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昨日☆今日☆明日~金曜日のピュ

私の毎日と心に浮かんだこと

人生にありがとう~Gracias a la vida~グラシェラ・スサーナ

2011-09-29 12:52:00 | 音楽・演劇・絵画・映画
朝刊の一面に「東電原価、6000億円過大…過去10年、電気代取り過ぎか」と出ている。
水増し経費に利益を上乗せした電気料だったらしい。それってありですか?上層部は天下り官僚だし、やりたい
放題だったのね。狡いことをしてお金をたくさん貰って良心に恥じないのだろうか。誰かが言っていた、お金を
持っている人は増やすことが楽しみになるので際限なく欲深くなるそうだ。小市民には理解できない。
原発で日々必死に働いている電力会社の人たちには頭が下がるし、私など偉そうなことを言う資格はないけれど
何だかムカつく。

でもこんなとき、私の心を慰めたり素敵な刺激を与えてくれるものが届いている。
前にも書いたけれど私のところには不思議と良いものが集まって来るのだ。

一つはMark Henleyのアルバム。今も聴きながらパソコンに向かっている。
彼の名を知っている人は少ないと思う。Mark Henleyはミネソタ出身のシンガーソングライターで<River Song>
というたった一枚のアルバムしか出していない。
「伝説」と呼ぶには優しすぎ、「孤高」と呼ぶには人恋しすぎる…そんな音楽が紡がれている。
このアルバムの他に奇跡的にライブ音源が見つかり、一昨年<Live At Charlotte's Web: 1974-1978>という
CDがリリースされた。これにはビートルズやサイモン&ガーファンクルの曲もカバーされていて、私の好きな
「Black Bird」や「April Come She Will 」も入っている。
外は北風がピューピュー吹いている冬の午後に、暖炉の薪がはぜる音を聞きながら聴きたい曲ばかり。
東電にムカつきながら聴きたくはないけれど、これからの人生の友達になってくれる音楽をありがとう。
 


もう一つは、この前の日曜日にダビングしていただいたばかりのグラシェラ・スサーナのアルバム。
グラシェラ・スサーナは1970年代に日本でも人気があったアルゼンチンの女性歌手で、「時計」「アドロ」
などのヒット曲がある。
いただいたアルバムには、そういった有名な曲は一切無い。アルバム名も曲名も歌詞も付いていなかったから、
ただひたすら収録の17曲聴いた。知っている曲は2曲だけだった。

<El día que me quieras~直訳すると~いつかあなたが私を愛してくれるだろう日>。
アルゼンチンのタンゴ歌手カルロス・ガルデルが作曲した名曲で、日本語では<想いの届く日>という綺麗な
タイトルが付いている。ギター曲として若手の大萩康司さんが弾いている。
El día que me quieras,la rosa que engalana
se vestirá de fiesta con su mejor color.
Al viento las campanas dirán que ya eres mía…
La noche que me quieras
desde el azul del cielo,las estrellas celosas,nos mirarán pasar…
いつかあなたが私を愛してくれる日、お洒落なバラの花は最高の色の晴れ着をまとうだろう。
鐘は風に向かって、あなたが私のものだと告げるだろう。
いつかあなたが私を愛してくれる夜、妬み深い星たちは、紺碧の空から
私たちが通り過ぎるのを見つめるだろう。

<Te recuerdo Amanda~アマンダ、あなたを忘れない>
Te recuerdo Amanda,la calle mojada,
corriendo a la fábrica donde trabajaba Manuel.
La sonrisa ancha, la lluvia en el pelo,
no importaba nada, ibas a encontrarte con él,
con él, con él, con él, con él.

Son cinco minutos. La vida es eterna en cinco minutos.
Suena la sirena de vuelta al trabajo,y tú caminando, lo iluminas todo.
Los cinco minutos te hacen florecer

Que partió a la guerra.
Que nunca hizo daño. Que partió a la sierra,
y en cinco minutos quedó destrozado.
Suena la sirena, de vuelta al trabajo.
Muchos no volvieron, tampoco Manuel.

アマンダ、あなたを忘れない。濡れた歩道を、マヌエルの働く工場に駆けて行く。
大らかな微笑み、髪には雨の雫。他のことはどうでもいい、マヌエルに会いに行くのだから。
たった5分、たった5分の中に永遠の人生がある。
仕事に戻れと、工場のサイレンが鳴る。
帰り道のあなたは、あたりの全てを輝かせている。たった5分があなたを花開かせる。

マヌエルは戦いに行ってしまった。彼は酷いことはしなかった。山へ戦いに行った。
たった5分でズダズダになった。
仕事に戻れと、工場のサイレンが鳴る。皆、戻って来なかった。マヌエルも。

…たった5分の工場の休憩時間、マヌエルに会いに行くアマンダ。たった5分マヌエルに会って、
アマンダは輝く。けれどマヌエルは戦いに行って戻って来なかった。
この曲を作ったのはチリのシンガー、ビクトル・ハラ。1973年にチリで、ピノチェ率いる軍隊が
クーデターを起こした。社会主義のアジェンデ政権は倒され、アジェンデを支持したビクトル・ハラも
虐殺された。一緒に連行された市民たち励まそうと最後まで歌っていたという。
ギターを弾く腕を撃ち砕かれたという説もある。
 (ビクトル・ハラ)


他にも15曲、心に響く曲ばかりだった。
愛の喜び、別れの悲しみ、歌い手としてのメッセージ、人生への賛歌…。
素敵なフレーズを幾つか。 (聞きとりと訳は適当(汗))

Cuando se muere la carne, el arma busca su sitio
adentro de una amapola o dentro de un pajarito
肉体が滅びたら、魂はその居場所を探す。アマポーラの花の中に、小鳥の中に。
 
A lo lejos alguien canta, a lo lejos…
Mi alma no se contenta con haberlo perdido.
Aunque este es ,ay, el último dolor que el me cause.
Y estos son los últimos versos que yo escribo.
遠くで誰かが歌っている、遠くで。
私の魂は、彼を失って悲しんでいる。
彼が私に与える痛みは、ああ、これが最後だけれども
詩を書くのは、もうこれきりにしよう。

Gracias a la vida que me ha dado tanto. Me ha dado la marcha de mis pies cansados
con ellos anduve ciudades y charcos, playas y desiertos, montañas y llanos,
y la casa tuya, tu calle y tu patio.
Gracias a la vida que me ha dado tanto.
人生にありがとう、私にたくさんのものをくれた。この疲れた足で歩ませてくれた。
街々を、池や浜辺や砂漠、山や平原を歩いた。
そして、あなたの家や通りや中庭にも行くことが出来た。
人生よ、私にいろいろなものをくれてありがとう。


ということで謙虚に感謝して、今日はおしまい。
1960年から75年までの昭和の風景と当時のヒットソングが盛り込まれた懐かしいDVDのことも
書きたかったのだけれどまたいつか。


5月1日、相変わらずのクジ運と新宿<ピットイン>

2011-05-04 06:57:36 | 音楽・演劇・絵画・映画
5月1日午前9時40分。地元ギター合奏団の定演会場11月分の抽選会へ。クジ運の悪さに終止符を打つか、
はたまた記録更新か、などと考えながら会場に着くと、先月を上回る数の希望者が集まっていた。その4分の3は
土日祭日のホール狙いだろう。何としても優先順位1桁を取らなくてはならない。気合を込めてガラガラを回す。
42番。…、先月より悪いじゃん。
別の会場の抽選に行っているMくんにメールを打つ。「ダメでした。そっちはどう?」
Mくんの優しく穏やかな表情を思い浮かべる。きっと彼も惨敗だろう。
すぐに電話が入った。「取れましたっ!」「え~?」嬉しいというより、何だか自分が情けない。
でも風に吹かれて歩きながら考えた。もし私も会場が取れていたらどうだろう。Mくんが取った会場の方が駅の近くで
条件が良いから、私の方はキャンセルになった。だから、これで良かったのだ。抽選に外れてめでたし。
だんだん元気になってきた。地元合奏団は人数が少ない、先生もいないしA合奏団のように音楽センス抜群のメンバーも
いない。あと半年でどこまでできるか分からないけれど、その未知数が好き。

