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昨日☆今日☆明日~金曜日のピュ

私の毎日と心に浮かんだこと

薬づけのヒト

2013-03-19 15:08:31 | 私というヒト
昨年の夏と年末に、耳が痛くなって難儀した。痛いだけでなく塞がった感じになるのだ。この不快な違和感は経験しないと
分からないだろう。2度とも耳鼻科の治療で治ったけれど、今年に入ってから今度は耳鳴りがひどくなった。周りがワサワサ
しているときは気にならない。シーンとしていると、耳の中がピーピー・シャーシャーお祭り騒ぎ。
耳鼻科で調べても問題は無い。聴覚の検査も余裕で合格。昨年の耳痛とは因果関係はなさそうだ。何が原因なんだろう...と
悩んでいるうちに花粉到来。10日の定期演奏会まで気力で抑え込んでいた症状が、終わった翌日から噴き出てきた(まさに噴出)。

一昨日は、深大寺の近くの瀟洒な邸宅で開かれたホームコンサートにお招きいただいた。
近隣の音楽愛好家たちがそれぞれの楽器を持ち寄って奏でたり歌ったり。ウクレレの合奏、尺八とギターの異色のコラボ、チェロ演奏、
弾き語り、詩吟...。窓辺にはミモザの花が揺れ、お手製のパンが運ばれ、とっておきのコーヒーカップから湯気が立ちのぼる。
こんな優雅なひとときなのに、耳はピーピー、鼻はムズムズ、かゆさをこらえて目は涙目。肩がパンパンに張っている。

もう我慢も限界だ。昨日、いきつけのドクターのところで悩みをぶちまけた。
はい、はい、お薬を出しましょう。こっちも出しておきましょうかね。これも使いなさい...。という訳で、いつもの高血圧と高脂血症の
薬も合わせて袋の中は薬で一杯。

元来、薬を飲むのは好きでない。高血圧と高脂血症の薬のお世話になる身になったときは、自分が人間としてワンランク下がったような
気がした。世の中には薬に頼らず、花粉症にもならず、耳も健全、膝の故障もなく、はつらつと生きている人が沢山いるのに(ため息)。

一昨日のホームコンサートで、ある女性がこんなことを言った。
「私の身体はあちこち故障だらけです。お薬を山ほど飲んでます。でも生きています。楽しく生きています。」

何だかホッとした。

朝起きてまず点鼻薬を鼻に吹き込む。一日一回で良いそうだ。強い薬なんだろう。なになに?ステロイド剤ですと(怖)。
朝食を済ませてから花粉症の薬と耳鳴りの薬を飲んだ。少し時間をあけて血圧降下剤と高脂血症の薬。ちょっと不幸な気分だ。
でも不快な症状は鎮まった。耳鳴りも半分くらいになった。

明日は夫と、嫁いだ娘の家に行く。本門寺さんの近くの しだれ桜がそろそろ咲き始める頃だ。
週末はギターの友2人と花の女子会。重奏の打ち合わせも兼ねて。
来週は二宮に桜を観に行く。大学のOB仲間との夜桜見物もある。再来週は高校の友人たちとランチ&散歩。去年も行った語りの会。
スペイン語仲間と古い居酒屋さんへ...。

この春は2度と来ない。自分も家族も友達も笑顔でいられるこの春を大切にしたい。
薬をたくさん飲んで明るく生きて行こう。

 定期演奏会で戴いた花、だいぶ開いちゃったけど、まだまだキレイ。


発想の転換

2012-11-02 15:22:59 | 私というヒト
1月に夫とスカッシュを始めた。生まれてはじめて好きになったスポーツかもしれない。
今年は憧れのイタリア旅行も考えていた。
5月に膝を痛め、どっちも断念することにした。フィットネススタジオも1年分の会費を払ったのにそれっきりになった。
病気なんて殆どしたことのなかった夫は、今年の検査で幾つか引っかかった。辛抱強く一つ一つクリアして、最後の一つが
まだ残っている。今月は検査入院。
春先にはギター合奏団でちょっとだけ嫌なことがあった。今となってはどうでも良いことなのだけれど、あの時にできた1センチ2ミリの
隙間がなかなか埋まらない。大好きな場所なのにな。

まあ、こんな時もあるのだろう。

膝は思いつく限りのことをした。整形外科で電気をかけ、グルコサミンを飲み、筋トレに励み、整体にも通った~保険がきかなかったから
散財だったなあ~。体重を減らそうと固い決心もしたし(決心は固かった)、良いと言われる軟膏も取り寄せた。最後の頼みはヒアルロン注射。
5回、痛いのを我慢したのに効果は無かった。
外出の時は膝の周りに湿布を貼り巡らせ、サポーターを巻きつける。今日はロキソニンを飲んでおこうかな、飲まなくても大丈夫かな...。
どんなに楽しいお出かけでも、いつも膝のことが心と身体にへばりついている。もう片方の膝までヤられたら終わりだ。
スペイン語の単語を2つ覚えた。molestias(モレスティアス→ちょっとした痛み・不快感)、percance(ペルカンセ→思わぬ支障)。

...とまあ、ぶっちゃけ書いたら、あとは発想の転換。

お出かけしても膝が気になる...じゃなくて、膝が痛くても楽しくお出かけができる…。
午前中のテレビを見ると分かる、グルコサミンの宣伝だらけだ。同じ悩みを持っている人がたくさんいる。
夫は不屈の楽天家だ。年末は大コーラス団で「第九」を歌う。
ギター合奏。気持ちを埋め合わせるために、ずっと憧れていた近場の合奏団に入った。憧れのままで終わったかもしれない場所で、今は
四苦八苦しながらもアルトギターを弾いている。
先週はエクセレントなメンバーたちと共に、初めてギター合奏フェスティバルの舞台に上がった。弾きはじめて焦った。他の人の音は確かに
聞こえるのに自分の音と混ざらない。一人ぼっちで演奏しているみたいなのだ。やりにくい舞台。これも経験、来年はビビらないで弾こう。

大きな旅行は出来なかったけれど、心の旅はできた。一本の<ケヤキの木>の写真から、練馬で暮らしていた少女時代を思い出した。
とっくに世を去った父が、石神井公園でボートを漕いでくれた。今は眠り続けている母が、凛として家族を守ってくれた。小さい弟がいる。
陸橋の上で風に吹かれていた私...。

