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沖縄ダイビング、レスキュー講習を終えて

2024-08-16 19:24:00 | 日記
 皆さん、大変ご無沙汰しております。
8月10日から15日まで、沖縄に行っておりました。ダイビングのレスキュー講習が一番の目的です。

昨年の夏、沖縄でオープンウォーターとアドバンスのライセンスを取ってから、とりあえずアマチュア最高峰のマスターダイバーの資格をとろうと思ってきました。

そのためには、レスキューダイバーの資格をとること、50本以上のダイブ経験、スペシャルティという専門コース5つ以上、取ることが基準となります。

今回、レスキューをとって、ドリフトのスペシャルティもとったので、あと1つのスペシャルティと残り7本ほど潜れば申請できます。

今回は辺戸岬という沖縄本島の北の端の鍾乳洞に潜ったのですが、とても楽しかったです。

またYouTube にアップする予定なので、良かったらご覧ください。

今回はダイビング以外にも時間がたくさんあったので、息子がまだ行っていなかったひめゆりの塔や平和祈念公園も訪れました。

20才の時に沖縄を訪れた際、ひめゆりの塔も行きました。当時、古手川祐子さん主演の映画が公開されており、感慨深いものがありましたが、資料館はありませんでした。

今回りっぱな資料館を訪れ、ひめゆり学徒隊の証言もお聞きし、あらためて、戦争について考える機会となりました。

平和祈念公園には平和の礎(イシジ)という石碑が建てられてあります。そこには太平洋戦争で亡くなった方のお名前が刻まれています。

県別に分けられておりましたので、私は母に聞いていた戦争で亡くなった伯父の名前を探しました。

すぐに見つかりました。伯父は20才くらいで亡くなったそうで、会ったことはありません。

傷病兵で亡くなったらしいのですが、生前とても優しい人だったと聞きました。

会ってみたかった、そう思います。

ひめゆりの女学生さんが、奉仕活動をした壕の中はさながら地獄の有様で、衛生用品もなく、食べ物もなく、苦しみ亡くなって行く兵隊さんにほとんど何もできず、学校の行事の一環だと思っていたのに、食べるものもなく、眠ることもできず、爆撃を受け亡くなっていった方がたくさんいました。

沖縄はアメリカに占領されましたから、生き残った方々の暮らしも大変なものでした。

1972年、本土復帰、私が7才の時でした。

今こうして、沖縄の美しい海に潜ることができているのも、戦争でお亡くなりになった皆さん、苦しい生活を耐えて生き抜いてきてくださった皆さんのおかげと心から感謝いたします。

この平和が尊い命の犠牲の上にあることだけは忘れないで、その方達の分も命を大切に、命を輝かせて生きようと思いました。

母が「明兄さん」と呼んでいましたから、私には「明おじさん」です。

明おじさん、ありがとう。
おじさんは私の元を訪れてくださったんですね。
おじさんの分も命尽きるまで精一杯生きます。
安らかにお休みくださることを心よりお祈りいたします。
本当にありがとう。