井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

運命

2013年07月02日 | ドラマ

日韓併合時代末期、終戦直前の韓国は京城(現ソウル)で
生まれて、要するに引き揚げ者なのであるが、これゆえ
長いこと在日だと思われていたふしがあるが、当時の
ソウルには日本人が多く住んでいた。

終戦とともに長崎に帰って来たのだけれど
よくまあ無事だったなと思うのは最近であって、
当時の朝鮮半島の歴史を見ると、終戦とともに
日本人が襲われていて、とりわけ北のほうが
凄く、だいぶ殺されたり、あるいは収容所に入れられて、収容所では
極寒と飢えで亡くなったりもしている。
ソ連兵にやられた人もいるようだ。

無事帰国でき、いまだ生き延びているのも
運命なのだろう。さしてそのことを、ありがたいとも思わず、
いっそそこで殺されていたら、楽であったろうか
と罰当たりなことをふと思わぬでもないくらい、生きるということが
あまり好きではなく、いまだに馴染めないのは、何に
起因するのか解らない。いまだ、これほど生に対して
嫌悪感を示す人に会ったことがない。
自死を選ぶ人はいるが、それは何か理由があってのことで、
裏返せば生きたい、という意志でもある。
殺されもせず生き延びた命には何か、意味があるのだろうか。
赤ん坊もずいぶん、残酷な殺され方をしていたようだが、
殺されなくても、放置されていれば生後間もなかったので
簡単に絶命していただろう。
母が話したがらないので、この当時のことは知らない。
ソウルで生まれ、引き上げ船で母のふるさとである長崎に
帰って来た、と私が知らされているのはそれだけである。

話が逸れたが、終戦時、日本人が朝鮮の人たちに受けた暴虐(殺人やレイプ)に
ついては余り語られることがない。日本人はなぜか「・・・・をした」と言われっぱなしで
黙っていて、自分たちがされたことは非難せず、語らない。
不思議な民族性である。
終戦時、日本人が朝鮮の人たちに受けた被害を記した本が最近やっと
出版されたようだ。ある引き揚げ少女の記録「ヨーコの物語」(の森遠く)「So Far from the Bamboo Grove」Yoko Kawashima Watkins 英語版のみ存在していたのが
やっと翻訳された。

それ以外に日本人が朝鮮半島や中国で受けた無残な被害は
あるのだが、本当に日本人は黙して語らない。
言われっぱなしである。これは美点なのか、欠点なのか?
双方であろう。

「竹の森遠く」はアメリカで副読本として使用されていたのが、韓国系議員らが
動いて、使用禁止へと持ち込み、翻訳も同じく妨害されていたようで、
あちらは日本を貶めることに熱心であると同時に、自らの非はなかったこととして
懸命に消す。淡白な日本が情報戦で勝てるわけもないのである。

真実は強いのだがそれが周知される努力がなされない限り、100ぺん繰り返される
嘘のほうが強い。日本人は憎んだり恨んだりすることが不得手で、それは
精神性の高さでもあるが、情報戦では負ける。