今日は風も無くとっても暖か
こんな日は紅葉を求めてドライヴと洒落たい
行先は完成した楽山園
小幡は3度目だが10年ほど前、山の帰りに寄った時は
ようやく着工にこぎ着けたばかりで広い敷地は閑散としていたものだった
大名庭園は後の楽しみにして先ずはモミジ山へと足を向けてみよう
(モミジ山登山口より楽山園“梅の茶屋”を望む)
登り始めは記念の植樹ばかりで本当にモミジ山なの?と半信半疑で登った小高い丘だったが
登り詰めた先に待っていたのは老木とも言えるモミジの林
ここは温度差が余り無いのか紅葉する前に枯れてしまっているものも有ったがガッカリさせる事はなかった
あれれ、何処かで聞き覚えの有るお名前が
まさかね
帰りは福厳寺に下りる北斜面を下った
真上に来た陽の光が赤、橙、緑の葉に惜しげも無く降り注ぎ透き通る様な軟らかい色を地上に反射させている
道は少々荒れてはいるが むしろ、こちらの方がずっと風情が有って好ましい
展望も悪くない
見慣れた妙義山も小幡から眺めるとあの険しさが無く何処となく優しい気がする
よくよく見れば妙義の後ろに浅間山も顔を出している
「城下町から一歩でれば長閑だねぇ」と言いながら村の中の道を雄川に下りた
街を囲むようにウネウネと連なる山並みを眺めながら河の畔を散策していると一瞬、全く知らない所へ来た様な錯覚さえ覚える
先ずは今日の日和に感謝だろう
矢来垣が続く楽山園の横を通り此処でも園に入るのを後回しにして武家屋敷を先に回る事にした
左のお屋敷(高橋家)は門が閉ざされ残念ながら中の様子を伺う事は出来ないが
武家屋敷の中で最も昔の様子を残している建物という事だ
塀越しに見えるムクロジの大木は歴史の変遷をどのように見つめて来たであろうか
こちらは高橋家の隣に建つ松平家のお屋敷
その直ぐ先に有る喰い違い郭は戦時の防衛の為に造られたものであり
又、上級武士の姿を見た下級武士は この石垣に身を隠しやり過ごしたとも言われている
では23400㎡小幡氏の居城跡と大名庭園“楽山園”の門を潜る事にしよう
十九間長屋、当時の格調の高さが偲ばれる回遊式の庭園と見てまわり当時のお殿様もそうしたであろう茶屋の縁に腰かけ
見飽きる事のない昆明池を眺めていると時が止まったかの様な静けさに何時しか惰気を催してきそうだった
この木は「楽山園の梅」樹高10m、名張り東西10m、南北12mという大木
ー続くー
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当時を忠実に再現しては有りますが木々の本数も成長もなくジオラマの世界を覗いている様でした。
栗林公園の様に落ち着いた雰囲気が出る様になるには相当の年月が必要でしょう。
何でもそうですが歴史と言うものは重みが必要だと思いました。
特に年表を覚えるのがとっても嫌でした。
歴史に興味を覚える様になったのは旅をする様になってから。
学生時代もう少し真面目に授業を受けていたならと悔やまれますが
どう足掻いても、あの頃には帰れないんですよね
sisiさんは歴史小説も読まれるんですね。
見習お。
楽山園、名前にぴったりの庭園ですね。
写真を眺めているうちに私もリラックスさせてもらいました。
群馬には、有名な数多くの政治家さんがいらして、にぎやかで、記念樹も洒落てて、良いですね。
でも、最近、唯一嵌まった歴史小説があります。
百田氏の影法師という本です。
下級武士の遺児が筆頭国家老にまで出世するサクセスストーリーなのですが、
その影に多くの人々の恋心や友情などの意志が影となって見え隠れしていて、とても興味深い仕上がりになっていたので寝るのも惜しんで一気に読み上げてしまった程です。
ええ歳やし、歴史も興味のあるところから少しづつ、ボチボチひもといていこうと思います。
武家屋敷と秋の景色、
お写真の数々が、この読んだ本と重なり、
楽しませていただきました。