朝刊の一面に「東電原価、6000億円過大…過去10年、電気代取り過ぎか」と出ている。
水増し経費に利益を上乗せした電気料だったらしい。それってありですか?上層部は天下り官僚だし、やりたい
放題だったのね。狡いことをしてお金をたくさん貰って良心に恥じないのだろうか。誰かが言っていた、お金を
持っている人は増やすことが楽しみになるので際限なく欲深くなるそうだ。小市民には理解できない。
原発で日々必死に働いている電力会社の人たちには頭が下がるし、私など偉そうなことを言う資格はないけれど
何だかムカつく。
でもこんなとき、私の心を慰めたり素敵な刺激を与えてくれるものが届いている。
前にも書いたけれど私のところには不思議と良いものが集まって来るのだ。
一つはMark Henleyのアルバム。今も聴きながらパソコンに向かっている。
彼の名を知っている人は少ないと思う。Mark Henleyはミネソタ出身のシンガーソングライターで<River Song>
というたった一枚のアルバムしか出していない。
「伝説」と呼ぶには優しすぎ、「孤高」と呼ぶには人恋しすぎる…そんな音楽が紡がれている。
このアルバムの他に奇跡的にライブ音源が見つかり、一昨年<Live At Charlotte's Web: 1974-1978>という
CDがリリースされた。これにはビートルズやサイモン&ガーファンクルの曲もカバーされていて、私の好きな
「Black Bird」や「April Come She Will 」も入っている。
外は北風がピューピュー吹いている冬の午後に、暖炉の薪がはぜる音を聞きながら聴きたい曲ばかり。
東電にムカつきながら聴きたくはないけれど、これからの人生の友達になってくれる音楽をありがとう。

もう一つは、この前の日曜日にダビングしていただいたばかりのグラシェラ・スサーナのアルバム。
グラシェラ・スサーナは1970年代に日本でも人気があったアルゼンチンの女性歌手で、「時計」「アドロ」
などのヒット曲がある。
いただいたアルバムには、そういった有名な曲は一切無い。アルバム名も曲名も歌詞も付いていなかったから、
ただひたすら収録の17曲聴いた。知っている曲は2曲だけだった。
<El día que me quieras~直訳すると~いつかあなたが私を愛してくれるだろう日>。
アルゼンチンのタンゴ歌手カルロス・ガルデルが作曲した名曲で、日本語では<想いの届く日>という綺麗な
タイトルが付いている。ギター曲として若手の大萩康司さんが弾いている。
El día que me quieras,la rosa que engalana
se vestirá de fiesta con su mejor color.
Al viento las campanas dirán que ya eres mía…
La noche que me quieras
desde el azul del cielo,las estrellas celosas,nos mirarán pasar…
いつかあなたが私を愛してくれる日、お洒落なバラの花は最高の色の晴れ着をまとうだろう。
鐘は風に向かって、あなたが私のものだと告げるだろう。
いつかあなたが私を愛してくれる夜、妬み深い星たちは、紺碧の空から
私たちが通り過ぎるのを見つめるだろう。
<Te recuerdo Amanda~アマンダ、あなたを忘れない>
Te recuerdo Amanda,la calle mojada,
corriendo a la fábrica donde trabajaba Manuel.
La sonrisa ancha, la lluvia en el pelo,
no importaba nada, ibas a encontrarte con él,
con él, con él, con él, con él.
Son cinco minutos. La vida es eterna en cinco minutos.
Suena la sirena de vuelta al trabajo,y tú caminando, lo iluminas todo.
Los cinco minutos te hacen florecer
Que partió a la guerra.
Que nunca hizo daño. Que partió a la sierra,
y en cinco minutos quedó destrozado.
Suena la sirena, de vuelta al trabajo.
Muchos no volvieron, tampoco Manuel.