それから本の中を旅した。山本一力、船戸与一。生き生きと暮らす江戸の町人たち、フィリピンの熱い大地で繰り広げられる死闘。
三島由紀夫の「豊饒の海・4部作」も完読した。美しい貴族の青年の破滅的な恋、国を浄めるために命をかける若者、奔放なシャムの娘と
もつれた感情、海を見つめる高慢な少年の堕落...。輪廻転生はあったのだろうか。

小さな散策。友との語らい。美味しいランチ。音楽。
スペイン語サークルは30周年を迎えた。

長女がまっすぐな青年と結婚した。いずれ遠くで暮らすことになる。次女がぽつりと言った、「私はずっと近くにいるよ。」 
三女は自分の居場所を見つけた。そのつながりで私にも新しい知り合いが出来て、月末はその人たちとミカン狩り。

膝。今はペインクリニックに通っている。たまに痛みを忘れることがある、ごくごくたまに。

明日もお出かけ。湿布を貼ってサポーターを巻いて、お化粧して、お気に入りの服を着て、何食わぬ顔で「行ってきます!」

 一昨日は東京駅近辺で遊んだ。

  先週は神代植物園。バラとダリアとベゴニアがきれいに咲いていた。

蕎麦オンチの記録

2012-05-18 01:54:18 | 私というヒト
お蕎麦はあまり好きでない。
まず、色が好きでない。ああいう色をしているものが美味しいとは思えない~胡麻プリンを食べるのだって勇気がいる~。
食感もゴソゴソして好きでない。
お素麺をご覧なさい。あの白さ、細さ、しなやかさ、涼やかさ、スルリとした感触。
おうどんを見習いなさい。あの白さ、優しさ、炒めたって美味しい。
家でお蕎麦を食べるのは年に一回、年越し蕎麦だけだ。お蕎麦自体は美しくも美味しくないのだから、他で頑張るしかない。
お出しは念入りに上品にとる。揚げたての海老を乗せ、三つ葉を散らし、柚子の皮を細く切って香りを付ける。お蕎麦は
オマケみたいなものだ。
外で食べることも滅多に無い。去年軽井沢で、お酒の当てとして少し食べたのは美味しかったような気がするけれど、あれは
美味しい空気とお酒のせいだったかもしれない。

大好きだった<ちい散歩>が終わってしまった。地井さんがご病気なのだから仕方ないけれど寂しくなった。
かわりに始まった加山雄三の<ゆうゆう散歩>…。ううう、どうかな。地井さんの飄々として無邪気で庶民的な雰囲気に比べると、
スーパースター様の加山雄三さんは堂々としすぎている。道行く人やお店の人と話していても、どこか距離を感じる。目が本当には
笑っていない…。などと批判してしまったが、少しずつ馴染んできたような気もしないではない。
昨日は、若大将シリーズの折に若大将の『実家』として使われた<かんだやぶそば>を訪問していた。

東京には三大藪蕎麦屋というのがあるそうだ。神田の<かんだやぶそば>、浅草の<並木藪蕎麦>、湯島の<池の端藪蕎麦>。
どの店も歴史と雰囲気があるのだろう。(もちろん私は行ったことがありません…)
 <かんだやぶそば>

昨年の末だったか、<池の端藪蕎麦>ではなかったけれど湯島の老舗お蕎麦屋さんに連れて行ってもらった。少しワクワクした。
お蕎麦が好きでない…と言っても、老舗のお蕎麦を食べたことが無いのだから食わず嫌いかもしれない。正統なお蕎麦を食べれば、
私にも遅い「めざめのとき」が訪れるのではないか…。などとお気楽なことを考えながら老舗にふさわしい外観の店に入る。中は意外に
モダンで、蕎麦猪口が陳列されている。器好きの私には嬉しい。せいろが運ばれてきた。以下、蕎麦オンチの記録。

そばつゆにドップリお蕎麦をつけて口に運ぶ。うわっ、しょっからい(泣)、血圧が急上昇しそう。つゆが塩からすぎて、お蕎麦の味が
分からない。ようやく飲み込む。もう箸が進まない。でも連れて来てくれた人に申し訳ないから何とかしなくちゃ。蕎麦湯の土瓶が目に
入った。いくら蕎麦オンチでも蕎麦湯は最後…ということくらいは知っていたけれど背に腹はかえられない。つゆを蕎麦湯で薄めた。
あっ、しまった! 入れ過ぎた。ボケた味になってしまった。
結局、お蕎麦の美味しさを知ることなく老舗店をあとにした私…。

江戸っ子は、濃いつゆにお蕎麦の先をちょっとだけ浸してサッと食べるのだそうだ。そうすることで蕎麦の香りと味を楽しむ。
知らなかった。。。今度行ったら、そうやって食べてみよう。
…もう行かないかもしれない。


靖国通りのささやかな思い出

2011-11-30 02:42:10 | 私というヒト
先週、神保町で靖国通りに沿って歩きながら思い出したことがあった。

学生の頃、靖国神社の近くにある二松学舎大学で何回かアルバイトをした。
月に一回、名前は忘れたがどこかの書道会が、全国津々浦々の習字教室から集まった作品の審査会を開いていたのだ。
私の仕事はその補助作業だった。

その日の仕事は審査が終わった作品の分類だった。残念ながら昇級できなかった方の束の中に、メモ書きが付いた作品が
一枚あった。メモには「この生徒は事情があって引っ越すことになり習字のお稽古も続けられなくなります。どうか最後の
思い出に昇級させてやって下さい。」といったことが書かれていた。
習字教室の先生のせめてもの思いやりだったのだろうけれど、審査員はそのメモに気付かなかったのかクールな人だったのか、
昇級は成らなかった。何だか胸が痛んだ。最後くらい大目に見てあげれば良いのに…。

間違えたふりをして、その作品を昇級の束にもぐりこませるのは簡単なことだった。それをしなかったのは、不正はいけない…
と思ったからではない。ただ勇気がなかっただけ。
後になって何回も想像した。最後の昇級試験、ワクワクして結果を待っていた子は、昇級出来ないまま遠くに引っ越して行った…。
私がちょっと操作すれば、その子はニコニコ笑ったろうに。

あれから長い歳月が過ぎたが、今でもそのことを覚えている。
そういうことをいつまでも忘れられないでいる自分を、ウザいと思ったり、好きだったりする。

鈍感力

2011-07-15 06:17:45 | 私というヒト
セシウム汚染の麦わらを食べた牛が42頭も出荷されていたことが、新たに発覚した。
分かっていて食べさせたのだろうか。分かっていて出荷したのだろうか。
テレビで「東電が悪い。畜産農家は悪くない」と声高に叫んでいる人がいたが、果たしてそうだろうか。
確かに全ては原発や地震のせいだけれど、つらくてもやってはいけないことがある。こんなニュースはやりきれない。

