2024年4月9日(火)
#369 ボ・ディドリー「I’m a Man」(Checker)
#369 ボ・ディドリー「I’m a Man」(Checker)
ボ・ディドリー、1955年4月リリースのシングル・ヒット曲。エラス・マクダニエル(ボ・ディドリーの本名)の作品。レナード&フィル・チェス、ボ・ディドリーによるプロデュース。
米国の黒人シンガー、ボ・ディドリーについては「一枚」「一曲」の両方で何度も取り上げている。彼に関しては、日本では正直言って過小評価されていると感じているので、今後も取り上げて、正当な評価を獲得するための手助けをしたいと思っている。
ボ・ディドリーことエラス・オサ・ベイツは1928年ミシシッピ州マッコーム生まれ。マクダニエルという後の姓は、まだ若く扶養能力のなかった実父に代わって、母の従姉妹の夫ロバートが、エラスの養父となったことによる。
エラスが5歳の時に養父が亡くなり、養母ガシーらと共にシカゴに移住する。教会でトロンボーンとバイオリンを学んだが、ポピュラー音楽により興味を持った彼はギターを始める。
40年代、10代半ばで大工や整備士などの仕事のかたわらストリート・ミュージシャンとなり、アール・フッカーらとバンド活動を行った。1951年、シカゴのブルース・クラブでレギュラー出演を獲得する。
54年にデモ録音した「I’m a Man」「Bo Diddley」がチェス兄弟に認められて、チェッカーレーベルでシングル用に再録音、ついにレコードデビューを果たす。
つまり本日取り上げた「I’m a Man」は、エラスことボ・ディドリーにとっての、ファースト・シングルなのである。そして、当初はB面扱いであったのだが、A面の「Bo Diddley」と共に両面ヒットとなり、R&Bチャートで1位を記録しているので、ファースト・ヒットでもあるということだ。
ボ・ディドリーといえば、彼の名を冠したボ・ディドリー・ビート、すなわちジャングル・ビートであまりに有名であるが、この「I’m a Man」は、それを使っていない。むしろ、ブルースのビートを用いている。
そして、レスター・ダベンポートのハープを前面にフィーチャーしている。ボ・ディドリーとしては、どちらかといえば珍しいパターンの曲だといえそうだ。
この曲の成立背景については、本欄の第317回(2024.2.17)のマディ・ウォーターズ「Mannish Boy」にて既に述べたので、詳しい繰り返しは避けたい。簡単にまとめるならば、「I’m a Man」は「(I’m Your) Hoochie Coochie Man」にインスパイアされて書かれた曲ということだ。
後者の、メロディというよりはセリフの繰り返しに近い前半部を拡大、全面的に展開させたのが、前者というわけである。この、延々と繰り返すことにより生まれる独自のグルーヴが、本曲の麻薬的な魅力ともなっている。
「ヤマなし、オチなしのワンコードリフ反復」という特異な構成にも関わらず、人気を博したこの曲は、その後、黒人白人、国を問わず多くのフォロワーを生む。
その代表例は、もちろん、ザ・ヤードバーズである。
この曲をより軽快なロック・ビートにアレンジした彼らは64年のデビュー・アルバム「Five Live Yarbirds」、その後のスタジオ・アルバム「Having a Rave Up」でその演奏を披露、さらには68年、ジミー・ペイジ時代のライブ・アルバムでも長尺でハイライトに配するなど、幾度となくこの曲をやっている。
ある意味ご本家のボ・ディドリー以上に、この曲を看板曲、十八番としていたわけで、彼らがいかに「I’m a Man」の、シンプルだが強烈な魅力のとりことなったかがよく分かるだろう。
ブルースを出発点としながらも、その枠をはみ出して新しいサウンドを次々と模索していったボ・ディドリー。それにインスパイアされた白人ミュージシャンたちが、次世代ロックを生み出したのである。
オリジナルのボ・ディドリー版は、かつてはよほどマニアでもない限り聴く者がいなかったが、今ではYoutubeの登場によって、容易になった。
ぜひ彼の初々しい歌声を味わい、かつハードロック・サウンドへ進化を遂げたヤードバーズ版とも、聴き比べてほしい。