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まくらが歌謡楽団のブログです♪

「粛」という漢字

2020-04-14 18:02:12 | 日記
皆様、お久しぶりです!お元気ですか?
いつも、Tedさん、茂木さん、情緒的な素敵なコメントをありがとうございます♬

さて、毎日のニュースがコロナ一色、朝もコロナ、昼もコロナ、夜もコロナ…
コロナといえば、最初の頃は、石油ストーブ?と思いましたが、今は、もうそんな事も言ってられません。今日も、何割自粛できたか、その話題が先行しています。

ところで、自粛の「粛」という漢字ですが、ちょっと見てみたら~私は、なんと書き順を間違えていました。書き順は、こちら🎵
「粛」という漢字の意味は、皆様もご存知のように~
1.心・規律などを引き締める、つつしむ
2.身が引き締まる程厳しい
3.物音をたてない
などと、”コトバンク”というサイトに載っていますが、1と2はできたとしても、3は、歌う時には難しいですね!やはり、この自粛の期間、外出や人と会うことは自粛できたとしても、それによって、心が自粛してしまっては、かえって健康によくありません。
そこで、私からの提案ですが、是非、1日に最低1回は、お家で、「3.物音をたてない」を大きく変更して→「3.大きな物音(雑音、騒音を含む)をたてる」にしてみませんか?う~ん…熟語にしたら、「自粛」が「顰蹙(ひんしゅく)」になるかもしれませんが、かまいません!心の健康の為には大きな声で歌うことが大切です!

それでは、今日の1曲。


ウィキペディアによると~
1961年、作詞者のやなせたかしは『木島則夫モーニングショー』の前身である『NETニュースショー』の台本構成をしており、番組内に音楽を流すコーナーがあった。そこで自身で作詞した「手のひらを太陽に」を、知り合いであったいずみたくが作曲し発表したものである。歌は、いずみの推薦により宮城まり子が歌った。 
作詞者のやなせは、「厭世的な気分になって追い込まれていた時のことです。暗いところで自分の手を懐中電灯で冷たい手を暖めてながら仕事をしていた時に、ふと手を見ると真っ赤な血が見える。自分は生きているんだという再発見と、その喜びを謳歌して頑張らなくちゃと、自分を励ますためにこの詞を作った」と述懐している。また、元々は童謡ではなくホームソングを作るつもりで書いたという。なお歌詞の中でアメンボが出てくるが、これは当初はナメクジであった。
1962年、 NHK『みんなのうた』への売込みが成功し、宮城まり子とビクター少年合唱隊の歌唱、映像はやなせ自身制作のアニメーションで放送された。当時、歌は反響もなくヒットしなかったが、 1965年にボニージャックスが歌ってキングレコードから発売され、その年の紅白歌合戦で歌唱すると、反響を呼び広く知られるようになった。

アメンボがナメクジでなくて良かったなと思います😀 
では、明るく楽しく歌いましょう~!

1週間…

2020-04-06 17:57:52 | 日記
皆様、お久しぶりです!
1週間前が、ずいぶん昔のように思う今日このごろですが、皆様お元気でいらっしゃいますか?
昨日、開催予定だった会は、結局、来年に延期となりました。やはり、今は開催するリスク、開催しないリスク、両方ともリスクなしには行えませんが、「もしも~」の事を考えたら、延期するしか方法はありませんでした。
今月の歌声広場もなくなりましたが、市内の多目的ホール、図書館が開かない限り、中止が続くように思います。こんな状況は、誰をも想定外の事態だと思います。
明日は、緊急事態宣言が出るのでしょうか…私は、もちろんコロナの感染拡大も恐ろしいですが、このような事柄から想像されるのは、映画等で観たことのある戦時中の姿。緊急だからこそ、戦後、75年の今、日本にとって大切なものは何か、どのような状況下にあっても、独裁ではない、民主主義の上に立つ、そして弱いものを見放すことのない政治を願うばかりです。
なんて~暗い毎日ですが、こんな時こそ、音楽ですね!
音楽は、人の心を癒してくれます。そして、歌は元気を栄養分として活性化してくれます。
さぁ、こんな時に歌いたい歌は~~~~~~~~~~

