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昨日☆今日☆明日~金曜日のピュ

私の毎日と心に浮かんだこと

It’s a SONY

2014-10-14 03:08:59 | 思うこと
ずいぶん前の話だけれど、アメリカに留学していた友人が「今、アメリカでは、<It’s a SONY>っていうフレーズを
『すげー』とか『すばらしい!』という意味で使っている。」と教えてくれたことがあった。

<It’s a SONY>は、ソニーのコマーシャルのキャッチフレーズだった。ソニーの製品は革新的で性能が良く、しかも
洗練されていたから、さもありなん、と思った。
と同時に、アメリカ人からも感服されるような製品を作り出している我が日本を誇らしく感じたものだった。

ソニーのウォークマンが発売されたときは驚き感動した。音楽は家や名曲喫茶で聴くもの...という常識が覆されたのだから。
いつでもどんな場所でも、好きな音楽をきれいな音で聴けるなんて夢のようだった。
お小遣いをはたいて最初のウォークマンを買った。お弁当箱くらいの大きさで、それなりにかさばったけれど、もちろん
気にならなかった。間もなく更に小型のものが発売されてムッとしたが、最初のウォークマンはスペイン旅行にも連れて行った。
スペインの若者たちが目を見張り、私は鼻高々だった。

あれから長い歳月が過ぎ、今は小さな携帯電話で手紙も出せるし音楽も聴ける。写真も動画も撮れる。知りたいことはほとんど
出てくる、買い物もできる。
でも、お弁当箱くらいのウォークマンを手にした時ほどの感動は無い。どんなに機能が増えても、当たり前のような気がして
しまうのだ。

子供の頃、街はネオンサインで溢れていた。ただ光っているのではなく、様々な色の絵や文字が絶え間なく動いていた。どういう
規則で変化しているのだろう...と目をこらして見つめていた。
映画のポスターや大きな看板がいたるところで目を引いた。どぎついのや卑猥なのも平気で人目にさらされていた。チンドン屋が
町を練り歩き、空にはアドバルーンが浮かんでいた。品はなかったけれど活気があった。
子供の頃、時代はクレッシェンドだった。

それからソニーやパルコやJunやVanが台頭した。洗練が始まったのだ。まだ時代はクレッシェンドだった。右肩上がりの経済。
世界が注目する日本。CD、ビデオ、ディズニーランド。

スペイン語の仲間が、「部品を詰め込んだトランクを抱えて、南米の小さな空港に降り立ったときの不安と、奮い立つ思い」を
語ってくれたことがあった。そういう情熱が日本を支えてくれた。

デクレッシェンドはいつからだっただろう。
美しいビルが建ち、洗練された品物が売られ、これでもかこれでもかと機械の性能が向上しているのに、何だか豊かな気がしない。
将来への不安を、うわべの豊かさで紛らわしているように感じる。

<It’s a SONY>の時代はとっくに終わった。日本はもう世界の注目を集める経済大国ではない。
クレッシェンドの時代を知っている私は、どこかでそれを寂しく思っている。



クォ・ヴァディス

2014-07-27 08:48:56 | 思うこと
ごく若い頃や子供時代に聞いたことのある言葉で、意味がわからないまま、もしくは意味を忘れてしまったまま、
潜在意識の中に沈んでいる名詞や固有名詞がある。
それらの言葉は、時折ふっと頭に浮かんできて、また消えてしまう。浮かんできたときに意味を調べれば良いのだが、
差し迫った必要性も無いのでそのままにしておく。そんなことが繰り返されて長い年月が過ぎた。

今、浮かんできたものを書きならべると
シャングリラ、けさらんぱさらん、エリコの戦い、ハンス・ギーベンラート、バラクーダ、そして<クォ・ヴァディス>。
謎のままで良いかな...とも思うが、パソコンという便利なものもあるし、調べてみることにした。

シャングリラ
「シャングリラ」という言葉は、私の頭の中では「エル・ドラド」と対になっている。
「エル・ドラド」は、練馬にある「としまえん」のメリーゴーランドの名前にもなっている。南アメリカ、アンデスの奥地に
存在するとされた伝説上の土地をいう。富と神秘…ヨーロッパの人々は「エル・ドラド(黄金郷)」に憧れ、思いを馳せていた。
で、「シャングリラ」の方を調べてみたら、ジェームズ・ヒルトンの小説「失われた地平線」に登場する理想郷の名前だった。
この小説を読んだことはないが、「エル・ドラド」と対になっていたのは間違いではなかった。
シャングリラ、エル・ドラド、ユートピア、桃源郷...。どの言葉も素敵だ。遠くで光り輝いている。

けさらんぱさらん
ずっと昔、漫画家あすなひろしさんの短編に出てきた言葉。白いふわふわしたもので、見つけた人は幸せになる...みたいなことが
書かれていた。
こんなの。正体は、動物の毛や植物の綿毛らしい。
タンポポの綿毛を思い出した。まんまるでフワフワした綿毛をそっと茎ごと切って、ふうっと息を吹きかけたっけ。
白くてふわふわしたものは、うん、確かに幸せな気持ちを運んでくれる。

ハンス・ギーベンラート
ヘルマン・ヘッセの小説「車輪の下」(1905年の作品)の主人公の名前だった。この作品は若い頃に読んだ。
勉学一筋だった少年が、自我に目覚め悩み苦しむ...というテーマは重い。現代にも通じる問題をはらんでいるが、こういう作品を
じっくり読む若い人は減ったかもしれない。読後しばらく憂鬱な気分になったのを覚えている。

バラクーダ

魚の名前。こんな獰猛そうな魚とは縁が無いのに...と調べていたら、驚愕の事実発見。
<酒が飲める、飲めるぞ、酒が飲めるぞ~~>という唄(日本全国酒飲み音頭)を歌ったグループの名前が<バラクーダ>だった。
私らしい(凹)。