長女と次女の交際相手は、1年前とは違う人たちだ。それは仕方ない。若いうちはいろいろある。
長女の彼氏は愛知県の長男で、もし結婚すればいずれ名古屋で暮らすことになるだろう。
次女の彼氏は家庭が複雑すぎる。もし結婚すれば大変な苦労をすることになるだろう。何だかなあ…。

母の昏睡状態は半年を過ぎた。このままずっと歳月が流れるのだろうか。

スペイン語のサークルに来なくなった人がいる。その人のモチベーションが下がっているのを分かっていてどうすることも
出来ない。十数年も一緒に活動してきたのに、人の心が離れていくのをただ見ているだけ…。

こんなことを蒸し暑い午後に考えていると、すっかり安定して薬の量も減らした血圧がジワジワと上昇してくる。
ここはプラス思考しなくちゃ。無理矢理でも。


やってはいけない行為をして、それがまかり通れば、人は深みにはまる。福島県の生産物への信頼が失われたことは
信頼回復につなげていけばいい。政府も力を入れている。
食べちゃった人は(私かもしれない)、この程度で内部被爆するものか!と強い気持ちを持とう。
今回の災害は一蓮托生。自分だけが安全でいることなど出来ないのだから。

私には田舎が無い。遠い県に親戚が出来るのも悪くないかもしれない。名古屋って夏は暑そうだけれど…。
次女のことは彼女に任せるしかない。私はどーんと構えていよう。

この半年、母のお見舞いに行くのはつらくもあったが、ささやかな楽しみもあった。
つくばエキスプレスの南千住から北千住にかけて、スカイツリーが一瞬2棟の高層マンションの間に現れる。その瞬間を
見逃すまいといつも目を凝らしている。
病院までの道筋の様子は季節と共に変わっている。今は夏草が伸び放題。茎に細かい棘のある蔓草が、菱網のフェンスを
びっしり覆っている。
子供の頃、この蔓草を勝手に「イラクサ」と呼んでいた。あれはアンデルセンの童話だった。白鳥に姿を変えられた11人の兄を
助けるために、イラクサでシャツを縫う妹姫の話...。そんなことを思い出しながら歩く。
三女と一緒の時は話がはずむ。人けのない道を喋りながら歩く。母は、こんなひとときを私にくれているのだ。

離れていく人を止めることはできない。でも待つことは出来る。帰ってきてくれたら気持ち良く迎える。
私もいろいろな場所を去ってきた。最近ではフラメンコギター合奏団と、フラメンコの師匠のグル―プ。地元の合奏団だって
一度やめて復帰した。
今、地元の人たちとフラメンコ合奏団のレパートリーを弾いている。弾いていると彼らのことを思い出す。一緒に舞台で
演奏したこと。練習の合間にお菓子を食べたこと。楽しかったし縁が切れたとは思っていない。
今夜はフラメンコの師匠のところのパーティに久しぶりに行ってみよう。皆、快く迎えてくれる。すぐにフラメンコの
世界に入って行ける。
後足で砂をかけるようにして退団した地元合奏団。復帰した今は、数少ないメンバーの一人として私も頑張っている。
こんな私を苦々しく思っている人はいないと思う。たぶんね。

プラス思考は『鈍感力』でもある。私は強くて幸せな鈍感者でいたい。

夢と深層心理

2011-03-01 11:26:52 | 私というヒト
最近、夢を見なくなった。正確にいえば夢を覚えていない…ということだろうけれど。
以前から「間際」にならないとパワーが出てこない体質だったのだが、その傾向がますますひどくなり、
ボーっとしている時間と何かに集中する時間が極端なのだ。睡眠時間も日によってまちまち。こういうのが
夢の記憶にも影響しているのかもしれない。

珍しく昨夜の夢を良く覚えている。かなり象徴的な夢だと思う。

(ゆめ)弟と私と母が川の字に寝ている。深夜、父が帰宅して私たちの部屋に自分の布団を運び込もうとするのだが
    弟と私は拒否する。母は眠り続けている。
(解釈)これは、母に苦労をかけた父を、母が静かに眠っている部屋に入れたくない…という思いかもしれない。
    他界した父を、まだ生きている母の傍に置きたくないということかもしれない。

(ゆめ)不意に、犬を預かっていたことを思い出す。
(解釈)先月、犬を飼っている友人の家に遊びに行った。
    基本、犬は私の天敵である。犬に吠えられたり絡まれたり咬まれたりした覚えはあっても、犬に
    愛された覚えが無い。こちらが怖がっているのが相手に分かるのだろう。去年の秋など散歩中の
    知らない犬にいきなり咬まれ、脛に丸い傷が付いた。
    ところが友人の家の犬は、とても穏やかで私がこわごわ撫でると気持ち良さげに目を閉じていた。
    これは私にとって快挙だったといえる。
    未だかつて夢に出てきたことの無い犬が登場したのはそのせいだろう。

(ゆめ)ここ数日、犬に餌をあげていなかった、まずい。
(解釈)私は動物や植物を育てるのが極めて苦手である。
    何度か金魚を飼ったことはあるが、ちゃんと世話をしていたつもりなのに、いつも早めに全滅した。
    庭にある花は、白粉花とかアヤメに似た白い花とか、放っておいても見事に花をつける種族だけだ。
    とはいえ、預かっていた犬に餌を与えないとは…。自己嫌悪ものだ。
    ここ数週間やることが沢山あり、どうにかこうにか乗り切ったことも関係しているかもしれない。
    一週間、母の見舞いに行けていないこともある。

(ゆめ)私はキッチンに降りて行く。父が犬にパンを与えている。
(解釈)父は私にとって難しい存在だ。大きな呉服屋の派手な店主から、落ちぶれて他界するまでの父の人生は、
    いろいろな影を投げかけてくる。でも父を否定しているわけではない。

(ゆめ)水もあげなくちゃ、と深皿に水を入れて犬に与える。犬は嬉しそうに飲んでいる。父がパンを牛乳に
    浸したものを差し出す。
(解釈)父も動植物を育てるのが苦手だったと思う。父に欠落していたものは、私にも欠落している。 
    私が何とかここまでやって来れたのは、母の血が流れているせいだ。気遣いとか気配りとか。
    私の場合、母のように完璧ではなく、タイミングが合わなかったり押しつけがましかったりするが。
    牛乳に浸す…というテイストは父のものではなく、母のものだと思う。