ウィキペディアによると~
サトウハチローがこの詞を作ったのは戦時中であったが、「戦時下に軟弱すぎる」という理由で検閲不許可とされ、戦争終了後に日の目を見た。というのがこれまでの定説化した話であったが、出版文化研究家の永嶺重敏が当時の文献を調査した結果、1946年の雑誌記事でサトウハチローが「映画の脚本を読んでから詞を書いた」と記述していること、さらに佐々木康監督も晩年に「映画の脚本をサトウに持たせて詞を書かせた」と発言していることから、詞を作ったのは戦後であると結論づけている。曲は映画の撮影が始まっても完成せず、作曲者の万城目正は秋田県のロケ先へ向かう汽車の中で曲を書いたと回想している。
可憐な少女の思いを赤いリンゴに託して歌う歌詞が、終戦後の焼け跡の風景や戦時の重圧からの解放感とうまく合っていたのと、敗戦の暗い世相に打ちひしがれた人々に明るくさわやかな歌声がしみわたり、空前の大ヒットとなった。2007年(平成19年)には日本の歌百選に選出されている。
「リンゴの唄」吹き込みの際、作曲者の万城目正は度々ダメを出し、「もっと明るく歌うように」と指示した。しかし、この注文は当時の並木には酷で、並木は戦争で父親と次兄、3月10日の東京大空襲で母を亡くしていたため、とてもそんな気分にはなれなかったのである。その事を聞いた万城目は、「君一人が不幸じゃないんだよ」と諭して並木を励まし、あの心躍らせるような明るい歌声が生まれたという。 
短調で暗いメロディなのに何か元気になりたい時に口ずさんでしまうのは、意味があったのですね。
皆様も、ふじりんご片手に大きな声で歌ってみましょう

卒業式シーズン

2020-03-25 22:04:00 | 日記
こんばんは!
今週、県内の小中学校では卒業式の所もありましたね!
そこで今日は、その昔(私が小中学生の頃)、いつも君が代と共に歌っていました「仰げば尊し」を歌ってみましょう♪
さぁ、最初は、お手本です!


では、続いて、歌詞付ですので、皆さんも歌ってみましょう!


この曲につきましては、いろいろな注釈がありますので、こちらをご覧下さいね!
ちなみに、私の学生時代は、「我が師の恩」を「和菓子の恩」とわざと言っている友達がいました😀 

では、夜ご覧下さった方は、おやすみなさい~☆彡
朝、ご覧いただいた方は、今日も1日、楽しく過ごせますように~♪

エーデルワイス

2020-03-05 21:23:05 | 日記
皆様、こんばんは!
だいぶ暖かくなり、古河公方公園の桃の花もそろそろ咲きそろい始める頃…
今年は、桃祭りもそして都内、上野公園などのお花見&宴会も、全てコロナウィルスのせいでなくなってしまいましたね😢 残念ですが、でも静かなお花見もたまには良いのかもしれません…また、外出するとコロナが怖いなぁ~という方は、ぜひ、こちらのページをご覧下さい。満開の桜をご覧いただけます😄 
あっ、それから1つお知らせです♪こちらの桜のお写真も茂木さんの作品ですが、なんと、茂木さんのホームページができました!じゃじゃ~~~~ん!こちらです!
まだ、形ができたところで、これから充実させていきたいということですが、これから楽しみですね~!

さて、今日の1曲は、「忘れな草」のところでTedさんがリクエストして下さった「エーデルワイス」です。エーデルワイスといえば、サウンドオブミュージック🎵夢中で何度も観た覚えがあります~♪

ウィキペディアより~
「エーデルワイス」(英: Edelweiss)は、ロジャース&ハマースタインのコンビによるミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の中で歌われる歌である。トラップ大佐が、ドイツに併合され消えゆく祖国オーストリアを想い、オーストリアの象徴としてエーデルワイスを愛でて歌う。 
阪田寛夫による日本語訳詞のものが日本の教科書に採用されるなど、大ヒット曲となった。他の日本語訳詞には吉田孝古麿によるものが存在する。登山愛好者向けの歌集にも収録されている。 
エーデルワイスの原語は独: Edelweiß(エーデルヴァイス)で、「高貴な白」という意味である。 オーストリアを称える内容から、オーストリアの国歌、あるいは民謡と勘違いされる事がしばしばある。 

ということですが、では、エーデルワイスのお花について調べてみましょう。
セイヨウウスユキソウ(西洋薄雪草、学名:Leontopodium alpinum)は、キク科ウスユキソウ属に分類される高山植物。ハナウスユキソウ(花薄雪草)と呼ぶ場合もある。 ヨーロッパ各国において、単にエーデルワイスといえばこの植物種を指す。ただし日本には本種が分布しないため、ウスユキソウ属に分類される高山植物全てがエーデルワイスと称されることがよくある。日本産種で本種にもっとも外観などが似ている近縁種はハヤチネウスユキソウであると一般に言われている。 
一般にはエーデルワイスの名で知られ、ヨーロッパでもっとも有名な高山植物である。エーデルワイスの名はドイツ語の edel(高貴な、気高い)と weiß(白)に由来する。ドイツ語圏以外でも本種の呈する白い外観は純潔の象徴と捉えられており、ルーマニア語名 floarea reginei(女王の花)もこれに由来している(元々はラテン語である)。 高山帯に見られるため多くの地域において山や山と関する事物に関連づけられており、また花言葉にもなっている純潔の象徴としてもさまざまな事物にその名が引用されている。
19世紀のロマン主義の台頭によって神秘的なものへのあこがれとしてエーデルワイスは愛や操、堅信など『不死・不滅のシンボル』として祝典や恋愛などに用いられるようになり、本種は更に採取され、減少することになった。ついに本種はよほど険しい場所でしか見られなくなり、採集者が転落死するケースが続発した。その為本種は『アルプスの植物ローレライ』とまで呼ばれ、これが絵画や彫刻のモチーフになった。 
本種の減少は政治上の話題ともなったが、具体的な保護策は随分遅れ、スイスで採集禁止になったのは1909年である。だがそれでも観光客や地元の観光業者や花屋などは採集を行い続け、現在でも本種の野生株を見ることはきわめて難しい。