気を取り直して、エリコの戦い
紀元前13世紀頃、エジプトで虐げられていたヘブライ人(イスラエルの民)たちは預言者モーセに導かれ、神から与えられた約束の地
であるカナンを目指してエジプトを脱出する(旧約聖書・出エジプト記)。
40年もの間、荒野をさまよったもののモーセは約束の地に行きつくことができなかったが、モーセの後継者ヨシュアが目的を果たす。
最初に攻め入った町がエリコだった。
<ジェリコの戦い>という黒人霊歌があるが、このときの戦いが歌われている。
ヨシュアツリーという木は、その形がヨシュアの祈る姿に似ていることから名前が付けられた。ヨシュアツリーはU2のアルバムの
タイトルにもなっている。

旧約聖書に記された「約束の地」が、現在のパレスチナ紛争につながっていることを思うと胸が痛む。宗教とは、神とは何なのか、
答えが出ない。
けれど<クォ・ヴァディス>の意味を知った時、何かが解けたような気がした。

クォ・ヴァディス
「クォ・ヴァディス」はラテン語で、「あなたはどこへ行かれるのですか」という意味だそうだ。
どんなに心を尽くし神の教えを説き愛を伝えても、ユダヤの宗教的指導者たちに理解されなかったイエス・キリストは、死をもって
人間の罪を償おうとされた。
その決意をまだ知らない弟子のペテロがイエス・キリストに問いかけた言葉が「クォ・ヴァディス」だった。キリストはこう答える。
「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」
(ヨハネによる福音書13章36節)

後日談もある。聖書に記述はないが、キリストが天に召されたあと、ペテロはローマへ宣教に渡り迫害を受けた。迫害から逃れるため
ローマを離れようとしたペテロは、向こう側から歩いてくるキリストの姿(幻?)を見る。「クォ・ヴァディス」ペテロが問うと、
「あなたがローマを去るのなら、私がローマへ行き再び十字架にかけられよう」とキリストは答えた。
これを聞いてペテロは覚悟を決め、ローマにもどり、ついには逆さ磔の刑で命を落とす。
このエピソードを知ってペテロの純粋な魂に胸を打たれた。彼はもともと漁師の出だった。キリストのことを問われて「あんな人は
知らない」と裏切りの言葉を発したこともあった。けれども最後には高潔な聖人として生きて死んだ。

宗教による戦争、長く悲しい殉教者たちの歴史...。
それでも、もし宗教が無かったら、人間はもっと早くに堕落し歴史を終えていたのではないか。
私などが言うのはおこがましいけれど。

ローマ帝国を舞台にした「クォ・ヴァディス」という題名の小説もあり、映画化もされている。
過去のどこかで、この言葉に出会ったのだろう。
聖ペテロ   映画クオ・ヴァディス


伝道の書 7:14

2014-04-29 02:59:10 | 思うこと
去年、根津神社の「つつじまつり」で買ってきた花は、ツツジなのかサツキなのか分からない。
花も葉も小さいところはサツキに思えるが、近所のツツジよりずいぶん先に花開いたのが腑に落ちない。
買ってきた小さな鉢植えを、我が家の花壇とも言えない貧弱な花壇に植えかえたら、1年で3倍くらいの
大きさになった。小ぶりながら赤に近い鮮やかなピンク色の花が美しい。

春になって色とりどりの花が開き始めると、私は何だか感謝したくなる。
誰に感謝しているのか、はっきりとは理解していないのだけれど、心から「ありがとう」と言いたくなる。
クリスチャンの三女だったら、神様が創造された世界なのだから天に感謝をささげる...と断言するだろう。私にはまだ、
そこまで信じきれない。それでも、この暖かい春の日に美しい花を眺めていると、神の存在を意識する。

私のアイホンには~「生涯ガラケー」と豪語していたわりには、あっさりアイホンに乗り換えた~、聖書が入っている。
たまに勝手なところをタップして読む。こんな聖句があった。

~順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういうことがあるかを知らせないために、彼とこれとを
等しく創られたのである~(伝道の書 7:14)

<彼とこれと>というところが良く分からない。例によってスペイン語で調べたら理解できた。
順境の日も逆境の日も等しく創られた。ということだ。

この人生、先のことはいっさい分からない。だからこそ嬉しい日には心ゆくまでそれを楽しみ、辛い日には静かに考えなさい。
この<考えなさい>の部分を単にconsidera「熟考しなさい」ではなくabre los ojos y aprende 「目を見開き学びなさい」と
記述しているものもあった。こちらの方が好きだ。くよくよ考えるのではなく、目を見開いて何かを学ぶ、つらくても。

昨日、母の見舞いに行った。前歯が一本抜けていた。長く病んでいるから、あちこち衰えてくるのは仕方ない。でも悲しかった。
孫の動画を見せたら、目が笑っているみたいだった。悲しい日にも何か発見がある。明日はまた違う日になるかもしれない。
聖書って、ちんぷんかんぷんな個所もあるけれど、こんな風に人生を教えてくれたりする。


桜を観て友人たちと語り、孫を眺めて家族と過ごし、味わい深い居酒屋で日本酒を傾けた4月も終わる。
5月6月は「ギターの2カ月」。連休の終わりには合宿がある。海の見える練習場で、6月の発表に向けて重奏に取り組む。
それから大正琴・尺八との合わせもある。これも6月に発表会。一生懸命に大正琴を奏でている皆さんの足を引っ張らないよう、
美しい伴奏ができるよう、時どき緊張のあまり頭の後ろがゾワゾワする。
老人ホームでの演奏もあるし、フラメンコ合奏団で一曲披露しなくてはならない。お教室の合奏団の課題曲はレベル高すぎて
投げ出したくなる。こんなにいろいろ抱えているのに、カッコいいラテン曲が弾きたくて地元のギタリストに2重奏をお願いした。
大丈夫かい、私。

