goo blog サービス終了のお知らせ 

昨日☆今日☆明日~金曜日のピュ

私の毎日と心に浮かんだこと

クラシック音楽館~荘村清志 ギターで巡る音楽の旅

2014-08-18 02:34:36 | ギター・ギター音楽
昨夜は、Eテレ(旧NHK教育テレビ)で放送された<クラシック音楽館~荘村清志 ギターで巡る音楽の旅>を楽しんだ。
クラシックギタリストの荘村清志さんが東京都交響楽団と共演した演奏で、懐かしいスペインの香りに溢れていた。

荘村清志さんの演奏活動は45周年を迎えたそうだ。
大学生の頃、渋谷の東急文化会館(今はもう無い。ヒカリエになってしまった)の隣?にあった<リトルプレイハウス>で
初めて演奏を聴いた。当時「クラシックギター界のプリンス」と呼ばれていた荘村清志さん。カッコよかった。
帰り道、先輩の一人が「なんか、キザだよなあ...」と口惜しげにため息をついていたっけ。
今だって60歳代後半とは思えない。姿が美しい演奏家だ。

東京都交響楽団との共演曲は
スペインの盲目の作曲家ホアキン・ロドリーゴ( 1901年- 1999年)の
「ある貴紳のための幻想曲」「アランフェス協奏曲」「アンダルシア協奏曲」だった。

ホアキン・ロドリーゴも実際に見たことがある。
誰の「アランフェス協奏曲」の演奏だったか覚えていないけれど(多分イエペス)ロドリーゴご夫妻も来日していて、会場で
軽く挨拶された。目の見えない夫を献身的に支えていた奥さまの姿が今も目に浮かぶ。

「ある貴紳のための幻想曲」は、スペインのバロック音楽の作曲家、ガスパル・サンスの小品をもとにしている。
上品なのに親しみやすく、幻想的な雰囲気もある。ギターの巨匠セゴビアのために作られた曲だそうだが、私が持っているCDは
イエペスの演奏。

「アランフェス協奏曲」の第2楽章は甘く美しく、ポールモーリア・オーケストラが「恋のアランフェス」というタイトルで
演奏してヒットした。
でも私は第1楽章が好きだった。フラメンコのブレリアのリズム~1・2・3、1・2・3、1・2、1・2、1・2~が取り入れられていて、
とても心地良い。
好きだった...と過去形で書いたのは少し苦い思い出があるから。

以前在籍していたギター合奏団で「アランフェス協奏曲」の第1楽章を演奏したことがある。トップギタリストがギターソロ、
私たちはギター用に編曲されたオーケストラのパートを弾いた。
外部から指揮者も呼んで練習は順調に進んだが、本番でトップギタリストの指が動かなくなった。この日の演奏のために、懸命に
練習しすぎたせいだった。後ろで弾いていた私も辛かったが、本人はもっとずっと辛かったろう。プロを目指している人だったから。
それから、その人の心は少しずつ病んでいった。
その人だけではない、あの合奏団が持っていた自負心や矜持が、私には重くなっていった。
あーあ、忘れていたのに思い出しちゃった。
今、私は楽しくギターを弾いている。自負心や矜持とは無関係に淡々と練習に励むサークルと、自負心と矜持はあっても軽やかな
合奏団と、ジャンルの違う演奏をする陽気なグループと、3つの場所で頑張っている。

「アンダルシア協奏曲」は初めて聴いた。オーケストラとギター4本。
スペインの有名なギター・ファミリー<ロメロ一家>の父親と3人の息子のために作曲された。
荘村清志、福田進一、鈴木大介、大萩康司という、年代は違えども日本を代表するギタリストたちが登場。うわ、贅沢。
第1・第3楽章は、南スペインらしい明るく軽快なリズム。メランコリックな第2楽章も良い。でも私の聴き方が悪かったのかな、
オーケストラの音の方が勝っていて、ギター重奏の良さがあまり伝わらなかった。
次のギター4重奏<ボッケリーニのファンダンゴ>でスッキリ決まった。こんなふうにカッコよく重奏ができたらいいなあ。

アンコールは荘村さんの「アランブラ宮殿の思い出」。目を閉じてじっくりと奏でている。
歳月...。歳月は、音楽と共に流れていく。


演奏曲
「歌劇“ゴイェスカス”から間奏曲(グラナードス)」
(管弦楽)東京都交響楽団、(指揮)大友直人
「ある貴紳のための幻想曲(ロドリーゴ)」
(ギター)荘村清志、(管弦楽)東京都交響楽団、(指揮)大友直人
「アランフェス協奏曲(ロドリーゴ)」
(ギター)荘村清志、(管弦楽)東京都交響楽団、(指揮)大友直人
「バレエ組曲“三角帽子”から第2部(ファリャ)」
(管弦楽)東京都交響楽団、(指揮)大友直人
「アンダルシア協奏曲(ロドリーゴ)」
(ギター)荘村清志、(ギター)福田進一、(ギター)鈴木大介、(ギター)大萩康司、(管弦楽)東京都交響楽団、(指揮)大友直人
「序奏とファンダンゴ(ボッケリーニ)」
(ギター)荘村 清志、(ギター)福田 進一、(ギター)鈴木 大介、(ギター)大萩 康司
「アランブラ宮殿の思い出(タレガ)」
(ギター)荘村 清志

