N ’ DA ”

なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

光秀からの遺言  本能寺の変436年後の発見  明智 憲三郎/著

2020年12月03日 14時54分12秒 | 読書・歴史


明智光秀、そして明智氏の真実を明らかにする、光秀の末裔による歴史捜査。今までまったく不明とされた明智氏の発祥から光秀に至るまでの系譜と、光秀の謎とされる前半生を含む、生誕から滅亡までの生涯を紹介する

明智残党狩りの手を逃れた光秀の子・於寉丸の子孫。電機メーカーにて情報システム分野で活躍、情報畑の経験を活かした「歴史捜査」を行い、精力的に執筆・講演活動を展開。

信長の父・信秀の葬儀で弔辞に書かれていた「孫呉(そんご)兵術に長けていた」という言葉が解明の鍵となった。
孫呉兵術とは、中国の春秋戦国時代に書かれた兵法を総称する言葉である。
兵法の代表が『孫子』と『呉子』だからだ。
「戦とは騙し合いである」
「百戦して百勝するのが最善ではない。戦わずして勝つのが最善」
「スパイに最高の処遇を与えよ」
「少人数で大軍と戦うときは広い場所で戦ってはいけない。狭い谷間で戦え」
「追い風のときに大声をあげて攻めよ」

『信長公記』

信長は狭い谷間に細長く布陣した今川の大軍を、正面から一気に突撃して崩す作戦を採用したのだ。

「光秀の首が本能寺に届き、首3千が曝された」
「本能寺に光秀の首と胴が曝され見物人が数知れずであること、3千の首があること」


最新の画像もっと見る

コメントを投稿