でも、いま私は、めいっぱい楽しみ、まんまるに心の目を開いている。

抗体

2014-03-24 01:36:56 | 思うこと
報道番組のコメントで「人はフリーになったり退職したりすると、嫌な人と無理して付き合わなくても良くなるから、
だんだん抗体が無くなる」みたいなことが語られていた。
なるほど...と思う。抗体は鍛えられもすれば弱まりもする。

物心ついてから結婚するまで、苦手な人と付き合った記憶があまりない。雰囲気は多少違っていても、基本的な色合いが
似ている人たちに囲まれていた。
長女が生まれ公園に遊びに行くようになって、ヤンママたちに出会った。ヤンママとはヤングママなのかヤンキーママなのか
分からないしヤンキーという言葉の意味さえ理解していないが、とにかく毛色の違う女性たちで、彼女たちとお茶したり
自由が丘のチルドレンミュージアムでブランド子供服を物色したりしながら、私はクエスチョンマークでいっぱいになった。
「これが私??」
長女がお嬢サマ学校に入った時分は高級志向マダムたちと表面的な会話や会食もしたし、働くようになるとヘンテコな上司に
悩まされたりした。おかげでだいぶ抗体ができ、タイプの違う人とも楽しく付き合えるようになった。
が、このたびAギター合奏団をやめるにあたって、我が抗体の衰えを思い知らされた。
ま、いいか。子供や仕事のためなら強くもなるが、趣味の世界で向かい風に耐える必要もないだろう。
というわけで、今は穏やかに日々を送っている。

穏やか…といっても心が波立つこともある。長く一緒に勉強してきた仲間の入院...。
いつも前向きで勉強熱心だった人から「年齢的に活動を続けることが難しくなった」という手紙が届いた時もショックだった。
幸い思いとどまってくださったが、皆、年々歳をとる。いつまで全員揃って勉強できるか誰にも分からない。
何が起きても動じないで進んで行く覚悟をしなくてはならない。
だから、また別の抗体を作る。毛色の違うものへの抗体ではなく、好きな人たちへの抗体。好きな人・好きな場所を失うことへの
抗体。こちらの方がつらい作業だ。

でも、先週末は元気が出た。
久しぶりにフラメンコのK先生のペーニャ(研鑽しつつ酒を飲む会?)に参加。唄や踊りの若い女性が少なくなったのは寂しいけれど
ギター中心のビターな雰囲気も悪くない。パコ・デ・ルシア追悼ということで独奏や重奏もあった。酔うほどに先生のギターも冴え、
古いお友達たちの健在ぶりも頼もしい。
土曜日は、これも久しぶりにフラメンコ合奏団へ。ホームページには「あとどれくらいできるかな、今年いっぱいくらいは続きそうかな」
なんて心細いことが書いてあるけれど、皆さんのギターには変わらない勢いがある。
おなじみのルンバ、聞きなれない節回しのセビジャーナス、私にはとても追いついていけない超絶ファルーカ。フラメンコは楽しい。
フラメンコ以外の曲もやっている。
「ホテル・カリフォルニア」は原曲の雰囲気がそのまま伝わってくるギター合奏。ジャズ仕立ての讃美歌。洒落た編曲の「小さな木の実」。
それから私の推薦曲にも付き合っていただいた。ちょっとアバウトなんだけれど、弾きのめせ、弾き倒せ、と3分の2くらいは弾けてしまった。

いろいろなことが起きるけれど、まだ大丈夫。まだイケる。


先週行った飲み屋さん。
阿佐ヶ谷「四文屋」。庶民的な焼きとん屋さん。お通しに出たキュウリと青菜の浅漬けが瑞々しかった。焼鳥・焼きとんは安くて美味。
阿佐ヶ谷「瀬戸海人」。沖縄料理と広島料理が売り。生ガキが新鮮で大きくて、沖縄料理も美味しくて、ついつい泡盛ロック3杯。

歳月と心のふるい

2014-01-29 03:42:11 | 思うこと
昨日は飯田橋に行って来た。
飯田橋には、これといった思い出はない。学生時代、法政大学にボーイフレンドでもいたら、このあたりを散歩して楽しかった
ろうな...と思う。発見の多い街だし、ちょっと足を伸ばせば、東京の様々な表情に出会える。
飯田橋に来るようになったのは、残念ながら、だいぶオバサンになってから。神楽坂は奥さまたちのランチのメッカなのだ。

JR飯田橋駅はホームがカーブしているので、ホームと電車の間にかなりの隙間ができる。ぼんやりしていると大変なことになる。
通路を通って西口に出るとすぐに川があり橋がある。その感じも好き。
神楽坂下から商店街に入ると、新しいビル、古い店が立ち並んでいて面白い。
予約してオシャレなフレンチやイタリアンのレストランに入ることもあれば、ぶらぶらしながらお店を決めることもある。路地に
迷い込むと、粋な黒塀や石畳...。格の高そうな店もあるが、だいたいは1500円くらいで美味しいものが食べられる。
神楽坂に行くときは、人生の様々な時代の女友達たちと一緒。歳月というふるいにかけられて残った者同士だから、どのグループと
一緒のときもくつろいでいる。

店が立ち並ぶ神楽坂はもちろん好きだけれど、広々とした外堀通りは気持ちが清々する。理科大キャンパスの硬質で知的な雰囲気も良い。
その先を右に入ると、不意に静かな佇まいになる。若宮町。ひっそりとした若宮八幡神社の向こうにアグネスホテルがある。
最近は、ここでよくお茶をする。ティーラウンジのソファ席は、居心地が良くてついつい長居してしまう。
 アグネスホテル 手前のケーキ屋さんも美味しい。   くつろぐティーラウンジ

昨日は高校時代の友人たちが、Aギター合奏団演奏会の無事終了を祝ってくれた。そして私の退団を。
演奏会は、難曲揃いで最後まで苦労した割には楽しく過ぎた。弾いていて心地良かった。普段の練習やリハーサルで失敗した個所も
本番ではそこそこ弾けたのが嬉しく、客席のあちらこちらから投げかけられる「がんばれオーラ」を感じていた。
お馴染みのポピュラー曲、生粋のクラシック曲、ジャズ、民族音楽...、どんな曲もこなしてしまうこのサークルをやめるのは
勿体ないことだと思う。かなり勿体ないことだ。