夜は夫とジャズのライブへ。

自分はジャズが好きなんだろうか…と思う。ディキシー、ラテンジャズ、ビッグバンドはいつでも楽しく聴けるけれど
モダンジャズはその時による。心にヤスリをかけられるような気分になることもある。
初めてジャズ喫茶に行ったのは大学生の頃、代々木の<ナル>だった。暗くてタバコの煙が漂っていたことしか印象に
残っていない。同じ頃に聴き始めたフラメンコの方がずっと心に響いた。
ジャズはタバコを吸うのと同じだった。ちょっと背伸びをしたかっただけ。それでも社会人なると、ライブハウスにも
足を運んだ。新宿の<ピットイン>には何度か行った。最初はごちゃごちゃした裏通りにあったような気がする。
狭くてポスターがたくさん貼ってあった。演奏者の名前も覚えていないがジャズ・ビブラフォンを聴いた時は感動した。
まだミルト・ジャクソンも知らなかった頃…。
始めのうちは勇敢にも一人で聴きに行ったが、そのうち友人たちを誘うようになる。<ピットイン>が今の場所に
移ってから、ギタリストの渡辺香津美さんの演奏を聴いた。上手いしカッコ良かったから女性ファンも多かった。

その<ピットイン>に行くのは四半世紀ぶり?場所も忘れていた。伊勢丹を通り過ぎて「世界堂」のある四つ角を
渡って左、ゲイタウンで名高い新宿2丁目の入口あたり。右手は妙に暗くて不気味。
地下に降りると昔ながらのライブハウスがあった。古い喫茶店の匂いがする、程よくタバコの香りがする。
3500円ワンドリンク付き。ジャズにはバーボンと勝手に決めている。安っぽいクリアカップを渡される。これでいい。
例えば青山の<ブルーノート東京>は、入場料の他に高価なドリンクやフードを注文しなくてはならない。
洒落た都会の夜もいいけれど、お財布を気にしながらジャズが聴けるかっ。

出演は辛島文雄トリオ。ピアニストの辛島さんは63歳のベテラン。息子のように若いべーシストとドラマーと共に登場。
最初の曲は弾むようなノリの「ブリリアント・ダークネス」。若い二人も楽しそうに演奏している。
この夜は日野 皓正さんがゲスト。亡き弟さんに捧げられた「エンジェル・スマイル」は、最初、怒っているようにも
聞こえた。それから黒いオルフェのメロディーに移行していく。愛する人を黄泉の国まで追って行くオルフェ…。
2部は辛島さんのピアノソロで始まった。ビル・エバンスの「Two Lonely People」は切ない。
日野さんのレパートリー「クリムゾン」は「枯葉」と同じコード進行だそうで、「枯葉」の味わいを残しながらも
別の世界が広がっていく。ジャズのこの自由さと深さは次の曲「ノルウェイの森」にも感じられた。有名なフレーズの
繰り返しの向こう側に現れるイメージは、ビートルズとは違う。

モダンジャズを聴いていると、ふっと自分がいなくなる瞬間がある。たぶん、その感じが好きで聴いているのかもしれない。
楽しく深いライブを聴き終えて店を出ると、外の壁に浅川マキがいた。浅川マキは2009年12月30日に、この
ピットインで大みそか公演をし、翌年1月17日に急逝した。そして3月4日、ここでお別れの会があった。

クジ運とカオナシ

2011-04-03 10:19:53 | 音楽・演劇・絵画・映画
地元のギター合奏団では、この秋に2年に一度の定期演奏会が予定されている。演奏曲も2部の小編成以外は決まった。
A合奏団の選曲や編曲・練習方法に慣れている私には物足りないと言えば物足りないのだが、根っから合奏が好きなので
地元でも楽しく弾いている。で、あとは演奏会場の確保。これがなかなか厳しい。
私の住む区では、ある月のホールの抽選・申し込みは半年前の月の初日に行われる。10月分は4月1日に抽選会があった。
どの日でも良いから10月の土日祭日を取って来い…との指令を受けて、クジ運の悪い私が近くの文化施設に出向いた。

会場に着くと28番の札が渡される。28番というのは優先順位のクジを引くための順番なので意味は無い。
希望日は5つ選べるから、とりあえず10月の土曜日と連休の中日である10月9日を用紙に記入した。
抽選に来たのは57組。1番にガラガラくじを回した若者は57番の玉を出してしまった。「1番の方、57番です!」…
うわークジ運、悪すぎっ。ガッカリしただろうな。案の定「もう帰っちゃっても良いですか?」などとヒソヒソ携帯電話している。
私の番が来た。せめて28番より少ない番号を引きたいと思う。いや、そんな弱気でどうする。狙いは一桁の数字。
ガラガラッ。「28番の方、36番!」やっぱね、この程度か。
優先順位1番のヒトから、希望日を取って行く。ホールじゃなくて多目的室や展示室を選ぶ人もいるので、36番だってチャンスが
無い訳ではない…とドキドキしながら待っていたが、20番あたりで10月の土日祭日のホールは全て埋まってしまった。
別のホールの抽選会に行った人もクジ運が無さそうなタイプだし、11月の抽選待ちになるかもね。
次回は別の人にお願いしよう…と地元のメンバーの顔を思い浮かべるが、あまり強気な顔は出て来ない。
そこが良いところである…とも言える。


話変わって、今年になってから宮崎駿のアニメ「千と千尋の神隠し」を何回も見ている。1月7日のテレビ放映をブルーレイで
きれいに録画できた。何となく気持ちが沈んでいるときに見ると元気が出る。
何回も見ていると、舞台設定の不思議さや美しさ、登場人物たちの~特に脇役たちの~ちょっとした動きの面白さに気づいたりする。
登場人物の中で一番気になるのが「カオナシ」という生き物。彼は孤独な上に臆病なので、八百万の神々が疲れを癒す「湯屋」に
足を踏み入れることもできない。
「湯屋」に通じる橋の上でボーっと立っているとき、豚にされた父母を救うために橋を渡る千尋を見かけて好きになる。

千尋に会いたくてようやく橋を渡り庭で佇んでいると、「湯屋」で働き始めた千尋が「ここ開けときますね。」と戸を開けてくれた。
「あ。。あ。。」としか喋れない。どうやって好意を表現して良いのかも分からない。千尋の喜びそうなものを手から出してみせるが
受け取ってもらえない。
やけくそになった「カオナシ」は手から出した金のおかげで豪遊し、暴れ回る。でも千尋から解毒団子を飲まされて元の静かな
姿に戻ることができた。
最後はエコロジーで穏やかな暮らしをしている魔女のもとで働くことになる。
千尋からは微妙な好意しか貰えなかったけれど、千尋と出会ったことで孤独から救われるのである。ささやかな、めでたし。

これは魔女の家で慎ましく、魔女お手製のチーズケーキ(?)を食べている「カオナシ」。

宮崎駿のアニメには、真っすぐで潔い登場人物がいくらでもいるのに、情けなくて寂しい「カオナシ」に惹かれる私って何だろう…
と思う。きっと私にも「カオナシ」的なところがあるからだろう。
今の私は、周りから行動的だと言われることが多い。様々な場所で、それなりのポジションを確保しているような気もする。
でも私の中には「カオナシ」がいる。クジ運が悪い不器用なところも、それかもしれない。

