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昨日☆今日☆明日~金曜日のピュ

私の毎日と心に浮かんだこと

明るく軽やかに

2014-07-06 06:12:00 | 音楽・演劇・絵画・映画

6月の最後の日は、渋谷Bunkamuraの<デュフィ展>に行って来た。
ラウル・デュフィは「色彩の魔術師」と称される19世紀末から20世紀半ばにかけて活躍した画家だ。
展覧会というと重厚な油絵を見る機会が多かったので、デュフィのさらりとした軽妙さには肩すかしをくらったが、
その肩すかしが妙に心地よい...そんな感じだった。レガッタ、競馬、音楽、花、ホテルの窓からの風景など、趣味や
娯楽的なテーマが多く、ゴッホやゴーギャンやモディリアーニのように狂おしいまでに命を燃やして描いた画家たちとは
全く違う世界なのも興味深かった。

自ら耳を切り落としたゴッホ(1853-1890)は狂気の天才画家・炎の画家と呼ばれた。
ゴーギャン(1848-1903)は妻子を捨てタヒチ島に渡ったが、その人生は苦悩に満ちていた。
モディリアーニ(1884-1920)は貧困と病の中で世を去った。映画<モンパルナスの灯>で、銀幕の貴公子
ジェラール・フィリップがモディリアーニを演じていたが、やつれ果てた姿で絵を売り歩くシーンが忘れられない。

それに比べるとデュフィ(1877-1953)は早くから有名デザイナーや豪商たちに認められ、パリの万国博覧会では
電気館の壁画<電気の精>も描いている。明るく軽やかな作風は人生の重みや苦悩を感じさせない。
絵と画家の人生を重ね合わせて見ることの多い私には少し物足りなくもあったけれど、会場を出た時の爽やかでホッと気分は
何だったのだろう。
 <クロード・ドビュッシーへのオマージュ>   
 <電気の精(一部)>科学の進歩に貢献した110人の科学者たちが描かれている
☆  ☆  ☆  ☆  ☆

この6月は大正琴コンサートのギター伴奏に始まって、ギター重奏フェスティバル初参加に終わった。
大正琴の伴奏は思いのほか上手く弾けて、打ち上げのお酒はとても美味しく、心から寛いだ。
一方、重奏の自分の演奏は、そんなに難しいパートではなかったにもかかわらず練習の成果が出なかった。朝から緊張して
食事もそこそこだったから打ち上げでは豪快に飲んだり食べたりしたけれど、心の片隅でふてくされていた。
上手く弾けてなんぼ、なんだよね...とつくづく思った。練習でいくらちゃんと弾けても本番で上手く行かなかったらアウト。
ま、しかたない。良き重奏の友ができたことに感謝。今年はあと何回もチャレンジできる。

いろいろなことがあった6月が終わった。7月は大きな行事が無い。
昨日は久しぶりにスペイン語のメンバーと、ゆっくり時を過ごした。日本とメキシコの関わりについての話題が楽しかった。
400年前の支倉常長メキシコ訪問。100年前、メキシコ革命の際に暗躍した天皇の密使。青春時代の旅...。
7月は落ち着いて本を読んだり映画を見たりしよう。○○が迫っているからギター練習しなくちゃ、じゃなくて、気が向いたとき
肩の力を抜いて弾きたい。
デュフィの絵のように、軽やかに明るく過ごせたらいい。

大正琴の日

2014-06-06 01:06:39 | 音楽・演劇・絵画・映画
6月5日の朝が来て、私は「はあっ」とため息をついた。ついに大正琴の演奏会の日が来てしまった。
大正琴の指導をしている友人から「<気楽な>会だから、ギター伴奏してくれない?」と訊かれたのは今年の初め。
身内的な集まりで、お菓子でもつまみながら、子供たちが騒いだりする中、お気楽に演奏するのかな…なんて浅はかな
想像をして、二つ返事で引き受けた。
だから先月、300席はありそうな立派なホールで、ものものしいリハーサルが行われた時はビビりまくって、まともに
弾けなかった。以来いつも頭の中の5分の2くらいが重苦しかった。
本番で、一生けんめい練習に励んできた方たちの足を引っ張るような演奏をしてしまったらどうしよう。

大正琴には幾つかの流派がある。私が参加させていただいたところは、主にCDの伴奏を流しながら演奏をしている。
生のギター伴奏というのは新しい試みらしかった。お教室の生徒さん達も不安だったに違いないが、優しく感じ良く接して
くださった。

伴奏は4曲。コード付きの楽譜や、いただいた音源を参考に自分で作った。Youtubeで聴いたフレーズを取り入れたりもした。
自分のできる範囲で、なるべくカッコいい伴奏がしたかった。家ではそこそこ弾けるようになったが、本番のことを考えると
脳味噌が縮みあがりそうだった。

で本番の朝。ギター合奏の定期演奏会だったら夫に「必ず来てよ!!」と念を押すのだが、この日ばかりはそんな勇気は湧かず、
本番であることも告白できず、「ちょ・ちょっと練習に行ってきます。」
いつもより厚化粧で黒の上下に真珠のネックレスという出で立ちだったが、そういうことには無頓着な夫、「ああ、行っといで。」

天気予報は昼から雨。お客さんが少ないといいな...と不謹慎なことを考えながらの道中だったが、会場に着いて、講師の先生方が
準備に追われて走り回っている姿や、熱心に自主練習をしている生徒さん達の姿を見て、ようやく覚悟ができた。
昼食のお弁当は殆ど味が分からず、余裕しゃくしゃくの尺八の先生のお喋りは半分ほどしか理解できず。12時半開演。ほぼ満席。

「月の沙漠」。いちばん易しい伴奏だったが最初の曲だったせいか3回ほど間違えた。哀愁のあるメロディーと大正琴とギターは
相性が良かったと思う。
「与作」。前奏、尺八とのからみが上手く行ったような行かないような。メロディーに入ってからは、大正琴と尺八がいい感じで、
伴奏も楽しく弾けた。
「百万本のバラ」。午前の練習で合わない個所があり不安だったけれど、これが一番うまく行った。
「湯の町エレジー」。有名な最初のフレーズを間違えずに弾けたときは本当にホッとした。この曲も尺八が入り、情緒があった。

自分の出番でない時は客席で聴いていた。大正琴の音色には癒しがある。昭和の歌曲はどれも懐かしく聴き飽きることがなかった。
ウクレレの伴奏もあった。大正琴とウクレレも合う。いろんな可能性があるのだ。だから音楽って素敵。

演奏会は12時半に始まって4時に終わった。長い長い会だったが、最後の講師演奏にアンコールの拍手がやまなかった。
お教室の生徒さんの多くは70歳代、80歳代。長い道のりを歩んで、大正琴に出会った人たち。みんな輝いていた。
参加させてくださってありがとうございました。


神戸一郎と与作

2014-04-03 02:52:20 | 音楽・演劇・絵画・映画
幼い頃の記憶をたどると「かんべ いちろう」という歌手の名前に出くわす。
フランク永井とか水原弘の名前を覚えている人はたくさんいるだろうけれど、神戸一郎を記憶している人は少ないかもしれない。
私自身、なぜ神戸一郎という名前が頭に刷り込まれているのか見当がつかない。
どんな歌を歌っていたのだろう...と調べてみると、代表的なヒット曲は<十代の恋よさようなら>と<銀座九丁目水の上>らしい。
Youtubeで聞いてみたけれど、ピンとこないし、<有楽町で逢いましょう>や<黒い花びら>に比べると平凡な感じがする。
顔には覚えがあった。ブラウン管テレビのボヤっとした画面の中に、この人は確かにいた。
ハンサムとは言い難いフランク永井やクドさのある水原弘とは違う、優しくて甘いマスク...幼い私はこういう顔が好みだったのかしら
なんて考えたりする。
 神戸一郎

