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私の毎日と心に浮かんだこと

ジューダス・プリーストな日々 ~その2・冥土の土産に聴いてみるか~

2009-09-17 10:31:01 | 音楽・演劇・絵画・映画
私はよくArthurさんのブログを読みに行く。
音楽、映画、食べ物、飲み物、建物、少年時代の思い出…、豊富な話題が楽しいし、
理知的で冷静でありながら独特な感性やユーモアがあるのも面白い。が、残念なことに
スルーせざるを得ない話題が一つだけある。エレキギター。レスポールとかフェンダーとか
私には理解不能な言葉が出てきて当然コメントは出来ない。

その日、珍しくエレキギターの話題にコメントしたのは内容を理解したからではなく、
単にロック・バーに行ったこととジューダス・プリーストなる謎の固有名詞のことを
書きたかったからだった。
すぐにUGさんからコメントがあった。「メタルゴッドをご存じないですか!!」

メタル…へヴィメタル。黒革の衣装で、やたらうるさくて悪魔的な演奏をする人たちね。
しかもメタルの神様ですと? はあ、スルーしましょ。と思いつつも、冥土の土産に
一つくらい聴いておくかとYoutubeを開く。まさに<Metal Gods>という曲があった。
そして私はジューダス・プリーストなる人たちに出会ったのだった。
http://www.youtube.com/watch?v=YeqsR314erg

最初に現れるのがボーカルのロブ・ハルフォード。金属の鋲がたくさん打ち込まれた
黒革の服に身を包み、自信と快感に舌なめずりをするような表情で
「メタルゴッドである俺様たちの<Metal Gods>を聴けよ!」とか言っている。
(嘘です。英語分かりません)
曲が始まると、胸をはだけた長髪のギタリスト(グレン・ティプトン)、美しい金髪の
ギタリスト(K. K. ダウニング) のクローズアップ。髪をなびかせ身体を前後に
動かしながらギターを弾く2人の姿は理屈抜きでカッコいい。後ろには地味ながら
迫力のあるベースギタリスト(イアン・ヒル)もいる。
ロブ・ハルフォードの声はフラメンコのカンテにも共通する、やや枯れた高音域で、
歌いながら妖怪じみた動きをする。この4人のことは、なぜかすぐに気に入ってしまった。
ドラマーは上手いが目立たない。後で知ったがジューダス・プリーストのドラマーは
何回も変わっているので印象が薄いのかもしれない。

誰が発明したのか知らないがYoutubeというのはすごい。あらゆる時代とジャンルの
アーチストの姿を見、音楽を聴くことが出来る。世を去ったミュージシャンの姿がある。
56歳の若さで亡くなったダン・フォーゲルバーグも、若き日のパコ・デ・ルシアも、
遠い思い出の浅川マキも、やんちゃなビートルズもYoutubeの中にいる。
実はギター合奏をしている私だっているのだ。

私が最初に見た、この<Metal Gods>を歌い演奏しているジューダス・プリーストは
30年近く前の姿だ。そして今日に至るまで彼らの長い歴史がある。

UGさんが、彼らの音楽の流れを初心者の私に教えてくれた。
サイケロックからスタートして、プログレ風味のハードロック、そして時代を代表する
ハードロック/ヘヴィーメタルバンドとなり、さらにメタルを突き詰める。

ロックが他のジャンルの音楽と融合したり、革新的な実験を試みた「プログレ」は、
私にも少し理解できる。ピンクフロイドの音楽が好きだから。
プログレ風味(1970年代)のジューダス・プリーストのアルバムは『運命の翼~
Sad Wings Of Destiny』や『背信の門~Sin After Sin~』に代表される。
ドラマチックな曲や抒情的なメロディーもあって私好み。
『運命の翼』には<Dreamer Deceiver>という美しい曲が入っている。
『背信の門』にはディープパープルのメンバーもかかわっているから、さらに興味深い。
この『背信の門』で<Diamonds And Rust>という曲に出会わなければ、
私のジューダス・プリーストの日々も、そこで終っていただろう。(つづく)

ん?なんか本格的(*^_^*)

ジューダス・プリーストな日々 ~その1・彼らとのいい加減な出会い~

2009-09-13 23:09:50 | 音楽・演劇・絵画・映画
サークル仲間の息子さんが、ロック・バーを開いた。
ウイスキーやカクテルを味わいながらロックミュージックに耳を傾ける…。
これは是非とも行ってみなくちゃ…と、先月出かけた。渋谷駅から歩いて5~6分、
明治通り沿いの小さなビルの4階に店はあった。エレベータのドアが開くとそこは既に店内。
耳をつんざくようなロック音楽や派手な装飾を想像していたが全く違っていた。
茶色を基調にしたシンプルな店内はカウンター席とテーブル席、合わせて20人くらいの
スペースだ。奥の棚にはスピリッツやリキュールがお行儀よく並んでいる。
装飾らしいものは殆どない。壁のモニターの中で美しい金髪の男性がギターを弾いている。
押さえたボリュームで流れてくる曲には聴き覚えが無い。
店の隅にはエレキギターが立てかけてあった。

長髪を後ろで束ねたマスター。優しい笑顔はお母様に似ている。30歳の若さで
脱サラして夢をかなえたのだそうだ。サークルのマダムたちとの待ち合わせ時間より少し早く
着いたので、しばらくはマスターと二人だけだった。挨拶を交わしたあとは沈黙が流れた。

