閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

「益軒忌」

2021-08-26 18:04:40 | 今日は何の日

     

今日は「益軒忌」。貝原益軒と言っても「養生訓」を書いた人しか知りません

ともかく、暴飲暴食と冷たいものの取り過ぎに気をつけろということでしょうか。

暑い日が続きます。残暑お見舞いですね。

 

きのうは歩きに出た瞬間に妻が「暑い!」と一言。これは短コースになると予感

し、最初からスロージョギングで。予想通り秋葉台公園の外側を周回しました。

ジョグしたおかげで、4,700歩でした。

帰って汗ぐっしょりなったのを着替えて、一息ついてお茶代わりのトマトジュー

でした。

             

 

解説は以下のサイトからの引用です。

益軒忌(827日 記念日) | 今日は何の日

 | 雑学ネタ帳 (zatsuneta.com)

江戸時代前期~中期の儒学者・本草学者の貝原益軒(かいばら えきけん、1630

1714年)の忌日(旧暦)。

貝原益軒について

1630年(寛永7年)1114日、筑前国(現:福岡県)に五男として生まれる。

名は篤信(あつのぶ)。字は子誠(しせい)。通称は久兵衛。別号に損軒

(そんけん)。祖父の代より黒田氏に仕える。

父や兄に医学・漢学を学ぶ。1648年(慶安元年)18歳で福岡藩に仕えるが、

2代藩主・武断派の黒田忠之(くろだ ただゆき)の怒りに触れ、7年間の浪人

生活を送る。その間、医学修業に励む。 1656年(明暦2年)26歳の時、第3

藩主・文治派の黒田光之(くろだ みつゆき)に許され、藩医となる。

藩命により京都に遊学し、医薬に関する本草学(ほんぞうがく)や陽明学、

朱子学などを学ぶ。この頃、儒学者・木下順庵(きのした じゅんあん)、山崎

闇斎(やまざき あんさい)、松永尺五(まつなが しゃくご)らと交友を深める。

1664年(寛文4年)34歳の時、帰藩。1699年(元禄12年)69歳で役を退き、

著述業に専念。教育・医学・本草・歴史などにも功績を残す。1714年(正徳4年)

827日、84歳で死去。

著書には、歴史書黒田家譜(くろだかふ)1688年)、本草書大和本草

(やまとほんぞう)1709年)、教育書和俗童子訓(わぞくどうじくん)

1710年)、養生(健康)についての指南書養生訓(ようじょうくん)1713年)、

随筆慎思録(しんしろく)1714年)などがある。

 

リンク:Wikipediaコトバンク

                   

コメント (4)
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