あの頃の曲を幾つか聴いてみたが、良い曲が多いのに驚いた。フランク永井の<君恋し>、水原弘の<黒い花びら>、ペギー葉山の
<南国土佐を後にして>、坂本九の<上を向いて歩こう>。しばらく忘れていたな、こういうの。
さっき平凡などと書いてしまったが、神戸一郎の<十代の恋よさようなら>の歌詞も良い。

好きでならない人なれど  別れてひとり 湖に
悲しく棄てる 男の涙    ああ十代の 恋よ さようなら

月の渚を さまよえば   返らぬ夢を 慕うよに
はぐれて一羽 啼く水鳥よ  ああ十代の 恋よ さようなら

恋の名残りか むらさきの  りんどう風に 散る夜は
瞼に沁みる ホテルの灯り  ああ十代の 恋よ さようなら

ぼやけた白黒テレビの向こう側の歌手に憧れ、レコードに針を落として音楽を聴いた時代から数十年、今は美しい画面のテレビを見、
小さな携帯電話に音楽を入れて持ち歩く時代になった。便利にはなったけれど、何かをどこかに置き忘れてきた。


☆ ☆ ☆ ☆ 

神戸一郎の名前を思い出したり、古い歌謡曲を聞いたりしているのには理由がある。
ひょんなことから大正琴の演奏にギター伴奏をすることになり、火曜日は大正琴・尺八と合わせてきた。先生と呼ばれる方たちと一緒に
演奏するには未熟すぎる私だけれど、初めての経験にワクワクしている。

中でも<与作>はお気に入りの曲だ。今回練習するまで、<与作>がこんなにも胸を打つ曲だとは思っていなかった。
イントロは尺八、そこにギターが絡む。それからメロディー。「へいへいほー・へいへいほー」のところは大正琴のメロディーを尺八が
追いかける。ギターはアルペジオ。そこから盛り上がって「よさく~よさく~」のところはアドレナリンが出る。

若い頃は演歌やムード歌謡曲を毛嫌いしていたけれど、今は違う。歳をとったね。歳をとってストライクゾーンが広くなった。
たぶん、これからもっと楽しくなる。


 東京の目黒川と並び称される、横浜の大岡川の桜(日ノ出町の駅のそばの橋から)

 酒飲みのメッカ、日ノ出町で見つけた渋い居酒屋さん「侘助」 路地の奥のカウンターだけの小さな店。

 次に行った白い扉のバーの名前は伏せておこう。知っている人だけが羽を休めに行く空間。初めて飲んだカリラ。
    最初、消毒液の様な匂いがする。口に含むとスモーキー。これぞ大人のスコッチウイスキー。

感動はどこから生まれるのか

2014-02-07 02:01:53 | 音楽・演劇・絵画・映画
娘たちがまだ小さかった頃、「一杯のかけそば」という物語がブームになった。
大晦日の夜、ある蕎麦屋に、貧しい身なりの母親が子供を2人連れて現れ、かけそばを一杯だけ注文する。
店主は多めにお蕎麦を入れてやり、母子3人は、それを分け合って美味しそうに食べた...みたいな美談だった。
正直なところ、感動を押しつけられているような気がして好きになれたかった。
けれど娘たちはシンとして話を聞き、目を潤ませていた。子供たちのきれいな心は、優しさをまっすぐに
受け止めている...。私はひねくれた自分を反省した。
その後、この物語の作者は学歴詐称やら何やらでスキャンダルを起こし姿を消した。
お粗末きわまりない結末だったが、娘たちの真剣で潤んだ眼差しは今も心に残っている。
作者がどんな人格であろうと、物語が伝える感動まで消し去ることはできない。

そういえば、リヒャルト・ワーグナーは良からぬ性格だったらしい。女性問題、金銭問題、傲慢…。
にもかかわらず、私は「タンホイザー序曲」を聴くと、陶酔の世界に入ってしまう。
性格に問題ありの、肖像画を見れば気むずかしくて神経質そうな、あの音楽家に、どうしてこんなに美しい曲が
生み出せたのだろう。


こんなことを考えているのは、現代のベートーベンとまで賞賛された佐村河内守氏のゴーストライター問題のせいだ。
他者に作らせた曲を自分の作品だと偽り、名声を得、脚光を浴びる。芸術家としてのプライドは無いのか。
ゴーストライターの新垣氏は、普通の音楽家が発表するより重いハンディのある作曲家の作品として発表する方が
認められる・売れると思ったのだろうか。
CDが何万枚も売れたのは、「現代のベートーベン」という肩書に世間が~高名な音楽家たちでさえ~踊らされたから
だろうか。

確かに、佐村河内氏の作品としてリリースされなかったら「交響曲第1番 HIROSHIMA」は、こんなに売れなかったかも
しれない。聴覚障害の苦しみから生みだされた曲でなかったら、こんなに注目されなかったかもしれない。
でも曲は曲だ。どんないきさつがあるにせよ曲は曲だ。私たちの感動は偽物ではなかった。
感動は、パッケージにではなく中身にある。感動は、作品と触れ合ったとき私たちの心の中に生まれる。

ただ、一つだけ気になることがある。あの女の子のこと。
NHKスペシャル「魂の旋律―音を失った作曲家」に出ていたあの女の子。
震災の津波で母親を失い祖母と暮らしている。眠るときは腰ひもの片端を握っていた。
もう片方の端は、おばあちゃんが握る。そんな風に誰かとつながっていなければ眠れない女の子。
私もはるか昔は女の子だったから切実に分かる。もしお母さんが突然いなくなってしまったら、どんなに悲しくて
心細いだろう。
佐村河内氏は、その子を励ましていた。その女の子と被災した人々のために曲を作った~ピアノのためのレクイエム~。
その曲もゴーストライターが作ったものだと知ったら、彼女はどう思うだろう。
悲しんでいる人たちを偽りの仮面で励ますことだけは、してほしくなかった。




「のぼうの城」と「午後の遺言状」

2014-01-22 03:44:13 | 音楽・演劇・絵画・映画
「のぼうの城」と「午後の遺言状」

...の共通点は何か?

お正月に録画した「のぼうの城」を観た。面白かった。

天下統一を目指す豊臣秀吉は、いよいよ関東平定に乗り出す。迎え撃つ関東最大勢力の北条氏は小田原城に立てこもり
(小田原って関東の要だったのね、知らなかった)、武蔵の国の忍城(おしじょう~埼玉県行田市)の城主・成田氏長は
小田原城に加勢に向かう。忍城の留守を預かるのは、若き城代・成田長親。
ところが、英断なのか臆病なのか城主・氏長は密かに豊臣方と内通し、城を明け渡す手はずになっていた。
 忍城(模擬御三階櫓)

忍城攻めの大将は石田三成。武功も立てていないのに秀吉の寵愛を受けているものだから、陰口をたたかれたりしている。
で、ここで名誉回復せねば、と張り切っている。演じているスッキリ顔の青年は、誰かと思ったら、おバカタレントで名を
馳せた上地 雄輔。石田三成って冷酷なイメージだけれど、ここでは秀吉の水攻め作戦に憧れるやんちゃな武将として描かれている。
行動を共にする大谷吉継の山田 孝之は地味ながら好感が持てる。傲慢な長束正家を演じているのは、平 幹二朗の息子の平 岳大で
父親譲りののっぺりとした冷たい感じがいい。彼のタカビーな態度のおかげで、忍城の城代・成田 長親は、城は明け渡さない、
「戦いまする」と宣言してしまう。
三成の2万の軍勢を、農民を入れてもせいぜい3000人で迎え撃つ成田側の配役は、長親が野村 萬斎。ふだんは農民たちとも
仲睦まじい<でぐのぼう>様。彼を助ける三人の個性的で頼もしい武将は、佐藤 浩市、山口 智充、今をときめく成宮 寛貴が演じて
いるのだから、面白くない訳が無い。
黒沢監督の痛快な時代劇を見ているようだった。