~なにか話さなくっちゃ(汗)。ここはロック・バー、思い切って聞いてみよう~

私「お好きなロックバンドは?」

~し・しまった。聞くんじゃなかった。ロックバンドの名前は幾つか知っているが、
詳しい話になったらついていけない!ビートルズだったら少しは語れるけど、違うな。
ビートルズファンだったら、店名に何かしらビートルズを連想させる言葉を入れるはず。
ローリングストーンズかな、私は<ルビーチューズデイ>や<Satisfaction>、
<黒くぬれ>の時代の曲しか知らない。ピンクフロイドならOKだけど違うだろう。
ディープパープルじゃベタすぎる。奇跡的にサンタナだったら任せて!可能性は低い。
ツェッぺリンだったら玉砕だ、「天国への階段」しか知らない。
あ~~、聞かなければ良かった~などと頭の中が走馬灯状態。

マスター、穏やかな口調で答えてくれた。「ジューダス・プリーストです。」

私「…(絶句)…???…」

~ジューダス・プリーストですとぉ?この長い人生で一度も聞いたことのない固有名詞だ。
でも何か言わなくちゃ、何を?そうだ、この際、笑いに持ち込もう~

私「え?ジーザス・クライストですか?(イエスなら名前くらい知ってるけど)」

マスター、真顔。「いえ、ジューダス・プリーストです。」

そこに待ち合わせしていたサークルの皆さんが到着。私、心の中で汗をぬぐう。
マスターのお母様は英語の翻訳の仕事をされている知的で可愛らしい女性だ。
開店のお祝いにとヴ―ヴ・クリコの黄ラベル~高価なシャンパン~をふるまって下さった。
夏の夕暮れ時にピッタリの清涼感。こっそりお母様に聞く。
「息子さん、ジューダス・プリーストがお好きなんですってね?」
「ええ、私はあまり聴かないんですけれど。でも変った名前ね。ユダと聖職者を
合わせている(Judas + Priest)なんて。」

~何?ユダといえばイエス・キリストを裏切った弟子だ。『ジーザス・クライストですか?』
っていう私の質問は、的外れなブラック・ジョークだったかも(再び汗)~

でも、そこからはカクテルタイム。
上品な奥様たち(含む私)はあまりお酒を召さない(私は召す)が、マスターのセンスで、
それぞれの口に合うカクテルが運ばれてきた。
私にはバーに行くと最初に注文するカクテルがある。年のせいで名前が思い出せない。
「あの…、バイクに関係する名前のカクテルを…」
「サイドカーね」と素敵なお姉さまのメンバーが助け船を出してくれた。

BGMはクイーンの<Bicycle Race>に変わっていた。これなら知っている人も多いだろう。

(つづく)

生存確認コンサートに行ってきました

2009-09-01 12:00:49 | 音楽・演劇・絵画・映画
昨年に引き続き<サマージャズフェスティバル>に行ってきた。
夏の終わりにジャズに浸るのも良いものだ。
昨年はベテランを中心に若手(天才小学生ドラマー大我くんとか)も多数出演したが、
今年は29日を若手プレイヤーの日、30日を往年のプレイヤーの日、と分けていた。
私が行ったのは30日。ピアニストの椎名豊やトロンボーンの片岡雄三ら、私好みの
大人のオトコたちは残念ながら29日。30日は大人のオジイサマたちが主流だった。
というわけで1933年生まれのクラリネット奏者・藤家虹二(ふじか・こうじ)さん曰く
「今年も生存確認コンサートにようこそ!!」

生存確認はプレイヤーだけじゃないかもしれない。客席は50年前の若者たちの熱気で
溢れていたから。私なんて、ここでは小娘だ。
ところが演奏が始まると年齢なんてぶっとんでしまう。ステージの迫力だけではない。
客席から絶妙なタイミングで「イエイ」と声がかかり、「ピューピュー」口笛も聞こえる。
70歳の叔母、さらに年上の叔父、今回お付き合いいただいたスペイン語仲間の奥さまも、
ノリノリで楽しんでいる。

プログラムはラテンジャズに始まりデキシー、モダン、スウィング…と飽きさせない。
今年はベニー・グッドマン生誕100年ということでクラリネットがフィーチャーされていた。

今年の私はスウィング・ジャズが妙に気に入った。スウィング・ジャズは世界大恐慌の後、
甘さや心の癒しを求める人たちの間で流行り出した…ということらしい。
私も選挙やら酒井法子やら湿気の多い夏に疲れていたのかなあ。。。
普段はモダン・ジャズを聞くことの方が多いけれど、ラテンもデキシーも楽しい。

ベテランたちの名演奏の中で異色だったのは、ハワイアン。昔はラジオやテレビで
ジャズと共にハワイアンが日常的に流れていたらしい。
それから山下敬二郎。「俺は肺気腫が4つもある。疲れるから本気は出さない。」と、
30歳くらい年下だろう綺麗な奥様に歌わせ、小学生の娘に踊らせ、見事に手を抜いていた。
それでも客席は拍手喝さいだから見事なものだ。山下敬二郎という人は、ロカビリーの
人気者で「ダイアナ」を歌った人。うん?ロカビリーって何だ?
70歳くらいだけれどテンガロンハットがお似合い。

最後は森寿夫とブルーコーツ、ビッグバンドを堪能させてくれた。
ゲストの歌手、ウィリー沖山は張りのある歌声で、もちろんお得意のヨーデルも
聴かせてくれた。この先、私の夏は彼のヨーデル「ユ~ロレイホー」を聴かないと
終わらなくなるような不安な予感。。。
最後はペギー葉山。豊満な胸を強調したドレスに赤いショールを羽織って登場。
去年も書いたけれど、ホントに華のあるスターだ。「もう○○ちゃんも、△△さんも、
空の彼方に行ってしまったわ…。」と他界したミュージシャンたちを惜しむ声も
身のこなしも優雅で美しい。

