一台のタクシーに一人の人生が乗っている。妻に逃げられた元ホームレス、石原裕次郎に「タメ口」をきいた男、気の優しい、いじめられっ子が持つ誇り、「専業主夫」を認めた女性、ほか…夢破れても人生だ。夢破れてから、人生だ。13人の運転手を見つめた現代日本・ノンフィクション。
第1話 奈落
第2話 福島
第3話 マリアと閻魔
第4話 「なか」
第5話 ひとりカラオケ
第6話 泪橋
第7話 缶コーヒー
第8話 愚か者
第9話 偶然
第10話 平成世間師
日比谷線。;南千住駅
延命地蔵 (地蔵菩薩) 、またの名を“首切り地蔵”と呼ばれる高さ3.6㍍の座像は、山谷地域の中心点である「泪橋交差点」から北へ300㍍の東京メトロ日比谷線の南改札の前ある「延命寺」の中に入れば誰でも見ることが出来る。
この大きな地蔵は、27個の花崗岩の寄せ石作りの像で、元は南千住の貨物線の南側辺りにあったものを、明治28年 (1895年) 鉄道敷設工事の際に現在の地下鉄日比谷線とJR常磐線のガードの間に移された。
平成23年(2011年) 3月11日におきた東日本大震災後、首切り地蔵はダルマ落としのように胴の部分がずれ、頻繁に続いていた余震の倒壊防止のため一時解体された。
すぐ近くにあった小塚原 (こつかっぱら) 刑場は、江戸時代からお仕置き場として斬罪・獄門・火罪・磔 (はりつけ) などの重罪の刑が執行され、埋葬された死者の数は20万人にものぼると言われているが、その受刑者の菩薩を弔うため寛保元年 (1741年) に地蔵菩薩が造立されたという。
お仕置き場は、刑罰や無縁、埋葬などに止まらず、江戸時代からペットの供養、名刀の試し切りや腑分け (解剖) に至るまで実に多彩な役割を明治期まで担った。実は、山谷地域でもある南千住2丁目から5丁目に掛けての場所は、この地で日本最初の西洋解剖の翻訳書「解体新書」 を作るきっかけになったことを考えると日本の近代医学のスタートの地だったともいえるのでは?
また、首切り地蔵のスグ脇には三角点 (南千住 1.51米 三等) がある。そのことは地元でも知る者は少ない。そして最後の写真は、刑場が廃止された年、明治6年 (1873年) 7月の画像で、よく見ると 右側にまだちょんまげを結っている人がポーズをとっている姿が見える。