圧巻は、水攻めにあって士気の衰えた味方軍を奮い立たせるために、長親が敵・味方の前で田楽踊りを披露するシーン。
敵に撃たれるのは覚悟の上。自分が殺されれば皆が命がけで報復するだろう…という捨て身の作戦だった。この作戦は功を奏し、
水攻めは失敗に終わり、撃たれた長親も一命を取り留める。

演じることに慣れているとはいえ、能楽師の野村 萬斎が、これだけ生き生きと映画の主役を務めるのは素晴らしい。
伝統を守る厳しい芸術家であると同時に、人に感銘を与える俳優でもあるのだ。



...と考えているうちに、同じ能楽師である観世 栄夫(ひでお)さん(1927年 - 2007年)のことを思い出した。
端正な顔立ちの野村 萬斎とは違い、特異な風貌で不気味な役を演じたのが印象に残っている。主に1970年代、テレビでも
活躍されていた。「火曜日の女」だったか「土曜日の女」だったかのシリーズで、事故にあって寝たきりになった富豪の夫の役を
演じ、若い妻を追い詰めて行く目の演技が恐ろしかった。
彼が最後に出演した映画「午後の遺言状」も観た。


「午後の遺言状」は新藤 兼人監督1995年の作品で、奥さまの乙羽 信子の遺作にもなっている。
蓼科高原の別荘に避暑に来た大女優・蓉子(杉村 春子)、別荘の管理をしている朴訥な女性・豊子(乙羽 信子)、蓉子を訪ねて
くる牛国夫妻(朝霧 鏡子と観世 栄夫)くらいしか主要な登場人物はいない。
別荘といっても昭和の一軒家みたいな地味な家だし、蓉子の劇団仲間だった牛国登美江は認知症、引退した能楽師の夫・藤八郎は
白髪ぼうぼうの侘しい姿。大監督と往年の大俳優たちが織りなすドラマにしては、しょぼい設定だ。そのしょぼさの中に、老いや死や、
対極にある若さやエネルギーも描かれていて考えさせられた。人はある日、生と死の境界線を越える。その日が来るまで精一杯、生きて
行かなくてはならない。

牛国夫妻は蓉子を訪ねた後、死出の旅に出る。認知症の妻を抱え、お金も無い...、生きることをあきらめてしまった夫は、それでも
最後まで妻をいとおしむ。
映画の中で観世 栄夫が能を演じるシーンが2度ばかりある。さえない風貌のオジサンが、姿勢を正し演じる姿はハッとするほど美しい。


全く趣の違う2つの映画だが、野村 萬斎と観世 栄夫の姿に感動した。


オマケ
「のぼうの城」には芦田 愛菜ちゃんが、「午後の遺言状」には若き日の内野 聖陽が出演している。どちらもエンドロールを見るまで
気がつかなかった。

ネタバレあります<オブリビオン>

2013-07-05 01:38:47 | 音楽・演劇・絵画・映画
もうすぐパソコンを修理に出すので、今のうちに書いとこ。 ネタバレあります(勝手な想像あります)。

一番新しく入ったギター合奏団の熟女(オバチャマ)3人で重奏ユニットを結成した。
最初の演奏曲は「タンゴ界の革命児」というキャッチフレーズが言い古されたアストル・ピアソラの<オブリビオン~忘却>。
切なく重く、セピア色の遠い過去をジッと見つめているようなメロディーは熟女たちにピッタリ…などと悦に入っていたら、
テレビから「オブリビオーン」と渋い声が響いてきてビックリ。同名の映画の宣伝だった。

そもそも<オブリビオン>とは何語なのか…と気になっていた。ピアソラはアルゼンチン人だけれどスペイン語にoblivionという
言葉は無い。ラテン語?ギリシア語?この不思議な響きが英語であろうはずがないと思っていたら英語だったので少し白けた。
とはいえタイトルが魅力的なので、この映画を観ることにした。

あまり新しいものは観ないのでトム・クルーズの映画は<レインマン><マグノリア><インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア>
<バニラ・スカイ>くらいしか知らない。にやけたハンサム兄ちゃん…という印象だったが、もう50歳なんだ。


<オブリビオン>
暗くミステリアスな雰囲気の人間ドラマだと勝手に思い込んでいた。

空に浮かぶ無機質でスタイリッシュな住居に暮らすジャック(トム・クルーズ)は、最高のパートナー・ヴィクトリアと共に、
エイリアンを監視している。
時は2077年。
エイリアン・スカヴの襲撃を受けた地球は、戦いに勝利したものの環境は壊滅的。生き残った人間たちはタイタン(土星)に移住
している。ジャックとヴィクトリアは地球に残って「後始末」をしている訳だが、その任務期間もあと僅か。ヴィクトリアは任務を終え
タイタンに行く日を心待ちにし、一方ジャックは破壊を免れた地域を探しては昔の地球を懐かしんでいる。
任務に記憶は要らない…と二人は記憶を消されているが、ジャックには過去の地球をいとおしむ心が残っている。
彼の脳裏に時おり現れる美しい女性は誰??

とまあ話はありがちなSFで、どこかで見たようなハイテク戦闘機が飛び回る。
オバサマ心をくすぐるオブリビオン的ほの暗さは見当たらない。

と思いきや、ある日、空から宇宙船が落ちてくる。そこには60年の低温睡眠している女性のカプセルがあった。その顔を見たジャックは
驚く。時おり脳裏に浮かぶあの女性の顔だった。
蘇生した女性ジュリアによってジャックは記憶を取り戻す。かつてエンパイアステートビルの屋上で、ジャックはジュリアに求婚した。
二人は夫婦だったのだ。って、おかしいじゃないですか。
ジュリアが低温睡眠のおかげで60年前の姿を保っているのは良いとして、80歳~90歳になっているはずのジャックも若いまま。
 忘却の記憶

驚きの事実①
実は地球はエイリアン・スカヴと戦いもしなかったし勝利もしなかった。「別の敵~本物の敵」に侵略されていた。ジャックたちが
スカヴだと思い込んで監視していたのは、生き残った人間たちだった。もちろん移住先タイタンなど存在しない。
ジャックとヴィクトリアは敵に取り込まれ、記憶を消され、偽の情報をすりこまれ、同胞たちを根絶やしにしようとしていたのだ。

驚きの事実②
実はジャックは本当のジャックではなかった。オリジナル・ジャックは60年前、ヴィクトリアと共に敵に捕らえられてしまった。
そのとき妻のジュリアをカプセルに入れて逃がしたのだ。捕らえられたジャックとヴィクトリアは優秀であったがため、敵はこの2人を
基にしてクローン人間を何千と製造した。
何千人ものクローン・ジャックとクローン・ヴィクトリアは、敵の思うがまま、愛する地球を破壊し人間たちを殺戮した。
オリジナルのジャックとヴィクトリアは、たぶん殺されたのだろう。

切ない話
ヴィクトリアは妻のいるジャックを愛していた。その愛はクローン・ヴィクトリアにも受け継がれていたが、妻ジュリアの登場に
よって悲しい結末となる。「私とジャックはもう、最高のパートナーではなくなった」と告白したクローン・ジュリアは
抹殺される。クローンなんて、いくらでも代わりがいるのだから。
 ヴィクトリア