こうして6時間に及ぶコンサートが終わり、昔の若者たちと、少し?昔の若者の私は、
雨の街に散っていくのであった。

来年も、皆、元気でね。


http://www.nichionkyo.or.jp/summerjazz20090830.html

Jazzってやつは

2009-05-22 12:28:13 | 音楽・演劇・絵画・映画
初めてジャズのアルバムを買ったのは高校生の時だったか大学生の時だったか...、
いずれにしても練馬に住んでいた頃だった。商店街に堂々とした楽器店があり、
そこは私の憧れの店でもあった。最初のギターも教則本もその店で買った。
初めて買ったレコードは、母が大好きだった由紀さおりの『夜明けのスキャット』。

あのとき何故ジャズのレコードを買おうと思ったのか覚えていない。
ジャズのことは全く知らなかったから1時間近く迷った。で、最後に手にしたのが
チャーリー・ミンガスの<Pithecanthropus Erectus~直立猿人~>だった。
タイトルが面白いという単純な理由から買ったのかもしれないが、帰宅して聴いて
びっくりした。「こ、これがモダン・ジャズってものかあ!」。
ブン・ブン・ブン・ブンという野太いベースの音が印象的で、そこから展開する世界は
強烈で、コンセプトを感じた。
YouTubeで探した演奏を聴くと、初めて聴いたときの驚きが蘇る。
http://www.youtube.com/watch?v=CLGzE2_llNg
今聴くと、強烈と言うよりは大人で都会的な感じがする。
当時はチャーリー・ミンガスがベーシストだということさえ意識しなかったが、
その後ジャズのライブに行くといつもベースに目と耳が行ったから、何かしら啓示を
受けたのかもしれない。

ジャズの真髄については分からないまま、新宿や六本木のライブハウスに足を運んだ。
興味は渡辺香津美のギターや渡辺貞夫のサックスに移ったりしながら、ピアニストの
キース・ジャレットに辿り着いた。
キース・ジャレットのアルバム<ケルン・コンサート>を聴いたときの感動は忘れられない。
神様が降りてきたんじゃないかと思った。スペインを旅した時も、お弁当箱のような
ウォークマンに<ケルン・コンサート>のカセットを入れ見知らぬ土地の安宿で聴いていた。
キース・ジャレットは今も聴いていると、あっちの世界に連れて行かれるような気持ちになる。
<La Scala>のPartⅡ、12分50秒あたりから相当ヤバい。

私の住んでいる区では月に一回、区の小ホールでジャズのライブがあり、もう16年目になる。
ジャズファンの夫は最初の頃からよく聴きに行っているが、私は年に1回くらい
お付き合いする程度。昨日はピアノの椎名豊さんがゲスト出演するというので出かけた。
ジャズのことは相変わらず分からないが、椎名さんの大人の雰囲気が好き。
客席の前方はテーブル席になっている。各自お酒や食べ物を持ち込んで良いのだ。
テーブル席はいつも常連の年配の人たちが陣取っているが、昨夜は夫が早めに並んで
席を確保してくれた。私はビールやサラダや「銀だこ」のたこ焼まで買い込んだ(おいおい)。
かしこまって聴くよりお酒や食べ物を並べて聴くのが好き。
昨夜はサックスが2本(小池修、竹内直)の華やかな競演。リーダーの海老沢一博、
迫真のドラム。ベースはベテランの坂井紅介。椎名豊のピアノは心憎いさりげなさ。

たぶん私にとってジャズは一生「何となく好き」の域を出ないのだろうけれど、
ジャズを聴いているといつも思う。大人も悪くない。


ポニョはワルキューレだった

2009-03-13 16:22:25 | 音楽・演劇・絵画・映画
昔々のこと。神々の国を治めるヴォータンは、神様のくせに浮気性で、
結婚の女神フリッカという正妻がありながら、人間の女性との間に双子の兄妹を
もうけ、智の女神エイダとの間にも9人の娘がいました。この9人の娘たちは
ワルキューレと呼ばれています。彼女たちは、戦場で命を落とした戦士たちの中から
勇者を選び、神の城に連れて行くという役割を担っていました。
ワルは「戦場」をキューレは「選ぶ」を意味しています。
悪く言えば「死体選別運搬人」ということになりますが、天馬に乗って地上と天空を
駈ける女神たちの姿は凛々しく美しかったにちがいありません。
9人のワルキューレ娘の中で、父ヴォータンが特に目をかけ頼りにしていたのが
長女ブリュンヒルデでした。
実はヴォータンには深い悩みがありました。神々の国が間もなく黄昏(滅亡)を
迎えるという予感です。死んだ勇者たちを神々の国に運び、再び命を与えるのも
来るべき戦いに備えるためでした。
ヴォータンはかつて神の城の建設の代償として、建設を請け負った巨人に「指輪」を
与えていました。その「指輪」は世界を支配する権力と呪いが込められた曰く付き。
今は巨人の手元にありますが、もし敵の手に渡ったら…とヴォータンは心配なのでした。
ならば自分で取り返せば良いのですが、神のメンツもあり、うかつに手が出せません。
そこで人間の勇者を使って指輪を取り戻そうと考えます。自分と人間の女性との
間に出来た双子の兄ジークムンドに目をつけるヴォータン。
ところがジークムンドは生き別れになっていた双子の妹と偶然に再会し妹と知りながら
激しい恋に落ちている最中。しかも妹には夫がいて、明日はその夫と決闘なのです。
ヴォータンは可愛がっているワルキューレの長女ブリュンヒルデを呼び、決闘で
ジークムンドが負けてしまわないよう加勢を頼みます。快く引き受けるブリュンヒルデ。
ところが正妻のフリッカが現れ異議を唱えます。フリッカは夫の浮気性にムカついている上
結婚の女神ですから兄妹恋愛なんて許せません。
神様なのに恐妻家のヴォータンは妻に言いくるめられジークムンドを見殺しにする
決心をしました(実の息子でしょ!!)。
しかしブリュンヒルデは父親に反旗を翻しジークムンドを応援することにしました。
ジークムンドが決闘で勝利しようとした瞬間、父ヴォータンが現れ阻止したため、
ジークムンドは命を落とします。ヴォータンの怒りは娘ブリュンヒルデにも及び、
彼女は岩山に閉じ込められ、真の勇者が救いにくるまで「眠りの森の美女」さながら
眠りにつくことになるのでした。     
(ワーグナー「ニーベルングの指環・ワルキューレ」のストーリー。
「ニーベルングの指輪」はドイツや北欧の神話を元にワーグナーが作曲した楽劇)