日本が嫌になった日、ギターを弾く

2014-05-11 04:51:09 | ギター・ギター音楽
何気なくテレビをつけたら、女性お笑いタレントが小保方さんの物真似をしていた。
清楚なワンピース姿で、戸惑ったような表情を浮かべ「STAP細胞は、ありません」なんて発言して笑いをとっていたが、
見ていて不愉快だった。
たとえ論文の在り方が不適切だったにせよ、一生懸命研究に打ち込んできた人を、貶め笑いものにするマスコミ、タレント、
テレビ局…。こんなひどいことをして、ちゃっかりお金を稼いでいるのだ。
ネットではこの番組の感想が述べられていた。曰く「ワロタwww」「かわゆい」...。
いくら学校で「いじめをやめましょう。人をからかってはいけません。」などど教えても、社会がこんな風では説得力がない。
子供たち、こんな日本だけれど、どうかまっすぐに育ってね。ウチの孫くんも。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

金曜日に、大正琴・尺八との練習があった。ギターだけの合奏や重奏ばかり経験してきた私にとって、異種楽器とのコラボは
とても新鮮で楽しい。尺八とギターの組み合わせがこんなにしみじみ素敵だとは思いもしなかった。
大正琴の音には癒しと同時にギターには無い華やかさもあって、お互いが引き立つ。皆さんの演奏は確かだ。私も頑張る。

ギターの2重奏も始めた。ミロンガ。
ミロンガというのはアルゼンチンやウルグアイの民謡・舞曲。田舎では素朴なフォルクローレとして生き残り、都会では
タンゴとして発展した。
アストル・ピアソラやホルヘ・カルドーソといった新しい作曲家(演奏家)たちが、哀愁のある魅力的なミロンガを作っている。
2重奏で弾いているのは、もう少し古い時代のギタリストが作曲したもので<Te vas Milonga>というタイトル。
Te vas...君は行ってしまう。

Cacho Tirao - Milonga


独奏には物悲しさがある。2重奏で弾くと迫力とカッコよさが加わる。

ギターって持ち歩けるから、いろんな人たちと一緒に演奏できる。様々なジャンルの音楽を楽しめる。
主張しすぎない音だから異種楽器ともしっくり合う。

私の砂時計にはあとどのくらい砂が残っているのか分からないけれど、ギターと一緒にサラサラ生きていきたい。

人生の番外編

2013-07-12 20:18:19 | ギター・ギター音楽
JR山手線はグルグル回っている線だから始まりも終わりも無いのだけれど
西武池袋線の椎名町や練馬で育った私にとっては、池袋が始発駅みたいな
ものだった。
池袋→目白→高田馬場…、高校は渋谷にあったから渋谷駅が終着駅。
大学生になって2駅先の目黒が終点になった。
大学2年の夏休みだったか、さらに先の品川でアルバイトをしたことが
あった。当時の品川には工場が沢山あって、地の果ての街のような気がした。
もう30年以上も昔の話だ。


そんな私だったから、池袋の一つ手前の(手前という表現は適切ではないが)
大塚駅は名前だけの存在にすぎなかったが、大学2年か3年の頃、
新聞で<ギター音楽鑑賞会>の仲間募集記事を見つけた。
会場は大塚駅の近くのマイ・スタジオというところだった。
以来、月に1~2度、大塚に足を運ぶのが私の密かな楽しみになった。
大学ではクラシックギター研究会に所属して、ギターを弾いたり恋をしたり
お酒を飲んだりしていたが、そことはまた違う世界を持っていることが
何だか誇らしかった。
(私には元来、「ここ」ではない別の世界を持つことへの嗜好があるらしい。
そんなワケで今も、それぞれ何の関わりもないギター合奏団に3つも4つも
所属している)


「ギター音楽鑑賞会」を主宰していたのはマイ・スタジオのオーナーのA氏で
A氏は、さる大企業の部長さんだった。
10年前に合奏でギター復帰してから、クラシックにせよフラメンコにせよ
有能な企業戦士のギター愛好家に何人も出会っている。
どの人も凄腕の見識家で、舌を巻くが、A氏のように自宅にスタジオを設け
何百枚ものレコードコレクションを持つほど造詣の深い趣味人には
お目にかかったことがない。


駅の雑踏を離れ、小道を入ったところにA氏の邸宅はあった。スタジオは
手入れの良い庭に面していた。
毎回、秘蔵のレコードが選び出され、美味しい紅茶とクッキーをいただきながら
ギター音楽に耳を傾けた。優雅で心安まるひとときだった。
誰のどんな演奏を聴かせていただいたのか、悲しいほど記憶にない。
A氏の静かな口調で語られた、音楽や演奏家にまつわる話も…。
髪の毛フサフサのイエペスの写真が載ったLPのジャケットを覚えているだけだ。
ちゃんと記録をとっていれば、あとあとまで財産になったのに、
女子大生の私には、ただ心地よい風のように時間が過ぎて行くだけだった。


マイ・スタジオでは時おり小さなコンサートも開かれた。
演奏家であり研究家でもあった石月一匡先生にお会いしたのもここだった。
集まるメンバーも個性的だった。A氏が絶賛するギターの腕前の青年もいたし
ギター製作家もいた。
サラリーマンもいたし、私のような学生もいた。


余談
ある冬の夕暮れどき。前日に降った雪が凍って、大塚駅前の路面は
滑りやすくなっていた。
私はすでに社会人になっていて、まだマイ・スタジオに通っていた。
流行りのハイヒールで凍った道を歩くのは無謀だった。
道の途中で足がすくんでしまった私の腕を取って、支えてくれた人がいた。
マイ・スタジオで出会った青年だった。
ワタシ、あのとき「これは永遠につながる運命の一瞬だ」と思いましたね…。
一瞬の誤解でしたが。


