makuragakayogakudan

まくらが歌謡楽団のブログです♪

明日、明後日は~まくらが歌謡楽団、今年初のステージです♪

2020-01-17 23:50:54 | 日記
みなさま、こんばんは!
明日は、雪混じりのお天気になるかも?えっ、スタッドレスでない私は大変~
そう、明日は古河文化協会の新年会にてトップに演奏します。
そして、明後日は国際交流フェスティバルにて演奏します。
お近くの方は、ぜひ観にいらして下さいね!
頑張りましょう~♪

小学唱歌「スキー」

2020-01-17 00:35:13 | 歌声広場
今回の歌声広場の予習シリーズ
さて、冬はやっぱり「スキー」ですね。でも、今年は暖冬の影響か、スキー場が悲鳴を上げているそうです😓 


作詞 時雨音羽
作曲 平井康三郎
平井康三郎といえばピアノ曲の幻想曲「さくらさくら」の作曲者としてピンと来る方も多いかもしれない。
ウィキペディアより~
高知県吾川郡伊野町(現:いの町)出身。東京音楽学校バイオリン科卒業。1936年(昭和11年)研究科作曲部修了。 
1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)の期間、東京音楽学校で教鞭を取る傍ら、作曲活動を行い、「平城山」や「スキー」などを作曲した。その後は、文部省教科書編纂委員として音楽教科書編纂等に携わる。また、NHK専属作曲・指揮者、合唱連盟理事、日本音楽著作権協会理事、大阪音楽大学教授等を歴任。 
1965年(昭和40年)、「詩と音楽の会」を結成。日本の新しい歌曲、合唱曲集の創作活動を行う。作品は、器楽、声楽(洋楽・邦楽)と広範囲にわたる。小学校や中学校の校歌も数多く手がけた。 
1973年(昭和48年)、紫綬褒章受章。1982年(昭和57年)、勲四等旭日章受章。1983年(昭和58年)、伊野町名誉町民。1992年(平成4年)、よんでん芸術文化賞、毎日出版文化賞を受賞。 
2002年(平成14年)11月30日、肺炎で死去。享年92。 

主要作品を見てみると、童謡は4曲ほど、あとは作曲の専門的な分野での功績を残された方であるだけに、管弦楽、室内楽、邦楽、ピアノ曲、声楽他、そして校歌など膨大な数にのぼる。しかし、戦時中のものは「焼失」となっているものも多く、また軍歌、行進曲なども作曲されている。大東亜戦争行進曲「南進日本」という曲もYouTubeで検索してみたが、似たような題名のものはあるがどの曲が平井康三郎によるものか、残念ながらよくわからない。ただ、軍歌は敬遠していたが、こうしていくつか聴いていくと、作曲者も歌手も本格的な勉強をした方によるものが多い。今まで、それは外国の作曲家たちに限って~と思っていたが、戦時下では日本も同様だったのかとつくずく思う…脱線になるが、何年か前に「月光の夏」という映画を観た。音楽学校でピアノを勉強していた若者までもが特攻隊で駆り出されることになり、知覧に赴く前に、さまざまな思いを込めてベートーヴェンのソナタ(通称月光ソナタ)を演奏する…戦争による悲劇を扱った映画は数多く観ているが、この映画の特徴はそれぞれ生きる人々には夢や希望があったはずなのに、それをむしり取るかのように扱われたその悔しさが、月光第3楽章をほぼ抜粋することなく演奏するシーンに表れ、心を打たれた…

スキーの題名からはほど遠い内容になってしまいました😠 
でも、私が学生だった頃は、原爆の日も終戦記念日も、いつもテレビの前で家族みんなで黙祷したものでしたが、今の子たちはその日さえも知らない子が多いというのですから驚きます。平和でいられるのも、こんな時代があったからこそなのだと、時々、過去に思いを馳せなくてはと思います。

さて、スキーについて私がカナダでスキーをした話などを書こうと思ったのですが、平井康三郎を知らべるうちに、違う方向に飛んでしまいました。
そろそろ2時~最近、ブログが楽しくて更新するうちに宵っ張りになってきました。この辺で今日は、失礼いたします~♪

最後に、スキーの歌をもう1つ。私が小学生の頃は、スキーの歌というと、もっぱらこちらの方を歌っていました。では、またね~😉