結末
全てを知ったクローン・ジャックは、生き残りの人間たちと共に「敵」と戦う決意をする。
彼は他のクローンとは違う、人間のハートを持つ特別なクローンだったといえる。
生き残りのリーダー(モーガン・フリーマン)と共に爆弾を抱えて「敵」の本部に乗り込むクローン・ジャック。
(このラストは「鉄腕アトム」の最期に似ている~自らの命を捨てて地球を救うのデス)
 この俳優さん、好きだな。


地球に平和が戻り、残されたジュリアは子供を産む。この子はオリジナル・ジャックの子なのか、クローン・ジャックの子なのか
分からないけれど。。。
そこへ別のクローン・ジャックが現れる。彼もまた、オリジナル・ジャックの心を受け継いだ特別なクローン・ジャックだった。
きっとジュリアと子供を守って生きるのだろう。おしまい。

ということで、ただのSFアクションではないことは判明。
でもアストル・ピアソラの<オブリビオン>を聴きながら、私は思う。
トム・クルーズにピアソラは似合わない。全然。

ホテル・カリフォルニアはどこにある

2013-05-21 18:15:27 | 音楽・演劇・絵画・映画
最近あるギター合奏団で「ホテル・カリフォルニア」の編曲をする...という話になり、この曲が大好きな私はワクワクしてしまった。
哀愁のある出だしのメロディーといい、アンニュイな雰囲気といい、胸を締めつけられるような<あの頃感>といい、忘れがたい名曲だと
思っている。
ところが「歌詞は哲学的で濃い内容」という発言があり、はたと首をかしげた。
英文科を出たというのに英語がからきしダメな私は、歌詞の意味なんて考えたことも無かったのだ。
かろうじて聞き取れる Welcome to the Hotel California, Such a lovely place, (Such a lovely place) Such a lovely face
~ホテルカリフォルニアに、ようこそおいで下さいましたぁ!素敵なところですよ、イケメンもいるし~ は、哲学的とも濃いとも言い難い。
歌詞なんて、こんなものかなあ…と軽視していたくらいだ。

むらむらと好奇心がわいて、詞を訳してみようと思った。
こんな時代だからマウスをクリックすれば邦訳はすぐに出てくるけれど、自分で訳してみたかった。英語が苦手な私には奥の手がある。
スペインのyahooにアクセスして
<Hotel California, スペイン語の歌詞>とスペイン語で入れると、ちゃんとスペイン語になった歌詞が出てくる。
私にとっては英語よりはるかに訳しやすい。


En un oscuro camino del desierto,
viento frio en mi pelo
Calido olor de colitas,
elevandose en el aire
Adelante, en la distancia,
vi una luz tremula
Mi cabeza se puso pesada,
y mi vista se oscurecio
Tenia que parar por la noche   (アクセント記号は文字化けするので略)
  砂漠の暗い道、
  冷たい風が私の髪をもてあそぶ
  colitasの熱い香りが、あたりに漂う
  はるか彼方に揺らめく明かりが見えた
  頭は重く、視界もぼやける。どこかで落ち着いた夜を過ごさねば

ふむ、ふむ、colitasって何だ?? cola(しっぽ・行列)の縮小形だけれど、違うな。
西西辞書の最後に出ていた。「熱帯植物の種子から採取される興奮を与える物質」..もしや麻薬の一種?
そういえばコカコーラが売り出された頃「コカ・コーラ(=cola)には麻薬が入っているから、一度飲むとやみつきになる」と、まこと
しやかに噂が流れた。
...ということは、麻薬でラリって目も頭もおかしくなってきたので泊る所を探している状態ですか!? 
温暖で自然の美しいカリフォルニアのイメージとは程遠い。

Ella estaba alli en la puerta de entrada
Yo escuche la campana de la mision , y pensaba para mi
Esto debe ser el cielo o el infierno
Entonces ella encendio una vela y me mostro el camino
Habia voces bajo el corredor Me parecio escucharlas decir...
Bienvenido al Hotel California Un lugar tan adorable, una cara tan adorable
Lleno de habitaciones el Hotel California
En cualquier momento del an~o, lo puedes encontrar aqui
  彼女はそこにいた、入口の扉の所に
  伝道の鐘(?)が聞こえた
  私は自問する、ここは天国なのか、地獄なのか
  彼女は蝋燭を点し、私を案内した
  廊下の下で声がする その声は、こう言っているようだった...
  ホテル・カリフォルニアへようこそ、素敵な場所です、素敵な顔(外観)の
  ホテル・カリフォルニアは部屋がたくさんあって
 一年中、いつでも見つけられますよ

こ・怖いです。ホテル・カリフォルニアって幽霊屋敷ですかあああ!!

Su mente esta perturbada por las alhajas
Ella tiene el Mercedes Benz
Ella tiene muchos chicos lindos
Que llama amigos
Como bailaban en el patio, dulce sudor de verano
Algunos bailes para recordar, algunos bailes para olvidar
   彼女の心は宝飾品に狂い   (英語ではTiffany-twisted, ティファニーのねじれ)
   メルセデスベンツも所有していれば
   ボーイフレンドと称する綺麗な男の子たちも思うがまま、
   彼らは中庭で踊り、夏の甘美な汗がしたたる
   それは、思い出すためのダンス、忘れるためのダンス

ホテル・カリフォルニアの贅沢な女主人は、もうこの世の人ではないような気がする。
踊っている綺麗な男の子たちもまるで影みたい。幻想と忘却の世界の住人達...。

Entonces yo llame al Capitan,
Por favor, deme mi vino, y el dijo
No hemos tenido ese espiritu aqui desde 1969
Y aun aquellas voces estan llamando desde lejos
Te despiertan a la media noche
Solo para escucharlas decir...
Bienvenido al Hotel California Un lugar tan adorable, una cara tan adorable
Ellos disfrutan la vida en el Hotel California
Que linda sorpresa, trae tus excusas
  それから私はキャプテン(ボーイ長??)を呼んだ
  ワインを持ってきてくれ、すると彼は言った。
  私どもは1969年以来、蒸留酒(精神・魂)は置いていません。(英語はspirit)
  今もなお、あの声が遠くから呼びかけてきて、真夜中の眠りを妨げる
  その声を聞けとばかりに
  ホテル・カリフォルニアへようこそ、素敵な場所です、素敵な顔(外観)の
  みんな、ホテル・カリフォルニアで楽しく暮らしている
  なんて心地よい驚き、ここに来る口実はあるのか 

ここが一番大切なところのような気がする。ワインを注文したことで酒の話になり
「ここには1969年以来、スピリット(蒸留酒)は無い」という台詞につながっているが、本当はお酒の話ではない。スピリットには
精神とか魂の意味もある。
1969年前後がどんな時代だったかを知らなければわからないだろう。
ベトナム戦争の真っただ中、アメリカの若者たちの間では反戦運動が高まり、新しい価値観を抱いたヒッピーたちが共同体を作って
暮らし始めた。既成の制度を離れ自由に生きよう...。「イージーライダー」や「いちご白書」などの映画が製作されたのもこの頃。
日本でも70年安保を間近にして、学生たちが闘争を繰り返した。新宿駅前広場では反戦歌が歌われ、機動隊との衝突もしばしばだった。
けれども1969年の精神は挫折したかもしれない。70年代に入って、時代は少しずつ無気力になって行く。日本はバブル期に向かった。