ブルックナーなお正月

2011-01-04 11:59:13 | 音楽・演劇・絵画・映画


お正月になると何となくワーグナーが聴きたくなるのは、8年前の年末、ワグネリアンだった友人が東京を
去ったことに起因しているかもしれない。お別れに戴いた<ニュルンベルクのマイスタージンガー>と
<パルジファル>全曲のCDを、お正月休みに聴いたのを覚えている。特に<パルジファル>の中で繰り返し
聴こえてくる静謐で美しいメロディーは心に深く染み入った。
その友人の帰郷は、あのころ思いがけなく私に訪れていた2年にわたる陽気な日々の終わりを意味していたから、
よけい心に染みたのだろう。何十歳になろうと、一つの時代の終わりは寂しい。
あの陽気な2年間は、私のそれからの生き方の自信になってくれた。楽しい時間を過ごした仲間たちは散り散りに
なり、ほんの数人東京に残った友人たちの一人は昨年秋に世を去ってしまったが…。

でも今年のお正月はワーグナーよりブルックナーが聴きたくなった。クラシック音楽に詳しい人は何と言うか
分からないが私の中ではワーグナーとブルックナーの世界はかなり類似している。
だから、お正月にブルックナーさんを聴いたからといってワーグナーさんに義理を欠いた…という気持ちには
ならない。
ブルックナーを聴くようになったのは、昨年5月のN響のコンサートで交響曲7番に感銘を受けたのがきっかけ
だった。交響曲全曲のCD集も手に入れた。そのCD集はネットで見つけたもので11枚2000円弱という
奇跡的なお値段。簡素なジャケットに入った11枚のCDは、これまた簡素な箱に納められている。
指揮者もオーケストラも超一流という訳ではないだろうけれど、このシンプルな箱、私には大きな宇宙を秘めた
玉手箱のように思える。

先入観で曲を聴くのは嫌いなので、とにかく第1番から順番に聴いて行った。
どの曲にも美しさや静けさ、荘厳さがあり、癒される曲もあれば心が舞い上がる曲もあった。
今のところ甲乙をつけることは出来ないが、やはり一番好きなのは第7番。5月に聴いた曲だから耳に馴染んで
いるのだろう。「最もブルックナーらしくない曲」と評されているが、そうだろうか。
フィットネススタジオに通う私というのは、最も私らしくない私だけれど、確実に私である。っていうのと同じ
じゃないかな(変な理屈)。

その時の身体や気持ちのコンディションで受けとめ方も変わったりする。一通り何回か聴いたら曲の優劣にも
気が付くのかもしれないし、いずれはブルックナー解釈の第一人者と称される朝比奈隆さんの指揮のものも
聴いてみたいが、今のところはフィーリングを大切に、ゆっくり私の中でブルックナーを熟成させたいと思って
いる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

お正月3が日は駆け足で過ぎてしまった。
元旦は地元、本門寺さんへ初詣。これは年の始めに欠かせない我が家の行事。夕刻、境内で鐘を突いていた。
除夜の鐘ではなかったが、冷たい空気を震わせて伝わってくる音に、心がしんとした。
池上に新しくできた椿屋珈琲店にも寄った。椿屋珈琲店といえば落ち着いた優雅な雰囲気の店ばかりだが、
池上にできた店はカジュアルで、ほのかな甘みが残る上品な味わいの椿屋ブレンドが250円で飲める。
これから時どき立ちよりたい店だ。
2日は映画「相棒」を観に川崎ラ・ゾーナへ。最近は気楽な映画しか観ない。家族や友達と映画館に行き
美味しいものを食べて帰る…、私にとって映画はそんな位置づけになってしまった。
でも、かつてたくさん観た古き名画については、いつかまとめてみたいと思っている。
3日は叔母の家にお呼ばれ。語学、映画、旅行、音楽…若き日の叔母は少女だった私にたくさんの刺激をくれた。
その叔母も70歳になっただろうか、少し膝を痛めている。80歳の誕生日を迎えたばかりの義叔父は物忘れを
するようになったが若々しくてハンサム。まるで実家に帰った娘のように台所仕事を手伝う私だった。

今年も音楽を楽しみ、人を大切に思いながら過ごしたい。
あけましておめでとうございます。

音楽を語る…?

2010-09-05 01:01:23 | 音楽・演劇・絵画・映画
民主党の党首選に向けて「トロイカ体制」という言葉が話題になった。どういう意味かと調べたら
「3人に権限を分散させた集団指導体制」と出ていた。
私にとって「トロイカ」といえば、もちろんロシア民謡に出てくる「トロイカ」である。
考えてみたら正確な意味を知らなかった。漠然とソリのようなものを想像していた。当たり!
「三頭立ての馬車やソリ」のことだそうだ。「トロイカ」はもともと数字の3を表わすらしい。

ロシア民謡は子供の頃よく歌った。「トロイカ」の2番の歌詞に<高鳴れ、バイヤン>というのがある。
バイヤンとは?..大きな鈴のようなもの?…はずれ、正解はアコーデオンのような楽器。
他にも分からない言葉は幾つもあった。
ペチカ…暖炉?…ビンゴ!
サラファン…バンダナみたいなもの?…はずれ、ブラウスの上に着る肩紐の付いたワンピースドレス。
ステンカラージン…ステンカラー人、民族?…はずれ、歴史上の人物名。
意味も分からず、一生懸命に声を張り上げて歌ったものだ。
ロシア民謡には、どこか哀愁のある美しい曲が多かった。

三女に「トロイカって歌、知ってる?」と訊いたところ、あっさり「知らない。」と言われてしまった。
「えーっ、知らないの?」…。ご丁寧に「ゆーきーのシラカバなーみき♪」と歌ってみせたが
~私の音痴のせいではなく~やはり知らない様子だった。
三女は吹奏楽部に入っていて様々なアレンジ曲を演奏していたから、普通の女の子よりは古い曲を
知っていると思っていたが。。。

今の若い人たちは素晴らしい音楽環境の中にいるけれど、案外、知らない曲が多いのかもしれない。
私が子供だった頃は世界中の音楽が身近にあった。日本民謡はもちろん、ロシア民謡、シャンソン、
カンツォーネ、ハワイアン、ボサノバ、フォルクローレ、タンゴ、コンチネンタルタンゴ、ラテン音楽…。
フラメンコは西郷輝彦の「星のフラメンコ」(笑)くらいしかなかったが、クラシックの「カルメン」は
スペイン情緒たっぷりだった。
世界地図は音楽で色分けすることが出来た。
今はグローバル化っていうんだろうか。音楽もあまり国家や地域の境目が無くなってしまった。
ベタなものは、少なくとも若い人たちの中から消えつつあるのかもしれない。

フラメンコの若手ギタリスト、パコ・フェルナンデスのアルバムの解説に「僕は、このアルバムを
出すにあたって、お父さんの意見が一番気になった。お父さんが喜んでくれたのが一番嬉しかった」
というような文があった。
フラメンコの世界もご多分にもれず、お父さん世代の加齢臭フラメンコは敬遠されるみたいだ。
新しいものはジャズとかボサノバの味付けが加わっていたりポップだったり都会的だったりする。
コードもAmやEmやCやFのような単純なものじゃなくて、♯やら7やらsusやら、訳のわからないのが
ゴタゴタ付いている。
先週のフラメンコのパーティでも、若い人たちが歌う曲と、往年のファンが歌うものでは雰囲気が違う。
まあ、これが時代の流れなんだろう。

Aギター合奏団では、定期演奏会のアンコールのためにフォルクローレの「花祭り」が編曲された。
その編曲を聴いた時、私は戸惑いを隠せなかった。
編曲者は若くて才気のある人だから、当たり前の「花祭り」には飽き足らず、不思議な音を組み合わせたり
原曲に無いフレーズを入れたりしている。それはそれで素敵なのだが、私には何かが違った。

「花祭り」や「コンドルは飛んでいく」のメロディーを聴きながら、南米の山や空や空気を想像したあの頃。
スペインに行きたい、中南米を知りたい…そう思いながらスペイン語の単語を一つ一つ覚えていた。
音楽と風土、言語、人…。私には切り離せない。

