プラマイゼロ±

 某美少女戦士の内部戦士を中心に、原作、アニメ、実写、ミュージカル等問わず好き勝手にやってる創作、日記ブログです。

秋の夜長

2010-10-21 23:59:45 | SS



 開け放した窓からは涼やかな風と虫の声が入ってくる。秋の月は高く上っている。風があるせいか雲もほとんどなく、また、その雲も澄んだ夜空を隠すのでなく飾っているような風情だった。外に出ようとは思わないが、寝る前に自室から見られる景色としては贅沢だ。

「いい夜ね・・・」

 レイは自室の窓を開け放し、月の明かりを見上げながら呟く。頬をなぞる風を感じながら、秋の少しだけ冷たい空気を肺に取り入れる。見上げた夜空は吸い込まれそうに広く、月明かりのせいか闇は微かに青く光ってさえいるようだ。まばらに瞬く星は、それぞれが宝石のようだ。
 この夏は随分暑さが厳しかっただけに、この涼しさは体に沁みるほどに心地よい。さらさらと秋の訪れを感じながら、レイは目を閉じた。
 秋の夜長と言うくらいだから、何かをするには確かに快適な時期なのだろう、と友人たちを思い浮かべる。優等生な彼女なら読書を楽しむのだろうか。お団子頭の彼女はむしろ食欲の秋だから時間を問わずにお団子でも食べるのだろう。リボンの友人は、彼女も食欲だろうか、でも体育会系だからスポーツの秋かもしれない。
 そして、彼女は―

「・・・ん」

 そこでレイは我に返った。というより携帯のバイブ音に現実に引き戻された。随分と無粋な音に微かに眉を潜めながら、乱暴な手つきで携帯を取る。

「・・・もしもし?」
「あ、ごめん。怒ってる?」

 一言しか喋ってないのにいきなり謝られても、それはそれで困るものだ。感傷に浸っているのを邪魔されて少し不快だったのは確かだが、たった一言でそれを見透かされて謝られてもレイとしても立つ瀬がない。

「・・・・・・・・・・・・なんなの、まこと」
「あ、ごめんごめん。機嫌悪そうだったから。もう結構遅いしね」
「別に怒ってないわよ。ただ・・・」
「ただ?」

 ちょうどあなたのことを考えていた、とは言えない。不埒なことを考えていたわけでもないのだが、わざわざ言うほどでもない。

「何でもないわ。それより何の用?」
「ああ、うん。こんばんは。今大丈夫?寝てた?」
「別に・・・ぼーっとしてただけだから」
「あ、ごめん!」
「・・・何で?」
「ぼーっとしてるの邪魔しちゃって!」
「・・・謝らなくていいわよ」

 確かにぼーっとしてるところを携帯が鳴って無粋だのなんだの思って、それが最初の言葉に棘となって出たのかもしれないが。だがいちいちそこまで謝られてもレイとしては困惑してしまう。

「何の用なの」
「んー、声聞きたくなってさ」
「・・・切るわよ」
「あ、待って待って!」
「・・・何」
「今出てこれる?」
「・・・どこに?」
「鳥居まで来てくれたらいいよ。実は今石段の下にいるんだ」
「なっ・・・」
「外すごい涼しくて気持ちいいんだ!ちょっとだけ一緒に散歩しないか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あ、や、駄目だったらいいんだけど。さっきまで一人でぶらぶらしてて、たまたま近くまで来ただけだからさ」
「・・・・・・・すぐに石段上がってきてなさい!」
「・・・お?」
「切るわよ」
「え、レイ!?」

 レイはまだまことが電話の向こうで何か言っているのを無視し受話器を置くと、携帯を放り投げ寝巻きを脱ぎ捨てた。






「・・・はっ・・・はっ・・・」
「よぉ」

 着替えを済ませたレイが家を飛び出したら、まことはなんでもない風に鳥居にもたれかかっていた。東京の夜とはいえ、神社の周辺は灯りも乏しい。ましてや神社の中はそれらしい灯りもなく不審者が潜んでいても何もおかしくない暗さだ。
 それなのに、冴え渡る月光と闇を穿つような星明りの中、彼女は溶け込むような自然さで佇んでいた。

「ごめんな、急に」

 いつも通りの口調で。

「・・・どうしてあなたはこんな時間に出歩くの!」
「えっ・・・?だ、だって、夏だと暑いし冬は寒いし・・・今すごいいい季節で歩いても走っても気持ちいいんだよ。夜だと静かだし、植物だって・・・」
「夏でも冬でもあなたは出歩いてるときあるでしょう!散歩が悪いとは言わないけど、何で明るいうちに出来ないのよ!」
「・・・レイ!もう遅いんだから静かにしよう!な?」