マイ・スタジオで出会った人たちは誰一人として、今の私の人生に残っていない。
記録も写真も無い。ただ思い出だけがある。
あれはA氏が紡いでくださった幻の時代だったような気もする。


大塚、マイ・スタジオ。
私の人生の番外編として、心に留めよう。


アルトギター、そしてユキノブの帰還

2012-04-19 12:58:53 | ギター・ギター音楽
ギター合奏の演奏会に行くと、普通のギターだけでなく、アルトギター(小ぶりで高い音の出るギター)やバスギター
(大きめで低い音が出るギター)などを使っているサークルが少なくない。ギタロンと称する、チェロのように床に立てて弾く
大きなギターまである。
ギタロン
これらの楽器を使うと、当然、音域が広がり深みのあるギターアンサンブルになる。

普通のギター(合奏の世界では他のギターと区別して「プライムギター」と呼ばれている)だけで合奏をする団体に属している私は、
こういう特殊なギターに違和感を覚えていた。合奏のためだけに作られた~独奏には使えない~中途半端な楽器のように思えたのだ。
それに、アルトギターは高音のメロディーを華やかに奏で、バスギターは伴奏に徹する…みたいな役割分担があるのも気になった。
普通のギター(プライムギター)だけの合奏団でも、メロディー専門・中間部専門・伴奏専門…と最初からメンバーを分けてしまう団体も
あるけれど、私が所属しているところでは曲によって役割分担が変わったり、もともとの編曲が複雑だったりで、メンバー全員が主旋律も
伴奏も様々楽しめる。そういう方が好き…。

でも10日ほど前、アルトギターやバスギターを使っているエクセレントな合奏団の練習を見学して認識を改めた。
私はバスギターの演奏者の隣に座って聴いていたが、扱いにくそうな大きなギターから繰り出される迫力のある音に圧倒された。編曲も
複雑だったから、かなりの技量を必要とするだろう。カッコいいなあ。
アルトギターの華やかさ、プライムギターの落ち着きと深み、3種類のギターがそれぞれの良いところを出して素敵だった。
アルトギターに触らせていただいた。シャランとしたラブリーな音に、マンガでいえば目がハート。

という訳で話は思わぬ急展開となり、私の手元には今、アルトギターがある(お借りしたもの)。
見出し画像は、テオドロ・ペレスと並んだアルトギター。小っちゃくて愛らしい。
小さいから弾きづらいかな…と心配したけれど指を大きく移動させるとき以外は問題が無かった。プライムギターよりも指が速く動くのも
嬉しい。速弾きはアルトギターの使命だから、もっともっと練習しなくてはならない。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

大怪我をした茶位ギター・ユキノブの修理が完了した。
ベリベリッという感じで割れていたのが綺麗に直っている。修理費も16000円弱くらいで済んだ。
修理前  修理後

修理はいつも池袋の専門店にお願いしている。
上品な店内に足を踏み入れると別世界に来たような優雅な気持ちになれる。温厚なジェントルマンの店長さんも素敵だし…。
ガラスケースの中の高級ギターや、物によっては10万円くらいする糸巻きにうっとり見惚れてしまう。

といってもギターの弦は40%~50%引きだから学生さんも気楽に立ち寄っている。

今年は新しい趣味を…と思っていたけれど、結局ギター三昧になりそう。

<ブーベの恋人>、曖昧な記憶の中で。

2011-12-25 06:37:34 | ギター・ギター音楽
初めて人前でギターを弾いたのは高校生のときだった。

高校に入ると、音楽部のクラシックギター部門に入部した。
同じ音楽部でも軽音楽部門は華やかで部員数も多かったけれど、クラシックギターの方は地味だった。とはいえ
1年上にシガキさんというキザな(彼を語るとき「キザな」という形容しか浮かんでこない)先輩がいたり、
同じ学年にはフランスの俳優を思わせるような整った顔立ちの男の子がいたり、ある意味、地味ではなかった
かもしれない。
「ちびまる子ちゃん」の花輪クンを見るとシガキさんを思い出す。シガキさんはは18歳になったらすぐ運転免許を取る…
と言っていた。それだけでもう度肝を抜かれてしまう、ちびまる子ちゃんのような私だった。

キザな高校2年生にギターを習うジミ~な高校1年生…。今思うと何だか笑っちゃうような光景だけれど、
「カルカッシの教則本」か何かを教えてもらって、とにかく文化祭では舞台の上で演奏するまでにこぎつけた。
一人ずつ出て来て演奏するのではなく、部員5~6人が舞台の上にずらりと並び、自分の順番が来ると曲を弾くという
形式だった。これも今思うとなかなか斬新なアイデアだ。シガキさんが考えたのだろうか。
私は<ブーベの恋人>という映画音楽を弾いた。

当時の音楽シーンでは「スクリーン・ミュージック」というジャンルが、かなり大きな位置を占めていた。
<鉄道員><太陽がいっぱい><白い恋人たち><男と女><シェルブールの雨傘><ひまわり><ある愛の詩>
<ロミオとジュリエット>…、数え上げたらきりがない。どの曲もすぐに口ずさめるだけでなく、映画の場面も蘇る。
映画と音楽と人間があんなに結びついていた時代は、もう二度とやって来ないだろう。
だいたい最近の洋画は横文字のタイトルばっかりだ。
「ニューイヤーズ・イブ」「ミッションインポッシブル-ゴーストプロトコル」「リアル・スティール」…。
プロコトルって何ですかあ、あ、プロトコルね、どっちでもいいけど、分かんない。
意味の分からない横文字タイトルの映画のことを、あとでしみじみ思い出せるだろうか…。