それでもやめた理由が、やっと分かって来た。

演奏会のあと、大学時代の仲間と飲んだ。そして昨日は高校時代の友人たちとのひととき。
歳月のふるいに残った人たち。歳月のふるいに残った私。歳月だけではない。心のふるいでもある。
A合奏団の仲間は、私のふるいに残らなかった。そして私自身も、彼らのふるいからこぼれ落ちた。
そういうことだったんだ。A合奏団は楽しかった。充実していた。でも、ふるいの目は何かを選別した。

これでスッキリした。次のステージに行く。



新年です

2014-01-01 05:22:39 | 思うこと
間際にならないとヤル気が出ない...という傾向が年齢と共に加速している。
何日も前から少しずつやっておけば楽なのは分かっているのに、それができない。
ブルドーザーで土砂を押すようにして、年末の仕事のほとんどを31日に押し込む。
それでも28日に外周りの掃除と買い物をしたのは上出来だった。
29日はギター弾き納めの会。昼過ぎからお教室で3重奏の特訓、終了後はもちろん打ち上げ。
30日は娘と6カ月になる孫が来た。孫を見ていると、竜宮城で鯛やヒラメの舞い踊りを眺めているのと同じ、
ただ珍しく面白く、時間のたつのを忘れてしまう。
で、正念場の31日。朝からお節料理を作り、煮物をしている間に年賀状を書き、午後は掃除(やっつけ仕事だけど)
夕方は最後の買い物に出る。もう、へとへと。

ようやくノルマを達成して、日本酒を飲みながらボクシングと紅白歌合戦を見る。
美輪明宏の「ふるさとの空の下に」に感動した。戦争で傷つき親を失った子が、成長し胸を張って生きて行く姿が
歌われている。

私の記憶の中に戦争のかすかな影がある。
大叔母の部屋に飾ってあった写真、大叔母の弟の写真。特攻隊で命を落としたと聞かされた。
もう一人の大叔母の配偶者は大企業の部長か何かだったが、休暇を取っては遺骨収集の旅に出ていた。
ガダルカナル島という名前が私の頭の中に刷り込まれている。
大叔母たちが話していた切れ切れの言葉が忘れられない。
『動けなくなった人たちを、置いてきてしまった。戻ってくると言って。そうしなければ帰って来れなかった。』
どんなにつらい経験だったことだろう。大叔母の配偶者は帰還して仕事や家庭を持ったあとも、残してきた人たちの
ことが忘れられず、遺骨収集に奔走していたのだ。
その大叔母たちも、もうとっくに世を去った。戦争の記憶は世の中から次第に消えて行く。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2014年が始まった。例年通りジルベスターコンサートを聴きながら年越しソバを作った。今年も夫と2人だけの年越し。
娘たちから、携帯に「あけましておめでとう」のメールが入る。それぞれに家族や友人たちと過ごしている。
昨年のお正月は、夫のガン手術を控えていた。今年は孫が生まれ、平和なお正月だ。

真夜中、ちょっとギターを弾いてみた。今年は、人前で弾けるかどうかは分からないけれど、独奏に挑戦したい。
今練習しているのはビラ・ロボスの<ショーロス・第一番>。ブラジルの香りがする。
きれいなクラシック曲も弾きたい。グノーの<アヴェ・マリア>みたいな。
地元の合奏団の新曲はビバルディ。お教室の合奏団はブラームス。

孫とギターを抱えて、2014年が始まる。

踏ん切りと潮どき

2013-12-24 08:32:32 | 思うこと
日本語では財布を落としたとき、「お財布を落としちゃった」と言う。
煮物がこげたら、「あーあ、こがしちゃった。。。」
自分の迂闊さから失敗が起きてしまったと、反省して自分を責める感じがある。

一方スペイン語では、「お財布が私から落っこちちゃった。」「鍋が私から(私に対して)こげちゃった。」
という表現をする。お財布が勝手に落ちて、鍋が勝手に焦げて、私は被害者だ...と言わんばかりである。
何でも相手のせいにして自責の念が無いっ!と思っていたが、最近ちょっと違う見方をするようになった。

お財布が落ちるのも、煮物がこげるのも、そういう定めにあったのだから仕方ない。自分を責めても何も良いことは
ないから、あとは成り行きに任せて対処するだけだ...そんな風に感じるようになったのだ。
逆に、良いことがあった場合も、誇ることなく自惚れることも無くサラリと受けとめる。
失敗も成功も一つの流れだと考えて、サラサラ生きて行くのも良いんじゃない?。


『踏ん切り』という言葉がある。考えて迷って悩んだ末に、「ええいっ」と何かを決心する。
私は半年ほど前、あることに踏ん切りをつけようとして失敗した。未練も躊躇もあったから、誰かに「待ったあ」と
言われ、引き返してしまった。
今また、同じことをしようとしている。今度は『踏ん切り』ではなく『潮どき』だと思う。
潮の満ち引きに「待った」は無い。その流れに任せて動いて行くだけだ。ためらいも未練も気負いもない。ジタバタせず
待っていればやってくる。それが『潮どき』ってものだ。

『時が満ちる』という言葉も好きだ。『潮どき』よりも達成感がある。やるだけのことはやって、ここでごく自然に終わる。
そして新しいことが始まる。

言葉で遊んでいるのではない。言葉の中に真実がある。
私の来年は、新しいことが始まりそうでワクワクする。

ワガママなミミ

2013-11-15 21:46:30 | 思うこと
人はたいてい何かしら身体に弱点を持っている。先天的なものもあれば後天的なものもある。若いうちは鳴りをひそめていても、
年齢と共に表面化する場合が多い。私など、若い頃はむしろ低血圧だった。「低血圧だから朝早く起きられなくて...」なんて
気楽なことを言っていた。(高血圧になっても、相変わらず早起きは苦手)
まあ身体のことは仕方が無いから、それなりに注意したり薬を飲んだりして上手く付き合っていくしかない。