今、テレビでは世界各国の様子を見ることが出来る。パソコンで何でも調べることが出来る。
音楽を聴きながら、その独特の節回しや雰囲気を頼りに、まだ見ぬ国を想像する時代はとっくに
終わってしまったのだろうか。

フラメンコ&ジャズ

2010-08-31 04:35:28 | 音楽・演劇・絵画・映画
金曜日は久しぶりにフラメンコの師匠のペーニャに参加した。
今年になってギター伴奏クラスをお休みしていることもあり足が遠のいていたが、師匠の誕生祝いも
兼ねるパーティということで思い切って出かけることにした。
幹事のFさんに頼まれて渋谷東急でバースディケーキを買う。お客様がたくさん並んでいる店に入る。
ここの本店は三宿にあるとかで、三宿ロールという名の美味しそうなロールケーキも特別に売っていた。
これは私からのささやかなプレゼントにしよう。
何ヶ月かぶりに会場のドアを開けるといつもの顔があった。今日の師匠は髪の毛がフワフワしている。
お元気そうで良かった。
ケーキにローソクを灯す頃には、猛暑にもかかわらず沢山の人が集まっていた。師匠と共に長い道のりを
歩んで来られたベテランの方々、プロとしても活躍している生徒さん達、往年のフラメンコファン…。
宴もたけなわ、ギターが響き唄が始まる。生徒さん達の若くて情熱的な声。往年の愛好家たちは
じっくりと聴かせてくれる。踊りも加わる。
私はワイングラス(じゃなくて紙コップ)を傾けながら古巣に帰ったような気分になっていた。
フラメンコギターを弾きたい…という想いは以前ほどではなくなってしまった。
だんだん指の動きがぎこちなくなってきているのが分かる。今は合奏団の課題曲をこなすのがやっとだ。
でも何かの導きで足を踏み入れたフラメンコの世界。これからもここにいたい。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

日曜日は<サマージャズフェスティバル>。
このブログに<サマージャズフェスティバル>のことを書くのも3回目になった。
42回目を迎えるこのフェスティバル。最初の頃は野外のコンサートだったそうだ。プレーヤーもファンも
少しずつお年を召し、日比谷公会堂に場所を移した。
日比谷公会堂は今年で開設80年になる。80年!確かにどこもかしこも古臭いが、味わいがある建物だ。
音楽の妖精や魔物たちが住みついているのかもしれない。
新宿の厚生年金ホールが幕を閉じたのは今年の3月だった。日比谷公会堂はまだまだ続いてほしい。
(写真は日比谷公会堂。今現在は外装を補修工事しているのか白いシートがかかっている)

毎年、60歳代・70歳代のベテランプレーヤーがジャズを堪能させてくれる<サマージャズフェスティバル>だが
バンドのメンバーには若い人も多くなった。世代交代を意識しているのだろうか。
「生存確認コンサートにようこそ」が口癖のクラリネット奏者、藤家虹二(ふじか・こうじ)さん、
今年は参加されていないな。華やかなペギー葉山さんがお休みなのも寂しい。
でも、クラリネットの北村英治さんはじめ、42回連続出演のピアニスト今田勝さん、ヨーデルのウィリー沖山さん、
マーサ三宅さん、森サカエさん。バナナボードの浜村美智子さん…。今年も皆さんお元気。
浜村美智子さんはバナナの飾りを沢山ぶら下げた奇抜な衣装がお似合い。お化粧を落として「ふー」っと
一息つく時は年齢相応のお姿になるのだろうか。それとも妖怪?

ご機嫌な曲がたくさんあった。
ラテンジャズのビッグバンドが演奏した<シボネー>はフラメンコギター用のアレンジもある。古い曲なのね。
デキシーの外山嘉雄さんがサッチモ(ルイ・アームストロング)の声色で歌う<What a wonderful World>は
CMでもお馴染み。
今田勝さんのバンドには若いお嬢さんが2人(トランペットとサックス)が参加して<チュニジアの夜>を熱演。
この曲は人気があるのかな、ライブでよく耳にする。熱い感じが好きだ。ベースの井上陽介さんも素敵。
年齢は若いけれどトロンボーンの片岡雄三さんがカルテットを率いていたのも嬉しかった。
この人ののびやかな演奏に以前から注目していた。顔が「渡辺いっけい」に似ているせいもあるんだけど。
なんと大ベテラン向井滋春さんがゲスト。競演はすばらしかった。

ジャズ以外にはハワイアンが目を楽しませてくれた。
そして沖縄の喜納昌吉さんが大ヒット曲の『花』と『ハイサイおじさん』などを歌った。
喜納さんが平和活動に携わる政治家であることを初めて知った。

最後は森寿男とブルーコーツの演奏で幕が下りる。
6時間に及ぶ長いコンサートだったが疲れは無かった。客席は人生の大先輩の年齢の方々でいっぱいだった。

プログラムに載っていたサミュエル・ウルマンの詩。
~青春とは人生の一時期のことではなく、心のあり方だ。
人間は信念と共に若くあり、恐怖と共に老いる。
希望ある限り人間は若く、失望と共に老いるのである~


孤独なダンス ~スティング、そして苦悩の歴史~

2010-06-06 02:48:13 | 音楽・演劇・絵画・映画
イギリスのロックバンド<ポリス>のメンバーでもあるミュージシャン、スティングが
1987年にリリースしたアルバム<Nothing Like The Sun>の中に<They Dance Alone~孤独なダンス>
という曲がある。哀愁のある美しいメロディーが心に染みてくる。

http://www.dailymotion.com/video/x2dykr_sting-they-dance-alone-cueca-solo_music

この曲には<Cueca Solo>というスペイン語の副題が付いている。孤独のクエカ...。
クエカというのはチリの舞曲で、男女のペアがハンカチを振りながら踊るのだそうだ。
愛する人と共に踊るはずの曲を一人ぼっちで踊らなくてはならない女たち…。

1970年、チリでは自由選挙による社会主義政権が樹立した。大統領のアジェンデは労働者たち、
一般市民たちから支持され愛されたが、1973年に陸軍司令官ピノチェがクーデターを起こす。
反共主義・反社会主義を支援するアメリカ合衆国の後押しもありピノチェが勝利するや、
アジェンデ政権を支持した人々が虐殺され始めた。連れ去られ、投獄され、拷問され、葬り去られる。

ずっと以前、チリの女性から一冊の本をいただいた。題名は<una herida abierta ~開いた傷口~>。
表紙には、息子や夫たちの写真を掲げて歩く女たちの写真が載っていた。
軍事政権によって連れ去られ行方不明になった愛する人を必死に探す女たちの群れだ。

スティングはチリのこの状況を悲しみ怒り、<孤独なダンス>を作り歌った。
曲の中には、スペイン語で語られる部分もある。

Ellas danzan con los desaparecidos  彼女たちは行方知らずの者たちと踊る
Danzan con los muertos         死者たちと踊る
Danzan con amores invisibles     目に見えない愛と共に踊る
Con silenciosa angustia         言葉にならない苦しみを抱え
Danzan con sus padres         父親たちと踊る
Danzan con sus hijos           息子たちと踊る
Danzan con sus esposos        夫たちと踊る
Ellas danzan solas, danzan solas   彼女たちは一人ぼっちで踊る 一人ぼっちで

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

昨日、帰宅すると郵便受けに分厚い封書が入っていた。
差出人は以前スペイン語のグループにいらした男性だった。スペインに移り住まれ、あちらで
充実した日々を送っていらっしゃる。もう3年近く音信が途絶えていた。
理知的で思索的な、その男性のことを思い出しながら封を開けると一冊の本が入っていた。
今年賞をとったばかりの小説で、ユダヤ人を大量虐殺したナチスの残党が、シンパのいる国々で
今ものうのうと生きている…そのことへの怒りが発露となった作品らしい。
重いテーマだが、この本は何としても読まなくてはと思った。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