<ブーベの恋人>は、ミーレード、シー…と始まり、シーにブンチャチャ・ブンチャッチャがかぶる。
最初の音はミなのだけれど、指はレに置いてツーっとミに滑らせて弾いた(グリッサンド奏法)。
物悲しく美しい曲だ。
映画の方はクラウディア・カルディナーレとジョージ・チャキリスが哀しい恋人たちを演じた。
ショートヘアのクラウディア・カルディナーレがチャーミングだった。

初めて舞台で演奏したとき、アガっただろうか。落ち着いていたような気がする。
何年か前、クラス会で隣の席にいた男性から「あのとき、ボクも舞台にいましたよ。」と言われた。え、そうだったっけ?
彼がクラシックギターの仲間だったことさえ覚えていなかった。
(その男性は、ずっとギターを弾き続けていて、今では『シャコンヌ』も弾けると言っていた。バッハの大曲だ。ま・負けた)
あの文化祭で、舞台に誰がいたか何を弾いたか覚えていない。
自分が<ブーベの恋人>を弾いたことだけが記憶にある。曲の最初の部分は今も弾ける。


歳月が流れ、忘れてしまったことがたくさんある。私の人生は、覚えていることと忘れてしまったことで構成されている。
覚えていることだって、いつかは空の雲のように消えて行ってしまうのかもしれない。
でも<ブーベの恋人>のメロディーは忘れないだろう。
だから音楽ってすごい。

http://www.youtube.com/watch?v=J2Z45UiJKYE&feature=related ちょっと違うけれど、こんな感じ。

ジョン・ウイリアムスのコンサート

2011-04-12 17:05:28 | ギター・ギター音楽
Googleで「菅 有能」と検索すると「もしかして: 菅 無能」と検索結果画面に表示される。時の首相もここまで堕ちたかと思う。
それでは自民党政権だったら物事が上手く運んだのだろうか。東京電力から多額の献金を受けていた自民党が真っすぐな情報を
流しただろうか。
テレビだってそうだ。ついこの間まで「とーきょーでんりょく♪」というCMソングが毎日流れていた。大切なスポンサーを
テレビ局が庇わなかったと言えるだろうか。
情報なんて当てにならない。何を信じて良いのか分からない。さらに余震が、復興への勇気を潰しにかかる。
不安感、閉塞感をぶつけるにはちょうど良い菅政権。私は別に民主党を支持しているわけではないけれど、こんな八つ当たりな
風潮が世の中を良くするとも思えない。


気を取り直してジョン・ウイリアムス。

私がギターを弾き始めた頃、二人の巨匠がまだ活躍していた。アンドレス・セゴビアとナルシソ・イエペス。
セゴビアは「ギターの神様」「現代クラシック・ギター奏法の父」と言われる巨匠中の巨匠だ。大学生の頃、来日したセゴビアの
演奏を聴いた先輩が「あ、あれがセゴビア・トーンか…!」と大感激していた。セゴビアの芋虫のような指から生まれる美しい音は
セゴビア・トーンと呼ばれ伝説になった。
イエペスはセゴビアに比べると親しみやすい存在だった。映画「禁じられた遊び」のテーマ「愛のロマンス」を演奏したせいかも
しれない。
イエペスのコンサートには2~3回足を運んだように記憶している。10弦ギターの響きに聴き入った。アンコールで喝采を浴びた
「愛のロマンス」、ご本人はウンザリなんじゃないかな…と心配したりもした。(余計なお世話)
最後に行ったコンサートはサントリーホールだった。小柄な可愛らしい娘さんがダンスで共演し、イエペスは父親らしい表情を
見せていた。ネット上で見つけた写真。たぶんこれだと思う。


セゴビアとイエペスを継ぐ二人のギタリストとしてジュリアン・ブリームとジョン・ウイリアムスがいた。
ジュリアン・ブリームは愛嬌のある風貌でリュートも奏でた。ジョン・ウイリアムスはクールな印象があった。
タイプの違う2人の二重奏アルバムは忘れられない。

スペインものも素晴らしいけれど、私はブラームスの弦楽六重奏曲第1番~変奏と主題op.18が一番好きだった。
今も聴くと胸がときめく。
http://www.youtube.com/watch?v=TXGqsyBtq38&feature=related

ジュリアン・ブリームは何年か前に引退してしまったが、ジョンは今も現役。最後の巨匠といえる。
ジョン・ウイリアムスが1970年代から80年代にかけて、違うジャンルの音楽に傾倒していたことは案外知られていない…
かもしれない。「スカイ」というグループを立ち上げ、クラシックでもロックでもジャズでもない~いや、どれでもある、と
言うべきか~音楽を演奏したのだ。最近UGさんに教えてもらったプログレである。
若い頃、ギター仲間がダビングしてくれた「スカイ」のアルバムを聴いた時は「え?別のジョン・ウイリアムス?」と戸惑った。
すごく奇妙で斬新で明るくて楽しかった。ジョンは堅苦しいクラシックのよろいを脱ぎ棄ててのびのび演奏していたと思う。
結婚してギターから離れてしまった私は、それからのジョン・ウイリアムスの活動は知らないけれど、彼は巨匠であり続け、
来日公演もしている。2009年の公演は大ホールでチケット1万円。大ホールで1万円はちょっとね。
ところがこの秋、470名の小さなホールでマイクなしの演奏をするという情報が入った。
これが最後のチャンスかもしれないと、思い切ってチケットを予約した。端っこだけれど前から5列目。

