注文の多い料理店 (雑記帳by山猫)

やる気が出た時に更新します。

土葬か火葬か?(その1)

2006年07月26日 | 中年ドラマシリーズ

今日はとんでもなく暗い内容で、ちょっと重たいかもしれません(気分が)

私はどうも子供の頃から人の「死生感」というものに関心を持っていた。
その割には、子供の頃に大人に向かって「死んだらどうなるの?」などという
子供の好奇心的な質問はしたことがなかったらしい。

なぜかと言うと”知ってた”からに他ならない。
そう・・・多分、私はその後のことを知ってたのだと思う。
だから、「天国にいきますよ~」なんて大人の気休めを本気にしてなかった。

子供だと思って気休めを言ったり、バカにしてはいけない。
わからない時はわからないと言えば子供はどうにか納得するものだ。

私は子供らしさの無い俗に言う「可愛げのない子供」だった。

そういう根拠のない適当な答えを用意する大人(しかも無信仰なヤツ)に
「ふ~ん、そんなに良い所なの? 何度か行ったことがあるの?」と
切りかえしたことがあった。

大抵は呆れるか、黙るか、冗談で笑い飛ばすかだった。

話がそれたが、私が子供の頃、昭和40年代頃までだが、一般の墓地でも
土葬は可能だった。   許可が下りていたのだ。

小学校の中学年くらいの時、私はお寺の敷地、墓地を突っ切って通学していた。
寺の敷地に入ったところの一角に大きな穴が掘られているのを見た。

それは墓地の通路からすぐの、ほんの1.5畳くらいの広さの敷地で、
穴は縦長に掘られていて、決して深くなかったと記憶している。

その日は土曜日で昼には帰宅できたのだが、帰りにそこを通りかかった時に
ちょうど埋葬が始まろうとしていた。

私と友人は黙ってその光景を見ていた。 

亡くなったのは若い(40代くらい?)の男性だった。
棺が閉じられると、それほど深くもない穴に下ろされた。
遺族らしき男性がスコップで土をかぶせていく。
そして縦に長い山が出来た。  墓石はなく、柱のような棒と花がその周りをとりまいた。

その時、一緒にいた友人の家は、その新しい墓から目と鼻の先にあった。
竹を組んで出来た塀を隔てたところにあったので、家から土葬墓は丸見えの状態だった。

その友人のおばさん曰く、とにかく臭いのだそうだ。
深く埋めれば問題ないらしいが、墓穴が浅いととんでもないことになる。

木で出来た棺は経年により腐り、土の重さによって崩れる。
そこで、中で腐乱した遺体のガスが一気に外へ流れ出て近隣住民の生活に影響を及ぼすことになる。

やはり私が小学生の時、叔母が住んでいたアパートの裏がすぐ墓地だった。
他のアパートよりも家賃が安いのは、風向きによって腐敗臭が漂ってくるからだった。
そんなわけで、そこのアパートは人の入れ替わりが激しかった。
叔母も1年もしないうちに引っ越した。

私は数年前に子供の頃過ごしたその町に行ってみた。
友人の家はすでになく、墓地もきれいに区画整理されて公園のようになっていた。

掘り返されてしまうのなら、最初から火葬にすれば良かったのに・・・・などと
考えながら墓地を散策していた。

今の日本では土葬は限られている。 衛生上の問題があるからだ。
特に、伝染病などで死んだ場合は本人、家族の意向はどうあれ焼くしかない。

日本で土葬ができるとしたら、天皇か泉重千代翁くらいじゃないかな。

この写真はドイツにいた時に撮った墓地公園の風景です。

ドイツは基本的に土葬だけど、火葬も普及してきています。

まあ、この話はまたこの次にでも・・・・






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金魚が銀河を渡った夜

2006年07月26日 | 身近な生物たち

8年間飼っていた金魚が死んでしまった。

七夕の夜のこと。

金魚の死はある日突然やってくる。
人間のように長患いの末に・・・ということは聞いたことがない。

夕食中、ふと水槽の方に目をやったら、すでに横になって浮かんでいた。
食事の支度をしているときには元気だったのだが・・・

金魚が人間に馴れる魚だということは本当だと思う。
水槽の方を見ると、金魚はいつもこっちの方を見ていることが多かった。

私が食事をしている時も、風呂上りで裸に近い姿でビールを飲んでいる時も

”アンタはこっちを見ていたよね・・・”

空腹の時、エサが欲しい時には大暴れして「自己主張」していた。

そんなヤツを父は「家族の一員」と言っていた。

そうなのかもしれない、いつの間にか家族になっていた。

平成10年に母が亡くなった年、レンタルビデオ屋でやってたキャンペーンの
クジのハズレの景品が金魚だった。
当たりは確か、有線放送の加入権だったような気がする。

私はハズレのヤツを車のバックミラーにぶら下げて家まで運転して帰ってきた。
まだ小指の先ほどしかない小さな命、愛しく思えた。

ところが数年経つうちに原型を留めないほどのマッチョな身体になってしまった。

「何これ? 本当に金魚?」うちに来た人は驚愕する。
すでに手のひらに乗り切れないくらいに成長して、まるでシーラカンスのような
貫禄を身につけていた。

金魚の寿命は長生きして7年くらいだそうだ。
うちの”タケちゃん”(皆からそう呼ばれていた)は長生きした方かもしれない。

七夕の夜に死んだ金魚、三途の川といわず、天の川を渡って行ったのかな。

亡骸は庭のバラの樹の根元に埋葬した。

何も入っていない水槽に無意識に目が行ってしまう。
心のどこかにポッカリと空洞が出来てしまったような気がする。
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