(ゆめ)犬はとっても美味しそうに牛乳に浸したパンを食べている。
(解釈)父(パン) + 母(牛乳) =牛乳に浸したパン 
    すなわち、牛乳に浸した美味しいパンは「私」なのである。
 
めでたし、めでたし。ってことにしておこう。

ね・む・い

2010-11-19 10:30:08 | 私というヒト
どういう風の吹きまわしだったのか、5月末に<お試しレッスン>をして6月から入会した
フィットネススタジオ。周囲の予想と自分の予感を裏切って、まだ続いている。
スタジオには8種類の筋トレマシンと8つのボードがサーキット状に交互に置かれていて、
これを3周するだけ。
するだけ…と言っても最初は大変だった。ボードの上では、インストラクターの若いお嬢さんの
動きに合わせて運動するのだが、運動音痴の私には難しい。右足を蹴り上げ、左腕を伸ばして
パンチ…こんな簡単な動きも「あれ?右足と一緒に右腕が出ちゃった(汗)」みたいなことになった。
でも今ではだいたい出来る。

スタジオまでは片道25分の道を往復歩いている。
夏の暑い日はさすがにつらかったが、帰り道は夕方の風に吹かれて快かった。
気持ちの良い秋の日は駆け足で過ぎ、今はもう冬。一汗かいたあと外に出ると、ひんやりとした
空気が爽やかに感じられる。

最近は規定の3周だけでは足りず4周することも多くなった。それでも本格的なジムで鍛えている
友人からは「やらないよりはマシじゃん」と笑われるが、私はこのサーキットトレーニングが
かなり気に入っている。女性ばかりで気楽できれいだし、トレーニングのあとに手足を浸す
ゲルマニウム温浴も気持ちが良い。

本格的なジムにも何度か足を運んだ。ジムって男女一緒なのね、マッチョなオジサマたちが
のし歩いていて何だか気後れした。しかもマッチョなオジサマのあとに筋トレマシンを使うと
機械がビクともしないのだ。それぞれ負荷が違うから、いちいち調整しなくてはならないのが
面倒臭い。だから当分は今のスタジオで頑張るつもり。

体重は2キロ減って、あとは変化なし。シッカリ食べてお酒も遠慮なしに飲んでいるから
ダイエットにはならないんだろう。二の腕の肉もトレーニングの甲斐なく羽二重餅のように
柔らかい。ただ身体の動きは軽くなった。
困るのはすぐに眠くなること。トレーニングして温浴して駅ビルや途中のスーパーマーケットで
買い物して往復50分歩くのだ。以前の私には想像も出来ない運動量。
帰宅して夕食と共にビールを一缶飲むと(飲むな!)もう眠くてたまらない。

運動して食べて飲んで寝る。これではお相撲さんのようになってしまわないか。
などなど課題は多いが前進あるのみである。

盛り下がるな!

2010-07-02 10:20:03 | 私というヒト
子育て期間中に出会ったある奥様。苦手なタイプだった。
子供たちの行事などで「~しましょう!」「~してくれませんか?」などと提案や依頼をすると、
必ず眉をひそめて「ええ~~っ?」っと否定的な返事をした。
ずっとそんな風に生きて来たんだろうか。その人の顔には「ええ~~っ?」と言うときの
不機嫌そうな表情皺がくっきり刻みつけられていた。

3人の子供を育てたから、PTAの委員とか子供会の雑用とかナントカ当番とか、やりたくない仕事は
常に追いかけてきた。
子供たちに友達を作ってほしくて、好きでないタイプのママたちと一生懸命お付き合いしたこともあった。
「ええ~~っ?」と、盛り下がりたくなることは確かに幾つもあった。

子育て真っ最中の頃、ある友人に言われたことがある。「ピュさん、表情が柔らかくなったね。」
そのときは嬉しかった。
OLだった頃の私は「プチ個性派」を気取っていて、好きでない人に愛想を振りまくことは滅多になく、
好きな人とだけ付き合っていた。面倒な仕事をわざわざ買って出ることも無かった。
その頃の私を知っている友人の言葉だったから、よけい嬉しかった。
子育ての大変な時に何かを学んで柔らかい表情になれた自分を褒めてあげたかった。

でも子供たちのお受験時代に、私の表情はきつくなったと思う。あの頃の自分は嫌いだ。
少し遅れて生まれた三女に対しては「教育ママ」にならなかった。皮肉なことにその三女が一番、
学ぶことに積極的になった。

失敗もしながら、すったもんだで今日まで生きてきて、私は再び「プチ個性派」の人生を歩んでいる。
でも若い時とは少し違う。なるべく人と上手くやって行こうと思っている。自分を殺さない程度に
柔和でありたい。
お誘いがかかったときは「ええ~~っ?」と言わないことにしている。
そうしているうちに私のスケジュール帳は楽しいことで埋まるようになった。
好きな人たちから声がかかるから断る理由がないのだ。

もちろん時間やお金のやりくりは大変だし、上手くもないギターで誘われれば必死に練習しなくては
ならない。スペイン語の維持だって楽ではない。
でも後ろ向きにだけはなりたくない。

この歳になったら、人生を楽しむためには自ら積極的に盛り上がるしかないのだ。
そして、盛り上がろうとしている人たちを応援することも大切だと思う。

まだ引っ込みたくない。

私が働かない理由

2010-06-15 14:46:01 | 私というヒト
サッカーのワールドカップ、日本代表はカメルーンに勝利して初戦を飾った。
昨日まで冷めた目で見ていたのに、一夜にして熱狂的なファンになった人も多いと思う。
私もそうかもしれない。でも選手たちはそんな浮かれた風潮には目もくれず、黙々と身体や心の
トレーニングを積んでいるんだろう。頑張れ!

