私の執着心の希薄さに関してコメ欄に書き込みを
頂き、お返事しようと思ったのですが、
長くなりそうなので、こちらで書きます。
元々、物品には執着は薄いほうなのですが、
73年生きている間には、犬たちの命はじめ
かけがえのないものを幾つか失って来ていて
少々の物品がなくなっても、さして痛痒は感じないのです。
メガネも2つ見当たらないのですが、探しもしません。
何をあの世へ持っていけるわけでなし。
自らの寿命は心得ていますが、しかしそれも
しょせん主観の領域と言えばそう、今日この
命が絶えるかもしれず、それならそれで「いつでも」と
思いながら1日ごとを重ねています。
命への未練の無さは、十代の頃からです。
ここまで生き延びたいとも生き延びるとも
思っていませんでした。
70過ぎたら、もう人生は余興でいいです。
執着を手放すほど、人生が軽くなります。
と、いえる境遇にたまたま私があるということで、
そうも言っていられない痛切な事情を抱えている人達には
耳に逆らうかもしれません。
お詫びします。
誤変換他、後ほど。
ボンボヤージュは、今回はロングバージョンでしたね。
凄い熱気でした。
舞台装置の色合いの美しいこと、会場全体に焚きしめられたお香、自分の体全体で聴くような美輪さんの歌声……
日常はぼんやりしている自分の五感が目覚めたようでした。
私は「ボンボヤージュ」で、美輪さんが港に立って手を振る姿にいつも涙してしまいます。
座席が真ん中の広い通路に面している所。
今日、美輪明宏さんのコンサートに行って参りました。
美輪さんも先生と同様のことをおっしゃっていました。
この世で自分の物と思っているものは全て借り物、あの世へは何も持って行けない、全てを手放して行くと。
私など物欲(食欲も)に負けること、多々ございまして手放す、ということの難しさを痛感するばかりです。