 まことは慌ててレイの口に人差し指を押さえる。広い神社で多少声を出したところで近所迷惑になるほどでもないをまことは知っているはずなので、単に小言を聞く気はないのだろう。未だに何か言いたげなレイに手を伸ばす。

「行こ?」

 あたしがいるから大丈夫、何て意味の分からない言葉を言われて、それでも手を取った。手を引かれて、レイは鳥居をくぐる。
 秋の風が少し冷たい分、握った手は温かく感じた。





「お待たせー」

 暗い石段を降りると、まことは石段の傍から一台の自転車を引っ張ってきた。レイは一秒すら待っていないのでお待たせと言われる筋合いはないのだが、こういう場合の常套句なのだろう。
 特に変速などの機能があるわけでも、速さを出すのに特化したわけでもない、ありふれた形のシンプルな自転車はレイには見覚えがない。

「自転車持ってたの?」
「うん。今日買い物行ったら中古だけどいいの見つけて、買い物にも便利だし、この夏暑いのに冷房結構我慢した自分のご褒美にって買っちゃった」
「確かに便利ね。前かごも付いてるし」
「で、買ったら乗って色々行ってみたくなるじゃないか」
「だからこんな時間にふらふらしてたって訳ね。不良中学生」
「・・・あぅ。でも普通に歩くよりは安全だろ?それにセーラー戦士は明け方に出動することだってあるじゃないか。あっちの方が危ないと思うけど」
「それとこれは別よ。変身してない場合、出歩いてるだけで補導されるかもしれないし・・・」
「そのときは逃げるよ!走るのも結構早い方だし」
「胸張って言うことじゃないわよ!最初から補導されないような言動を心がけなさい!」
「レイ!大声だしちゃ駄目!」

 まことは慌てたように口の前に人差し指を立てると、長い足を翻し自転車を跨ぐ。自分を呼んだからには押して歩くのだろうと思っていたレイは瞬きを数回しまことと自転車を交互に見つめる。

「乗るの?」
「うん。歩くのも走るのもいいけど、自転車で飛ばすのも気持ちいいよ!」
「私は・・・」
「後ろ乗って!安全運転するからさ!」

 後ろ、と言うことは二人乗りだろうか。別に法律云々の言葉を出す気はないしそもそもそんなことレイは知らないのだが、乗り方を知らない。

「どうすればいいの」
「あ、二人乗りは初めてか?」
「・・・悪い?」
「そんなことないよ。この自転車の場合後ろのとこ座るか、スタンドから出てるところに足乗っけて立つかだけど・・・座った方が安全だね。足場不安定だし」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「座って。で、危ないからあたしに掴まってて」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 まことは顔だけをレイの方に向けると、目線だけでレイに後ろに乗るように促す。レイは若干ためらいつつ後輪の上に取り付けられた無骨な台に腰を下ろす。更に相当逡巡した後、まことの腰を抱きこむように腕を回した。

「ん、そう。しっかり掴まってな」

 レイが乗ったことを確認したまことは、ペダルに足を乗せる。二人分の体重を感じさせない軽やかさでタイヤは回り出す。秋の夜の風が緩やかに流れる。何もしなければ少し肌寒いくらいだが、まことに抱きついている今は火照った頬を覚ますほどよい快さだ。

「・・・どこ、行くの」
「どこ行きたい?全然決めてないけど」
「・・・どこでも・・・あなたの行きたいところで・・・いいわ」
「そう」

 ペダルをこぐまことは振り返りはしなかったが、むしろ振り返ってくれなくていいと思った。懐かしいような秋の空気に、いつもと違う速さで流れていく世界。抱きついた背中は、あまりにも温かい。

「じゃあ、行くよー」

 レイは返事の代わりに、腕にゆるやかに力を込めた。




 まことが向かう場所は本当に適当だった。人通りのすっかりない住宅街を意味も無くぐるぐると巡ったかと思えば、唐突に商店街の車道沿いに出てみたり、不意に方向転換をしたり、本当に行き先など決めていないのだろう。だが、その適当さが却って普段知らない夜の世界を感じることが出来た。
 眠っているような住宅街の沈黙と外灯。曲がり角を曲がる体の傾きと、見えない世界が開けたときの高揚感。そして、また、沈黙と闇。車道で時折すれ違う、どこに向かうのかも知れない車のアスファルトを擦る音は静かでもはっきり響いて、ちらちらと流れるヘッドライトは異世界みたいだ。