半年後の自分への大きなプレゼント。その頃、日本が元気になっているといい。

ユキノブの負傷と謎

2010-08-06 01:02:20 | ギター・ギター音楽
昨日あんな夢を見たせいだろうか。猛暑のせいだろうか。いや、何かのせいにしちゃいけない。
自分が悪い。
大切なユキノブに怪我をさせてしまった。
ギター合奏の練習に行って、不自然な体勢でケースから出そうとしたのがいけなかった。
手が滑ってユキノブを床に落としてしまった。
すごい音がしたからただでは済まないと思ったが、やはり表面板が割れてしまった。

去年の一月にスペインの貴公子・テオドロを手に入れたのちも、気が付くとユキノブを弾いている。
ユキノブは左の指で弦を抑えるとき少し力が要るが、そのぶん張りつめた良い音がする。
昔からの友達だから遠慮なく弾けるし。でも、いくら古い友達だからってぞんざいに扱ってはいけない。
ごめんね。

これを機にユキノブには引退してもらって、テオドロと親しくなるという割り切り方もあるけれど
私には出来ないだろう。
来週はギターのお医者さんに行かなくては。

ところでユキノブには謎が一つある。ユキノブのヘッドの裏側に5cmくらいの傷があるのだ。
長く放置していたからヒビが入ったのかな…と軽く考えていたが、どう見ても割れた所を接着したように
思える。
その古傷について記憶が無い。若かった頃、ユキノブを買って間もない頃、何か事故があったのだろうか。
全く記憶に無いのは、忘れたかったからだろうか。

大切なものを傷つける…というのは、自分の心にも大きな負担をかけることなんだろう。

もちろんギターだけの話ではない。人間関係にも言えることだ。


おひとりさま

2010-07-25 07:42:24 | ギター・ギター音楽
大学時代、独り暮らしをしている友人たちの家によく遊びに行ったものだが、ある友人は部屋に帰るなり
必ずテレビをパチッと付けた。あまりテレビを見る習慣がなかった私には何だか奇妙に思えた。
「帰って来た時、シ~ンとしていると寂しいのよね。」と彼女は言っていた。
家族と離れて暮らしたことのなかった私には分からない寂しさだった。

結婚して夫が出勤すると、私はラジオをパチッと付けるようになった。その時になって、友人の気持ちが
理解できた。ワイドショーにかじりつく奥さまたちのことが揶揄されたりしたが、初めは一人の寂しさから
テレビに頼るようになったのだろう。
当時は、三食昼寝付き...という長閑な言葉が生きていた。
ラジオはFM放送を聴いていた。ずいぶんクラシック音楽に親しんだが、子供が生まれてからはラジオを
聴く習慣がなくなった。
パチッと付けるのはテレビのNHKになった。「おかあさんといっしょ」という幼児向け番組。
体操のお兄さん、じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろり...。

長い年月を経て、私は今、ありがたいことに三食昼寝付きの生活をさせてもらっている。
夫が出勤し、娘たちが会社や学校に出かけて行くと、私はパソコンをパチッと付ける。
パソコンはパチッじゃないか。来月ようやく地デジの工事をすることになったから、もっとテレビを見るように
なるかもしれない。

一人でいることは嫌いじゃない。若い頃は一人旅もしたし、映画でもコンサートでも一人で出かけた。
普通の若い女の子が好まない作品が好きだったせいかもしれない。
一人旅でよく覚えているのは一週間の北海道旅行。どこの街だったか、市場で蟹を買ってきて
ビジネスホテルの一室でむしゃむしゃ食べた。
小ぎれいな居酒屋で日本酒とルイベを注文した(凍った鮭はさほど美味しいとは感じなかった)。
賑やかなラーメン屋さんにも一人で入った。
風景より孤食のことを覚えているのは、きっと寂しかったからだろう。
食べたり飲んだりする時は一人じゃない方がいい。

子供たちが成長してからは一人で出かける機会も増えた。といっても誰かと待ち合わせて一緒に
行動することの方が格段に多い。
何年前だろう、一人で港の見える丘公園に行き、一人で小さな海を見た時は何だか心が震えた。
今年に入ってから一人で行動したのは目黒川の桜を愛でに行った時くらい。

それから昨日。素敵な若者4人のギター重奏を聴きに行った。クアトロ・パロス。
そういえば2008年、大倉山記念館で開かれた彼らのデビューコンサートに行った時も一人だった。
若くて感じの良い青年たちが、約3時間、次から次へと様々な曲を聴かせてくれた。
私の知らない魅力的な現代曲が多かった。このまま4人で活動を続けてくれたらと良いな…と心から思った。
(ギター独奏だけのコンサートはあまり好きでない。しわぶき一つ聞こえない、お腹がグーと鳴ったら
大ひんしゅく...みたいな緊張感が苦手なのだ。それに重奏の方が可能性が広がって楽しい。)

クアトロ・パロスは、彼らのまま真っすぐに伸びて、昨日もまた魅力的な重奏を聴かせてくれた。
きらきらと音がこぼれ出るような「精霊の花(笹久保伸作曲)」に始まり、私の大好きな「三千院(ヨーク作曲)」や
のびやかで大胆なオリジナル曲もあった。流れるように美しいチャイコフスキーの「花のワルツ」。
静謐で不可思議な「MOON(冨山詩曜作曲)」まで飽きることがなかった。

今度、彼らの演奏を聴く時も、また一人で行こう。
もっと、おひとりさまが楽しめる私になっていたい。

カルドーソとプラテロと、私

2010-03-24 11:25:34 | ギター・ギター音楽
ある友人に、ご主人とのなれそめを尋ねたことがある。大学生の頃、他大学との交流会があり、
そこで出会ったとのことだった。「私が声をかけたの、『コンニチワ』ってね」
その『コンニチワ』っていう口調がとても可愛かった。ご主人は『コンニチワ』にヤられちゃったの
かもしれない。
私の場合は新聞の仲間募集欄に載っていた「一緒にスペイン語を勉強しませんか」という記事だった。
あの日、新聞を開かなかったら出会いは無かった。

