2011年2月12日(土)
#160 クイーン「アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」(Made in Heaven/東芝EMI)
#160 クイーン「アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」(Made in Heaven/東芝EMI)
クイーン、1995年のアルバム「メイド・イン・ヘヴン」より。フレディ・マーキュリーの作品。
皆さんご存知のように、クイーンのリード・ボーカリスト、フレディ・マーキュリーは91年11月、HIV感染合併症によるニューモシスチス肺炎のため、45才の若さで亡くなっている。
彼が85年にリリースしたソロ・アルバム「ミスター・バッド・ガイ」に収録されていたのが、「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」。シングルカットもされ、スマッシュ・ヒットした。日本でもノエビアのCFソングに起用されていたので、覚えている人も多いだろう。
フレディの死後4年を経て、未発表の音源等をもとに、最後のオリジナル・アルバムが制作された。それが「メイド・イン・ヘヴン」だ。
リリースされるやたちまち大ヒット、全世界で2000万枚以上を売り上げ、クイーンのオリジナル・アルバムとしては最高枚数を記録した。
そのアルバムの目玉といえるのが、きょうのこの曲。ソロ・アルバムのボーカル・トラックに、残ったメンバー3人の演奏を加えたもので、アレンジは大幅に変わっていて、いかにもクイーンなサウンドに仕上がっている。
考えてみればフレディの死から約20年、このアルバムの発表時点からも16年近くの歳月が経っている。いやはや、時の流れの早さときたら‥。
しかし、いったんCDをかければ、そんな感慨はどこかに吹き飛び、リアルな興奮が筆者を襲う。とにかく、フレディのボーカルが圧倒的なのである。
ここで筆者の個人的な話を書かせていただくと、75年、クイーンが初来日した際、筆者は日本武道館までコンサートを観に行った。高校3年のときのことだ。
筆者の親戚や知り合いにクイーンの熱烈ファン(もちろん、女性だ)がいて、彼女たちの薦めで観に行った記憶がある。
初めてクイーンを聴いたのは、高校時代、クラスメートの家にて。たぶん、73年だ。ファースト・アルバムを何人かの友人と一緒に聴かせてもらったのだが、そのときの皆の感想は「何これ。ZEPの亜流じゃね?」という酷評ばかりだった。
そういう、オトコ受けの悪いクイーンだったが、セカンド、サード(ともに74年)とアルバムを発表するごとにめきめきと頭角をあらわしていき、女性を中心に人気が急上昇していった。
で、武道館で初めて彼らのパフォーマンスに接したわけだが、正直度肝を抜かれてしまった。
クリアだが、すさまじい大音量の演奏。ブライアンのディレイを駆使した、ひとりハーモナイズ・サウンドにも驚いたが、何より、フレディのタフな歌声が強烈な印象として残った。オペラ歌手にも匹敵する声量、声域の広さ、そしてその説得力。すげえ歌い手が出てきたもんだ、と思った。
公演終了後、しばらく(数時間)耳鳴りがやまなかったのを、昨日のことのように覚えている。
そんな彼の歌が、盟友たちの努力により、4年ぶりに甦ったのが、本アルバム。
世界中の人が愛してやまなかったフレディの歌声を、ふたたび堪能できる、ということで、この一枚の大ヒットは至極当然のものであった。
彼はカラード(有色人種)としては初めて世界的に成功したロック・ミュージシャンだ。われわれアジアの人間としても、彼の存在はとても心強いものであった。
いくつもの意味でマイナリティであったフレディ・マーキュリーが、強い意志、自己への確信をもって生き抜いていったことに、筆者は惜しみない賞賛を送りたい。
その気合いに満ちた歌声、いのちの讃歌を、もう一度味わってくれ。
キング・エルヴィスにまさるとも劣らない、20世紀最高の歌い手、それがフレディ・マーキュリーなのだ。