梅さんのかわら版.umelog

笛吹市 シャインマスカット

”三方ケ原の古戦場を訪ねて”

2015-12-08 16:01:12 | 旅行記
     
三方ヶ原の合戦は、元亀3年(1572)、武田信玄と徳川・織田連合軍が浜松市郊外の三方ヶ原台地で激突した戦いで、武田軍は大勝し、家康は生涯で最大の敗戦と言われている。
この浜松城は、徳川家康が信玄討伐のため築城したもので、29歳~45歳までの17年間を過ごした。
のちに家康は駿府城に移ったが、ここは「出世城」と呼ばれるようになり、明治維新後は城郭は壊され荒廃の一途を辿った。
昭和33年、野面積みの旧天守台の上に新天守閣を再建、現在のような形となった。
この中には入ることが出来るが、中は空っぽでなにもない。
ただ、野面積みはとても美しい。
    
いよいよ、一番期待していた三方ケ原古戦場だ。
今回は、ボランティアガイドがついたが、バスの中から三方ケ原の合戦跡地については歯切れが悪い。
連れて行ってくれたのは此処……ただこの碑があるばかり。(写真左)
ガイドさんの言うには、「ここなら誰も文句を言わないだろう」と言う場所にこの碑を建てたという。
三方ヶ原の合戦は、関ヶ原の合戦以上の激闘であったと伝えられている。
徳川にとっては負け戦であるが、武田にとっては歴史に残る勝ち戦だ。
本当にがっかりした。碑を建てた経緯からしてなんだか腹立たしいが…ところ変わればということだろう。
右は、犀ヶ崖古戦場跡地。
ここはその三方ケ原の戦いで劣勢となった徳川軍が、地理不案内な武田群に夜襲をかけ、この崖下に落ちるよう仕掛けた場所。逃げ惑った兵士が人馬もろとも転落し、数十人が亡くなったという。
先の碑のある場所からバスでかなり来たところにあり、立派な資料館もある。
多数の死者をだしたと言っても武田にとってはさほどの痛手ではないが、少しでも敵に一矢を報いたこということを大きく伝えているのだろう。これもところ変わればということだろうか。