ワルキューレの9人姉妹の中でブリュンヒルデだけが突出した存在で、父親から
目をかけられている…。これ「崖の上のポニョ」もそうだった。
同じ父と母(母は海の女神)から生まれたのに、大勢いる魚の妹たちはみんな
小ちゃくてホニャホニャしている。ポニョだけが大きくて行動力があって父親とも
タメ口をきいているのは何故?って思っていた。
でもワルキューレの話を読んで謎が解けた。ポニョはブリュンヒルデなのだ。
海の国で暮らしていた頃のポニョは父親から「ブリュンヒルデ」と呼ばれていた。
父親に逆らうところもソックリだ。北欧神話によると自らの意思で人間の妻となる
ワルキューレもいるそうで、人間の男の子ソウスケくんに恋をしたポニョは、
そんな可愛いワルキューレ。。。
「ソウスケ好き~~」と叫びながら嵐の中、魚に乗ってやってくるポニョは、
まさに「ワルキューレの騎行」じゃなくて「ワルキューレの魚行」でした。

と、しっかりお勉強したので、ワーグナーの「ワルキューレ全曲」をネット注文
することにした。名指揮者、クナッパーツブッシュの1957年版。
久々、ワーグナーに浸る日々になりそう。


ワルキューレは女神だった

2009-03-10 13:24:22 | 音楽・演劇・絵画・映画
フラメンコ好きなものだから、ノリの良いリズム系の曲が好み…と思われがちだ。
確かにビールのCMでお馴染みの「ボラレ」みたいな明るいフラメンコルンバは大好きだし
これでも高校生の頃からディスコで踊ったりしていた。
もちろん、しっとりした曲もクラシックも聴く。クラシックだって「カルメン組曲」とか
「ビア樽ポルカ」とか「ワルキューレの騎行」だけじゃないぞ。いろいろ聴く。
ワーグナーは「ラインの黄金」も「パルジファル」も「マイスタージンガー」も
全曲持っているんだから!って威張ってどうする…。
「ワルキューレの騎行」は一度聴いたら忘れられない曲だ。
騎行を非行だと思っていた友人がいた。「非行少年・悪キューレ」説が浮上して
皆で盛り上がった。でもワルキューレは男ではない。戦死した勇者を天界城へと
連れていく役目の若い女神だそうだ。天馬に乗って空を駈け上がる女神。カッコいい。
魅力的な曲なのに世間で滑稽な扱いをされていて、ワーグナーも草葉の陰で
ビックリしていると思う。

バッハが好き。バッハのどこが好きかというと、まず対位法だろう。
異なった旋律がそれぞれ独立しながら絡み合い調和して流れていくのを聴くのは、
とても心地よい。バッハの曲はギターでも弾かれるが、この対位法をきちんと弾くのは
至難の業だと思う。低音部は高い音のメロディーを下支えするのでなく、独立した
メロディーなのだ。二つのメロディーを弾き分けている演奏を聴くと、素晴らしいと思う。

ところで私の所属するAギター合奏団には、Y氏という才能豊かなアラフォー男子がいる。
昨年12月の定期演奏会では、彼が編曲した曲がアンコールも含め4曲もあった。
アレンジはラテン風だったりジャズ風だったりしてお洒落だし、コード展開も新鮮。
彼は作曲もする。この合奏団は年度初めに選曲会議をして、数ある候補曲の中から
投票でその年の練習曲を決めるのだが、Y氏の作る曲は編曲ほどの人気はない。
シャープやフラットが多くて弾きにくいのと、やや懲りすぎな感じが敬遠されるの
かもしれない。
でも私は彼が作った「湖の少女」という4重奏曲が大好きだ。まさに対位法を使って、
4つのパートのどこからでもメロディーが出てくる。高音が主旋律を奏でている時に、
低音のサブ・メロディーがグググッと浮かび上がって来たりする。きらびやかだと思う。
メロディーそのものは派手ではないけれど、きらびやかだと思う。
この曲は選曲会議で2年連続落選した。
私は今、この曲に光が当たるように画策中なのだ。合奏ではなく4人で弾くつもりだが、
3人まではメンバーが集まった。

音楽というのは不思議なものだと思う。皆が一致して好きな曲もあれば、ある人の
心には響くのに他の人の心には何の感動ももたらさない曲もある。
音楽の好みは、その人の人生なのかもしれない。
私は…ストライクゾーンが広いかも、人生も音楽も。それもいい。


紙の中から広がる世界

2008-12-04 00:59:35 | 音楽・演劇・絵画・映画
若い頃に読んだ本の一場面が、いまだに忘れられないでいる。
どういう題名の本で、どういう内容だったのかは全く覚えていない。一場面だけだ。

彼は古い図書館か、木々に囲まれた屋敷の書庫にいる。天窓から一筋の光が差し込み、
その光の中で無数の埃が煌めいている。彼は書棚から、古めかしい表紙の本を取り出す。
黄ばんだページを読み始める。彼の前に思いもかけない世界が広がる。彼はまた別の本を
取り出して開く。紙の間から違う世界の香りが立ちのぼる。。。