歴史の中には、悲しく醜く恐ろしい事実がたくさん存在する。
もうとっくに過ぎてしまったことだから、知らなくても良いのだろうか。そんなことはないだろう。
醜い過去に目をつぶって、美しい未来を語れるはずもない。
今だって、世界のいたるところに自由を奪う思想と行為がはびこっている。

多くの人たちに励まされながらスペイン語を続けているのは、ただ語学を学ぶためだけでは
ないのだと気付いている。
私には何もできないけれど、こうしてブログに書いている。

本日の出来事。真昼の決闘...など

2010-05-22 21:00:48 | 音楽・演劇・絵画・映画
今日はスペイン語の勉強会。
ホームのベンチで電車を待っていると50代くらいの男性が声をかけてきた。
「上野に行きたいのでお金をくれませんか?」
この光景には覚えがある。デジャブ?いや、デジャブではない。確かに昨年末に経験した。
あの時は「桜木町に行きたいので200円下さい。」だった。
同じ顔。もう初夏なので小ざっぱりとした半袖のシャツを着ている。荒んだ感じは無い。
おじさん、またですかあ?
「以前、差し上げました。」と答えて席を立った。
相変わらず人の良さそうなオバサンを見つけては、たかって生きているのか...。
それとも単なる趣味?前回よりさらに情けない気持ちになった。

でも原宿駅に着くと元気が湧いてきた。最近の勉強会場は原宿の区民会館が多い。
カラフルな衣装の若者たちでごった返す街と地味な勉強会は似つかわしくないが、もう慣れた。
表参道には色々な店があるし~私はスペインのブランド<ZARA>が好き~、立ち並ぶ建物も
よく見ると変わった形をしている。路地を入ると昔ながらの住居があったりする。

本日のお勉強。
最初のクラスのお題は<スペインのドラマ>。
スペインには2005年から延々と続いているテレビドラマがある。
タイトルは<amar en tiempos revueltos>、直訳すると<混乱の時代に愛すること>。
物語は1936年に勃発した内戦の少し前から始まる。
生まれたばかりの共和政府に沸き立つマドリーの労働者たちは「自由」を叫ぶ。
しかし共和政府を打倒すべくフランコ将軍が、早くも反旗を翻す。
貧しい労働者たちと金持ちたちの立場が入れ替わり、フランコ軍の勝利によって再び元に戻る。
物語は貧しい若者と資本家の娘の恋から始まり、現在は1950年あたりまで時代が進んでいる。
全シリーズをネットで無料で見ることが出来るので、先週から見はじめている。
1週間に5話くらいは見たいと思っている。スペイン語を理解するのはとても難しいけれど、
60歳を過ぎてヨーロッパに渡り風景画を極めた女流画家の三岸節子さんのエネルギーに
負けないように頑張ろう。彼女の個展で受けた感銘を無駄にしないように。
という訳で、この物語をクラスで紹介。

次のクラスのお題は<Solo ante el peligro>、直訳すると<危険を前にただ一人>。
クラスで読んでいる小説の中にたまたま出てきた古い映画の題名だ。何のこっちゃ?
スペインのYahooで調べると、主演はゲーリー・クーパー、グレイス・ケリーで、英語の題名は
<High Noon>とある。あ、何となく見当がついた。
有名なクラシック映画<真昼の決闘(1952)>では?
この映画、小説の中に出てくるくらいだからスペインでも大ヒットしたらしい。
という訳で粗筋をスペイン語で読んだ。メンバーの男性が、粗筋だけでは見えてこない情景を
語って下さった。炎暑の町、照りつける太陽、乾いた大地。悪漢を乗せてやって来る正午の汽車を
ただ一人で待ち受ける保安官(ゲーリー・クーパー)...。
別のメンバーの男性がテーマ曲を口ずさんで下さる。
もしかしたら私も観たかもしれない。子供の頃、映画好きな叔母の家に泊まりに行くと
必ず「日曜洋画劇場」を観せられた。
淀川長治の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ...」が見たくて眠い目をこすりながら起きていた。
あのとき観たのかもしれない。

帰宅して、ソラマメを茹で、お疲れ様のビールを飲んだ。
本日は、なかなか良い一日だった。

ブルックナーの午後

2010-05-17 12:57:41 | 音楽・演劇・絵画・映画
私の場合クラシックのオーケストラの演奏会というと、贔屓の楽団や指揮者がある訳ではないので
曲目で選ぶことが多く、かたよった選択になってしまいがちだ。
土曜日は、たまたま戴いたチケットだったので、初めてブルックナーを聴くことが出来た。
ごく若い頃、クラシック音楽に蘊蓄のありそうな男性数人から「マーラー、ブルックナーは良い。」
と言われたせいだろう、何となく男性好みの難解な音楽であるような印象を持っていた。
(何故、マーラーとブルックナーがひとくくりで語られるのかも分からない…)
退屈で寝てしまったらどうしよう、例のごとくお腹が鳴ったらどうしようと、ちょっと緊張して
出かけた。

私は静かな音楽会に行くと緊張するせいか必ずお腹が鳴る。映画の深刻なシーンもしかり。
お腹が鳴りませんように…と身体を丸めて冷や汗をかいていては折角の音楽も映画も台無し。
チョコレートやアメは必需品だ。
忘れた場合は同行の人たちに「誰かアメ持っていませんかあああ!!??」と必死で聞きまわる。
特に、針の落ちる音さえ響き渡るクラシックギター・ソロの演奏会には~一応クラシックギターを
やっているにもかかわらず~自ら進んで行きたいとは思わない。

そんなこんなで尾高忠明指揮・NHK交響楽団定期公演。

第一部は武満徹の「ノスタルジア」。アンドレイ・タルコフスキーの追憶に~という副題がある。
静かで瞑想的な曲だった。
私の席から指揮者の手の動きが良く見えた。さざ波のような手の動きに合わせて、ではなく、
その動きのどこかを捉えて各楽器の音が入って来る。
Aギター合奏団の1月の定期演奏会では、2曲ほど本格的な指揮者に振っていただいたが、
「イチニイサンシイ、はいっ!」みたいな指揮しか知らなかった私には微妙な手の動きが分かりにくく
困ってしまった。
本当の演奏家たちの指揮と演奏を目の当たりにして、自分の至らなさを思い知る。でも指揮と演奏の
関わりを感じながらコンサートを聴くようになれたのは、あの時の指導のおかげだと思う。

15分ほどの短い一部が終わり、いよいよブルックナーの「交響曲第7番ホ長調」。
初めて聴くブルックナーは感動的だった。特に第二楽章・アダージョの荘厳な美しさには涙が
出そうになった。空から音楽が舞い降りて身体の中に入って来る感じ。もしくは、古めかしい建物の
暗い部屋に一筋の光が差し込んで来る感じ。
ワーグナーの「タンホイザー序曲」を初めて聴いた時の感動を思い出した。

ワーグナーも「ワルキューレの騎行」や「結婚行進曲」は別として、取っつきにくい音楽だと
思っていたが、10年くらい前、語学学校で知り合った強烈なワグネリアンの影響で聴き始めた。
壮大で、美しく、時に宗教的な響きのある曲の数々はいつも私の傍にある。

音楽に限らず何ごとも先入観に支配されて尻込みしていると、出会えるものにも出会えない...。
そんなことを考えながら帰途についた。これからはブルックナーも聴いてみよう。