最近の悩みは耳。もう20年以上前から、右の耳が無性にかゆくなる。最初のうちは耳を押したり軽く叩いたりしてごまかすが、
そのうち耳掻きや綿棒を取り出しチッチッと触る。ダメだ、こんなんじゃ我慢できない。クリクリこすりはじめ、クリクリが
グリッグリッに変わり、気がついたときは耳がジンジンしだす。
かゆさというのは刺激するごとに増して、かゆみが痛みに変わるまで掻かずにいられなくなるものらしい。
それは意志の力で押さえなくてはならないのだが、意志薄弱の私には至難の業だ。

こんなことを繰り返しながら20年たって、ついにツケが回ってきたような気がする。
昨年夏と今年のお正月、そして今、耳が反乱を起こした。ドクターは外耳炎と言っている。外耳炎というと、中耳炎や内耳炎に
比べて身分が低いように聞こえるけれど、どうして、そのパワーはすごい。耳の痛み、詰まったような感じ、難聴、耳鳴り。
耳鳴りはシャーシャーというBGMに、ピーピーという高音がからみ、そこにシュンシュンという打楽器が加わる。このシュンシュンと
いうのは心臓の鼓動と同じリズムだ。耳の中に心臓があるのかと思うくらい。
今までの2回はJという内服薬ですぐに治ったが、今回はJを飲んでもあまり良くならない。菌がパワーアップしたのかもしれない。

この外耳炎の症状を抱えたまま、3回もギター合奏の練習があった。自分の音がよく聞こえない場合もあるし、右隣のヒトの音が
聞こえないこともあった。自分の音だけが妙に浮き上がって聞こえることも。どういう加減なのだろう。

身体が万全でないと気持ちも暗くなりがちだが、今のところ私は元気。ギターはどのサークルに行っても楽しい。
でもサークルというのは人間たちの集まりだから、皆が揃って快調というわけにはいかない。悩んでいる人や、来なくなって
しまった人のことを考えると悲しい。
スペイン語のサークルでは殆ど問題が起こらない。ギターサークルは定期演奏会というプレッシャーがあるから、それがいけないの
かもしれない。かといって音楽のグループなのに発表の場が無いのではモチベーションが下がる。
もうちょっと人数が増えれば、気持ちも負担も軽くなるのだが、どこもギリギリでやっている。

私も、も少し楽な気持ちで弾ければ良いな...と思っている。そのためには技術向上。
合奏だから自己流でいいや...と長い間、思っていたけれど、このほど月に一回だが定期的に先生のレッスンを受けることになった。
大嫌いな「アグアドのアルペジオ練習」も真面目にやっている。この間のレッスンでは「ピュさん、ずいぶん速く弾けるように
なりましたね」と言われた。そういうことが励みになるのね。
音階練習も、右の人差し指(i)と中指(m)をちゃんと交互に動かすと、いつもより速く弾ける。地道に練習を続けて行こう。

その前に耳を何とかしなくては。。。

台風の朝のひとりごと

2013-10-16 06:12:24 | 思うこと
昨日、用事があって最寄りの駅に行った。近くの、成城石井的な、ちょっとハイソなスーパーマーケットに立ち寄る。
この店では夕方のある時刻が過ぎると、賞味期限が近いものを半額にする。ちょうどその時間になった。
ぼんやり眺めていたら、年配の可愛いご夫婦が、天ぷら弁当を2つサッとカゴに入れた。ここのならきっと美味しい。
なるほど。このお弁当に、サラダ、ワカメとお豆腐のお味噌汁を添えれば、カロリーもバランスもOKだな。野菜の
煮物をプラスすれば言うことなし…なんて考えた。

私も夫と二人の生活になったら、こうしよう。適当に手抜きして安上がりでバランス良く美味しく。半額セールも倹約も
ちっとも恥ずかしいことではない。来るべき8%の消費税を、笑い飛ばす。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

最近、少し憂鬱なことがある。私は、ある人からの電話を恐れている。
その人の人格が変わってしまい周囲に迷惑をかけているのを知っているから、仕方がない。私は平凡な主婦で家族もいる。
今の平穏な日々をかき乱されたくない。
そんな私の心配を、ストーカーなどという言葉を使って茶化した人がいたが、無神経な発言だ。
昔は良い仲間だった人の力になってあげることができないばかりか、逃げている自分。そのことが悲しいのに...。

人は皆、他人同士だ。他人だからこそ、言葉を選んだり、節度をわきまえたり、相手に迷惑をかけまいと努めたりする。
そこから本物の親愛や友情が生まれるのだと思う。
でも「他人であること」を上手に認識出来ない人もいる。残念なことだけれど。

嬉しいこともある。スペイン語サークルに新しい仲間が来ることになった。それをつぶやいたらすぐ、勉強中の資料の用意を
申し出てくれた人がいた。そういう間髪を入れない気配りが人の心を和らげてくれる。

人に疲れるけれど、人に癒される...これが人生だろう。

スペイン語サークルといえば、メンバーのT氏の急逝から3年が過ぎた。あのとき、私はブログにこんなことを書いた。
~~神様たちもそろそろネット環境が欲しくなって、彼を呼び寄せたのかもしれない。神様の世界はきっとアナログだから、
  お仕事は大変かな。
  首尾よく立ちあげたら天国からメールをください~~

メールはまだ来ない。私の方から出そう。
サークルは、あの時のメンバーのまま和気あいあいと続いています。あ、一人増えて、月末には、もう一人来ます。

ヨカッタネ...と聞こえた気がした。

ヘイトスピーチと癒し

2013-10-01 04:09:19 | 思うこと
ヘイトスピーチという言葉を初めて耳にしたのは数カ月前のことだ。
具体的にどういう行為なのか分からなかったが、嫌なものがこみあげてきた。
日本ではこれまでヘイトスピーチなるものが大っぴらに行われたことが無かったので(たぶん)、その言葉を知らないでいられた。
それは幸せなことだと思う。
韓国や中国では、ことあるごとに日本の旗や首相の写真を焼いたりするが、日本人はそんなことしない。
お人好しと言われようと寛容すぎると笑われようと、そんなことをしないのが日本人だと思っていた。