この場面が忘れられないのは、私もまた同じ経験を何度もしたからだろう。
図書館の書棚から偶然に選んだ分厚い本や、書店の棚から何気なく手に取った文庫本の中に、
未知なる世界を発見した時の、あの不思議な感覚。そこはロシアの社交界だったり、
アメリカ南部の乾いた土地だったり、雪に閉じ込められたサナトリウムだったり、
薄暗い廻廊だったり、革命前夜のフランスの町だったりする。
文字が読めてほんの少しの想像力があれば、私たちをどんな遠くにも連れて行ってくれる
本のマジック。

それは音楽にも言えるかもしれない。幾つもの音符や音楽記号が書き込まれた五線譜は、
ただの紙だが、その中には心を震わせるメロディーやスリリングな和音が隠れていたりする。
だが残念ながら、本と違って、五線譜の中から世界を引き出すことの出来る人は限られている。
私はギターを弾くが、楽譜から素晴らしい世界を引き出したことは無い。
そんな力量は無い。だが、こんな私でも合奏や重奏で他の人たちの助けを借りて、
譜面から素敵な音楽を揺り起こすことはある。それだけでも幸せなことだろう。

昨夜はコンサートに行った。古楽器の演奏家たちによるヴィヴァルディの夜。
ヴィヴァルディの作品といっても「四季」とか「調和の霊感」とか有名な曲は無かった。
例えば『ヴァイオリン、オーボエ、オルガンと通奏低音のためのソナタ・ハ長調RV.779』。
この曲はヴィヴァルディが孤児院の音楽の先生だった時に作られた曲だそうだ。
その孤児院は貧しい孤児たちではなく、上流階級の殿方、奥方たちの不義密通の末に
生まれた、表に出すことの出来ない子供たちが送られた場所なのだそうだ。
だからお金はふんだんにあり、ヴィヴァルディは子供たちのために作曲もした。
この曲の楽譜には演奏した子供たちの名前も記されているという。お金だけ与えられ
捨てられた子供たちはその後どんな人生を歩んだのだろう。親たちは性懲りもなく
社交界で浮名を流し続けたのだろうか。そんなことを考えながら聞いていた。
第二部では『夜』とか『ごしきひわ』とか、タイトルのある少し有名な曲も演奏された。
最後の曲は再び『リコーダー、オーボエ、ヴァイオリン、ファゴット、通奏低音の
ための室内協奏曲ト短調RV.107』という長ったらしいばかりで素っ気ない
題名だったが、その美しさに感動してしまった。
長い間生きてきて初めて出会った曲。もし、このコンサートに来なかったら
一生、聴くことが無かった曲だったかもしれない。
何か目に見えない力が、私を彼(曲)に引き会わせてくれたんだろうか。

コンサート会場を出ると、風もなく気持ちの良い夜が私を待っていた。12月3日。


宮廷画家ゴヤは見た、そして「巨人」という絵

2008-10-27 10:23:03 | 音楽・演劇・絵画・映画
ゴヤ(1746~1828)といえばスペインが生んだ偉大な画家だが、彼について
知っていることといったら、宮廷画家としてカルロス4世の家族を描いたこと、
着衣のマハ・裸のマハ…くらいだった。
そんな私がマドリーのプラド美術館で「黒い絵」シリーズを見た時の衝撃は忘れられない。
70歳を過ぎたゴヤが最後の力を振り絞るように自宅の壁に描いた14枚の「黒い絵」は恐ろしい。
魔女たちの宴会、棍棒で殴りあう男たち、醜い老人、砂に埋もれて空を見上げている犬…。
その中でも最もおぞましいのが「わが子を喰らうサトゥルヌス」という絵で、
目をむき出した裸の男が…ううう、思い出すだけで気持ちが悪い。
一体どのような心境でこれらの絵を描いたのかを考えると、あぶり出しのように
当時のスペインの歴史が浮かび上がってくる。宗教裁判といえば聞こえは良いが
残酷な拷問にすぎない異端審問。贅沢と放蕩と堕落を極めた権力者たち。
そんなスペインに自由をもたらすかのように見えたナポレオン率いるフランス軍は
殺戮を繰り返し、スペイン民衆を絶望させた。そのフランスもイギリス軍に追い払われ
再び権力者が変わる…。
14枚の「黒い絵」は、悲惨な時代を見つめ続け、描き続けたゴヤの絶望感なのだろうか。
でもゴヤは、ちゃっかり上手に世渡りした人でもある。王族、貴族、豪商たちと
親しかったから、権力をあざ笑い時代を告発する作品をたくさん発表したのに
お咎めナシだった。財産も残したし、浮いた話もある。不思議なヒトだ。

先週「宮廷画家ゴヤは見た」という映画を観た。スペイン語の仲間が3人、口を揃えて
「絶対に観る価値がある!」と絶賛したので長女と一緒に行ってきた。
フランスの自由な思想を恐れ、古い因習にしがみつこうとして異端審問が強化された頃、
美しい豪商の娘が居酒屋にお忍びで遊びに行く。たまたま豚肉が嫌いで食べなかったのを
見咎められ異端審問所に連れて行かれる。ユダヤ教徒は豚肉を食べないので疑われたのだ。
そこからが凄まじい。彼女は全裸で拷問にかけられ、自分はユダヤ教徒だと嘘の告白を
してしまう。そして15年あまり投獄されるのだ。その彼女によこしまな思いを抱き、
獄中で妊娠させてしまう好色聖職者。彼女を助けようとするゴヤ。歴史、運命…。
ラストはグロテスクだが、不思議なユーモアも漂っていた。観る価値はある。

写真はゴヤの「巨人」と呼ばれる絵。
1808年、ナポレオン軍が侵攻してスペインは混乱に陥る。民衆が逃げまどっている。
そのはるか上を巨人が通り過ぎていく。空を背景にした巨大なものが嫌いな私だが、
何故かこの絵は好きだ。
歴史は時に愚かしい。人々を踏みにじり沢山の血を流す。
スペインの歴史を知るたびに、スペイン好きの私は悲しくなる。
スペインだけではない。過去だけではない。歴史はしばしば愚かしく残酷なのだ。
でも、そのはるか上を大きなものがのしのしと歩いている。
りりしく美しい姿ではないが、それは正義の意志だったり、愛だったり信仰だったり、
何かを守ろうとする心だったり、生きようとする勇気だったりする。
そういうものが一番大きくて強いのだと思いたい。


この夏に楽しんだ映画・演劇・ライブの総括!!!!