 どこも見慣れた街で、ただ夜に沈んでるというだけなのに。

 あてもなく走り続ける二人にそれらしい会話はない。ただ、まことが時折方向転換を告げたり、曲がるから体を傾けろと言う指示があったり、その程度。レイはレイで特に返事をすることももうまことがどこに向かっているのかを考えることもなく、ただ夜の散策に心を傾けている。彼女が言っていた通り、確かに快いものだ。風の音、感覚、匂いすべてに短い秋の訪れを感じる。それだけで十分に心地よくて目を閉じた。
 暗く静かな世界は確かに不安を煽るものだけど、こうもぼんやりとたゆたうような感覚に快く感じるのは、きっと、一人ではないからなのだろう。安全ではないかもしれないけれど、安心できるから。

 しばらくそうしていて、ふと、レイはタイヤの感触が変わるのを感じて周囲を見回す。これまで走っていたアスファルトでなく砂地の部分に入ったようだった。
 よく見れば、普段見慣れたはずの公園。深夜と言うだけで俄かに気づかないほどに違う。

「ちょっと休憩しようか?」
「・・・・・・・ん」

 まことはスピードを落とすようにベンチの前に自転車を止めると、自転車にまたがったまま足で器用にスタンドを立てた。そのまま降りろと言う意思表示だろうとレイは足を地面につけた。

「大丈夫か?ぼーっとしてるぞ」
「・・・ん・・・」
「ほら、しっかりして」

 まことは自転車から降りるとベンチをさらさらと掃いレイに目線を向けた。要するに座れと言うことなのだろう。レイは数歩の距離を微かによろめきながらベンチに腰掛けた。
 温もりから離れた体を秋風が通り抜け、少し肌寒い。その冷たさが夢から覚めたような心地にさせて、レイはぼんやりと大きく息をついた。

 すると隣に腰掛けた彼女から柔らかい声が降ってくる。

「レイ、眠い?」
「・・・えー・・・」
「結構遅い時間だったもんなー。ごめんな。いつも早起きなのに」
「・・・んー」
「帰ろうか?」
「・・・今・・・何時?」
「え、何時だろ・・・えーと・・・ああ、日付は変わっちゃってるね。月ももうこんなに高いし」

 そういってまことは眩しそうに空を見上げる。だが、室内で見た世界とは違い公園内の外灯はあまりに覚束なく、夜半を過ぎた月は明るくても遠く、雲を帯びている。そしてこれだけ暗くとも東京の空気は汚れているのか、星は開けた視界でも随分にまばらだ。よほど輝く星しか視界には映らない。
 レイは空を見るまことを見つめた。まばらでも、確かに目を細めるほどに眩い明星が、光射している。

「レイ?」
「・・・確かに・・・気持ち、よかったわ」
「いいもんだろ?夜の散歩ってさ。景色見るとか、風を浴びるとか、植物の匂いとかさ、いつもと同じなんだけど、夜に外に出なきゃ得られないものってあるんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「でももう帰ろう?眠そうだよ。明日も学校だし」
「・・・もうちょっとだけ」

 そう言ってレイは隣のまことに静かにもたれかかった。傍に体温があると安心する。涼しい風とか植物の匂いとか夜に沈む街とか星空とは言いがたい夜空に凛と輝く明星とか、心に通り抜けていくものはたくさんあるけれど、それでも隣にこの熱がなければ全てが恐怖をもたらすものでしかないから。
 まどろむような、心地よい、世界。

「・・・でもレイ、ほんとにもう遅いから。あたしが誘っといて言うの何だけど、おじいちゃんが心配するよ」
「・・・黙って来た」
「何だって?」

 そこでレイは隣の熱の気配が変わるのを感じる。これで穏やかな時間はきっと終わりだとも感じていた。だが、もう充分だった。

「ばかかお前!何で言って来なかったんだおじいちゃんが心配するだろう!」
「言ったら絶対出してくれないわよ。それにセーラー戦士出動の時は夜中に黙って出ることもあるし、抜け出すのは慣れてるもの」
「それとこれとは別だ!あたしはちゃんとあんたがおじいちゃんに言ってきたものって思って・・・!」
「夜に騒ぐのはやめなさい」
「あのなぁ・・・!」

 先ほどとは完全に逆だな、とレイはぼんやりと思う。なのにどうして彼女は分かってくれないのか、そのことに頭が痛くなる。肩を掴まれて真顔で説教をされても、こちらの心には少しも響いてこないと言うのに。