もしこれが韓国のやり方に対する正々堂々とした抗議であるなら、私も~本音を言えば~日本人も強くなったと頼もしく思ったろう。
スポーツの場に政治的なプロパガンダを持ち込んだり、子供たちに反日感情を刷り込んだり、仏像を盗んだり、許される行為では
ないにせよ慰安婦問題を政治的な駆け引きに利用したり、納得できないことが多いから、それらについて真剣に向き合い考えて行くのは
間違った方向ではない。

でもヘイトスピーチは全く違う。
日本で懸命に働き、子供たちを日本の学校に通わせている在日の人たちに「出て行け」とか「死ね」とか酷い言葉を浴びせている。
八つ当たりのイジメでしかない。人間として、一刻も早くやめてほしい行為だ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

先週の土曜日、心温まる小さな集まりがあった。
楽器演奏の時間もあり、私は、大正琴やその進化形の楽器の演奏にギター伴奏者として参加させてもらった。伴奏だけ...というのは
初めての経験。
メロディーを聞いただけで伴奏が付けられるような才能は持ち合わせていないので、コード記号をびっしり書き込んだ楽譜を作った。
1行とばして変な和音を鳴らしてしまったり、ちょっとだけソロ演奏をするところでは上ずった情けない音を出してしまったり、
あんまり良い出来ではなかったな...。でも、そういうふうに恥ずかしく思う自分というのがいちばん恥ずかしい。
演奏した人たちの中には上手く弾けた人もいれば、そうでもなかった人もいたが、そういうことにこだわったのは私だけだった。
皆、素敵な場所と経験を与えられたことに感謝し、心から楽しんでいた。
感謝やねぎらいや、これからの活動への期待がいっぱい詰まったメールが何通も来た。すごく良い出会いをしたと思っている。

この集まりを中心となって企画した人たちの中に韓国の女性が2人いた。2人とも積極的で行動的で、物おじせずにスピーチし、
終始大活躍だった。日本人の場合、そういう行動的なヒトは自信満々でキツい印象だったり、近寄りがたかったりすることも少なく
ないが、彼女たちは思いやりと気遣いにあふれていた。
美味しく淹れた紅茶と手作りのシフォンケーキ、ゲーム...。最後は皆で椅子や机を片付けた。


人を憎んで罵って幸せになれるだろうか。ヘイトスピーチをしている人たちに、あの温かい紅茶を届けたい。


モスキート音の怪

2013-09-24 03:33:32 | 思うこと
ギター合奏練習の合間、一番若い20代の青年が立ち上がって「その音、耳が痛いんですけど」と言い出した。
「どの音??」。私は耳をそばだてたが、聞こえるのはエアコンの音と、小さな扇風機が回る音だけだった。
もちろん耳が痛むこともなかった。
別のメンバーが何か音響機器を扱っていて、モスキート音を出したらしい。

モスキート音というのは17,000ヘルツ前後の周波数の音で、若者にしか聞こえないそうだ。
人が音として認識できる周波数は20ヘルツから20,000ヘルツくらいだが、年齢と共に聞こえる範囲は狭くなっていく。
私くらいの年齢になったらモスキート音が聞こえないのは、しごく当たり前のことでガッカリする必要はない。
だいいち耳が痛くなるようなピーピー、キーンキーンなんて音、聞きたくもない。それでなくても加齢耳鳴りに
付きまとわれて、いい迷惑を被っているのだから。

とは言いながら、同じ部屋で一緒にギターを弾いている同士なのに、音の聞こえ方が違うと知ったのは、ちょっとした
ショックだった。

若者たちがたむろして迷惑を受けている店や場所では、故意にモスキート音を流して彼らを追い払っているそうだ。
逆に学生たちは携帯の着信音をモスキート音にして、老教授をあざ笑いながら授業中にメールのやり取りをしている。
モスキート音は世代を分離する差別音のような気がしないでもない。


モスキートといえば、この夏は蚊の羽音を聞かなかった。プーンというあの音は愉快な音ではないけれど、夏の風物詩の一つ
でもあるから、一度も聞かないのは何だか寂しい…。
もしや私の耳が衰えて蚊の羽音をキャッチしなくなったのだろうか。

調べてみたら、蚊の羽音は~モスキート音の命名の由来になったとはいえ~せいぜい300~600ヘルツで、私でも十分に聞こえる。
この夏、聞くことがなかったのはたまたまそうだったのだろう。と、自分を納得させた。

それでも、ふっと思う。
今年は蚊の羽音が聞こえなかった。来年は線香花火のチッチッという音が聞こえなくなる。再来年は風鈴の音が、その次の年は
ヒグラシの鳴き声が...。そんな風に、何かを一つずつ失いながら、年を取っていくのだとしたら悲しい。
鮮明だったものが次第にぼやけ、数え切れないほど手の中に持っていたものが少しずつこぼれ落ちてていくのだとしたら...。

あー、そんなこと考えちゃいけない。確かに年を重ねて減っていくものもあるけれど、今年は孫を授かった。

もし来年も蚊の羽音が聞こえなくても、私の耳の中には蚊の羽音の記憶がある。線香花火の音も、風鈴の音も、蝉の声も、
潮騒も、プールのざわめきも、風の音も、私は耳と心の中に全て持っている。