アマンダ、あなたを忘れない。濡れた歩道を、マヌエルの働く工場に駆けて行く。
大らかな微笑み、髪には雨の雫。他のことはどうでもいい、マヌエルに会いに行くのだから。
たった5分、たった5分の中に永遠の人生がある。
仕事に戻れと、工場のサイレンが鳴る。
帰り道のあなたは、あたりの全てを輝かせている。たった5分があなたを花開かせる。
マヌエルは戦いに行ってしまった。彼は酷いことはしなかった。山へ戦いに行った。
たった5分でズダズダになった。
仕事に戻れと、工場のサイレンが鳴る。皆、戻って来なかった。マヌエルも。
…たった5分の工場の休憩時間、マヌエルに会いに行くアマンダ。たった5分マヌエルに会って、
アマンダは輝く。けれどマヌエルは戦いに行って戻って来なかった。
この曲を作ったのはチリのシンガー、ビクトル・ハラ。1973年にチリで、ピノチェ率いる軍隊が
クーデターを起こした。社会主義のアジェンデ政権は倒され、アジェンデを支持したビクトル・ハラも
虐殺された。一緒に連行された市民たち励まそうと最後まで歌っていたという。
ギターを弾く腕を撃ち砕かれたという説もある。
(ビクトル・ハラ)
他にも15曲、心に響く曲ばかりだった。
愛の喜び、別れの悲しみ、歌い手としてのメッセージ、人生への賛歌…。
素敵なフレーズを幾つか。 (聞きとりと訳は適当(汗))
Cuando se muere la carne, el arma busca su sitio
adentro de una amapola o dentro de un pajarito
肉体が滅びたら、魂はその居場所を探す。アマポーラの花の中に、小鳥の中に。
A lo lejos alguien canta, a lo lejos…
Mi alma no se contenta con haberlo perdido.
Aunque este es ,ay, el último dolor que el me cause.
Y estos son los últimos versos que yo escribo.
遠くで誰かが歌っている、遠くで。
私の魂は、彼を失って悲しんでいる。
彼が私に与える痛みは、ああ、これが最後だけれども
詩を書くのは、もうこれきりにしよう。
Gracias a la vida que me ha dado tanto. Me ha dado la marcha de mis pies cansados
con ellos anduve ciudades y charcos, playas y desiertos, montañas y llanos,
y la casa tuya, tu calle y tu patio.
Gracias a la vida que me ha dado tanto.
人生にありがとう、私にたくさんのものをくれた。この疲れた足で歩ませてくれた。
街々を、池や浜辺や砂漠、山や平原を歩いた。
そして、あなたの家や通りや中庭にも行くことが出来た。
人生よ、私にいろいろなものをくれてありがとう。
ということで謙虚に感謝して、今日はおしまい。
1960年から75年までの昭和の風景と当時のヒットソングが盛り込まれた懐かしいDVDのことも
書きたかったのだけれどまたいつか。
水増し経費に利益を上乗せした電気料だったらしい。それってありですか?上層部は天下り官僚だし、やりたい
放題だったのね。狡いことをしてお金をたくさん貰って良心に恥じないのだろうか。誰かが言っていた、お金を
持っている人は増やすことが楽しみになるので際限なく欲深くなるそうだ。小市民には理解できない。
原発で日々必死に働いている電力会社の人たちには頭が下がるし、私など偉そうなことを言う資格はないけれど
何だかムカつく。
でもこんなとき、私の心を慰めたり素敵な刺激を与えてくれるものが届いている。
前にも書いたけれど私のところには不思議と良いものが集まって来るのだ。
一つはMark Henleyのアルバム。今も聴きながらパソコンに向かっている。
彼の名を知っている人は少ないと思う。Mark Henleyはミネソタ出身のシンガーソングライターで<River Song>
というたった一枚のアルバムしか出していない。
「伝説」と呼ぶには優しすぎ、「孤高」と呼ぶには人恋しすぎる…そんな音楽が紡がれている。
このアルバムの他に奇跡的にライブ音源が見つかり、一昨年<Live At Charlotte's Web: 1974-1978>という
CDがリリースされた。これにはビートルズやサイモン&ガーファンクルの曲もカバーされていて、私の好きな
「Black Bird」や「April Come She Will 」も入っている。
外は北風がピューピュー吹いている冬の午後に、暖炉の薪がはぜる音を聞きながら聴きたい曲ばかり。
東電にムカつきながら聴きたくはないけれど、これからの人生の友達になってくれる音楽をありがとう。


もう一つは、この前の日曜日にダビングしていただいたばかりのグラシェラ・スサーナのアルバム。
グラシェラ・スサーナは1970年代に日本でも人気があったアルゼンチンの女性歌手で、「時計」「アドロ」
などのヒット曲がある。
いただいたアルバムには、そういった有名な曲は一切無い。アルバム名も曲名も歌詞も付いていなかったから、
ただひたすら収録の17曲聴いた。知っている曲は2曲だけだった。
<El día que me quieras~直訳すると~いつかあなたが私を愛してくれるだろう日>。
アルゼンチンのタンゴ歌手カルロス・ガルデルが作曲した名曲で、日本語では<想いの届く日>という綺麗な
タイトルが付いている。ギター曲として若手の大萩康司さんが弾いている。
El día que me quieras,la rosa que engalana
se vestirá de fiesta con su mejor color.