「セーラー戦士の時は仕方ないよ、使命だし平和を守るためだ。だけど何もないときに出歩いたら危ないし、何よりあんたが自分が知らないうちにどこかに行ったって分かったらおじいちゃんがどれだけ心配するかって分からないのか!?」
「・・・ええ、心配してくれるでしょうね」
「だったらどうして・・・」
「あなただってそうじゃない」
「あたしは一人暮らしだし家族もいないから問題ないだろ!でもあんたは・・・」
「私が・・・私が心配するでしょう!どうしてそれが分からないのよ!」

 レイはきっぱりと言い放った。まことは一瞬何を言われているのか分からない、と言う顔をしてレイの肩を放した。そして目を数回瞬いて、何かを逡巡するように俯いた。戸惑ったようなその表情は、果たして何を意味するのか。

「・・・まこと」
「・・・ごめん・・・レイの言ってること・・・分からない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「レイにさっき怒られたのだって、補導されるかもしれないとか、不良扱いされるからだって、そうなったら色々面倒だからだって・・・それでそれは正しいって思ってた・・・でもやっぱり一人暮らしは気楽だし、夜の散歩は好きだし」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「もしかしたら・・・あたしの思ってることはレイが思ってるのとは違うのかもしれないけど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・でも」
「・・・でも?」

 まことは顔を押さえ、大きくため息を吐いた。顔が見えない分、笑っているのか泣いているのかさえ分からない。まことはそのまま顔を伏せた状態でレイの腹部に抱きつくように顔を埋めた。

「・・・どうしたの」
「・・・怒ってるんだろ、あたしのこと」
「・・・怒ってるわけじゃないわ」
「・・・そうか・・・じゃあ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・もう、ちょっとだけ・・・このまま・・・」

 夜しか得られないものもある、とはまことの言葉だけど。
 レイはこの夜で、夜の散歩は快いものだと知った。まことはまことで何か新しいものを得たのだろう。顔の見えないまことの頭を撫でながら、レイは再び空を見上げる。明星は相変わらず夜空に輝いていた。
 腹部にある頭を緩やかに撫でた。終わると思っていた穏やかな時間はもう少しだけ続いている。秋の風が涼しいほどに、傍にいる彼女は温かい。





「・・・もう、ほんとに帰らないと」

 そう言って顔を上げたまことの顔はいつも通り、泣いているわけでもなく平然としていた。離れる熱が名残惜しく、でもまことを引き止める真似をレイはしない。

「送るからさ」
「うちからあなた一人で帰らなくちゃいけないじゃない」
「自転車だから大丈夫だって。ほんとに」
「・・・家に着いたら、メールでも電話でもいいから必ず連絡して」
「何で?遅いんだからレイもう寝るだろ」
「ちゃんと帰れたかどうか分からないでしょう!いいから連絡しなさい。あと、寄り道しないで帰りなさいよ」
「あー・・・コンビニ寄っちゃ駄目?牛乳ないの忘れてたんだ」
「駄目に決まってるでしょう!さっさと帰りなさいこの不良中学生!」
「レイも喜んでたじゃないか、夜の散歩。気持ちよかったろ?」
「それとこれとは別よ!私はっ・・・あなたが一人で・・・!」
「あーもー夜に大声出すなってば」

 まことは掌をひらひらとレイをあしらうと、自転車にまたがった。目線だけで察するに、やはり後ろに乗れということだろう。話はまだ終わっていないのだが、もう聞いてくれる様子もなさそうだとレイは顔を顰め、来たときと同じ体勢で自転車に乗った。
 何だか悔しいので必要以上に回す手に力を込めたのだが、まことは全く気にする様子はない。そしてまた、二人分の体重を感じさせない軽やかさでタイヤは回りだす。
 秋風がまた、流れていく。

「やー、でも、やっぱりさ、夜の散歩っていいよね」
「・・・確かに、否定はしないわ。でも・・・」
「でも?」
「次から、行くならせめて私に声かけなさい」
「え、誘えって?そんないつも行ってたらレイも大変だろ」
「違う!何度言ったら分かるのよ!私はあなたを・・・!」
「分かってるって」
「分かってないわよ!」
「分かってるってば。でもレイには悪いんだけどね」
「・・・何?」

 やっぱり、まことは振り返りもしない。

「心配してくれる人がいないと、悪いこともやりがいないな」
「なっ・・・!?」

 それはつまり、一方的に心配させると言う意思表示で。一気に頭に血が上ったレイはまことにしがみついていた腕をまことの体に這わせ反撃に出た。単純な力で駄目でも、力技で出来ることはある。