日韓のワールドカップは、もう8年も前のことだそうだ。何だか信じられなくて2002年の手帳を
見たら、6月14日のところに<日本vsチュニジア 食堂観戦>とメモ書きしてあった。
ああ、そうか。あの頃は銀行に勤めていて、私たちパートスタッフは午後4時に仕事が終わった。
帰宅後では試合に間に合わない。仲間4人で飲み物を買ってきて銀行の食堂でテレビ観戦したのだった。
正規の行員さん達はまだ働いているのにね。
翌週の21日の欄には<営業チームと飲み会>と書いてある。
もちろん遊びに行っていたのではない。一生懸命働いた。それを認めてくれて友達になってくれる
職場だった。あの頃は当たり前みたいに思っていたけれど、ありがたいことだった。
若くて可愛かった行員さん達。今も年賀状を貰う。赤ちゃんを抱いている写真付き年賀状もあれば、
「相変わらず銀行で頑張ってます」と書いてあるのもある。8年か…。

親しい仲間たちがそれぞれの事情で退職して行き、私も自然に木の実が落ちるみたいに辞めた。
楽しい送別会もしてもらったし、そのあとも皆と良い関係が続いたから円満退職だったといえる。

銀行を辞めてから思いがけない心理状態になった。家でのんびり過ごしている自分が許せない、みたいな。
結婚してから、子育てに追われ仕事と家事に追われ、忙しく暮らしていたから、ノンビリ暮らしに慣れて
いなかったんだろう。毎日、何かしら仕事を見つけて動き回っていた。
今日は引き出しの整理。今日は洗面所の掃除。今日は衣類の片づけ...。
銀行をやめるとき、使われなくなったA4サイズの封筒を何束も貰った。その封筒を切り貼りして、
スペイン語サークルの通信用にと小型の封筒を作った。全ての封筒を処分したとき思った。
働こう。

次に行った職場は民営化が騒がれていた○○○。苦情処理係だった。
銀行という所は全てを把握している先輩や上司がいたから何があっても困ることはなかったが、
○○○は縦割り職場なので、自分の係のことしか分かっていない。隣の係のことは何も知らないのだ。
それに皆、忙しいから親切に教えてくれない。
行方不明の小包(あ!)一つ探すのに、だだっ広い○○○の中を走り回る。
まだ到着していないのかもしれない。配達員(あ!)が持ち出している最中かもしれない。
宛先不明のカゴの中にあるかもしれない。料金不足の係員が持っているかもしれない。
不在持ち帰りの棚にあるかもしれない。その辺に転がっているかもしれない。
私は探し物名人になった。
ところがオバサンがフーフー息を切らして走り回っているのを、超ミニスカートのお嬢さんが、
せせら笑って眺めているのだ。○○○という場所は、何も出来なくても、超ミニスカートの若い子なら
優遇される世界らしかった。
大型荷物の配達のオジサンが言った。「俺たちゃ、落ちこぼれ。」
○○○で働いたおかげで、頑固なオジサン達とうまくやって行くすべも覚えたし、残業や休日出勤もして、
ギターのテオドロを買っても余るくらいの貯金も出来た。
辞めたのは最後に任された仕事が、あんまり無茶苦茶だったから。
○○○というところはホントに凄い職場だった。

○○○を辞めたら、もう働く気持ちが無くなり今日に至る。 

(いえ、あの...、私のいた○○○は特別だったんだと思います) 
         

今日も元気に

2010-06-01 07:04:42 | 私というヒト
私もずいぶん「いい年」になっちゃったけど、まあ充実した日々を送っているんじゃないかなと思う。
子育てが一段落してからは(いや、彼女たちとの付き合いに一段落なんて無いのかもしれない。
心配の種は今もある。でも時間的に解放されているのは確かだ)何かしらを人生にプラスしながら
生きてきた。

三女が小学校に入学したのを機に働き始めた。まだPTA活動や進学問題は山積していたが、
社会復帰は新鮮だった。
仕事に慣れてからスペイン語の会話学校に入った。そこで出会った人たちは私よりずっと若かったが、
私を友達扱いしてくれた。そのことがどれだけ自信をくれたか、彼ら彼女らには感謝している。
若い人たちは郷里に帰ったり結婚したり、海外に行ってしまったり行方不明になったりいろいろだが、
東京にいる数人とは今も一緒に勉強したり飲みに行ったりしている。

それから、ずっと忘れていたギターを弾きはじめ(うん?その前に一年くらい津軽三味線を習った。
そこそこ上手くなったけれど、基本的に西洋音楽が好きだから続かなかった)地元のギター合奏団に
入った。あれから7年くらいたつ。

ギター合奏をはじめたことが、それからの私の道を大きく変えたような気がする。
もしパッチワークとかヨガとかをやっていたら、私は今みたいじゃなかったろう。今みたい...というのは
酒飲みでお出かけが好きなオバサンってことだけれど、お酒もお出かけも、だいたいの場合は
ギターやスペイン語がからんでいるから、ただの不良オバサンではないと自負している。

フラメンコギターをかじり、カンテ(フラメンコの唄)や唄伴奏の教室に入って、結局は挫折したり
しながら、フラメンコ界にも知り合いが出来た。
フラメンコ人種はちょっと匂いが違う。昼より夜が似合う。フラメンコの道を歩いている人たちは
一匹狼で少しワガママでひたむき。
私はもうフラメンコは挫折したから、彼らをニコニコ応援できればそれでいい。

2年前に始めたフラメンコギター合奏だけは続けたいと思っている。
こちらはガチガチのフラメンコじゃなくて柔軟性があるから面白い。
先日の練習にはソプラノ歌手の女性がいらしてスペインや南米の曲を歌って下さった。
フラメンコで使われる打楽器カホン(写真)も教えていただいた。

ギター合奏が楽しくて、地元合奏団に飽き足らずA合奏団に入団したのが3年半前。
ここではいろいろあった。合奏そのものはレベルも高く楽しかったが、皆の思いや感情が礫のように
飛んできて痛かった。今はやっと落ち着いている。
先日は老人ホームで慰問合奏もした。お年寄りたちは、日本の歌曲を弾くと一緒に口ずさんでくれた。
行進曲では手拍子が(テンポ合わなかったけど)湧きおこって温かい気持ちになった。

これからの予定。
6月19日 松戸で5つのギター合奏団が合同コンサート
6月末   大学時代のギターサークルの仲間たちと合宿。
      一応ギター持参で、ちょっとした合奏をすることになっている。
7月初め  地元合奏団のトップギタリストのコンサートで重奏のお手伝い。
老人ホーム慰問も時どきあるらしい。なるべく参加しよう。

先週からフィットネススタジオにも通っている。
ストレッチ体操→筋トレマシン8種類→ゲルマニウム温浴→ストレッチ体操。
こんなに自主的に運動したことはかつて無い。スタジオのある駅まで往復歩くようにもしている。
胸を張ってスタスタ歩く私。新しい自分に出会ったみたい。