チケットを下さったSさんありがとうございました。いろいろなお話が出来て楽しい午後でした。

エレベーターガールと偉大な女流画家

2010-05-11 10:13:52 | 音楽・演劇・絵画・映画
先日何かの集まりで「エレベーターガールはまだ存在するか?」という話題になり、ハタと
首をかしげてしまった。
「上へまいります。○階、△△売り場でございます...」…。
抑揚のある声、売り場の店員さんとは異なるグレードの高い制服~しかも帽子・白い手袋付き~、
少し肘を張る手の組み方などが思い出された。そういえば最近見ていない。
駅ビルが充実しているからデパートに足を運ぶことが少なくなった。
たまに行ってもエスカレーターを利用することの方が多い。何カ月か前、東急百貨店で
エレベーターに乗ったときは自分で行き先のボタンを押したような気がする。
エレベーターガールはまだ存在するのか。

昨日、日本橋高島屋に行った。日本橋という地名には気おくれする。気おくれする地名は他にも
白金台とか麻布とか南青山とかがあるが、日本橋には歴史の重みみたいなものが更に加わる。
何を着て行こうかなと思う。三女の高校卒業式以来スーツに腕を通していない。堅苦しいし、
スカートのウエストがきつくなっていることを自覚したくないのでやめた。
いつも通りラクチンなチュニックに春のコートを羽織って出かける。

地下鉄の改札を出て地下から高島屋に入り、受付嬢にエレベーターの場所を尋ねる。
枠がクリーム色の、ガラス戸みたいな古臭いエレベーターがあった。内側は金属の格子に
なっている。
エレベーターの扉は幾つも並んでいて、隣の隣のが開いた。紺色の制服がちらりと見える。
エレベーターガール健在!
下の階に行くエレベーターだったのでそれには乗らず、ワクワクして次を待つ。目の前の扉が開いた。
あ…。現れたのは白い手袋をはめているものの、普通のグレーの制服を着た店員さんだった。
感じのよい女性だったが、案内の口調にもあの独特の揺れは無かった。
帰りのエレベーターもその女性だった。不況の時期、人件費の削減が関係しているのだろうか...。
でもほんの一瞬だったがエレベーターガールの存在が確認できてよかった。

エレベーターガール、バスガイド、電車のアナウンス、焼き芋屋さん、魚屋さん、さお竹屋さん、
お豆腐屋さん、金魚屋さん…。皆、声にそれぞれ違った抑揚を持っている。
もはや存在しなくなった職業もある。これって文化だと思う。

日本橋高島屋にはエレベーターガールを探しに行ったのではない。
女流画家・三岸節子展の最終日だった。
「元気がもらえる絵よ」とスペイン語クラスの女性に入場券をいただいた。
31歳で逝った天才画家・三岸好太郎の妻。「夫が死ななければ私が死んでいた」というくらい
壮絶な夫婦生活だったらしい。
花の絵で有名になるが飽き足らず、64歳の時フランスに移り住み風景画を描く。
20年後に帰国し、それからも94歳で亡くなるまで描き続けた。
女性的な繊細な絵ではない。油絵の具をこすりつけるようにダイナミックに描く。でも色彩、
特に赤の使い方はハッとするほど美しい。
64歳で日本を飛び出し風景画を究める姿には圧倒される。
絵の傍らには彼女の言葉も添えられていた。
「もっともっと深く掘り下げて根元の自己を取り出して、もっと根の深い作品を描きたい」
68歳の時の言葉だ。

写真の絵は「グァディスの家」と題されている。
グァディス…Guadix。私はグァディックスと発音していた。南スペインの小さな村の名だ。
私の心に焼き付いている風景はこの絵とは違う。違うけれども、この偉大でエネルギーに満ちた女性が
降り立ったのと同じ村に行き、同じ空気を吸ったのだと思うと何だか胸がときめく。

不思議の国のワタシ

2010-04-26 12:32:00 | 音楽・演劇・絵画・映画
記憶が曖昧だが、子供の頃「ディズニーランド」というテレビ番組があった。
金曜日の夜だったと思う。大好きな番組だったけれど、プロレス中継と一週間交代の放映で
2週間に一回しか見ることが出来なかった。
番組が始まる時間になると~確か夜の8時スタートで、子供には早い時間とは言い難かった~
テレビの前に座り込み、固唾を飲んで待っていた。最初にウォルト・ディズニーが出てきて
その日のテーマを紹介する。髪をきれいに撫でつけて口髭を生やした素敵なオジサマだった。
テーマは「おとぎの国」「冒険の国」「未来の国」などに分かれていて、私はもちろん
「おとぎの国」のアニメーションが大好きだった。
ワクワクして待っていたのに『今日は「未来の国」』などと告げられると非常にふてくされた。
漫画ではなくロケットとか宇宙とか小難しい内容だったから。次の放映は2週間後...子供には
果てしなく長い待ち時間だった。
番組の内容を前もって新聞のテレビ欄を見て確かめておく...なんてことは無かった。知恵が
働かなかったのか、字が読めなかったのか、新聞を取っていなかったのか、どれかだろう。
幸い「未来の国」は滅多になく、だいたいは「おとぎの国」か「冒険の国」。
「冒険の国」は野生の動物を扱ったものが多く、アニメよりはつまんなかったが興味深い内容だった。

ディズニー映画もたくさん観た。
最初に観たのは「バンビ」だったと思う。お母さん鹿が死んでしまうシーンが悲しかった。
母と弟と3人で観に行った「眠れる森の美女」は印象深い。席が空いていなくて、画面に向かって
左側の前の方で立って観ていた。
溢れんばかりの色彩、ダイナミックな描写、素晴らしい想像と創造の世界。
美しさも恐ろしさも可愛らしさもスクリーンからゴージャスに降りそそいできた。
あれからン十年、ディズニーワールドはいつも私の傍にある。
私だけでなく世界中の人たちの傍に。

ディズニー映画の明るくゴージャスでファンタジックな表現は、時に原作の雰囲気や香りを
損ねてしまうような気がする。私の心の中だけの問題かもしれないけれど。
「ピノキオ」の映画では、ピノキオが猫とキツネに怪しげな宿屋に連れ込まれ金貨を奪われるという
陰気なエピソードが省かれ、かわりに海の底のファンタジックなシーンが長い。
「眠り姫」の妖精(仙女)たちは、私の想像の中では、あんなに可愛いオバチャマたちではなかった。
一昨日観た「アリス・イン・ワンダーランド」の双子は、アメリカ映画によく登場する典型的な
お間抜けな太っちょさんの顔だった。マザーグースの雰囲気はどこにも無い。

でも、そこは気にしなくて良いんだろう。自分の想像の世界とディズニーワールドと2つを
持っていることを幸せに思わなくてはならない。

ということで「アリス・イン・ワンダーランド」。はじめて3D映画というのを見た。
私は普段は眼鏡をかけないが映画を観る時は使う。その眼鏡の上にさらに3D用の眼鏡を
かける訳だから鬱陶しいこと極まりない。キチンと目に合わせていないと映像がボケたりするので
あまり身動きが出来ず肩が凝ってしまったが、迫力はあった。
最初「バイオハザード」の予告編で飛行機が飛んで来た時は、恥ずかしながらビクッとして
身を引いてしまったくらい。
映画は3Dの時代に突入するのだろう。今までのままでも良いと思うが、いずれ3Dでなければ
物足りなくなる日が来る。人間というのは贅沢を作り上げる天才だ。

白黒テレビの前で胸を弾ませていた子供は、CGと3Dを駆使した大画面でアリスを観るようになった。
でも根本にあるのは不思議さと不気味さのあるジョン・テニエルの挿絵かもしれない。
どんなに進んだ時代がやって来ても心の「核」は生き続けると思う。

