■がんでも働く㊤
正月気分が残る松の内の東京郊外。北風が小雨を吹きつける中、宅配便会社でパートの非正規社員として働く女性(61)は、右足をわずかにひきずりながら小走りで荷物を運んでいた。4年前、悪性軟部腫瘍(しゅよう)と診断され、右おしりから太もも、ひざ裏にかけて筋肉を切除した。手術痕にぬれた制服がこすれて痛む。防寒着の中でシャツは汗ばみ、風邪を引かないか気になるが、欠勤するわけにはいかない。
■告知受けて「家賃どうしよう」
女性の時給は、東京の最低賃金より94円高い1107円。週5日勤務で普段の手取りは月11万~12万、お歳暮で残業が多かった12月分も14万円だった。昨春まではこのほか、病院の夜の清掃、チラシ配りと、パートを三つ掛け持ちして生計を立てていた。一人暮らしで、家賃は6万5千円だ。家探しは難しかった。前のアパートの取り壊しが決まって7カ月がかりで、ようやく見つけた部屋だ。
医師からがんと告げられたとき、女性の口をついたのは「何日休まないといけませんか」「家賃をどうしよう」だった。休みは収入減に直結する。急な体調不良も予想されるが、有給休暇は1カ月前に申請する必要があった。内勤になれればよいが希望が通っていない。
昨春、ステージ2の乳がんも見つかり、手術した。10万円ほどの貯金も有休も使い果たした。主治医は抗がん剤治療の選択肢も示したが、国の高額療養費制度を使っても彼女の場合、月5万7600円が自己負担となる。髪を切って治療の準備までしていたが、悩んだ末に抗がん剤を断念した。
主治医は最初、「抗がん剤治療のしんどさではなく、経済的な理由であきらめるのか」と驚いていた。しかし、がん患者の家族から、患者本人がいないところで治療費の相談をされたこともあったという主治医は「これからは、必要になる治療費のことまで、告知のときに話すようにします」と言ってくれた。
■半額の弁当、数日に分けて
女性は現在、ホルモン剤を飲みつつ、3カ月に1度の検査を続けている。「もし再発や転移が見つかっても、仕事を休んで入院するのは無理なのに。検査の結果に一喜一憂している自分がおかしくなります」と話す。国民保険料を滞納し、健康保険証を持てなかった時期もあった。高血圧と診断されたが、薬代がなく処方箋(せん)だけ受け取って帰ったことも。「お金がないと健康になれない」と身にしみて感じる。栄養をつけたいなと思いつつ、現実はスーパーの半額になった弁当をまとめ買いして、何日かに分けて食べるという日々を送る。
女性は東京出身。短大卒業後、実家を出て35年、親と交流がない。同居していたパートナーは13年前、がんで他界した。手術で入院した時、保証人を頼める人がおらず、適当に浮かんだ名前を書いた。入院荷物は宅配便で病院に送った。「手術に立ち会う人はいない」と言うと、病院に叱られた。見舞いの友人もなかった。
唯一、心が安らいだのは、がんの無料相談施設で話を聞いてもらったことだ。そこで生活保護を受ければ抗がん剤治療も受けられそうだとも聞いたが、何とか働いて生活していきたかったのと、疎遠な親族に連絡がいくのに抵抗があり、あきらめた。
■一人でがんばる人、自分以外も
生活や再発の不安で眠れず、睡眠薬も効かない。愛情をかけるペットや植物と暮らしたいが、他人に迷惑をかけると思うと踏み切れない。夫婦で支え合う有名人の闘病記を読むと、精神的にも経済的にもその支えがない自分がみじめに思えてしまう。10万人に約3人という希少がん。せめて医学生たちの役に立てればと献体を希望したが、「親族の承諾」が必要と断られた。
「だれかのために生きることもなく、待っている人もない。家族も友だちもなくて、賃貸暮らしで、非正規で働きながら一人でがんばっている人が、私以外にもいるんだろうな。そればかり考えています」。がんは「治療に専念」時代から「仕事と両立」時代に入ったとされる。時間単位の有休など、仕事の合間に治療できる柔軟な働き方を認める企業も増えた。だが、女性のようにその枠組みの外で働く人も少なくない。