私たちは様々な出会いを繰り返して今日まで生きてきている。
自分の一生を決めてしまうような運命的な出会いもあるけれど、ほんの一瞬だけの宇宙の気まぐれ
みたいな、ちっぽけな出会いや偶然もある。
例えば私の場合、ふっとデジタル時計を見る時、4:44であることがとても多い。
~4という数字は好き。4人で飲むときが一番心地好いから。奇数は冷たい感じがする~

月曜日に小さな不思議があった。あるギター合奏団の定期演奏会に行ったのだが、第2部で
とても魅力的な二重奏を聴いた。
ホルへ・カルドーソというアルゼンチンの作曲家の「ポルテーニャ組曲」~ポルテーニャは
<ブエノス・アイレスの>という意味の形容詞~の中から2曲「カンシオン」と「ミロンガ」だった。
どこまでも美しく物悲しい「カンシオン(=歌)」。不思議なリズムが炸裂する「ミロンガ」。
ホルヘ・カルドーソ…この名前を聞くのは初めてじゃない。いつだっけ?と考えながら会場を出ると
携帯にメールが入っていた。
「見つけました、カルドーソの楽譜」…え??カルドーソ?

そうだ。去年の夏、気まぐれに買ったCDの中にカルドーソの美しい曲が入っていて、
ラテンを得意とする地元のギタリストに「楽譜をお持ちですか?」と尋ねたことがあった。
そのときの返事はNOだったけれど、まさに私が演奏会でカルドーソの曲に酔いしれていた時、
楽譜が見つかったらしい。帰宅して、教えていただいたサイトから楽譜をプリントする。
演奏会で聴いたのとはまた別の「ミロンガ」。哀愁のあるメロディーをつま弾きながら、久しぶりに
或るギター愛好家のブログを訪ねると、偶然にもカルドーソのその「ミロンガ」が紹介されていた。

だからどうした?みたいな話ではあるけれど、遠いアルゼンチンの作曲家が一日に3回も私の元に
やってくるのは何なんだろう…と考える。


大学生の頃、中央線の阿佐ヶ谷駅の前に「アランフェス」という喫茶店があった。
何の変哲もない喫茶店だったが、クラシックギター音楽ばかり流していたから、クラシックギターの
サークルに所属していた私たちメンバーはよくその店に行った。
ある時、私は一人でそこにいた。新しい恋が始まる予感みたいなものを抱いた18歳の私の耳に、
ギターのメロディと詩の朗読が聞こえてきた。
テデスコ作曲「プラテロと私」。
片田舎でロバと過ごす詩人の憂愁、美しい自然、素朴な人々...。ヒメネスという詩人の散文詩に
テデスコがギター曲を付けた作品だ。
コーヒーを飲みながら銀色の毛をしたロバのプラテロの姿を想像した。スペインの美しい田園を想像した。
大学を卒業して数年後、私はA合奏団に入ってプラテロと再会した。この詩をトップギタリストの
Oさんのギターに合わせて朗読したのだ。
プラテロの本を買った。その本を持ってスペインを旅した。
時空を超えて出会ったプラテロは、私の人生にスペインをプレゼントしてくれた。

平凡な日々の中に、平凡な顔をして転がっている素敵な偶然や出会い。
まだ期待できる、私の人生。


ギターを弾こう

2009-12-08 11:07:37 | ギター・ギター音楽
私がクラシックギターを始めた遥かな過去、「ギターをひこう(教育テレビ)」という
番組があった。1966年から始まったシリーズで、当初は「ギター教室」という生真面目な
タイトルだったらしい。数人の初心者が講師からクラシックギターの手ほどきを受ける
という形式は毎回同じだったが、阿部保夫さん、京本輔矩さんらベテラン・ギタリスト
から、渡辺範彦さん、芳志戸幹雄さん、荘村清志さんといった当時の若手バリバリ
ギタリストまで、多彩な講師が番組を引き継いで行った。
よく覚えているのは芳志戸幹雄さん。お醤油顔っていうのか、すっきりとしたお顔が
私の好みで(え?顔の話ですか)、楽しみに見ていた記憶がある。
結婚してからははずっとギターを離れていたので知らなかったが、芳志戸幹雄さんは
1996年に49歳の若さで世を去っていた。
パリ国際ギターコンクールで日本人として初めて優勝した渡辺範彦さんも他界されている。
渡辺さんのCD「幻のライブ」を聴いたが、静かで誠実な天才が紡ぐギターの世界に
感動した。

あの頃の3人のスターの中で、荘村清志さんだけは今も活躍されている。
2007年には「趣味悠々」という番組で再びギターを教えていらした。
ギター界のプリンスもすでに還暦を過ぎ、荘村さんに憧れた私はオバサンになって
再びギターを弾いている。

昨日、なんと荘村清志さんとほんの少しだけお喋りをしてしまった(^-^)。
場所は東京音大Jスタジオ。東京音大には数年前にギター科が出来て、昨夜は数人の
生徒さんの発表会だったのだ。
客員教授の荘村さんは講師の江間常夫さんと入口のところでお客様を迎えていらした。
お二人とも日本のギター界の重鎮だけれど、とても感じよく笑顔でお話しして下さった。
Aギター合奏団の友人は握手までしてもらった。私はトイレで手を洗ったばかりで、
冷たい手を差し出すわけにもいかず遠慮したのだった(むー)。。。

