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音曲日誌「一日一曲」#160 クイーン「アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」(Made in Heaven/東芝EMI)

2023-09-08 05:34:00 | Weblog
2011年2月12日(土)

#160 クイーン「アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」(Made in Heaven/東芝EMI)





クイーン、1995年のアルバム「メイド・イン・ヘヴン」より。フレディ・マーキュリーの作品。

皆さんご存知のように、クイーンのリード・ボーカリスト、フレディ・マーキュリーは91年11月、HIV感染合併症によるニューモシスチス肺炎のため、45才の若さで亡くなっている。

彼が85年にリリースしたソロ・アルバム「ミスター・バッド・ガイ」に収録されていたのが、「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」。シングルカットもされ、スマッシュ・ヒットした。日本でもノエビアのCFソングに起用されていたので、覚えている人も多いだろう。

フレディの死後4年を経て、未発表の音源等をもとに、最後のオリジナル・アルバムが制作された。それが「メイド・イン・ヘヴン」だ。

リリースされるやたちまち大ヒット、全世界で2000万枚以上を売り上げ、クイーンのオリジナル・アルバムとしては最高枚数を記録した。

そのアルバムの目玉といえるのが、きょうのこの曲。ソロ・アルバムのボーカル・トラックに、残ったメンバー3人の演奏を加えたもので、アレンジは大幅に変わっていて、いかにもクイーンなサウンドに仕上がっている。

考えてみればフレディの死から約20年、このアルバムの発表時点からも16年近くの歳月が経っている。いやはや、時の流れの早さときたら‥。

しかし、いったんCDをかければ、そんな感慨はどこかに吹き飛び、リアルな興奮が筆者を襲う。とにかく、フレディのボーカルが圧倒的なのである。

ここで筆者の個人的な話を書かせていただくと、75年、クイーンが初来日した際、筆者は日本武道館までコンサートを観に行った。高校3年のときのことだ。

筆者の親戚や知り合いにクイーンの熱烈ファン(もちろん、女性だ)がいて、彼女たちの薦めで観に行った記憶がある。

初めてクイーンを聴いたのは、高校時代、クラスメートの家にて。たぶん、73年だ。ファースト・アルバムを何人かの友人と一緒に聴かせてもらったのだが、そのときの皆の感想は「何これ。ZEPの亜流じゃね?」という酷評ばかりだった。

そういう、オトコ受けの悪いクイーンだったが、セカンド、サード(ともに74年)とアルバムを発表するごとにめきめきと頭角をあらわしていき、女性を中心に人気が急上昇していった。

で、武道館で初めて彼らのパフォーマンスに接したわけだが、正直度肝を抜かれてしまった。

クリアだが、すさまじい大音量の演奏。ブライアンのディレイを駆使した、ひとりハーモナイズ・サウンドにも驚いたが、何より、フレディのタフな歌声が強烈な印象として残った。オペラ歌手にも匹敵する声量、声域の広さ、そしてその説得力。すげえ歌い手が出てきたもんだ、と思った。

公演終了後、しばらく(数時間)耳鳴りがやまなかったのを、昨日のことのように覚えている。

そんな彼の歌が、盟友たちの努力により、4年ぶりに甦ったのが、本アルバム。

世界中の人が愛してやまなかったフレディの歌声を、ふたたび堪能できる、ということで、この一枚の大ヒットは至極当然のものであった。

彼はカラード(有色人種)としては初めて世界的に成功したロック・ミュージシャンだ。われわれアジアの人間としても、彼の存在はとても心強いものであった。

いくつもの意味でマイナリティであったフレディ・マーキュリーが、強い意志、自己への確信をもって生き抜いていったことに、筆者は惜しみない賞賛を送りたい。

その気合いに満ちた歌声、いのちの讃歌を、もう一度味わってくれ。

キング・エルヴィスにまさるとも劣らない、20世紀最高の歌い手、それがフレディ・マーキュリーなのだ。


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