正月気分が残る松の内の東京郊外。北風が小雨を吹きつける中、宅配便会社でパートの非正規社員として働く女性(61)は、右足をわずかにひきずりながら小走りで荷物を運んでいた。4年前、悪性軟部腫瘍(しゅよう)と診断され、右おしりから太もも、ひざ裏にかけて筋肉を切除した。手術痕にぬれた制服がこすれて痛む。防寒着の中でシャツは汗ばみ、風邪を引かないか気になるが、欠勤するわけにはいかない。
■告知受けて「家賃どうしよう」
女性の時給は、東京の最低賃金より94円高い1107円。週5日勤務で普段の手取りは月11万~12万、お歳暮で残業が多かった12月分も14万円だった。昨春まではこのほか、病院の夜の清掃、チラシ配りと、パートを三つ掛け持ちして生計を立てていた。一人暮らしで、家賃は6万5千円だ。家探しは難しかった。前のアパートの取り壊しが決まって7カ月がかりで、ようやく見つけた部屋だ。
医師からがんと告げられたとき、女性の口をついたのは「何日休まないといけませんか」「家賃をどうしよう」だった。休みは収入減に直結する。急な体調不良も予想されるが、有給休暇は1カ月前に申請する必要があった。内勤になれればよいが希望が通っていない。
昨春、ステージ2の乳がんも見つかり、手術した。10万円ほどの貯金も有休も使い果たした。主治医は抗がん剤治療の選択肢も示したが、国の高額療養費制度を使っても彼女の場合、月5万7600円が自己負担となる。髪を切って治療の準備までしていたが、悩んだ末に抗がん剤を断念した。
主治医は最初、「抗がん剤治療のしんどさではなく、経済的な理由であきらめるのか」と驚いていた。しかし、がん患者の家族から、患者本人がいないところで治療費の相談をされたこともあったという主治医は「これからは、必要になる治療費のことまで、告知のときに話すようにします」と言ってくれた。
■半額の弁当、数日に分けて
女性は現在、ホルモン剤を飲みつつ、3カ月に1度の検査を続けている。「もし再発や転移が見つかっても、仕事を休んで入院するのは無理なのに。検査の結果に一喜一憂している自分がおかしくなります」と話す。国民保険料を滞納し、健康保険証を持てなかった時期もあった。高血圧と診断されたが、薬代がなく処方箋(せん)だけ受け取って帰ったことも。「お金がないと健康になれない」と身にしみて感じる。栄養をつけたいなと思いつつ、現実はスーパーの半額になった弁当をまとめ買いして、何日かに分けて食べるという日々を送る。
女性は東京出身。短大卒業後、実家を出て35年、親と交流がない。同居していたパートナーは13年前、がんで他界した。手術で入院した時、保証人を頼める人がおらず、適当に浮かんだ名前を書いた。入院荷物は宅配便で病院に送った。「手術に立ち会う人はいない」と言うと、病院に叱られた。見舞いの友人もなかった。
唯一、心が安らいだのは、がんの無料相談施設で話を聞いてもらったことだ。そこで生活保護を受ければ抗がん剤治療も受けられそうだとも聞いたが、何とか働いて生活していきたかったのと、疎遠な親族に連絡がいくのに抵抗があり、あきらめた。
■一人でがんばる人、自分以外も
生活や再発の不安で眠れず、睡眠薬も効かない。愛情をかけるペットや植物と暮らしたいが、他人に迷惑をかけると思うと踏み切れない。夫婦で支え合う有名人の闘病記を読むと、精神的にも経済的にもその支えがない自分がみじめに思えてしまう。10万人に約3人という希少がん。せめて医学生たちの役に立てればと献体を希望したが、「親族の承諾」が必要と断られた。
「だれかのために生きることもなく、待っている人もない。家族も友だちもなくて、賃貸暮らしで、非正規で働きながら一人でがんばっている人が、私以外にもいるんだろうな。そればかり考えています」。がんは「治療に専念」時代から「仕事と両立」時代に入ったとされる。時間単位の有休など、仕事の合間に治療できる柔軟な働き方を認める企業も増えた。だが、女性のようにその枠組みの外で働く人も少なくない。
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