ゴーヤストレス

2013-08-03 11:44:50 | 思うこと
娘たちが使っていた2段ベッドを思い切って解体したのが3か月ほど前。
女の子らしいシールがペタペタ貼ってあったりして思い出深いのだが
今では邪魔になるばかり。
ラフに解体して外壁に立てかけたまま夏になってしまった。
虫が湧いたら困るし、そろそろ粗大ゴミに出さなくちゃ…とグズグズしていたら
先日、隣の駐車場に車を置いている職人風の男性が
「やってあげますよ。」と声をかけてくれた。
顔は知っていたけれど、挨拶をしたこともない人で
一瞬とまどったが、お願いすることにした。
手際よく厚いビニールシートを敷き、電気ノコギリでバリバリ切って行く。
巣を作っていた蟻たちが、わらわらとシートの上に集まってきたが
ものともせず作業は進む。
かさ張っていたベッドの残骸は、またたく間に小さな木片になった。
これならゴミ出し日に少しずつ出せる。
恐縮して「何かお礼を…」と言うと
「なーに、暇だったから」と笑い、くるくるとシートを巻いて去って行った。
職人さん、かっこいい。シェーンみたい。


あまり近所づき合いはしないし、必要性も感じていなかったが
こんなことがあると、近隣の人たちで助け合うのって素晴らしいことだと
思う。と、気を良くしていたら…。


翌朝、ゴーヤ4号と5号が盗まれていた。2号が盗られてから2度目だ。

ゴーヤというのは、緑のカーテンが生い茂り黄色い花がたくさん咲いても
なかなか結実しない。最初のうちは雄花ばかりなのだ。
ようやく雌花が咲き、緑色のぷっくりとした実が付く。
毎日水をやり、観察し、成長を楽しみにしていたのに
やっと食用になるほどに育ったものを、赤の他人がかっさらって行く。
許せないよね。

でももしかしたら、妊娠中の奥さんが「もぎたてのゴーヤが食べたい」と
涙ながらに訴えたので、盗ったのかもしれない(ラプンツェルかっ!?)
貧しさに食卓に乗せるオカズもなく、やむにやまれず人のものに
手を出したのかもしれない(ジャンバルジャンかっ!?)

そういう胸打たれる話なら我慢もするが、そんなことではないだろう。
町内のゴーヤカーテンの位置を熟知した輩が、早朝リュックを背負って徘徊、
実ったゴーヤを臆面もなくもいで行くのだ。情けない姿だ。
世の中、大らかで良い人もいれば、こすい奴もいる。

育つそばから持って行かれるくらいなら、罪つくりなゴーヤなど
抜いてしまった方が良いのだろうか。
そんなことは出来ない。
暑い日差しの中、すくすくと育っているのに。
「ゴーヤを盗らないでください」と貼紙をする?現場を取り押さえて説諭?
それもどうだろう?こんなご時世、いくら可愛いゴーヤちゃんのためとはいえ
逆ギレされるのも困る。

で家族とも話し合って、ゴーヤは育てるのを楽しむもの…と割り切ることにした。
食べたければ、近所の野菜激安スーパーで、1.5倍くらいの大きさのが
100円で売られているのだから。

とはいえ、盗人が我が家の敷地に入り込み、鉄柵の小さな門をかちゃりと開け
玄関脇のゴーヤエリアに侵入する様は、想像するとおぞましい。
良い手はないものか。

そうだ、ゴーヤが大きくなったら早起きして、玄関の小窓を開けて
窓辺でギターを弾くっていうのはどうだろう。ラスゲアードを掻き鳴らして。
ゴーヤ泥棒、退散するかも。

コンスエグラに薔薇を

2013-06-28 08:20:50 | 思うこと
明け方に目覚めると、長女と孫が滞在している部屋に足が向く。
孫くんはベッドの上で、赤茶色の顔をこちらに向け、腕を妙な形に曲げて眠っている。
安らかな寝息が聞こえてくるようだ。

この前の日曜日には、娘の夫の両親が、赤ちゃんの顔を見に来た。
数年前は全く顔も知らなかった者同士が、並んで記念写真を撮る。
その真ん中にいる生まれたばかりの命は、私たち全員の血をひいている。


娘の夫の両親…と書いた。回りくどい言い方だ。
娘の舅と姑、娘婿の両親…。日本語には、これを一言で言い表す言葉がない。
スペイン語では、舅をSUEGRO(スエグロ)、姑をSUEGRA(スエグラ)という。
そして、自分の子供の舅はCONSUEGRO(コンスエグロ)、姑はCONSUEGRA(コンスエグラ)。
ちゃんと言葉がある…ということは、それだけ人間関係が密なのかもしれない。


あちらの両親にとって、私はコンスエグラ。酒飲みのコンスエグラだと
思われているにちがいない。
幸い、私のコンスエグロも酒飲みなので、そこは話が盛り上がる。

生まれたばかりの孫の傍らで、新米の祖父母たちが日本酒を酌み交わす。
皆の心の中にポッと花が咲いている。

けれど孫くんの可愛い表情や仕草を見ながら、少しだけ気持ちが陰る。
曾孫の誕生をどんなに喜んだろう母が、物言わぬ人となって
ベッドから動けずにいる。
夫の母は元気に屈託なく日々を送ってはいるが、曾孫を見たがるでも
孫娘の身体を案じるでもない。ただ刹那の中で生きている。
回復したとはいえ、夫の癌手術は痛い経験だったし、弟は入院中。
これからの人生、私を待ち受けている数々の試練の予感…。

私は今、自分が<薔薇の時代>を迎えていると思う。
もちろん、ゴージャス・贅沢という意味ではない。
どんなに嬉しい花が咲いても、その下にはトゲがある。


あるサークルを辞める決心をしたのは、趣味の世界でまでトゲを握るのは
嫌だと思ったからだった。
辞めることは出来なかった。
トゲは嫌だと言いながら、私自身がトゲになっていた。


痛みを恐れて、小さいトゲは今のうちに抜いておこうとか、
なるべくトゲの無いところを掴もうとか、
そんな風に考えるのは、自分を弱くし、人生を狭めてしまうことになる。