それにしても、どんな扮装をしていてもジョニー・デップ様は魅力的。

誰でも知っているジョニー・デップ、誰も知らない?レイナルド・アレーナス

2010-03-30 09:45:50 | 音楽・演劇・絵画・映画
日曜日の夜は珍しく家族そろって日曜洋画劇場を見た。「パイレーツ・オブ・カリビアン」。
ここ数年アメリカのメジャーな映画に興味を失くしているので、この映画についても
ジョニー・デップがスターダムの頂点に躍り出た作品...くらいの知識しかなかった。
普通の海賊映画かと思っていたら、少しグロテスクではあるがファンタジーの要素が強く、
異質な世界に引き込まれた。
心臓を別のところに隠しているタコ顔の極悪船長、魚顔の手下、ブードゥー教の預言者、
大ダコのクラーケンなどの存在は妙に魅力的。クラーケンは伝説上の生き物でもある。
(伝説上の生物・妖精のたぐいは、これから学びたいジャンル)
初めはオーランド・ブルームの方が主役かと思った。どこから見ても美青年。
ジョニー・デップの方は変なメイクをしているし、人間的にも「どーだかなー、こいつ」みたいな
感じの役柄だ。

ジョニー・デップを初めて見たのは「ギルバート・グレイプ(1993)」という映画だった。
知的障害で自閉症の弟と、過食症の母を持つ誠実な青年の役を演じていた。
好感の持てる演技だったが、この映画、弟役のディカプリオが素晴らしすぎて、役者としては
ちょっと損をした感じだった。
次に見た「スリーピー・ホロウ(1999)」でも格別すごいものは感じなかった。

驚いたのは2000年の映画「夜になるまえに」を見た時だった。
この映画の中でジョニー・デップは2つの役を演じている。どちらもチョイ役だが忘れられない。
一つの役はビシッと制服姿がキマった中尉の役。もう一つの役は、グラマラスなオカマの娼婦役。
この頃ジョニー・デップはすでに押しも押されもしないスターだったのに、何故こんな派手さの無い
映画の小さな役を引き受けたのだろう。


「夜になるまえに(Antes que anochezca)」は、キューバの作家レイナルド・アレーナス(写真)の
同名の自叙伝を映画化した作品だ。
レイナルド・アレーナスは1943年に生まれ、文学を志す。次第にフィデル・カストロの
体制に批判的になり、ホモセクシュアルであったこともあり、要注意人物となる。
捕えられ投獄され拷問を受けてなお、人間として自由に生きることを求め続け、最後には
アメリカ合衆国に亡命する。エイズの病状が悪化し1990年に自殺。

もう10年くらい前、上智大学の社会人のためのスペイン語講座で学んだことがあった。
夫の従妹がこの大学の卒業生だったつてで、一般人は入れない図書館に足を踏み入れ本を
借りることが出来た。静かで薄暗い閲覧室を覚えている。
さすが上智大学、スペイン語圏の作品も豊富だった。
そのとき何故あの一冊を手に取ったか覚えていない。偶然としか思えない。
レイナルド・アレーナスの作品だった。その日から毎日辞書と首っ引きで読んだ。
タイトルは忘れたがキューバ革命前後を生きた一人の女性の物語だった。主人公の女性は革命後に
幸せにならなかった。体制への反抗心がじわじわと伝わってくる作品だった。
それからしばらくはパソコンでレイナルド・アレーナスのことを調べまくった。
彼はホモセクシュアルだったから、調べて行くうちに危ないサイトに踏み込んだこともあったが…。

間もなくミニシアターで「夜になるまえに」が上映された。
ジョニー・デップが演じたオカマの娼婦は、身体のとんでもないところにレイナルド・アレーナスの
原稿を隠して持ち出す。彼の反体制の小説を。
こういう役をしれっと演じるジョニー・デップのアウトローなところが好きだ。

パイレーツ・オブ・カリビアンのふざけたジョニー・デップを見ながら、エイズで死んだ反骨の作家を
思った。
あの頃、必死になって本を読んでいた自分を思い出した。
もっと勉強しなくてはと思う。

ジューダス・プリーストな日々  ~その5・へヴィメタって何だ?~

2009-11-04 11:11:13 | 音楽・演劇・絵画・映画
私くらいの「オバサン成熟期」を生きている女性たちが、ジューダス・プリーストを
知っている確率はぜいぜい1%ってところだろう。
その1%の熟女の中で「ジューダス・プリーストが好きです。」と胸を張って言える人は
3%に満たないと思う。1%の中の3%未満、それが私である。

私もつい3か月前はジューダス・プリーストの名前さえ知らなかった。
たまたま、スペイン語のお友達の息子さんが渋谷にロックバーを開き、遊びに行ったのが
きっかけだった。
知人がロックバーを開く確率…どう考えても1%以下。
しかも私にはジューダス・プリースト指南をしてくれる思慮深いロックギタリストの
お友達がいた。これまた低い確率。
なぜ思慮深いかというと、もしその人が、ジューダス・プリーストの代表曲として若者達の
絶大な支持を得ている<ペインキラー>だけを私に教えてくれたのだとしたら、私の
「ジューダス・プリーストな日々」は始まらなかったからだ。

<ペインキラー>を初めて聴いた時の印象。
恵比寿の区民施設でスペイン語の勉強をしていたある日、同じフロアーの大集会場で
「悪役商会」という、映画やドラマで悪役を専門に演じる俳優さんたちの集団の
集会があった。お勉強モードでその階に静々と到着した私は、おっかない顔をした
オジサンたちがうようよしているのを見て、震えあがったのだった。
驚き、場違い、いたたまれなさ。
そんな感じ…。
乾いたドラムの音、キュンキュンうなるギター、早口のシャウト、何を怒ってるの!?
メロディーあるのか!?虫歯の中に指を突っ込まれる不快感。
どこがペインキラー(鎮痛剤)なんですかあ。うわ、勘弁して下さい~~。

普通ならここで撤退するところだったが、思慮深く別の道が用意されていた。
<こてこてヘヴィメタ、ペインキラー・コース>のほかに、<初期のプログレ時代コース>と
<ハードロックからヘヴィメタに移行するの頃のコース>。
ジューダス・プリーストは40年近い活動期間の中で様々な表情を見せているから、
ペインキラー・コースで挫折しても他を当たれば良いのである。
という訳でこの3カ月はジューダス・プリーストの日々だった。
今は<ペインキラー>だって聴ける。強がりじゃなくて「悪くない」と思う。
彼らがここに至る道を辿れば分かるものがある。

ところで、ヘヴィメタ、ヘヴィメタと書いているが、ヘヴィメタって何だ?
案外、定義は難しいらしい。ネットで調べても明確な回答は出てこない。
で、私が感じたこと。

☆速い。クールで歯切れの良いリフ(繰り返されるギターのシンプルで力強いリズム)が
 全体を通して聞こえる。
☆ドラムがシャンシャン鳴り続けている。
☆情緒が無い。感情をそぎ落とした感じ。愛の歌は殆ど無く、たぶん反逆とか死、邪悪、
 嵐、マシーン、無法なんかがテーマ(英語分かりませんが…)。
 ゆえにPTAや教育委員会から嫌われる。
☆リズム主体で何度も聴かないとメロディーが分かりにくい。
☆歌手の声が甲高く、ふり絞るような感じ。ギターはキューンと激しい音を出して
 泣きの演奏は無い。
☆演奏や歌の最中に、激しく頭を前後に振る。
☆無機質。
☆演奏者の服装は黒。革製で金属の鋲が打ち込んであったりする。彼らは男っぽく、
 「悪役」のイメージがあり、漫画やテレビゲームに登場することもある。
☆権力、古臭い道徳感、型にはめられることへの反発心がある。
☆不思議な事に、じっくり聴いていると、だんだん好きになる。

ってとこかな。。。


長く生きてきて自分の好みもある程度固まってくると、音楽に限らず、異質なものを
避ける傾向になってしまう。
そんな私にガツンと一発。ありがとう、ジューダス・プリースト。
超が付くほどの低い確率から出会えた偶然にありがとう。
私にいつも刺激を下さる人たちにありがとう。