がんばりたいこと。ギター2重奏「センテナリオ通り」。初めて聴いた時からずっと好きだった。
一緒に弾いてくれる人が見つかったので一生懸命練習している。

この調子で行けたらいいな。

本音について考える

2010-02-11 11:51:02 | 私というヒト
銀行で働いていた頃、私たちパートスタッフは概ね3つのタイプに分かれていた。
仕事一筋のクール派。上司をも恐れぬ本音言いまくり派。周りに気を遣う奥さま派。
ありがちな派閥対立は無く平和だった。

私は本音言いまくり派の一員だったが、奥さま派の女性たちともまずまず仲が良かった。
一緒に飲んだり喋ったりして面白かったのはもちろん本音言いまくり派だった。
飲んで言いたいことを言って楽しかった。

ところが銀行をやめて何年かたった今、私の心に寄り添っているのはどちらか?…というと、
これが意外なことに奥さま派の女性たちの方なのである。彼女たちとお茶をしながら、心優しい
午後を過ごすのは快いし、声高には語らないが皆それぞれの道を持っているのも頼もしい。
そういえば高校時代からの友人たちも、そんなタイプだ。

本音言いまくり派の友人たちとは、全員が銀行をやめてからも時どき会っては飲んでいたが、
いつの間にか連絡を取り合わなくなってしまった。なぜだろう…。思うに、私たちは本音で
ワイワイ喋っているうちに~意識はしなくても~互いに少し傷つけあっていたのかもしれない。
お互いに本音を言っているのだから何を言っても構わない…と、言葉が過ぎたのかもしれない。
知らず知らずのうちに、心の柔らかい部分が疲れてしまったんだろう。
調子に乗ってヒトの批判もたくさんした。本音言いまくりの飲み会では、悪口の方が面白いに
きまっているから。そんな自分に少し嫌気がさしたのかもしれない。。。

本音にも思いやりや自制が必要だと思うようになった。

すなわち私の中には、本音言いまくり派の血と気遣い奥さま派の血が、静脈と動脈のように
流れている。どちらが私らしいのか、どちらでいることが好きなのか。答えは出て来ない。

人は優しい人といると優しい気持ちになれる。誰かの話を一生懸命聞いていると、その人を
理解できるばかりでなく、その人もこちらを理解してくれるようになる。
昨日はそんな人とお喋りをして楽しかった。
ところが人生は、そういう上品なお菓子みたいな味わいばかりではないのだ。
優しくない人もいるし、自分のことばかり語って相手を理解しようとしない人もいる。
人間関係の摩擦がストレスを生み、どこかで本音をぶちまけないではいられなくなる。
そしてストレスが本音になると思いやりや自制のブレーキが働かなくなる。
自分だって、いつも良い人でいられるとは限らない。
上品なお菓子より明太子味の「うまい棒」が食べたくなる時もある。
人も私も時に難しい。

本音は大事だ。
嫌なものや間違っていると思うものに迎合したくない。
ブリっ子オバサンになりたくない。
違和感のある世界に切り込んでストレスにまみれて本音をぶちかますのも悪くない。

でも、優しさというトッピングは、いつも心のポケットに忍ばせておこう。


ほとほと

2010-01-28 09:50:04 | 私というヒト
自分のことが、ほとほと嫌になるときがある。昨夜のような場合だ。

昨夜はフラメンコの若い友人がタブラオ(フラメンコのライブが楽しめるレストラン)で唄うというので、
応援に行った。
店は一度だけ行ったことがある。そのときは酔っていたし友人が案内してくれたから、良く覚えていない。
前もってネットで場所を確認する。新大久保から大久保に向かって歩くとタバコ屋があり、そこを右折。
駅から徒歩2分とある。楽勝だ。

新大久保駅に着くと、大久保駅方面に歩きだす。このあたりは韓国料理店が軒を並べていて、歩道にも
ニンニクと香辛料の入り混じった美味しそうな香りがたちこめている。
夕食は作っただけで食べていない。まあいいや、そのタブラオは料理も豊富な店だということだから、
あちらでスペイン料理をつまむことにしよう。

右折するはずのタバコ屋はまだかな。コンビニの脇に「酒・たばこ」という大きな看板が出ている。
うん?最近はタバコ屋もめっきり減った。もしかしたらコンビニに鞍替えしたのかもしれない。
パソコンの情報は当てにならないことが多いし。そこを右折してしばらく歩くが、韓国料理店ばかりで
タブラオは出て来ない。しまった!やっぱりタバコ屋を探すべきだった。
通りに戻って、さらに大久保を目指す。もう7分くらい歩いているがタバコ屋は無い。

タブラオに電話をかけてみる。オーナーらしき声が出る。「ホテル・マリンとタバコ屋の角の細い道を
入って下さい。」
ギタリストのオーナーが電話に出たというのは、まだショーが始まっていないということ。よし、もう一息。
さらに歩くがタバコ屋は無い。誰かに聞こうにも、この辺りを歩いている人は日本語をしゃべっていない。
もともと韓国人が多かったうえにヨン様ブームで拍車がかかった。

途方に暮れていると、昔ながらの洋品店があり店主と思しき優しげなオジサンが立っている。
「あのう、ホテル・マリンってこの辺りにありますか?」
「聞いたことあるような気がするけど…。ホテルだったら、あっちにたくさんあるよ。」
そ、そうか。ここは新大久保。ホテルといえば、そのテのホテルだ。
「いえ、私の探しているのは、そういうホテルじゃなくて!!」などとしどろもどろになって、先に進む。
よく「駅から徒歩10分」とか誇大広告があるよね。実際は20分以上かかったりするのだ。

しばらく歩いて、大きな通りに出る。通りの向こうは暗い。さすがに心細くなってきた。
日本人らしいオバサンが通りかかったので聞いてみた。「大久保駅はまだですか?」
オバサンは呆れたような顔をして答えた。「大久保駅は反対方向ですよ。新大久保に戻って、その先。」

は?私は大久保とは反対方向に、ぐんぐん歩いていたのであった。

方向音痴なうえに思い込みが激しく、どんどん違う方向へと歩いてしまうのは若い頃からの癖で、
この歳になっても治らない。
他のことではもう少し勘が働く。スペイン語の勉強会では、予習で間違った解釈をしていても、
皆の意見を聞きながらその場で機敏に軌道修正出来る。その他のことでもそんなにヘマはしない(…と思う)。