なるほど…また勉強になりました。それでは、最後にエーデルワイスをどうぞ!


「旅人よ」つづき…

2020-03-03 20:17:52 | 日記
前回からだいぶ時間が経ってしまいましたが、皆様、コロナに負けずにお元気にお過ごしですか?今月のまくらが歌謡楽団の歌声広場は、できるだけ開催したい方向ではありますが、決定までにもうしばらくお待ちくださいね♪

さて、前回の「旅人よ」ですが、Tedさん、茂木さんのコメントを読ませていただくうちに、だんだん、わからなくなってきてしまいました😵 

  風にふるえる 緑の草原
  たどる瞳かがやく 若き旅人よ
  お聞きはるかな 空に鐘が鳴る
  遠いふるさとにいる 母の歌に似て
  やがて冬が冷たい 雪を運ぶだろう
  君の若い足あと
  胸に燃える 恋もうずめて
  草は枯れても いのち果てるまで
  君よ夢を心に 若き旅人よ 

  赤い雲行く 夕陽の草原
  たどる心やさしい 若き旅人よ
  ごらんはるかな 空を鳥がゆく
  遠いふるさとに聞く 雲の歌に似て
  やがて深いしじまが 星を飾るだろう
  君の熱い想い出
  胸にうるむ 夢をうずめて
  時は行くとも いのち果てるまで
  君よ夢を心に 若き旅人よ

そもそも、「似て」という言葉がひっかかってしまいます。この詩の中で「似て」という言葉はなくても良いように思うのに、あえて「似て」とあるのは?
母の歌に似ているのは、鐘の音、雲の歌に似ているのは…。私の勝手すぎる解釈は~遠いふるさとにいるのは母ではなく、母の歌であり、もう母は亡くなっているかもしれない、時空を超えたはるか遠くから聞こえる鐘の音は、母の歌っていた歌、そしていつも遠いふるさとを想う時に空に響く永遠の鐘の音のように私の心に奏でられる母の歌。
雲の歌は、はるか上空を鳶などが力強く行く時(この「はるかな空」と全体的に「若者よ大志を抱け」のような雰囲気の歌詞からは、私は夕焼け小焼けのカラスではないように思うのですが…)この鳥のようにのびのびと生きていきなさいと、その様が雲の歌のようだと…では、雲の歌とは?

疑問ばかりだが、ここに岩谷時子の詩に「空がこんなに青いとは」というのがある

知らなかったよ
空がこんなに青いとは
手をつないで歩いて行って
みんなであおいだ空
ほんとに青い空
空は教えてくれた
大きい心を持つように
友達の手をはなさぬように

知らなかったよ
空がこんなに青いとは
なぜかしら悲しくなって
ひとりで見上げた空
とっても青い空
空は聞かせてくれた
風にも負けない雲の歌
ひとりでも もう泣かないように


この曲についてウィキペディアを見ると~
第37回(1970年)「NHK全国学校音楽コンクール 小学校の部」課題曲である。1970年6月-7月には『みんなのうた』でも放送された。歌は東京放送児童合唱団。 
1970年7月10日に、NHKのドキュメンタリー番組『現代の映像』にて「空がこんなに青いとは」と題された回が放送され、テーマ曲ともなった。大阪市内・工場地帯の公害問題を扱ったこの回では、当時コンクールで3年連続優勝していた大阪市立北恩加島小学校の生徒たちが、公害地区のどんよりとした空の下で、課題曲であるこの曲の練習に励む様が取り上げられている。2000年9月の『NHKアーカイブス』番組内で再放送された~

この曲の後半の歌詞にも「雲の歌」があります。「旅人よ」の曲が発表されたのが1966年ですから、何か「雲の歌」には独特な作者の想いがあるように感じます。
もっと調べて追究したら、何か見えてくるかもしれません…