イーグルスが<ホテル・カリフォルニア>をリリースしたのは1976年。失われた1969年の精神を歌ったと解釈することも出来る。

Espejos en el techo,
el champagne rosado en hielo
Y ella dijo,
aqui somos todos prisioneros
De nuestra propia invencion
En las camaras de maestros
Ellos se reunieron para la fiesta
Ellos la apun~alan con
sus cuchillos acerados
Pero no pueden matar a la bestia
  天井には鏡
  氷の中のバラ色のシャンパン
  彼女は言った 私たちは皆ここで
  私たち自身が作りあげた仕掛けの中に囚われているの
  それからお偉いさんの私室で
  みんな集まって宴が開かれる
  鋼のナイフで突き刺しても
  獣を殺すことなど出来はしない

自分たちが作った仕掛けの中に囚われている...これ、理解できる。
私たちは自由にふるまっているように見えても、自分自身の枠の中から飛び出すことはない。
失われた時代の幻想の中に囚われ漂っている彼らには、もう獣を殺す力はない。


詞の最後は身の毛がよだつ。

Lo ultimo que recuerdo
Es que estaba corriendo hacia la puerta
Yo tenia que encontrar
el pasaje que me llevara
Al lugar donde estaba antes
Relajate, dijo el hombre de la noche
Estamos programados para recibirte
Tu puedes reservar en
cualquier momento que quieras
Pero nunca puedes irte!
  私の最後の記憶は
  扉に向かって走っていたこと。
  元の世界につながる通り道を探さねばならなかった。
  落ち着きなさい、と夜の男(夜番?)が言った。
  我々は「受け入れ」るためにプログラミングされているのです。
  あなたはいつだって好きな時に、予約することができるけれど 
  二度とこの世界から出ていくことは出来ないのです。
      (*原詞はYou can check out anytime you like なのでちょっと違う~好きな時にチェックアウトは出来るけれど
                                        この世界から出ていくことは出来ない)

1969年で時計が止まってしまった<ホテル・カリフォルニア>という世界に閉じ込められて、私はずっと生きていかなければならない。
1969年の魂を忘れた人類の贖罪の羊として。

なんちゃって。

レッドクリフ特別編

2012-11-19 07:54:55 | 音楽・演劇・絵画・映画

12月16日は総選挙だそうだ。3年前、民主党に票を投じたときの、あの熱い期待は何だったんだろう。
前政権の置き土産、官僚制度の壁、震災、原発...、荷が重すぎたのは分かるけれど、いろいろなことが中途半端なまま終わってしまった。
今度はどこに投票したら良いのか分からない。
石原慎太郎さんは嫌いだ。横柄で人を見下すような物言いや、相手によって態度が変わるのも嫌だ。
落ち目な古巣を捨てていく人も嫌い。そういうのって政策や思想以前の問題で、人間として信頼できない。
自民党は経団連のご機嫌取り?で原発は必要不可欠と断定した。
公明党は原発ゼロを目指す...って言っているけれど、自民党とどうやって折り合いをつけるのだろう。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

昨夜は日曜洋画劇場で「レッド・クリフ特別編(2009 中国・日本・韓国・台湾・香港合作)」を見た。
その昔に読んだ「三国志」。しょかつこうめい、かんう、りゅうび、そうそう…、おぼろげに覚えていた名前が、豪華な映像で具体化したのが
興味深くて最後まで見入ってしまった。
出演俳優たちの過去の作品のことも思い出した。どれも素晴らしい映画だった。

主役の周 瑜(しゅう ゆ)を演じたトニー・レオンは好きな俳優だ。
特に「非情城市(1989 台湾)」という映画で聾唖の青年・文清を演じたのが印象的だった。台湾の歴史の中で翻弄される一族の悲劇...。誠実に
愛情深く生きた文清は、思想犯として捕えられ消息を絶つ。残された一枚の家族写真は胸を打つ。
 非情城市


諸葛孔明の金城 武は日本で活躍した。涼しげな美しい顔は今も変わらない。
「アンナ・マデリーナ(1998 香港・日本合作)」という映画が良かった。金城武は、恋愛下手の平凡な青年を演じていて、切なく可愛かった。
 アンナ・マデリーナ

曹操の張豊毅(チャン・フォンイー)は「さらばわが愛~覇王別姫(1993 台湾・中国合作)」でレスリー・チャン(2003年自殺)と共に主役を
演じた。1920年代から文化大革命を経て1977年までの中国を生きた京劇俳優2人の愛憎を描いた壮大・壮絶なドラマだった。
 さらばわが愛~覇王別姫 

他にも美人女優の林 志玲(リン・チーリン)~日本ではキムタクと共演したテレビドラマ「月の恋人」が視聴率でコケた~、中村師童ら
豪華俳優が顔をそろえた「レッド・クリフ特別編」。絢爛な映像だったけれど、歴史は殺戮によって紡がれてきた...という悲しさ、空しさも
残った。

この映画、中国・日本・韓国・台湾・香港の合作だそうだ。力を合わせて素晴らしい作品ができた。
領土問題でぎくしゃくするより、文化や芸術を通して手を握り合っていけたら良いのに。

横浜、ハンカチとジャズ

2012-10-09 07:30:14 | 音楽・演劇・絵画・映画
横浜は そんなに遠くないのに、あまり行くことが無い。どうも自分のテリトリーではない...という気がするのだ。
昨年あたりから横浜で集まったり飲んだりする機会が増えたものの、まだしっくりしない。

横浜が最も近しい存在だったのは、大学生の頃に横浜高島屋様でアルバイトをした1~2か月。
それも「1階フロアでデパガ」などという、自分史上最高の?お仕事だった。
売り場はハンカチ売り場。イブ・サンローラン、アーノルド・パーマー、森英恵...、果ては何千円もするスワトウの刺繍ハンカチまで
貧乏大学生には贅沢品の高級ハンカチがガラスケースの中にずらりと並んでいた。
一緒にアルバイトした友人は手先が器用だったから、ハンカチを美しく箱に詰め、例のバラの花の包装紙にきっちりラッピングして
お客様に喜ばれていた。片や不器用な私は、ご贈答用のハンカチに汗染みが付かんばかりに緊張して箱詰めをしたものだった。
それでも高島屋のバイトはとても楽しかった。デパートは特別な匂いがした。お客様も上品だった。
トイレや食堂に行くときは、お客様に分からないような符牒を使った。確かトイレは「じんきゅう」で、食事は「ありきゅう」だった。
「ちょっと<じんきゅう>に行ってきます。」「どうぞ。」...なんてね。

仕事が終わってから、地下街の紅茶専門店で一息ついた。狭い店だったけれど雰囲気があり、なかなか優雅なひとときだった。
最後の日だったか、お洒落なパブに連れて行ってもらった。ピーナツの殻を床に捨てながらスタンディングで飲む店で、まるで外国に
いるような気分になった。
だから 私にとって横浜は、高級で、気取っていて、洗練された街。アルバイトが終わると、足が遠のいた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

7日の日曜日、<横浜ジャズプロムナード>に行った。横浜のいたるところでジャズの演奏が聴けるゴキゲンなイベント。
大ホールで、ジャズクラブで、街角で、プロもアマチュアも熱く演奏する。毎年開催され、もう20回目になるのに全く知らなかった。
5000円のチケット(前売り券ならもっと安い)を買えば、好きな場所で好きなだけ好きなプロミュージシャンの演奏が聴ける。
街角のアマチュアライブは無料。
横浜を歩いてみたかったので、今回は街角演奏を聴くことにした。

最初は関内駅。駅前の市庁舎のところで大学生のカルテットが演奏していた。
これがなかなか上手い。「酒とバラの日々」や「黒いオルフェ」など、こなれた演奏だ。


次はラテンジャズを聴きに「みなとみらい」まで歩く。全く知らない行程だったが歩いてみたかった。馬車道通りにはレンガが敷き詰め
られ、古く格式のある建物に目を奪われる。
 神奈川県立歴史博物館