我が方向音痴との付き合いには、ほとほと疲れた。

さて、タブラオに着くと1時間近く遅れたにもかかわらず、まだショーは始まっていなかった。スペイン流?
ワインを頼む。歩き疲れてお腹がペコペコなのだが「食事はショーの後ね。」とオーナーはにべもない。
若い奥様と離婚調停中とかで、厨房はひっそり寂れている。はあっ…。

でも、ひさしぶりにA子ちゃんの元気な歌声が聴けて良かった。スペイン語もイイ感じだ。
カンテ(フラメンコの唄)の道を歩むことは楽なことではない。本格的な需要は少なく、優秀なライバルたちが
頭角を現している。
好きなことを続ける…というのは時には辛い。辛いけれど好きだから歩き続けるんだろう。
人間てのは。

捻挫、バンザイ

2009-09-30 19:56:35 | 私というヒト
よく「お洒落は足元から」などと言われるが、別にそう思わない。
とりあえず歩きやすい靴で、ヘンテコでなければ良いと思っている。
OL時代は踵の高い、格好良い靴も履いたが、満員電車で長く立っているのは地獄の
苦しみだった。先の細いデザインは私の足をいじけさせ疲れさせるばかりだったし、
靴ずれの痛みは頭の先まで響いた。
結婚してすぐに子供が出来たから、以来、ハイヒールの靴を履いたことが無い。
靴にお金をかけることも無い。同じお金を使うなら洋服を買った方がいい。
だいたい私の足元なんて誰も気に掛けないだろう。

そんな私が今年は1万円くらいの靴を2足買った。これは空前絶後ともいえる贅沢だ。
1足は「カロリー消費スニーカー」なるものでダイエットのために購入した。体重は
相変わらずだが、良い靴は歩いていて気持ちが良い。カロリー消費に役立つ靴底を
入れると効果的なのだが、少し疲れる。
もう1足は、友人の結婚披露パーティに出席するために買った。黒以外のマトモな
靴を持っていなかったので。渋い金色でシンプルなデザインが気に入った。
ローヒールで歩きやすい。11月には地元の合奏団の、来年1月にはA合奏団の演奏会も
あるから、思い切って大枚をはたいた。

先週の金曜日、この渋金の靴を履いて出かけようと思ったのだが、なにしろ1万円だ。
ラフな飲み会には勿体ないと、安い方の茶金の靴を履いて出た。
(金色は比較的好きなのである)。踵がすり減っているのは分かっていたが。。。。

月に一回のフラメンコパーティには毎回、日本のフラメンコ界の大御所や、思わぬ
ゲストが参加する。師匠はカンテ(唄)とギターの先生だから、唄とギターがメインの
パーティだが、バイレ(踊り)の参加もあり賑やかになる。豪勢なメンバーの割には
3000円会費で、やりくりは大変。幹事のFさんが予算内で素敵なひとときをアレンジ
してくれる。が、酒飲み揃いの集まりだから(含む私)、お酒が足りなくなる。
後から来た人の会費でお酒の追加。私は千円札を数枚握りしめ、おぼつかない足どりで
お酒を買いに行った。

お酒の買い足し係は、他の集まりでもよくやっている。楽しく飲んでいる最中に、
お酒が足りなくなると居ても立ってもいられなくなる性分なのだ。いつもは無事に
役目を果たすのだが、この日は踵のすり減った靴を履いているのを忘れていた。
コンビニの前でズルっと滑った。目から火が出る衝撃と痛さをヤセ我慢して、何事も
無かったように立ち上がり、ワインを買い、宴会に戻り、ワインを飲み、片付けも手伝って、
どうやって帰ったか覚えてないが無事帰宅した。
夜中に水を飲みに行こうと立ち上がろうとして立てなかった。骨折だ、何回目だろう。

翌日よたよたと整形外科に。「酔って骨折なんて、今度ばかりは同情しないからね!」と
娘は冷たい。レントゲン室の若い先生に「またですか。」と笑われる。
ところが今回は思わぬ展開。「あれ、あまり腫れていませんね。骨折じゃないかも
しれませんよ。」
捻挫、バンザイ。全治2週間である。たったの。

はりきって買い出しのお手伝いをしたのには、別の訳もある。
しばらくフラメンコクラスを休むことにしたのだ。2つの定期演奏会のレパートリーを
抱えて目いっぱいになってしまった。もともとサボりがちな上の休会だから、師匠に
見放されても仕方ないなと思っていたら、パーティにも誘っていただいたし、
「ギターの力を付けるのは、合奏もフラメンコも同じ。頑張りなさい」と励ましも
いただいた。嬉しかった。

というところで、フラメンコのお友達のA子ちゃんからメールが来た。
明日スペインに立つのだ。行ってらっしゃい。気負わず楽しく唄の勉強をしてきてね。

酔っ払いオバサンの私の周りには、素敵な人がいっぱいいるなあ。

「私たち」でもある「私」

2009-09-07 14:06:03 | 私というヒト
前回のブログ記事でジャズプレイヤーの名前を間違えて書いてしまった。
すぐに友人がメールで教えてくれて訂正出来た。遠くに住んでいる友達だが、いつも
ブログを読んでくれている。ありがとう。
先週はずいぶん沢山の人に会ったし、メールやこのブログのコメントでもいろいろな
お喋りができた。現在・過去の友達や仲間は、私の人生の歴史であり財産だと思う。

月曜日はフラメンコ関係で知り合ったSさんとランチ。Sさんは自然回帰・エスニックを
テーマとするミュージシャンで、最近はアラブ系の音楽を創作している。
その中の一曲の歌詞をスペイン語でフラメンコ風にしたいということで話をした。

私は、こんな感じを考えた。
Que quieres que te traiga que voy al pasado
  俺は過去へと向かうが、何を持ち帰ってほしいのか?
Que quieres que te traiga que voy a la llama 
  俺は炎へと向かうが、何を持ち帰ってほしいのか?

