井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

体罰という名の暴力

2013年01月31日 | 日記

桜宮高校の体罰問題のあたかも後を追うように、柔道女子日本代表・園田隆二監督の
暴力行為が取り沙汰され、これは体罰という名の暴力を見直せという流れに
あるのかもしれません。

体罰は暴力です。
暴力は是認されるべきではありません。

個々、とりわけスポーツの場では容認できるケースがあるのは承知です。
しかし、100ある体罰のうち、一つの許され得る体罰を容認してしまうと残り99の単なる暴力まで是認されてしまいます。

いささか余談にそれますが、園田監督は警視庁からの出向者ですね。
いわば警官があろうことか女性に暴力を奮っていた形。
女性の髪をひっつかんで引っ張ったり、平手打ちしたり蹴りを入れたりは
体罰の域を遥かに超えているでしょう。犯罪です。いかに普段はいい教師であろうと
桜宮高校の教師のケースも体罰の域を超えて犯罪ですね。なぜ本人が出てこないのでしょう。
程度を著しく逸脱した体罰は暴力であり、犯罪です。

柔道は精神性を重んじるまさに日本発のスポーツです。しかし、その精神性を
日本が忘れさって、あろうことか女性への暴力事件を引き起こしてしまい、
全日本柔道連盟は、それを隠蔽する。精神性とは遠いやり口です。
世界に対しても恥ずかしいことになってしまいました。

某女子柔道銀メダル保持者の目撃談によれば、韓国の監督が女子選手を平手打ちして
オリンピック委員会は即座にその監督の資格を剥奪したそうです。
アメリカではスピードスケートの世界で同じ事が起こり、選手たちに告発され
代表監督だった韓国人はボイコットされました。

しかしながら・・・・以上もいささかきれいごとに過ぎるのであって、以下の
ブログの記述が実は実情ではないかと思います。

スポーツは醜い、と断じたその視点が目からうろこでした。

h●●p://meinesache.seesaa.net/article/317181348.html

一部抜き書きで抜粋させて頂きます。(全文は上記のブログでお読みください)


アメリカの高校アメフトでは、コーチはちょくちょく生徒をぶちのめしますし、イギリスのラグビーやサッカーのコーチも同様です。コーチが優しくても先輩が陰湿にしごき、それで泣きでもすれば、「お譲ちゃんはバレーボールでもやってな」と笑われます。ときどき訴訟沙汰になったりしますがもぐら叩きで、抜本的に体罰を根絶した国などありません。

スポーツ界の体罰に憤り、体罰のないスポーツを夢見る人は、スポーツを美化しすぎです。

スポーツの醜さは体罰に限りません。トップアスリートともなれば、白々しくウソをついてドーピングしますし、またスポーツ界は一般人の想像を絶する階級社会でパワハラ天国です。

このようにスポーツというのは人間のプリミティブな醜さを凝縮した世界なのですが、なぜか世間ではそうは扱われません。醜い側面を一切隠して、美しい面ばかり強調されます。美しい面も事実に即していればまだいいのですが、誇張と脚色で大感動物語に仕立てられて感動的な音楽とともに語られ、成功したアスリートはロールモデルとして賞賛され、五輪招致に燃える都知事は、五輪招致に狂喜乱舞しない人を引きこもりと表現して二級市民扱いします。

この極めて歪なスポーツ過剰美化の理由は、マスメディアにあります。19世紀までのスポーツは「ハラハラ・ドキドキ」ではありましたが感動とは無縁な存在でした。しかし20世紀の初頭、新聞とラジオはスポーツに感動の要素を加えて新たなスポーツを創造し、戦争とならぶキラーコンテンツに仕立てました。今あるスポーツはスポーツそのものではなく、マスメディアの成立とともに生まれたマスメディアのコンテンツなのです。

だからマスメディアのない世界にスポーツは存在しません。ここ数年続々とスポーツの不祥事が明らかになり、その一方でスポーツの美化が激しいのは、マスメディアの衰えと焦りの証です。まもなくスポーツは感動の仮面を剥がされ、ハラハラ・ドキドキの正常な姿に回帰していくことでしょう。

今の世の中、スポーツ界ほど神棚に祀られて保護され、その結果原始時代的価値観が堂々とまかり通っている世界はありません。そんな修羅の世界に子どもたちを投げ込み、肉体的精神的に痛めつけてはいけないのです。