ギター科の生徒さん達の演奏は素晴らしかった。若者らしい自信と大胆さに溢れている。
最後に荘村さんと江間さんの2重奏があった。円熟した演奏に「ああ、音楽を聴いた」と
思った。若い人たちには出せない味だ。
特に宣伝もしなかったようで観客はごく僅かだったが、2009年12月7日に東京音大
Jスタジオに集った人たちは、大満足の夜を過ごしたと思う。(しかも無料)


…清々しい感動を胸に帰宅することなく、居酒屋に飛び込むA合奏団の面々。
前日の日曜日も練習の後、<サイゼリヤ>で大宴会を開いたばかりなのにね。
A合奏団は、私が入団した頃はギターが上手い人の方が『位が上』みたいな厳しい
ところがあったが、人数が減った今は和気あいあいと弾いている。
2部の小編成で同じパートを弾く男性は、以前はギターの面ではあまり目立たなかった。
一昨日の練習の時、その人が自信満々に弾く音を聴いて嬉しかった。私も頑張らなくちゃ。

ギターを弾こう!

ユキノブとノボルとテオドロ

2009-03-26 12:32:04 | ギター・ギター音楽
向かって左から、ユキノブ、ノボル、テオドロ。私の大切なギターたち。

いちばん年上なのがユキノブ。OLになって2年くらいたって買った。運命の出会いだった。
40万円したと勝手に思い込んでいたが30万円だったかもしれない。
大昔のことなので記憶が曖昧になっている。いずれにせよ当時のOLのお給料から
考えれば高価な買い物に違いない。それだけの値打ちはあると思う。
製作家の茶位幸信さんは手ごろな値段の良いギターを提供しているが、
ウチのユキノブはランクが高いはず。ヘッドのところに彫り物もしてあるイケメンの
エリートだ。印象的な音がする。低音は深く、高音はピンと張りつめている。持ち主と同じで
色気はないが、何かを主張している。
結婚してから長い長い間、廊下の片隅に放っておいたのだが、ある日取り出して
弾いてみたら綺麗な音がした。もし壊れていたら今の私はいない。
ユキノブを抱えて地元のギター合奏団に入団したのが6年前。若い頃に所属していた
A合奏団に復帰したのが2年前。
ユキノブには過酷な運命が待っていた。5年くらい前、私はフラメンコに興味を
持ってしまったのだ。しかも歩いて25分くらいのところで往年のフラメンコギタリストが
ギターを教えていた~フラメンコギターに興味を持ったとき、近所にフラメンコ
ギタリストが住んでいる確率…せいぜい0.3%~。
ラスゲアード(かき鳴らす)やらゴルペ(叩く)やら、フラメンコの激しいテクニックを
練習しているうちに、ユキノブは傷だらけになってしまった。
あわててフラメンコギター用の「ゴルペ板」という透明のプラスティックの板を
貼り付けたが、時すでに遅し。300個くらい爪の跡が付いている。
ユキノブは考えていると思う。「俺ってクラシックギターだと思っていたけど、
実はフラメンコギターだったんだろうか?どっちかなあ。」。
さっきユキノブは激しいフラメンコルンバを鳴らしていた。合奏曲とバッハも少し。
彼は私同様、退屈していないと思う。

ノボルは退屈している。ノボルはフラメンコギターで、生まれつきゴルペ板も張って
あるから激しく弾いても叩いてもOKだし、弦は低めに張ってあって押さえやすい。
だが、弦が低めに張ってあると音がビリビリする。そこが気に入らない。
それがフラメンコの特徴なのに…。手に入れたのは4年くらい前。
私は気まぐれだからフラメンコのリズム練習をしているかと思えば、合奏曲や、
たまには簡単なソロ曲も弾く(いちいちギターを持ち替えるのは面倒くさい)。
フラメンコ以外の曲を弾く時、ノボルのビビリ音は耳障りになってしまう。
そのためノボルの出番は少ない。
実はノボルは純粋なフラメンコギターではない。クラシックギター用の木と
フラメンコギター用の木を半々に使っている(写真はノボルだけ後姿~製作家の
中山昇さんにはこんな遊び心がある)。
調整して弦を高めに張れば、もっと美しい音になるだろう。
あまり使われていないノボルだが、思い出がある。3年ほど前、地元のギター愛好家達の
自主演奏会で、私はノボルと共に舞台に上がり、ファルーカというフラメンコの曲を独奏した。
私はこの先、ステージで独奏することはないと思う。
だからノボルと2人でステージに立った日のことは忘れない。

最後はスペインの貴公子、テオドロ。テオドロのことはブログにも書いたが
この1月、リサイクルセンターで見つけた。雑然と並んだリサイクル商品の中で、
傷一つない美形のテオドロに出会ったときの驚き。
製作家はテオドロ・ペレス。評価は高い。テオドロの音にはインテリジェンスがある。
だが気取っていないのはスペイン人だからだろう。テオドロをケースから出す時は、
なんだか胸がときめく。このときめきをいつまでも大切にしたいから、あまり弾かない。
…それじゃ意味がないか。

思えば中学生の頃から今日まで、長いブランクはあったものの、ギターは私の親友。
そしてギターを通して、どれだけ沢山の人と知り合っただろうか。100人は軽く
超えている。
サウンドホールの中に私の現在、過去、未来が詰まっている。