大通りに出てしばらく行くと、みなとみらいが見えてくる。関内から写真を撮りながらゆっり歩いて30分もかからない。方向音痴の
私でも、夫に頼らず迷わずに行けた。


クイーンズパークでラテンジャズを聴く。ノリノリの「Para los Rumberos」から始まる。
アマチュアとは思えない。立ち見か床に座るかだったけれど、アンコールの拍手が起こるほどの熱気。
 バンド名は「佐藤無線」

それからクイーンズサークルで、若いグループのスウイングジャズを聴く。

ジャズは往年のファンがほとんどかと思ったら、若い人たちがたくさんいて嬉しくなった。20代のグループが「Sing Sing Sing」や
「In The Mood」なんかを熱心に演奏している。オジイチャマが身体を揺らして聴いている。いいな。

みなとみらいには恐ろしい高層ビルもあるけれど、横浜がもう一度、好きになった。
 怖っ...    カラスに注意!

映画<11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち>…憂国の人

2012-06-08 06:55:11 | 音楽・演劇・絵画・映画
1970年(昭和45年)11月25日、作家の三島由紀夫は自らが設立した「楯の会」の若者4人と共に自衛隊・市ヶ谷駐屯地で
クーデターを呼び掛け、その後、割腹自殺をした。

そのときのことはおぼろげに覚えている。
反戦運動、学生たちのストライキ、フォークゲリラ…、若者たちを中心とした新左翼の運動が盛り上がっていた時代だったから、
軍服に日ノ丸の鉢巻き姿で演説をしている三島由紀夫は、アナクロニズムの権化のように思えた。というより何が何だか分からない
奇怪な事件だった…と言った方が正確かもしれない。私は子供ではなかったけれど、あの事件に深く興味を持ったり理解しようと
試みたりするほど成熟もしていなかった。
ショッキングな出来事だったが、間もなく話題にものぼらなくなった。自分に結び付けて考えるにはあまりにも特異な事件だったし、
一般の人を巻き込んで死傷者が出るということも無かった。彼等が自分たちの作り上げた世界で空回りして終わった…。
そんな印象だったのかもしれない。

昨日<11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち>という映画を観た。
結末は割腹自殺だから気持ちの良い内容ではないのは分かっていた。先週ジャズのライブで感銘を受けたピアニストの板橋文夫さんが
音楽を担当しているのでなければ観に行かなかったろう。
でも観て良かったと思う。あの事件が理解できたとは言えないが、少なくとも心情は伝わった。
国を憂える、真摯に国を愛する、魂がゆらゆらしたり腐っていてはいけない、真っすぐに進む、そのためにはどう行動したら良いのか。
彼等は悩み、自分を鍛え、行動のときに備えた。天皇のもと、自衛隊を国軍として日本を守る…それを目指した。
天皇といっても、それは幻想や概念の天皇だったろう。自衛隊は国軍になることなど、クーデターなど望んでいなかった。
それでも彼等は一途に切り込んで行った。総監を人質にとり、800名の自衛官を庭に集合させた。
憲法改正とクーデターを呼び掛ける三島由紀夫の演説は、自衛官たちの野次や怒号で殆ど聞きとれなかった。命をかけた訴えに耳を
傾ける者は殆ど居なかった。

三島由紀夫と「楯の会」の森田必勝の死は、無駄な死だった。彼等はそれを覚悟してメッセージを残した。日本人の魂を取り戻せと。
映画は、自決から5年後、三島由紀夫の妻にこうつぶやかせている。「何も変わらなかったわね」

1972年、あさま山荘事件が起き、私たちは醜い内ゲバを見せつけられた。何かが終わったような気がした。
それから日本はバブル期に向かい、お気楽な時代がやってきた。人は次第に三島由紀夫を記憶の片隅に押しやった。
三島由紀夫の行動を美学だ…という人もいるけれど、美学であんな壮絶な犬死は出来ない。
狂気だ…という人もいる。あんなに真剣な狂気があるのだろうか。
彼等は本当に真っすぐだったんだと思う。

今、三島由紀夫が生きていたら、どう行動しただろう。日本はあの頃よりもっと憂うべき国になっているような気がする。


<11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち>
監督 若松 孝二

三島由紀夫:井浦新

(楯の会メンバー)
森田必勝:満島真之介 
古賀浩靖:岩間天嗣
小賀正義:永岡佑
小川正洋:鈴之助

平岡瑤子(三島由紀夫の妻):寺島しのぶ

知らない俳優さんが多かった。上手いのかどうか分からないけれど、ひたむきな演技が良かった。
板橋文夫さんのピアノは、出すぎず、効果的に使われていた。

忘れがたき童謡

2012-04-24 08:57:33 | 音楽・演劇・絵画・映画
日本には美しい童謡が沢山あるのに、最近は歌われることが少なくなった。
今の若い人や子供たちは ちゃかちゃかした速いテンポの曲に慣れているから、童謡のノンビリとしたメロディーはまどろっこしいの
だろうか。言葉の意味が分からない…というのも一因かもしれない。
童謡の中には消えゆく生活様式や風景や言葉がちりばめられている。そういうものを子供たちに易しく解説してあげることは大切だと
思うのだけれど…。

確かに童謡の歌詞は、昭和育ちの私にすら分かりづらかった。
「うさぎおいし かのやま」ウサギって美味しいんだろうか…
「つつがなしや ともがき」に至っては、ちんぷんかんぷん。
それでも声を上げて唄えば、子供心にも何かしら、しみじみとした感じが伝わってきた。田舎も無く東京の風景しか知らなかった私にも
想像できる世界があった。
3番の歌詞が好きだ。
「志を果たして いつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷」
故郷に錦を飾る…なんてほど大げさじゃなくて、「父さん、母さん、帰ったよ」って美味しいものや綺麗なものをお土産に差し出す。
縁側で笑顔がはじける。そういう光景や心情は、今の人たちにだって十分に理解できるはず。 

「あめふり」は童謡の中では数少ないアップテンポで調子の良い曲だ。
「雨雨ふれふれ 母さんが 蛇の目で お迎え 嬉しいな ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」
椎名町の小学校に通っていた頃、母が学校に迎えに来てくれたことがあった。名ばかりとはいえ呉服屋の若奥様だったから和服姿だった。
母は美人だったし、私はちょっと得意な気分になった。
あの頃、道路は水たまりだらけで車のガソリンがこぼれたところが虹色の輪になっていた。それは思いがけない美しさで、雨の日の楽しみ
でもあった。
この曲、残念なことに3番で引いてしまう。ずぶ濡れになって泣いている子がいる。その子に対して「きみきみ このかさ さしたまえ」と
いう歌詞は、どうもいただけない。(北原白秋さん、ごめんなさい)
今は働いているお母さんが殆どで、急に雨が降ったからといって迎えに来てもらえる子供は少ないだろう。時代は良くなったのだろうか。

うさぎ追いし→美味し じゃないけれど、意味の取り違えは多かった。
<赤とんぼ>の1番、「夕焼小焼の赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か」
「負われて(おぶわれて)」を「追われて」だと思っていた。自分の家が商店街の大きな店から閑静な住宅へ、アパートへと、だんだんに
落ちて行ったことが影響していたのかもしれない。下村湖人作「次郎物語」の第三部で、次郎の家の商売が傾き没落して田舎家に引っ越して
行く場面がある。それを読んだときも<赤とんぼ>の1番の歌詞を思い出していた。誤解もはなはだしい…といったところだ。
この曲も3番が厄介だ。「十五でねえやは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた」
小学校を出たくらいの年齢で奉公に出され、子守りや下働きをした「ねえや」。若くしてお嫁に行き、今は実家からの手紙も来なくなった。
元気でいるのだろうか。といった内容だろうか。この「ねえや」は奉公先で可愛がられ、良い結婚をしたのだろうか。そうだといい。