トゲは痛い。でも上を見れば、花は幾つも咲いている。

人づきあいについて

2013-05-03 03:12:42 | 思うこと
季節の変わり目のせいか肩こり首こりがひどいので医者に行った。
待合室で何気なく雑誌を手に取る。50代の心と身体の健康を扱った雑誌だった。私は滅多にこういうものを読まない。
どうやら最近の雑誌は年代別に細分化されているようだ。「人づきあい」がテーマになっていたので、ちょっと興味を持った。

曰く、人間は年齢が進むにしたがって、大らかにこだわり無くなっていくかというと、そうでもない。これから先の人生を
~残り少なくなっていく人生を~どんな風に過ごし、充実させていくか...と考えると、むしろナイーブになるケースが多いらしい。
なるほどね。で、人づきあいというのが問題になってくる。

ある人は、面倒くさい人づきあいはスパスパ切って行く...と発言していた。人の輪の中に入って行けば嫌な思いをすることもある。
世の中には辛辣だったり攻撃的だったりする人が残念ながら存在するのである。嫌な思いをしたくないなら、その場に行かなければ良い。
それで友達が減ったって構わない。一人を怖がってはいけない。一人もまた楽しい。...という内容だった。

この発言は自分に当てはまるだろうか。私は一人でいることが嫌いでない。現に今も、一人でパソコンの音源を相手にギター重奏の
練習をし、楽天市場でキャシー中島のハワイアンタオルを購入し、ブログを書いている。楽しい。
昼間だって一人でお散歩したり図書館に行ったりする。別に寂しくない。
でも私にとって孤独が楽しいのは、自由に行き来できるところに孤独でない世界があるからだ。
昨日は地元のギター合奏団の練習日だった。定期演奏会のホールが決まって練習にも熱が入ってきた。今日は女性3人でギター重奏の
練習をする。練習前にランチ。明日はスペイン語。明後日は娘夫婦が遊びに来る。…だから、今、一人でいる時間が楽しい。
要するに孤独を楽しむことはできても、一人ぼっちで生きていくだけの強さは無いのだ。

ある人は、嫌なことがあったら楽しいことを増やしなさいと書いていた。ごていねいにシーソーの図まで載っていた。
楽しいことは白い○。嫌なことは黒い●。常に白い○の方が重くなるようにしなさい。
あはは、これ、違うな。楽しいことで埋め合わせがつくような嫌なことは、嫌なことの部類に入らない。
楽しいことがいくらあっても、心が重くなるのが「嫌なコト」なのだ。この人、分かってない。

プレゼント好きな友人に、どうお返しをしたら良いのか。お義理の年賀状をやめたい。サークルに苦手な人がいるけれど、他の人たちと
離れたくないから辞められない。エトセトラ、エトセトラ。

皆、幾つになってもあれこれ悩むのね。だから、こんなに年齢別に細分化されても雑誌が売れるのだろう。

結局、何も参考にならなかった。私は私の道を行くしかない。

音楽と感謝で始まる一年

2013-01-17 04:18:28 | 思うこと
何の気なしにYahooオークションを見ていたら、前々から探していた「ギター四重奏のためのカルメン組曲」の楽譜が出ていた。
ヤフオクを使うのは、数年前にギターのテオドロ・ペレスを購入して以来のこと。四苦八苦しながらも即決価格で無事に落札した。
かの有名なギター四重奏団・LAGQ(ロサンゼルス・ギター・カルテット)が演奏した楽譜で、難易度は相当高いと思われる。
いつ誰と弾く...という当てもないけれど、持っていればそのうち日の目を見ることもあるだろう。そういう<憧れ>的な買い物も
たまには良いものだ。
(どきっ、いつか読むだろうと思って買ったスペイン語の本が何冊も埃をかぶっている…)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

あっという間に1月も半ばを過ぎてしまった。お正月は家族や親戚の集まりで楽しく過ぎた。
それから、所属したり運営したりしているサークルの初顔合わせと新年会。ようやく少し落ち着いて、あとは女友達とのランチ会が
2つ3つ控えている。

今年は夫の入院・手術、娘の出産もあるから、内側を向いてゆっくりギターやスペイン語に打ち込もうと思っている。そんなふうに
決めてしまうと心は落ち着く。今年はあれが出来ない・これが出来ない...じゃなくて、出来ることをすればいい。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

昨日は大正琴・ヴィオリラのレッスンの見学に行ってきた。新しい友人たちが、これらの楽器の先生と生徒なのだ。
「一度、練習を見に来て」と言われていたのがようやく実現した。
ヴィオリラは大正琴がさらに進化した楽器で、左手で鍵盤ボタンを押し、右側の弦を弓で弾いたり爪弾いたりして音を出す。時には
ピックも使うし、弦を棒でたたくこともあり、さまざまな音が楽しめる。鍵盤ボタンを揺らして押せばビブラートもかかる。
半年前「私に出来るかしら...」と不安がっていたKさんが、堂々と弾いている姿は素敵だった。
Kさんと会うのは3か月ぶり。ご主人が大病で1か月以上も入院されていたことを初めて聞いた。どんなに大変だったろう。辛い日々を、
一つの楽器に打ち込みながら乗り越えているKさん。とても励まされた。
 ヴィオリラ

次回の練習には、私もギターで参加させてもらうことになった。彼女たちとは1年前に知り合ったばかりなのに、古い友達のように
寛いで話ができる。出会いにありがとう...。

ところで友人たちやサークルの平和な付き合いの中で、Aギター合奏団だけは相変わらず波乱含みだ。穏やかだった人が情緒不安定に
なって去って行ったり、中心的人物が3月の定期演奏会のあとに辞めるのではないか…という話が出たり。
何年たっても同じことが繰り返される。
どうしてこのサークルだけはいつもいつもこうなんだろうと溜息が出る。ずっと溜息をつきながら活動してきた。
でもここも私の大切な場所。いくつもの試練は、きっと何かを教えてくれているのだろう。

不満や不安よりも、出会いに感謝。最近そう感じることが多くなった。
遅ればせながら、私も大人になったのかしらね。