閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

「傘の日」

2024-06-11 05:45:21 | 今日は何の日
上の写真は「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズで作った「呼子」です。
今日は「傘の日」、それも洋傘の記念日でした。和傘の風情も捨てたものではあり
ませんんが、強度とお値段がちょっとです。今は、ビニール傘全盛で、風が吹いたら
あちらこちらに無残に捨てられていて、ちょっと・・・です。
きのうの朝は空一面の雲でした。雨が降るといけないので、8時過ぎに外歩きに出ま
した。出かける時は少し寒かったですが、暑くなって帰って来ました。往復、4,5
68歩でした。
 
夕方に長女がヒョイと顔を出し、妻と二人でガヤガヤお話していっました。私は入る
隙間なしです。
 
今朝は20℃、暑くなるそうで、きれいな朝焼けと富士山でした。
 
今日の日の解説ちょっと長いです。

東京都台東区浅草橋に事務局を置き、洋傘の品質向上や安全性の確立などを追及する日本洋傘振興協議会(JUPA)が1989年(平成元年)に制定。

日付はこの日が暦の上で「梅雨入り」を意味する雑節の一つ「入梅」になることが多いことから。この季節の必需品である傘の販売促進と傘の使い方などモラルの向上が目的。

日本洋傘振興協議会

日本洋傘振興協議会(Japan Umbrella Promotion Association:JUPA)は、全国の洋傘製造業者有志により、1963年(昭和38年)3月に設立されてから既に50年を超える歴史のある団体である。

その間、会員企業は洋傘の品質向上と安全性の確立はもとより、常にファッショントレンドの研究や機能性の向上を追求し、より高付加価値製品の開発に努力している。また、同協議会では、独自にJUPA(ジュパ)基準を設定し、会員の洋傘の品質・信頼・安心の証として、JUPAマークを添付している。

洋傘の歴史について

江戸時代後期の1804年(文化元年)、長崎に入港した中国(清)からの唐船の舶載品目の中に「黄どんす傘一本」との記述が見られる。これ以前にも、安土桃山時代に堺の商人が豊臣秀吉に傘を献上した記録など、洋傘が海外から日本に持ち込まれた形跡はあるが、江戸時代の「黄どんす傘」が洋傘として特定できる最古の記録とされている。

ちなみに、どんす(緞子)とは、室町時代に中国(明)から伝えられたとされる絹の紋織物で、地は繻子(しゅす)織(サテン)で、地と表裏が反対になった繻子織の裏組織で模様を織り出したもの。光沢があり高級織物の代名詞とされる。厚地のものは礼装用の帯地、薄地のものは布団や座布団の生地として使われる。

傘をさした女の子

明治時代、洋傘の輸入本数は多くなり、文明開化の波とともに洋傘は一気に市民の手に渡っていった。1868年(明治元年)に刊行された「武江年表」という書物に、「この年から庶民にも洋傘が普及し始めた」との記述がされている。

リンク日本洋傘振興協議会Wikipedia

コメント
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