Soy el vagabundo de la tierra de olvido  
  俺は忘却の大地を放浪する者
Soy el vagabundo de la mar de olvido  
  俺は忘却の海を放浪する者

Mis suspiros son de fuego que te van a abrasar 
  俺のため息は、お前を焼き尽くす火だ
Mis llantos son de fuego que te van a arruinar 
  俺の嘆きは、お前を滅ぼす火だ

いくつかの伝承のフラメンコの唄をベースに、曲のテーマ[火]のイメージでまとめてみた。
言葉で遊ぶのは大好き。Sさんが歌いやすいようにさらに変えてもらって、完成したら
ライブを聴きに行こう。
彼女と二人だけで会うのは初めてだったが、お喋りが弾んで楽しかった。
彼女の生きてきた道や追いかけてきたものは私とは違う。
これからもっと極めて行こうとする情熱を感じる。
彼女といると、窓の外の雨の街が別の世界に見えた。

木曜日は地元のギター合奏団の練習日。復帰後は、会長と同じパートで弾いている。
以前彼は指揮者だったから、その演奏を近くで聞くのは今回が初めてのこと。
思い入れたっぷりでも無く、音にこだわることも無い。淡々と弾いていて上手い。
あらためて見回すと、この合奏団には上手い人が多い。コンクールで賞を取った人もいる。
何かが足りないとしたら「洗練」だと思う。しかるべき指導者が来たら、レベルは
格段に上がるだろう。でも、このサークルに「洗練」を押し付ける必要があるのかな。
30歳代から80歳に近い人まで、異なったレベルの人たちが、皆で考えながら
練習しながら一歩ずつ定期演奏会を目指すのもいい。「洗練」を追い求めるあまり、
誰かが疲れてしまったり脱落してしまったら何の意味も無い。
私はここで、元気いっぱいに弾いている。

もう一つのAギター合奏団の練習は昨日だった。
この合奏団には「洗練」が自然に身についているような気がする。何故だか分からないけれど。
そこが魅力で2年半前に入団させてもらった。
今は来年の定期演奏会のメイン曲「アランフェス協奏曲・第一楽章」を練習中。
久しぶりに新人さんが入団して夜は賑やかな歓迎会になった。

先週のメイン・デイは土曜日。渋谷でスペイン語の勉強会4時間。2つのクラスで
読んでいる小説はどちらも興味深いシーンで、皆の熱心さが嬉しい。
終了後は新宿から特急快速に乗って八王子へ。八王子ってすごく遠いのかと思ったら
特快で37分。しかも最後まで混んでいた。送ってもらった手書きの地図を頼りに
目的の家へ。角にあるはずのコンビニが無くて、ずんずん先へと行ってしまった。
途中で怪しい…と思って引き返す。
15年以上ぶりに再会した友人との、最初の会話。
「コンビニ、無かったじゃん(o`O´)=○゛」
「あ、ごめん、ごめん、2~3日前につぶれたんだった“f(^□^;) 」
大学時代のクラシックギターサークルの仲間や先輩たちとの久しぶりの集まりだった。
皆それぞれの人生を歩んで、それぞれに年を取っていたけれど、肩の力が抜けた
飄々とした雰囲気は変わらない。全員が(私も)お土産にお酒を持参したっていうところも、
私たちらしい。
思い出話のBGMは、先輩が選んだキース・ジャレットとトマティートだったが、
それは私がいつも聴いているアルバムだった。

私は現在も過去も、「私」であると同時に「私たち」なんだと思う。

火の車に乗ってドライビング・マイ・ライフ

2009-05-11 09:55:37 | 私というヒト
金曜日、大きな虹を見た感激をブログに書いたが、同じ気持ちを味わった人が沢山いた。
このgooのブログにもmixi日記にも虹のことを書いた記事が少なくなかった。
暗いニュースの多い毎日だけれど、虹を見て幸せを感じた人がいっぱいいる。
人間、まだ捨てたもんじゃない。
<虹を見たかい>という題名の記事を幾つか見かけた。すぐにピンとくる。
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの名曲<雨を見たかい>をもじったものだ。
Have you ever seen the rain…が何度も繰り返される曲。雨は爆弾を意味している。
反戦歌なのだ。
同じ時代、同じ価値観や興味を抱いた人たちだけに分かる言葉がある。想い出の扉を開く鍵。



土曜日はスペイン語クラスの日だった。帰りはクラスの人たちと久しぶりにワインで乾杯。
和やかな1時間を過ごしたあと、前日急に決まった次の飲み会へ。
以前通っていた語学学校の仲間3人で楽しいひととき。
1998年から2年くらい通っていたその語学学校で、若い友達が何人もできた。
彼らと友達になれたことで自信がついたのだろう。それからは職場でもサークルでも、
素直に心を開いて溶け込む自分になることが出来た。
土曜の夜も当時そのまま、笑ったり他愛ないお喋りをしているうちにあっという間に
時間が過ぎてしまった。お酒はビールの中瓶2本、梅酒ロック1杯、芋焼酎ロック2杯。
肴は少量かつ野菜系を注文するように努めた。が、帰宅して体重計に乗って顔面蒼白。
木曜日には定期健診がある。せっかく正常に戻ったコレステロールが増えたらどうしよう。。。

体重だけではない。引き出しから封筒を取り出して「う~ん」とつぶやく。
その封筒には私が今月使えるお小遣いが入っている。表には予定の使途が記入してある。
今月は収支同額だったが臨時の飲み会でバランスが崩れた。
正式に働いていないが少し収入がある。それに家計から貰う主婦のお小遣いを
足したものが私の一カ月の遊興費。
ギター合奏団の会費(どこもプロの指導者がいないので会費は安い)。
練習に行くための交通費(これは馬鹿にならない)。
A合奏団には反省会と称する飲み会がある(これは、ますます馬鹿にならない)。
月一回のぶっとびフラメンコ合奏団は500円の会場費だけ(でも千葉県なのだ(-_-;))。
フラメンコクラスは月謝だから辛い(元が取れるように練習しなくちゃ(>_<))。
月に一回のフラメンコ宴会(これは価値ある宴会だからハズしたくない)。
これらに加えてコンサート(高いのには滅多に行かない)、女友達とのランチ、
臨時のお出かけ、想定外の飲み会は必ず幾つかある。。。毎月、火の車。
ギターを持たないときは駅までバスに乗らず歩いて行く(バス代って高いと思う)。
へそくりには手を付けない(ギターのテオドロを買った残りは死守したい)。
ときどき家計から拝借する(内緒)。

世の中には私みたいにあちこち出かけず、まして飲み会になど滅多に行かない奥様も多い。
私はどちらかと言えば不良主婦かも知れない。
でも自分の生き方を変えることはできないだろう。好きなことにはヘタクソでもまっしぐら。
想い出にこだわる。友達は大切。仲間とのひとときが楽しい。

お抱え運転手つきの車は要らないし縁もない。1年後も10年後も火の車に乗って、
「さくら水産」や「魚民」で乾杯している私でいられたら嬉しい。