「う゛あっ・・・レイっ・・・へそっ・・・へそはやめてぇぇ」
「・・・おしおきよ」
「ごめっ・・・ほんとごめんってっ・・・あ゛ぅぅぅ」

 車体をふらつかせながらも何とか前に進もうとするまことににやりと口元を歪ませて、レイは『おしおき』を敢行し続ける。

「静かにしなさい」
「無茶言うなよぉ!わ、分かったってちゃんと連絡するから!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「し、心配させないよう気をつけるって!だからへそはやめて・・・」

 肩で息をするまことにようやくレイは『おしおき』する手を止めた。だが回した腕は戻さない。危ないから―それだけだと言い聞かせて。
 けれど体は正直なもので、信号待ちの時ですら離れることは出来なかった。




 月は高く高く遠く、それでも未だ夜半の明星は眩く暁の気配はない。夜の長い秋の空が薄雲を引いていく。散歩をするにはあまりにも贅沢な夜だった。
 いつの間にか火川神社の前。まことは石段の前でスタンドを立てる。

「上まで送ろうか?」
「いらない。さっさと帰れ」
「・・・うぅ」
「帰ったら・・・」
「はいはい、電話しますって。ちゃんと寄り道せずに帰るよ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「あんたも、家に入るまでを気つけろよ。帰るまで何があるか分かんないし、見つかっておじいちゃんを泣かせるようなことは・・・」
「あなたに言われたくないのよ!」
「・・・レイ」

 まことはそこでふわりと笑う。レイは怒っているはずなのに何がそんなに嬉しいのか、目を細めたその表情は本当に優しいものだった。

「また、一緒に行こう?」

 そこで頭をくしゃくしゃと撫でられて、そのまま返事も聞かずに離れていく。相変わらず優しいのか無頓着なのかレイには判別がつかない。自転車にまたがり離れていく背中を名残惜しく思いながら、隣に熱と明かりの消えた状態で石段の前を見回す。
 街頭の灯りは覚束なく、街は夜に沈んで、風は容赦なく肌を冷やす。最初から一人なら確かに心地よいと思えた感覚だったのかもしれないのに。
 月明かりは朧で、明星だけがくっきり空に散っている、こんな、秋の夜。俄かに背中に寒気を覚え、レイは周囲に気配を張り巡らせながら石段に背を向け、彼女が消えていった方に歩き出す。そしてポケットの中の携帯電話を固く握り締めた。

 自分の身を守るためではない。自分と彼女を繋ぐためだ。

 秋の夜長、レイは風に吹かれながら彼女の家に向かう。元々ただ待っている性ではない。
 時折星を見上げながら、我ながら馬鹿なことをやっている、と微かに自嘲する。そんなレイを果たして見守っているのか呆れているのか、やはり一つの明星が眩い。夜に沈む街を一人彷徨いながら、それでも確実に目的の場所に向かっているレイの足を止めたのは、携帯のコールだった。
 レイは再び歩みながら無愛想に電話に応じる。

「・・・もしもし?」
「ああ、レイ、今家着いたから」
「そう。早いのね」
「自転車だから。だからレイ、もう大丈夫だから寝ていいよ」
「・・・そういうわけにもいかないのよ」
「え、何?」
「今、私がどこにいると思う?」

 電話の向こうでまことが息を飲むのが聞こえた。全く馬鹿なことをしているとは思うのだけど、悪いことは心配してくれる人がいないとやる甲斐もない。機械越しに怒鳴る声が聞こえたので、レイはそのまま電話を切った。またすぐにかかってきたが、それも取らずに切った。

 文句なら、直接聞く。

 自分から怒られに行くと言うのも物好きな話ではあるが、そうでもなければ彼女は分かってくれそうにない。夜の散歩がどれだけ心地よいものだとしても、彼女みたいに目的のない徘徊なんて、自分を心配してくれる人のことを思うと出来ない。そう、目的がなければ。
 目的があれば、道中の秋を、夜を楽しむことも出来るのに。

「・・・いい夜ね」


 レイは自嘲に似た笑みを漏らしながら、秋風をかき分け夜の道を進む。成程雷が落ちる前に味わうには、あまりに贅沢な夜だと感じながら。






          ********************


 チャリの二ケツは青春ですねーということで。あとまこちゃんみたいな彼女がいたら、逆に、嫌でも心配性になると思う。

 ちなみに『夜半の明星』は木星の事です。

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