「かあさんのうた」は、いつ聴いても涙が出そうになる。木枯らしが吹く寒い冬、凍える手に息を吹きかけながら子供のために手袋を編む…。
母が倒れてから余計、この歌は心に染みる。


時代背景の違う童謡でも、ほんの少し想像をたくましくすれば自分の世界に引き寄せることが出来る。
懐かしくて、忘れがたき日本がある。心に染みわたるメロディーがある。

ギター合奏で2回ほどお年寄りの施設を訪ねた。童謡や古い歌謡曲を弾くと、低く切れ切れの歌声が聞こえてきた。
そのとき思った。私も年を取ったら童謡を歌うかもしれない。様々な音楽を聴いて生きてきたけれど、原点はここなのだと。

春の日の心豊かなひととき~語りの会~

2012-04-06 13:15:07 | 音楽・演劇・絵画・映画
子供時代から大学受験の頃までラジオを良く聞いた。音楽はもちろんのこと落語や朗読の番組も好きだった。
テレビでも、じっくりと落語を聞かせる番組は少なくなかった。
今はどうなってしまったんだろう。タレントたちの軽いトーク番組や、若手芸人の短いコントばかりだ。耳を傾け時間をかけて
人の話を聞く…という習慣が薄れたのだろうか。

読書はもちろん好きだけれど、誰かに読んでもらう、語ってもらうのはこの上ない贅沢に思える。なかなか機会に恵まれなかったが、
水曜日『語りの会』に足を運んだ。
場所は日暮里、本行寺というお寺の本堂だった。小さな竹林もあり趣を感じる庭の奥、本堂の天井には羽を広げた鶴が描かれていた。
 
そんなゆかしい雰囲気の中で『語り』に耳を傾ける午後のひととき…。
三人の女性が、何も使わず、声と控えめな身振りだけで様々な世界を紡いでくれた。

藤沢周平 作 小ぬか雨(橋ものがたりより)
追われている男を匿うことになった女、おすみ。華やいだ青春も無く、愛してもいないがさつな男との祝言を控えているおすみは、
若い男を匿うことに胸のときめきを覚える。密やかな心の触れ合い…。けれど男は人を殺して追われている身だった。
江戸の町を舞台に幸薄い女の心が手に取るように感じられる語りだった。
この物語、1980年にテレビドラマ化されていた。吉永小百合と三浦友和。うわ、美男美女!



落語 金明竹
骨董屋で働く10歳の男の子(松吉だっけ?)。値の張る蛇の目傘を通りすがりの男に貸してしまい、そういう時は「(傘の)
骨も紙もバラバラになってしまった」と断るものだと店の主から教えられる。
近所の女から「鼠が暴れているので猫を貸してほしい」と言われ、松吉すかさず「猫は骨も皮もバラバラになって…」。
猫の場合は「盛りがついて出かけていたが、腹を下してもどり、今はマタタビをくわえて寝ている」と断るように教わったので、
「骨董品の目利きをしてほしいので店の主をお借りしたい」という依頼に「旦那様は盛りがついて出かけ…」(笑)
さて、主の留守中に使いの男がやって来て口上を述べる。骨董品の名前をずらずらとまくしたてられ、松吉唖然。
…私もずっと以前に聞いたことがある古典落語だ。口上の長さと難しさ、これは噺家が「寿限無~じゅげむ」の次に覚えなければならない
作品だとのこと。

瀬戸内寂聴 作 しだれ桜
京都嵯峨野に咲く見事なしだれ桜。不倫の恋が始まった夜に男と愛でた桜を、男の死後もういちど見にやってきた昌子。そこで会ったのは
男の妻だった。恋の甘さとほろ苦さ…。
う~ん、こういう世界を感じたのは久しぶりのこと。昔はこういう大人の恋を時に激しく、時にしっとりと描いたテレビドラマが多かった。
山本陽子あたりが主人公で。今は無くなっちゃったな、トレンディドラマとかが台頭して以来かな…。

森瑤子 作 千夜一夜物語から三話
星新一のショートショートを思わせる軽妙な三作品を、これは語りではなく、朗読で聞かせてもらった。
場内、笑いと拍手に包まれる。

前日の暴風が嘘のような爽やかな午後。豊かな気持ちで寺を後にした。


昨日、木曜日は、友人たちと目黒川の桜を見に行った。まだ5~6分咲きだったが、枝が重なり花が重なり合うと満開のような華やかさ
だった。日当たりによっては8分咲きくらいの樹もあって十分に楽しむことが出来た。
 

昨年は震災後まもなくで桜を楽しむゆとりなど無かった。節電に努め、つらいニュースに心を痛めていた。
今もその時のことを忘れないように努めている。
それでも、こんなに豊かな時を過ごさせてもらっていることに感謝したい。

音楽大好き

2012-03-18 08:13:26 | 音楽・演劇・絵画・映画
音楽に殆ど好き嫌いは無い。バロックもロマン派もジャズもヘビメタも、人が「良い」と言うものはとりあえず聴いてみる。
そして好きになったら飽きるまで聴き続ける。飽きたら他のを聴いて、また戻ったりする。そんな風に、美味しいものを
ワシワシ食べるようにして音楽を聴いて来た。
どのジャンルが一番好きかと聞かれても答えられない。そのとき好きなものが一番。そのときそのとき違う。

でも、エキゾチックで激しくて哀愁を帯びている曲には、どんなときも心惹かれる。

最近いつも聴いているのは、フラメンコギターのK先生がお仲間たちと弾いている<モルダウ>。
1992年のバルセローナオリンピックで突如として湧き起こったスペインブーム。その頃、K先生たちは2枚のアルバムを
リリースした。1枚は日本の歌謡曲の数々を、もう1枚は世界のクラシックの名曲を、フラメンコのリズムに乗せて颯爽と
演奏している。リズム感もテクニックも素晴らしい。中でもスメタナ作曲<モルダウ>は超がつくほどカッコいい。
<モルダウ>そのものも「わが祖国」の中の一曲だから民族的な要素があって私好み。それがフラメンコの衣装を付けて
躍り出て来るのだ、もう堪らない。
それにしても<モルダウ>を12拍子のブレリアのリズムで弾くという感性には舌を巻いてしまう。

それからアストル・ピアソラも聴いている。ピアソラは、古くからのアルゼンチンタンゴにジャズやクラシックの要素を
織り込み、新しいタンゴを作り上げた。あらゆるジャンルの、あらゆる楽器の演奏家たちが、それぞれのピアソラを演奏
している。
Aギター合奏団では1月の定期演奏会で<アディオス・ノニーノ>という曲を合奏した。父親が世を去った時、ピアソラは
まだ不遇の時代で故郷に帰る旅費すら無かった。ノニーノは父親の愛称。遠い地で父親に永久の別れを告げたときの曲だと
いう。ギター合奏で弾くのもなかなか良かった。
<リベルタンゴ>も大好きな曲。リベルタンゴとは、スペイン語のlibertad(リベルター)とタンゴを合わた造語。libertadの
意味は「自由」。自由奔放なタンゴ…曲名だけでも心が弾む。
アルゼンチンの名ギタリスト、Juanjo・Dominguez(フアンホ・ドミンゲス)が弾く<リベルタンゴ>は自由の極致という感じが
する。元の旋律をベースに、超絶技巧で好き放題のアドリブ演奏をしている。
あんまりカッコいいから、メロディーと、易しそうなアドリブ部分をどうにかこうにか耳コピし、伴奏を付けて2重奏にしてみた。