2008-09-01 17:58:49 | 音楽・演劇・絵画・映画
9月になりました!
この夏に楽しんだ映画・演劇・ライブの総括。

~~映画~~

<西の魔女が死んだ>7月10日 銀座シネスイッチ
感想は前にブログに書いたから略。

<崖の上のポニョ>8月18日 川崎ラ・ゾーナのシネコン
お魚のポニョは、助けてくれた5歳の男の子・宗介くんを好きになり、
命の水を浴びて人間の姿になります。嵐の海を、怪物のような大波に乗って
「宗介んとこ、行くう~」と走るポニョの一途さが可愛いくて。
人魚姫は恋に破れ海の泡と化しますが、ポニョは宗介くんの一生懸命な愛と
責任感のおかげで普通の女の子になります。
ポニョのお父さん・フジモトは人間界を捨てて海の女神と結ばれ、海底に生きる男。
この人物は、海を汚し自然を破壊する人間達への警鐘かもしれません。
彼はかつて、ジュール・ベルヌの冒険SF小説「海底二万マイル」の潜水艦、
「ノーチラス号」の乗組員だったとか。
娘は「海底二万マイル」をわざわざ読み、それらしき人物はいなかったとガッカリして
いました。「十五少年漂流記」には中国人の男の子が登場したけどね。
ポニョは可愛いけれど情が深いから、宗介は一生、他の女の子と恋ができないかも…
とオバサンは余計な心配をしてしまいます。
でも久々優しさと勇気とメルヘンをくれた映画でした。


~~演劇~~

劇団レトロノート<空が見える僕の部屋>7月29日 中野の小劇場MOMO
若い人たちの劇団は良い。皆、自分の役柄に全力投球している。
アパートの建替えを巡って一室に集まった住人やその友人たちの人間模様。
クールな青年もいれば、熱い男もいる。喧嘩ばかりしている夫婦、しっかり者の独身女、
現代娘、マドンナ的お姉さま…。
そこへIT長者や、宝くじで3億円当たって動転したラーメン屋の親父が紛れ込み。。
笑ったりホロリとしたり、こんなに楽しい時間を過ごさせてもらって2500円は安い。
劇が終わると若い出演者たちは客席に下りてきて、観にきてくれた友人たちに
挨拶したり、興奮冷めやらぬ口調で演技の話をしたりしている。
演劇にかける青春。皆、がんばれ。


劇団四季<ウイキッド>8月21日 カレッタ汐留
毎夏、家族で劇団四季のステージを観に行っている。今年は「ウイキッド」。
劇団四季の作品はどれも感動をくれたが「ウイキッド」のカーテンコールはすごかった。
観客総立ちで拍手が鳴り止まない。私も少し涙ぐんでしまった。
一人は誰からも愛される良い魔女に、一人は忌み嫌われる悪い魔女に。
二人の女の子がたどった友情と恋と憎しみの青春、その結末。
彼女たちの心がひしひしと伝わる脚本と舞台だったから、感動を呼んだのだろう。
女の子ドロシーが、心を持たないブリキのきこりと、藁の脳みその案山子と、
弱虫ライオンを引き連れ、魔法使いのオズを訪ね、悪い魔女をやっつける…
あの有名な「オズの魔法使い」は全く違う視点から蘇った。
ジュディー・ガーランドの古い映画を思い出したりもした。「虹のかなたに」…♪


~~ライブ・コンサート~~

<amamania>他 7月2日 渋谷・青い部屋
「青い部屋」は、作家でありシャンソン歌手でもある戸川昌子さんの店。
渋谷駅から歩いて7~8分のところにひっそりある。
この日のライブには4つのグループが出演した。
友人シャミアンさんがボーカルを務める<amamania>もその一つ。国籍不明のサウンドは
いつも私を不思議の世界に連れて行ってくれる。
髪を振り乱して床を這って歌う<東京やさぐれ女>~夫、呆然~。
昭和の侘しさと哀愁を歌う<Taako>。
癒しのサウンドが果てしなく続く<月光>。
個性豊か過ぎる音楽を聴きながら、久々『アングラ』という言葉を思い出した。

<タートルヒル>他 8月3日 北千住・ダンデライオン
地下に下りると大音響。ロックの世界。モヒカン刈りの兄さんが踊り狂い、
男たちが拳を振り上げてリズムをとっている。
自分の中で、忘れていた何かがザワザワと動き出す感じがある。
かつてのエレキ少年たちは、オトナになった今も熱い。
「舞台の俺を『パパ』と呼ばないでくれ。」と幼い娘に懇願しているギタリストがいたっけ。
仕事で遠くに行ってしまう仲間に、励ましの言葉や演奏が贈られる。
一見ちょっと怖いミュージシャン達の、ヒューマンな一面が見えたりする。
そんな雰囲気のライブが好きだ。