彼との出会い

2009-01-08 01:16:03 | ギター・ギター音楽
彼に会いたくて家を飛び出した。家から上野まで40分。上野から常磐線に乗って
北千住で乗り換え、綾瀬という街に降り立った。足立区…生まれて初めて来た区
かもしれない。そこから30分バスに揺られ、やっとたどり着いたところは、
だだっ広いガレージのような場所だった。火の気のない寒々としたリサイクルセンター。
タンスやソファーやダイニングセット、がらくたみたいな小物、不気味な和太鼓、
意味不明の置物、明らかに安物のギター、いかがわしいビデオまで、雑然と置かれた場所。
彼にふさわしい場所だろうか? 店の主任みたいな青年に聞くと
「あ、申し訳ありません。ヤナカ(どこ?)にあるもう一店舗の方にいるんですよ。」
「え?今朝電話して、ここだって確認したんですけど!!(怒)」
「手違いでした。それでは今、迎えに行ってきますので待っていてもらえますか?
往復で40分かかりますが。」
40分は気の遠くなる待ち時間だったが、彼に会えるなら待とう。
それにしても寒い。手袋をはめ、マフラーをしっかり首に巻いて、一番奥の売り物の
ソファーに座ってぼんやり。。。
「お待たせしました!」
それからしばらく、ソファーに座って彼と語り合った。素敵だった。

彼、すなわち、そのギターは、スペインのギター製作家テオドロ・ペレスの作品だ。
テオドロ・ペレスは数年前に独立したばかりの製作家だが、彼の作るギターは
フラメンコギターもクラシックギターも高い評価を得ている。
ぶっとびフラメンコ合奏団の先輩のT氏はギターショップを経営している。その
T氏が絶賛するギターでもある。T氏の薦めで、新進気鋭のフラメンコギタリスト
沖仁さんもテオドロ・ペレスを愛奏している。定価126万円。割引価格108万円。
このほど手入れの良い中古品が出たが、それでも85万円。手が届かない。
ここ2~3ヶ月、私は頭の中で呪文のようにつぶやいていた。
テオドロ・ペレス…、テオドロ・ペレス。
そしてネットで探し当てた。はるかに安い値段で売りに出ている彼を。
彼は美しく傷一つなかった。
何故こんな場所にいるのだろう。環境の良い専門店で
大切に扱われるべき存在のはずなのに。彼を信じて良いのだろうか。
素性は良いが、不良少年かもしれない。
運命に翻弄されて身を落とした貴公子かもしれない。

彼が間もなく私のものになるかどうか、私ですら分からない。
とりあえず出会った。


私なりにマニアックなギターの話

2008-06-23 13:47:59 | ギター・ギター音楽
「先輩、なんで私たちは演奏会が出来ないんですかっ(怒)!?」
「そんなムリ言わないでくれよ、な、な。」
大学時代は、そんな弱小クラシックギターサークルで、ギターを弾いたり
お酒の修行に励んだり恋をしたりしていたが、他にもギターを学ぶ場所を2つ持っていた。

1つは大塚の「マイ・スタジオ」。ギター音楽に造詣の深い、さる大会社の重役さんが
自宅のサロンを開放し、月に何度かレコード鑑賞会やミニコンサートを開いていた。
あの膨大なレコードコレクションは今どこに埋もれているのだろう。
沢山の貴重なレコードを聞かせていただいたのだが、覚えていることといえば、
上品な奥様が出して下さった紅茶やお菓子が美味しかったこと、その重役さんに一度
連れて行っていただいた会員制クラブの絨毯がフカフカしていたことなど、ロクでもない。
そんなことないか、あの頃に聞いた音楽の数々は私の心の引き出しのどこかに隠れていて、
今の私をささやかに支えてくれている。きっと。

そのサロンで開かれた室内楽コンサートで、ヴィオラ・ダ・ガンバという
脚で支えて弾く大きめなバイオリンみたいな楽器を弾いていらした石月一匡さんという
演奏家が、短い間だったが私のギターの先生だった。
西武池袋線の江古田駅(たぶん)から、明るくてのどかな道を10分くらい歩くと団地があり、
その一室が石月先生のレッスン場だった。部屋は楽譜のようなものでいつも雑然としていた。
先生が作曲家として編曲家として立派なお仕事をされたことを知ったのは、
ずいぶん後になってからだ。
「ギター名曲集」に載っているような有名な曲ではなく、ルネッサンス・バロック期の
小品を教えていただいた。
当時、石月先生には四天王と呼ばれる優秀な生徒さんたちがいた。
この3月、気まぐれに「神奈川県ギターフェスティバル」というのに行ったら、
四天王の一人、高久さんが司会をしていた。先生の情熱を引き継ぎギター人生を歩んで、
感じの良いオジサンになっていた。

この2つの場所で知り合った何人かの人たちを中心に、大学卒業後にギター合奏団を結成した。
トロバドール(吟遊詩人)ギター合奏団。素敵な名前だ。上手い人が何人もいたのに
合奏はまとまらなかった。私が切望していた演奏会も開けそうになかった。
吟遊詩人の命は短かったが、何人かの仲間と共にAギター合奏団に横滑りした。
演奏会に出たいという、ただそれだけの思いだった。
幸いA合奏団は伝統ある合奏団で、私は長年の夢だった演奏会に出ることが出来た。
そして結婚、退団。。。。

~~中略・中略・20年以上が経過~~

昨年、私はこのA合奏団に復帰した。若い頃に一緒にギターを弾いたO氏、Kさん以外は
新しいメンバーばかりだった。音楽的にも技術的にもレベルが高く、
雰囲気もかなり独特で、ついていけるか心配だったが今も何とか頑張っている。
21日(土曜日)には、松戸で開かれたギター・マンドリン・サマーコンサートで
5曲弾いた。楽しかった。というワケで写真へ。