~これが最後かな、このシリーズ。まだつづくかも~

ジューダス・プリーストな日々 ~その4・自由って何だ?~

2009-10-09 11:08:40 | 音楽・演劇・絵画・映画
その昔「イージーライダー」という映画があった。
自由を愛し自由を求めて、広大なアメリカの大地をバイクで疾走する2人の若者
(ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー)。そして彼らに共感する酔いどれ弁護士
(ジャック・ニコルソン…好き☆)。
しかし自由な旅は悲劇的な結末を迎える。保守的な地元の人々は彼らを憎み、ついには
惨殺してしまうのだ。
どちらが正しいとか間違っているとか、そういう問題ではないだろう。大地に根を
おろし地道に暮らしている人々にとって、気ままにバイクを走らせるハチャメチャな
ライダーたちが許し難い存在だったことも理解できる。

自由は時どき道を踏み外して無軌道になる、保守的な真面目さは時として自由の芽を
つぶそうとする。そこに悲劇が生まれる。

「イージーライダー」が最初に公開されたのは1970年。ジューダス・プリーストが
結成されたのもその頃のことだ。

凡庸だと言われがちな1stアルバム(私は好きだけどな。ちょっと古臭くて)や、
ドラマチックな美しさのある2枚目3枚目のプログレ路線から、本格的なハードロックへ。
ハードロックは、さらに抒情性を排除してスピード感とリズムが強調され、音も歌声も
金属的に攻撃的になっていく。それがヘヴィメタ。
その初期の過程は4枚目から6枚目までのアルバム<Stained Class><Killing Machine>
<British Steel>(1978~1980)の中に表れている。
ジューダス・プリーストもまた、疾走するライダーたちのように、自分たちの世界を
追いかけて走り続けたんだろう。

4枚目のアルバム<Stained Class>の中に「Better by You, Better Than Me」という
曲が入っている。歯切れの良いリフ(繰り返されるギターのシンプルで力強いリズム)と
胸に迫るサビのメロディーは、若者たちに強い影響力があったのだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=PqAPVB4u9Zs

1985年、この曲を聴いた直後2人の若者が頤に銃口を当て引き金を引いた。
一人は即死、一人は顔を砕いたが一命を取りとめた。彼らは自殺の直前
「Do it!」と叫んでいた。
2人が聴いていた「Better by You, Better Than Me」は逆再生すると「Do it!」という
メッセージが聞こえ、それがサブリミナル効果となって2人を死へと導いたということで
遺族が裁判を起こした。ボーカルのロブ・ハルフォードは法廷に立つことになる。
そこには「俺様オーラ」を発し聴衆を鼓舞していたロブの面影は無く、気弱そうな
青年の姿がある。

自殺を図った若者たちは、酒を飲みマリファナを吸っていた。自由と無軌道が履き
違えられた末の悲劇だろう。裁判は曲の影響を認めず、ジューダス・プリーストに
無罪を言い渡した。
ハードロックやヘヴィメタの持つ、既成概念を打ち壊そうとするエネルギーは時として
こんな悲しい事件に巻き込まれ、親の世代から曲解され、マスコミの餌食になる。
一命を取りとめた若者は1988年に鎮痛剤の副作用で死亡している。

1990年、ジューダス・プリーストは衝撃的なアルバム「Painkiller」を出す。
10年かけて、途中にはアメリカ進出を目論んだポピュラー路線も交えながら、
ハードロックからへヴィメタへと進んできた彼らは、このアルバムで今までの過程を
一気に飛び越えた。UGさんは『突然変異』と評している。
特に第一曲目の<Painkiller>は激しい世界だ。この曲をへヴィメタの極致だと
考える人は多い。

偶然なのか意図的なのか、Painkillerとは鎮痛剤のこという。
あの悲惨な事件との関連はあるのだろうか。心の痛みや理不尽なものへの怒り、
それを跳ね返そうとすエネルギーが、このアルバムを生みだしたのだろうか。
分からない。分からないけれど<Painkiller>は全世界に嵐を送った。
(まだつづくかも)

ジューダス・プリーストな日々 ~その3・歳月が奪ったもの、もたらしたもの~

2009-09-28 09:20:14 | 音楽・演劇・絵画・映画
ジューダス・プリースト3枚目のアルバム『背信の門~Sin After Sin』(1977年)には
<Diamonds And Rust>という曲が入っている。
この曲を歌っている1982年の彼らをYoutubeで見ることが出来る。
http://www.youtube.com/watch?v=M4rNgXS850o&feature=related
ボーカルのロブ・ハルフォードが例によって「俺様オーラ」に包まれ高らかに曲名を叫ぶと、
グレン・ティプトンが「ジャ~~ン」とギターをかき鳴らす。ギターからレーザービーム
みたいなのが放出される。グレン・ティプトンは陶酔して弾いている時は口が少し開く。
続いて私のお気に入りの金髪のギタリスト、K.K.ダウンニングがグレン・ティプトンに
走り寄る。2人が並んで弾いている姿はうっとりするくらいカッコいい。金髪くんは
ギターではグレン・ティプトンに一歩も二歩も譲っているが、姿の良さでは絶対勝ちだ。
ロブが歌い出すメロディーは意外なほど綺麗で親しみやすい。高らかに歌い上げたり
低く割れた声だったり、クオリティの高い歌声だ。

Youtubeの中には、同じ曲を歌っている別の彼らもいる。
http://www.youtube.com/watch?v=mIC7KQPDuDc&feature=related
最初に現れる金髪のK.K.ダウンニングは、驚くほど疲れて放心状態みたいになっている。
少し太ったグレン・ティプトンはもう口を半開きにしていない。おとなしい演奏だ。
舞台の袖から現れるロブ・ハルフォードにも、かつての溌剌とした(彼らのようなバンドに
「溌剌とした」という形容が適切かは分からないが)動きは無い。古臭いテレビゲームの
最後に登場する悪の大王に似ている。
これは2005年頃のジューダス・プリースト。
歳月という残酷な風は、彼らの若さを永遠に吹き飛ばしてしまった。でもオジサンになった
彼らが聴かせる<Diamonds And Rust>には重さと悲しさがあって、別の感動を呼ぶ。

ジューダス・プリーストの初期の曲の中でも人気の高いこの<Diamonds And Rust>は、
もともとフォークの女性歌手ジョーン・バエズが歌っていたもの。だから群を抜く
メロディーの美しさなのだろう。。。
アコースティックギターの伴奏だけで反戦フォークソングを歌い続けたバエズと
へヴィメタルのジューダス・プリーストという取り合わせには驚かされる。
この美しい曲を彼等流に見事にカヴァーし、オジサンたちになってなお演奏し続けている
ジューダス・プリーストの姿を見た時、私は彼らのファンになった。

1972年に結成され、今も活動し続けているジューダス・プリーストだが、今日までの
道のりは長く曲がりくねっていたようだ。音楽的な変遷も仲間としての変遷もあった。

<Diamonds And Rust>の入った3枚目のアルバムにつづいて翌年、彼らは
『Staind Class』というアルバムを出す。
2枚目3枚目には、プログレ風味(プログレ:他のジャンルの音楽と融合したり、
革新的・壮大・美的な味わいのあるロック)があるが、4枚目の『Staind Class』は、
やや様式美的なところを残しながらハードロック路線になっているところが特徴。
ジャケット(写真)も無機質な感じになっていて、一曲目の<Exciter>のスピード感、
ハード感、以前と違う金属的な雰囲気、声の甲高さなどは、彼らがその後へヴィメタルの
王者に駆け上がって行くことを予感させる。
このアルバムには<Beyond The Realms Of Death>のような美しいバラード(ギターが
泣いてる)も入っているが、少年たちの自殺を誘発したと裁判になった曲もあったりする。
曲がり角のアルバムかもしれない。私は結構好きだ、元気な時は聴ける。 

~ロックギタリストでもあるUGさんのコメントを参考にさせて頂いています~ (つづく)