<ロッカメンコ>(写真) 8月29日 渋谷・クアトロ
ボーカルはフラメンコ歌手。フラメンコギタリスト2人、ブルースロックのギタリスト、
エレキベーシスト、ドラマー2人、計7人の<ロッカメンコ>は、ロックと
フラメンコの融合を目指して結成された。でも北千住の男ロックを聴いた私の耳には
ロッカメンコのロックはメロウで可愛い感じに聞こえ、フラメンコ臭も思ったほどでなく
ちょっと物足りなかった。深くて暗い融合を感じたのは「狂った蝶」という曲くらいか。。
その分、明るさやノリの良さや楽しさはあった。皆メチャ上手いし。
<ロッカメンコ>の特徴2つ。ロックなのに観客は妙に綺麗なお姉さまが多い。
アンコールの手拍子にコントラ(裏打ち)が入る。
フラメンコのバイレ(踊り)やカンテ(唄)のお姉さま方のファンが多いのだろう。
スタンディングだった。オバサンには疲れました。
でもフラメンコの師匠も最後まで立って、フラメンコギタリスト尾藤さんのギターに
耳を傾けていた。サルサを踊る友人、エミコさんはノリノリ。


<サマージャズフェスティバル>8月31日 日比谷公会堂
ジャズ好きの叔母に誘われて夫と共に出かけた。
私はまだ生まれていなかったから知らないが、1950年代60年代、日本では
ジャズが爆発的人気だったらしい。当時、青春時代を過ごした方々が熱心に足を運ぶ。
原信夫とシャープス&フラッツ、前田憲男、北村英治。日本のジャズの草分け的
ミュージシャンたちの演奏。ゲストの歌手もすごい。
浜村美智子…「デイ・オー・エイ・エイ・エイ・オー」と叫ぶ「バナナ・ボード」
という曲で一世を風靡した。70歳らしいがキラキラのショートパンツと黒タイツ、
ド派手ピンクのジャケットで登場。
ウイリー沖山…この人はヨーデルの第一人者。歌は「ヨ~ロレイホ~、ヨ~ロレイホ~」
マーサ三宅…大橋巨泉の奥さんだった人。真っ赤なドレスが似合う美声の持ち主。
ペギー葉山…今も舞台で活躍している。スターというのはこういう人を指すのだろう。
歌っている時もトークの時も華やかで美しい。

私はまだ生まれていなかったはずなのに、彼らの声は記憶の奥にある。
え?生まれてた??(笑) ミュージシャンの皆さん、長生きして音楽し続けて下さい!!

若いジャズも取り入れようという試みが昨年から始まったらしい。
今回の若手ゲストNo.1は、関西で活躍する天才ドラマー大我くん。この7月、
10歳になったばかり。6歳から演奏活動を始め、今や世界から注目を浴びている。
でも素顔はかわいい。
大我くんのバンド、タイガー・バーニング・ブライトのピアノ奏者、辻佳孝の演奏は
エネルギッシュで良かった。
中堅ベテランピアニスト椎名豊の作る音楽には男の自信と色気があった。
私、ジャズピアノが好きなのだ。
午後2時に始まったコンサートは夜の8時半まで続いた。来年も行こう。


この夏は家族のスケジュールが合わず旅行はしなかったが、都会で楽しむことができた。
さて、どんな秋が待っているのかな。

西の魔女が死んだ

2008-07-11 22:08:56 | 音楽・演劇・絵画・映画
ここ数日、来客があったり出かけたりしているうちに洗濯物とアイロン掛けが
山のようになってしまった。お天気もまずまずだったので朝から働く。
ついでに一部屋分のカーテンも洗った。
アイロン掛けは数少ない「好きな家事」の一つだ。
集中して音楽を聴きながら出来る家事なんてそんなに無い。
今日は珍しくワーグナーの「パルジファル」の第一幕全曲を聴いた。
オペラの類はあまり好きではないがワーグナーは別。
この「パルジファル」は基調となるメロディーがとても美しく、宗教的な合唱が崇高なので
気に入っている。頭にキィーンとねじ込まれるソプラノがあまり出てこないのも好き。
クナッパーツブッシュの指揮はゆったりしていて、窓から入って来る静かな夏の風と
心地よく絡み合う。

めずらしく家事に専念したのは、昨日観た映画「西の魔女が死んだ」のせいかもしれない。
梨木香歩の原作は映画化するには地味すぎると思っていたが、良い感じに仕上がっていた。

中学のクラスで孤立し登校拒否になった少女が、山の中で自然と共に暮らす祖母の元に
引き取られる。野生のストロベリーでジャムを作ったり、たらいにシーツを入れ
足で踏んで洗ったり、鶏小屋の卵や菜園の野菜やハーブを食卓に取り入れたり、
素朴で美しい生活が繰り広げられる。
かつてイギリスからやって来たおばあちゃんは、自分を魔女だ、と言う。
精神力を身につけ自分の意志で生きていくことを教えられて少女は少しずつ変わっていく。
でも映画の終盤はほろ苦い。近くに住む粗野な男を憎んでヒステリックになる少女を、
祖母は叩いてしまう。少女は言う。「おばあちゃんだって動揺した。」
精神の力を、自分の心をコントロールすることを教えてくれた祖母に対して。。。
両親の元に戻り、少女は祖母の教えを守ってしっかりと生きはじめるが、その後、
祖母に会うことは無かった。二年後、祖母はこの世を去る。

この作品は、温かくてステキなおばあちゃんとの暮らしの中で、生きる力を取り戻す少女の
物語として感動を呼んでいるが、私は、孫が去った後のおばあちゃんの2年間が
気になってならない。最後に「おばあちゃん大好き」と言ってくれなかった孫娘を思い、
孫娘の置いて行ったマグカップに花を生けながら、魔女の意志力をもってしても
おばあちゃんは寂しかったに違いない。
でもその寂しさを深い愛に昇華させて彼女は逝った。私はそこに涙する。

人はだれでも年をとる。取り残されていく。
私の老後は、どんな風だろう。娘や孫たちと行き来しながら、私より長生きしそうな夫や
友人たちと共に穏やかに暮らしていけたらいい。もし、そんな幸せな老後だったとしても
寂しさは必ずつきまとうだろう。それは仕方の無いことかもしれない。

