽(は)に歌そめむ」   

  初出は「金翅」(明治34・7)ですが、この銘々は「鳩の羽」からでしょう。  鉄幹との駆け落ちの為、京都で待ち合わせたのですが、一人置いてけぼりをくった時の歌です。 羽があるなら、もう一度実家に帰りたいが、ここまで来てしまったからには、もう後戻りは出来ない、という気持ちが込められています。  私は場所としては、京都の黒谷を想定してしまいます。

 

 第十四

     * 鶯は此響(このひゞき)には驚ろかで / 獄舎の軒にとまれり,  いと静に! / 余は再び疑ひそめたり・・・・此鳥こそは / 真に,  愛する妻の化身ならんに。 ・・・・・・・・ / 然り!  神は鶯を送りて / 余が不幸を慰むる厚き心なる!/ 嗚呼夢に似てなほ夢ならぬ / 余が身にも・・・・神の心は及ぶなる。/ 思ひ出す・・・・我妻は此世に存(あ)るや否? / 彼れ若し逝きたらんには其化身なり、 / 我愛はなほ同じく獄裡に呻吟(さまよ)ふや? / 若し然らば此鳥こそ彼れが霊(たま)の化身なり。 / 自由、 高尚、 美妙なる彼れの精霊(たま)が / この美くしき鳥に化せるはことわりなり,/ 斯くして、 再び余が憂鬱を訪ひ来る―― / 誠(まこと)の愛の友!  余の眼に涙は充ちてけり。

       ―「339 朝の雨につばさしめりし鶯を打たむの袖のさだすぎし君」        (訳)朝の雨が降る中、雨宿りの鶯を袖で打つような事をする、遣り過ぎのあなた(鉄幹)。  ・・・・私は、あなたを慰める為にやって来た・・・・愛する妻の化身の鶯なのに・・・・。

 通常、「さだすぎし君」は、 袖で打つという行為から女性と解釈されている様ですが、晶子は一度も女性を「君」とは呼んでいません。 この歌も(171)や(70)(146)(381)と同様に、駆け落ちの京都に一人残された時のもので、透谷「楚囚之詩」を踏んだことにより、存在している歌です。

  


北村透谷「古藤庵に遠寄す」

2012-03-05 11:37:49 | 北村透谷

 藤村の「白磁花瓶賦」は、透谷のこの詩を踏んでいるのですが、子規も晶子もここから発想を得ています。

    子規「瓶にさす藤の花房短かければ畳の上にとどかざりけり」(明治31年頃の日本新聞)
    
    晶子「101 御袖ならず御髪のたけときこえたり七尺いづれしら藤の花」 『みだれ髪』

 晶子の歌はしら藤の花房が、やがて髪の長さになりますよ。という意と、もう一つ子規の歌に対して、子規派に対抗する鉄幹派の気持ちを込めています。


  北村透谷「古藤菴に遠寄す」  『文学界3号』(明治26年)



      一輪花咲けかしと、願ふ心は君の為め。

      薄雲月を蓋(おほ)ふなと、祈るこゝろは君の為め。
   
      吉野の山の奥深く、よろづの花に言伝(ことづて)て、

      君を待ちつゝ且つ咲かせむ。



    
        北村透谷「古藤菴に遠寄す」 木村真理子


            「花一輪咲けよ」と、願う心は君のため。

            「薄雲、月を蔽うな」と、祈る心は君のため。

            吉野山の奥深く、種々の花に、

            「君を待っているから、咲いてよ」と願う。