ありがたい時代になったもので、ネットで五線紙がダウンロードできる。しかも2重奏用のものまで。
ト音記号は上手く書けた。♯を付ける時はト音記号の隣だっけ、四分の四拍子だから、一小節に4分音符を4つ分。8分音符
だったら8個、16分音符だったら…と指折り数えながら書き込んで行く。学生時代、もっと音楽の勉強をしておけばよかった。

出来あがったは良いけれど一緒に弾いてくれる人がいない。折よくフラメンコのお友達のT氏がミニ・コンサートを開くことに
なり、私も2重奏で参加させていただく運びになった。で、さりげなく我が<リベルタンゴ>の楽譜を差し出したわけ。
カラオケで3回ほど練習して、早くも発表の夜。あ~~、ここで間違えるか、私(凹)、家ではスラスラ弾けたのに。それでも
最後までつながったから良しとしよう。Tさん、お付き合い下さってありがとう。

音楽はいつだって素敵だ。演奏も好き。完成を目指したらゴールは遙か遠いから、過程を大切にしたい。
いっぱい聴いて、いっぱい弾いて、楽しく行きたい。


ううう、何故か割れてしまったユキノブ。また修理か…。


ステキな金縛り

2011-11-09 12:50:44 | 音楽・演劇・絵画・映画
三谷幸喜監督の映画は<THE 有頂天ホテル>も<ザ・マジックアワー>も映画館で観た。話題作だし豪華キャストだし、
絶対ハズレは無いだろうと思って出かけた。確かに面白くて時間のたつのを忘れて楽しんだものの、あとに何も残らなかった。
このブログにも幾つか書いたけれど、初めて観た時は退屈だったり意味が分からなかったりしたのに、その後何十年もの間、
心に引っかかって忘れられないタイプの映画がある。三谷監督の作品は、それとは逆の性格の映画なんだろう。
…とか言いつつ<ステキな金縛り>も、さっそく観に行ってしまった。

ドジな女性弁護士エミ(深津絵里)に与えられた最後のチャンスは、妻殺しの容疑者の弁護。容疑者にはアリバイがある。
自殺しようと山奥をさ迷った挙句、死に切れずに宿泊した宿で金縛りにあっていたというのだ。アリバイを証明できるのは、
彼にのしかかっていた落ち武者の幽霊(西田敏行)だけ…。

奇想天外・荒唐無稽という点では<有頂天ホテル><マジックアワー>以上だけれど、<ステキな金縛り>には今までに
感じられなかったハート・ウォーミングな雰囲気があって良かった。
弁護士エミと落ち武者の幽霊の心の交流を丁寧に描いていたせいだろう。エミの恋人役、木下 隆行~お笑いタレント~の
あったかいキャラにも和んだ。今までの作品とは明らかに違う「優しさ」が全編を流れていた。


物語の最初のところで「あっ」と思うことがあった。
エミが幼い頃に世を去った父親(草剛)の遺影の傍に、映画<スミス都へ行く(1939年公開)>のチラシが飾られていたのだ。

<スミス都へ行く>といえば、アメリカの良心とまで謳われた俳優ジェームズ・ステュアート(1908~1997)の代表作の一つで、
田舎出の青年が議員となり腐敗した政治家たちに立ち向かう…というストーリー。
映画のチラシは、エミの父親が正義感にあふれた若き弁護士だったことを思わせる伏線になっている。
父親は幼いエミと手をつなぎながら「アルプス一万尺」を口ずさむのが常だった。
「アルプス一万尺~原題Yankee Doodle」はアメリカ合衆国の民謡で、<スミス都へ行く>のオープニングの曲でもある。

落ち武者の幽霊を連れ戻そうとする霊界のボス(小日向文世)も何故かクラシック映画ファン。彼は<スミス都へ行く>より
<素晴らしき哉、人生(1946年公開)>の方がお好みだ。

<素晴らしき哉、人生>もまたジェームズ・ステュアートが主演している。監督も同じフランク・キャプラ。
なぜ霊界のボスがこの映画を好むのかは、作品を観れば分かる。
私も<素晴らしき哉、人生>は大好き。誠実に心優しく生きているのに損ばかりしている主人公は、最後に大きな幸せを得る。
いや、本当は最初から幸せだったのだ。

<ステキな金縛り>は、もしかしたら三谷幸喜監督が、フランク・キャプラ監督に捧げた作品なのかもしれない。
正しいことを貫き心温かく生きる…。一番大切なことだ。


この映画には有名な俳優さんが贅沢に出演している。きら星のごとく…の中で気になった2人。
裁判長役のこの人。優しい雰囲気が好き。

それから法廷画家を演じた山本宣。兄の山本學、山本圭と共に活躍していたが最近はあまり見ることがなかった。飄々と
演じている姿が嬉しかった。



リターン・トゥ・フォーエバー

2011-09-30 01:30:07 | 音楽・演劇・絵画・映画


2日連続で記事を書くのは初めて…かな。

昨夜は、チック・コリア率いるリターン・トゥ・フォーエバーの東京公演に行って来た。
5000席ある東京国際フォーラムのホールAが満席。
ジャズはライブハウスで聴くことが多い。こんな大規模なホールで雰囲気が味わえるのだろうか…と
心配していると、メンバーが客席を通って舞台に上がる。一気に和やかな感じになる。
今回はメインのチック・コリア(キーボード)、スタンリー・クラーク(ベース)、レニー・ホワイト(ドラム)の
3人に、フランク・ギャンバレ(ギター)、ジャン・リュック・ポンティ(バイオリン)が加わった。
この公演にどうしても来たかったのは、若い頃に心惹かれたジャン・リュック・ポンティが参加しているから。
彼はジャズ(ロック?プログレ?)バイオリニストで、独特の世界を作り出している。

ジャン・リュック・ポンティ…フランス人の名前って響きが素敵だ。男性ならオーギュスタン、フランソワ、
シャルル、ジェラールもいいな。
女性だったらアデリーヌ、ベアトリス、シャルロット、セリーヌ…。こういう名前だと美人になれそう。
花子とか留吉とかダサい名前を付けていたから、日本人は美しくなるのが遅れたんだと思う。

演奏が始まる。
S席といえども31列目。でもステージとの距離を感じない。圧倒的な存在感だ。
最初はロックな感じが強く、だんだん深くなっていく。
ジャズというより~ちょっと古い言葉だけれど~フュージョン。
比較的聴きやすい曲が多かったが、深い森をさ迷っているような海の底にいるような、どこか瞑想的で
哲学的な雰囲気はジャン・リュック・ポンティの音楽性かもしれない。この日がお誕生日だそうで、磨きの
かかった演奏だった。真っ青なバイオリンがカッコいい。エレキバイオリンだろうか。
ベースのスタンリー・クラークのテクニックもすごい。チック・コリアはのびのびと楽しそう。
休憩時間は無く息もつかせぬ展開で、最後の曲はやっぱりチック・コリアの代表作「スペイン」。
出だしのアランフェス協奏曲第二楽章の美しいメロディーは、ジャン・リュック・ポンティの独奏。
何十回も聴いている曲なのに、アランフェスが終わって、チャッチャチャ、チャチャチャって速くなる
ところに来るとトキめく。
曲が終わると5000人のお客様(少なくとも1階席は全員)がスタンディング・オベーション。

爽快な一夜だった。

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