昨日は、スペイン語の仲間の女性たちと一緒に映画を観た。
年齢的には少し私よりも人生の先輩。大切な人との別れや苦しい介護も経験しているのに、
優しくてお洒落でおおらかな彼女たちは、私に生きる力とヒントをくれている。

ノルウェイの森は森じゃない

2008-06-02 23:55:21 | 音楽・演劇・絵画・映画
本棚の片隅に村上春樹の小説「ノルウェイの森」があった。物語はこんな風に始まる。
37歳の僕が乗った飛行機は、今ハンブルグ空港に着陸しようとしている。
天井のスピーカーから小さな音でビートルズの「ノルウェイの森」が聞えてくる。
僕は、頭が張り裂けそうに混乱する…。
~~こうして切なく痛ましい青春の回想が始まる。

ビートルズの<Norwegian Wood>は<While My Guitar Gently Weeps>の次に好きな曲だ。
<ノルウェイの森>という日本語訳も好きで、私はこの曲を聴くと、
北欧の少し霧がかかった深い森を想像する。
一体どんな歌詞なんだろうと調べてみた~最近、詩の訳に興味がある~。
英語の苦手な私でも何となく理解できたが、北欧の静かな森の風景なんて
どこにも出てこなかった。

♪僕はある時、女の子をナンパした(されたのかもしれない)。
 彼女の部屋を見せてもらった。
 素敵でしょ? Norwegian Wood♪

簡単に男の子を連れてきちゃう女の子の部屋が<ノルウェイの森>???
写真でも貼ってあったの?
一説によると、これは誤訳で本当は<ノルウェイの木材>らしい。
ノルウェイの木材で作られた家具が置かれていたのではないか、ということだ。

歌詞の展開は滑稽でもある。
じゅうたんの上に座ってワインを飲みながらお喋りして、いよいよの時を待つのだけれど
夜中の2時になってしまい、彼女は「明日、仕事があるから」とさっさと寝てしまう。
「僕は仕事ないんだけど…」と言ってもどうにもならず、僕はバスルームに這って行って、
そこで眠る。朝起きたら彼女はもう、いない。
So I lit a fire…。(litはlightの過去形。「火をつける」)

何に火をつけたのだか良く分からない。
「煙草に火をつけた」「部屋に火をつけた」「暖炉に火をくべた」の3つの説があるそうだ。
そんな時に暖炉に火をくべるかなあ?心が寒かった?
煙草に火をつけた。適切な気がするが、何だか平凡。
私だったら「ムカつくから部屋に放火してやろうかと思った」って意訳するかも。

スペインでは、どう訳されているか調べてみた。Norwegian Woodは
「ノルウェイの木材」と訳されていて、やはり森は出てこない。
火をつけるところは「火をつける」とだけ。

いろいろ見ていたら面白い発見をした。村上春樹の「ノルウェイの森」は
スペイン語にも訳されているが、タイトルは<Tokio blues, Norwegian wood>。
<東京ブルース>ですと?
昭和演歌の題名みたい。誰が考え出したのだろう?

言葉の世界にハマりだすときりがない。ああ、早く寝なくちゃ。


映画「相棒」

2008-05-08 04:30:44 | 音楽・演劇・絵画・映画
(ネタバレあります)

2004年の10月24日、イラクで日本人の若者がイスラム過激派に拉致された。
過激派は日本の政府に対し自衛隊の撤退を要求し、要求に応じない場合は
若者を殺害すると宣言した。
拉致された若者の姿はウェブサイトに流され、彼は「日本に帰りたい」と訴えた。
アメリカとの関係を最優先させイラクに自衛隊を送った日本の政府は
「テロに屈することは出来ない」と主張し、過激派の要求を受け入れることはなかった。
10月31日、首を切断された若者の遺体が発見された。時の首相はJ.小泉だった。

それまで~私の記憶している限り~日本という国は人命を尊ぶ国だった。
国家が一人の人間を見殺しにするさまを、初めてまざまざと見せつけられた。
この事件について身近にいた2人の男性は同じことを言った。
殺された若者はあまりに無防備であり無知だった。平和ボケもはなはだしい。
一人はとても理性的で、もう一人は旅慣れた男性だった。
彼等ほど強い口調ではなかったが、マスコミでも似た様な発言をする人が少なくなかった。
彼等の考えは正しかったのかもしれない。けれど私は納得できなかった。胸が痛んだ。
危険地帯に足を踏み入れたその若者は無防備で無知だったかもしれないが、
彼は人を殺めたわけでもなく傷つけたわけでもない。
世界を見たいと思ったごく普通の若者が、平和ボケの罪で、国から切り捨てられた。
息子を残忍に殺された親は、「ご迷惑をかけました」と頭を下げなければならなかった。
そもそもイラク派遣が正しいことなのかも分からないのに。

2005年、J.小泉は郵政選挙で大勝利を収めた。
多くの国民が、まるでスターに群がるみたいにJ.小泉を取り囲み、笑顔で応援している姿を
何回もテレビで見た。
殺害された青年の事件をまだ心に引きずっていた私には信じたくない光景だった。
私って日本のマイノリティなんだなあ、と思った。

話は映画「相棒」のことだった。
紛争中の国でボランティア活動に励む邦人青年が拉致された。
日本の政府やマスコミは彼を、退去勧告を無視して活動していたと非難し、彼を見殺しにした。
状況は違っていたが、このストーリーは2004年のあの事件を昨日のことのように蘇らせるに十分だった。
脚本を書いた人は、あの時、私と同じ様にやり場のない悲しみを感じていたのだろうか。
映画の中でボランティアの青年を見殺しにした首相は、顔つきこそ違っていたが、
J.小泉と良く似た髪形をしていた。
だから良かったとか、痛快だとか、そんな話ではない。
そんなことが言いたいのではない。