Al viento las campanas dirán que ya eres mía…
La noche que me quieras
desde el azul del cielo,las estrellas celosas,nos mirarán pasar…
いつかあなたが私を愛してくれる日、お洒落なバラの花は最高の色の晴れ着をまとうだろう。
鐘は風に向かって、あなたが私のものだと告げるだろう。
いつかあなたが私を愛してくれる夜、妬み深い星たちは、紺碧の空から
私たちが通り過ぎるのを見つめるだろう。
<Te recuerdo Amanda~アマンダ、あなたを忘れない>
Te recuerdo Amanda,la calle mojada,
corriendo a la fábrica donde trabajaba Manuel.
La sonrisa ancha, la lluvia en el pelo,
no importaba nada, ibas a encontrarte con él,
con él, con él, con él, con él.
Son cinco minutos. La vida es eterna en cinco minutos.
Suena la sirena de vuelta al trabajo,y tú caminando, lo iluminas todo.
Los cinco minutos te hacen florecer
Que partió a la guerra.
Que nunca hizo daño. Que partió a la sierra,
y en cinco minutos quedó destrozado.
Suena la sirena, de vuelta al trabajo.
Muchos no volvieron, tampoco Manuel.
アマンダ、あなたを忘れない。濡れた歩道を、マヌエルの働く工場に駆けて行く。
大らかな微笑み、髪には雨の雫。他のことはどうでもいい、マヌエルに会いに行くのだから。
たった5分、たった5分の中に永遠の人生がある。
仕事に戻れと、工場のサイレンが鳴る。
帰り道のあなたは、あたりの全てを輝かせている。たった5分があなたを花開かせる。
マヌエルは戦いに行ってしまった。彼は酷いことはしなかった。山へ戦いに行った。
たった5分でズダズダになった。
仕事に戻れと、工場のサイレンが鳴る。皆、戻って来なかった。マヌエルも。
…たった5分の工場の休憩時間、マヌエルに会いに行くアマンダ。たった5分マヌエルに会って、
アマンダは輝く。けれどマヌエルは戦いに行って戻って来なかった。
この曲を作ったのはチリのシンガー、ビクトル・ハラ。1973年にチリで、ピノチェ率いる軍隊が
クーデターを起こした。社会主義のアジェンデ政権は倒され、アジェンデを支持したビクトル・ハラも
虐殺された。一緒に連行された市民たち励まそうと最後まで歌っていたという。
ギターを弾く腕を撃ち砕かれたという説もある。

他にも15曲、心に響く曲ばかりだった。
愛の喜び、別れの悲しみ、歌い手としてのメッセージ、人生への賛歌…。
素敵なフレーズを幾つか。 (聞きとりと訳は適当(汗))
Cuando se muere la carne, el arma busca su sitio
adentro de una amapola o dentro de un pajarito
肉体が滅びたら、魂はその居場所を探す。アマポーラの花の中に、小鳥の中に。
A lo lejos alguien canta, a lo lejos…
Mi alma no se contenta con haberlo perdido.
Aunque este es ,ay, el último dolor que el me cause.
Y estos son los últimos versos que yo escribo.
遠くで誰かが歌っている、遠くで。
私の魂は、彼を失って悲しんでいる。
彼が私に与える痛みは、ああ、これが最後だけれども
詩を書くのは、もうこれきりにしよう。
Gracias a la vida que me ha dado tanto. Me ha dado la marcha de mis pies cansados
con ellos anduve ciudades y charcos, playas y desiertos, montañas y llanos,
y la casa tuya, tu calle y tu patio.
Gracias a la vida que me ha dado tanto.
人生にありがとう、私にたくさんのものをくれた。この疲れた足で歩ませてくれた。
街々を、池や浜辺や砂漠、山や平原を歩いた。
そして、あなたの家や通りや中庭にも行くことが出来た。
人生よ、私にいろいろなものをくれてありがとう。
ということで謙虚に感謝して、今日はおしまい。
1960年から75年までの昭和の風景と当時のヒットソングが盛り込まれた懐かしいDVDのことも
書きたかったのだけれどまたいつか。