3月の花は「カーネーション」です。
解説で母の日に贈る由来など解説されています。
ツートンカラーから作り出したのですが、とても面倒で白と赤単色を作って
終わりました。
今日はホワイトデーのようです。お忘れの方は思い出してくださいね。
貰ってない方は忘れてください。
ちょっと遊んでみました。
昨夕の雨上がりの富士です
7時前に見たらきれいに見えていました。
8時過ぎには快晴になりました。
以下は、ネットにあったちょっと長い説明です。お時間のある方はどうぞ。
カーネーション(英: carnation、学名: Dianthus caryophyllus L.)はナデシコ科
ナデシコ属の多年草。日本での別名にオランダナデシコ、ジャコウナデシコ
(麝香撫子)、オランダセキチクなど多々あり。
原産は、南ヨーロッパおよび西アジアの地中海沿岸と言われている。カーネー
ションという名前の由来には諸説あり、肉(ラテン語:carn)の色の花という説や、
ウィリアム・シェイクスピアの時代に冠飾り (coronation flower) に使われてこれが
転訛したなどの説がある。
地中海沿岸から西アジアの原産ゆえ、古くから可憐な花容を愛された。イスラム
世界では、バラやチューリップと並んで愛好された植物である。イスラム教では
偶像崇拝が禁止されているため、モスクなどの装飾には人物および動物表現が忌避
され、アラベスクという幾何学模様や草花の文様が使用された。このアラベスクの
意匠に、カーネーションの花はしばしば使用されている。
17世紀にはイギリスやオランダで300種以上の品種が見られ、フローリスト(園芸
愛好家)たちによって栽培され、大きく進展を見た。18世紀を通じて品種が増え、
やがて「ショウ・カーネーション」が生まれ、これが19世紀の主流となった。この
花の特徴は花弁の縁の鋸歯がなくなり、花弁の配置を幾何学的な整形に近づけた
もので、現代のカーネーションとは異なっている。この時代にはまだバラの品種改良
もそれほど進んでおらず、カーネーション、オーリキュラ、チューリップは時代の
先端を行く園芸植物であった。
19世紀中頃になるとフランスでの育種が進み、1840年にダルメイスが「パーペテュ
アル系」を作出すると、さらに1857年にはやはりフランスで「マルメゾン系」が誕生
した。これらが現代の営利用カーネーションに繋がっている。
母の日にカーネーションを贈る風習は、20世紀初頭、米国のアン・ジャーヴィスが
亡母に白いカーネーションを供えたことに始まる。
2013年には、農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)花き研究所などがカ
ーネーションのゲノム解読に成功したと発表した。従来ない色や病気に強い品種の
開発に応用できると期待されている。
日本には江戸時代初期以前に輸入され、アンジャベルまたはアンジャ(蘭: anjelier、
tuinanjelier)と呼ばれた。享保年間に出版された、『地錦抄録』(1733年)には、徳川
家光の時代正保年間にオランダからカーネーションが伝来したと書かれている。
しかし、この時には日本に定着せず寛文年間に再伝来し、14種の品種が紹介された。
この時期に書かれた『花壇綱目』にも、「あんしやべる」の名で記録されている。
宝暦年間の1755年に著された『絵本野山草』には、ナデシコなどとともに紹介されて
いる。
その後、1909年(明治42年)に米国シアトルに在住していた澤田(名不明)が帰国の
際に「ホワイト・エンチャントレス」「ピンク・エンチャントレス」「ヴィクトリー」
「ローズ・ピンク・エンチャントレス」など他にも2-3の品種を持ち帰ったが、栽培法に
精通しなかったために生産化には至らなかった。後に土倉龍治郎が近代的栽培技術や
体制を構築し、新しい品種を生み出して日本にカーネーションを定着させ、この業績に
よって「カーネーションの父」と称されるようになった。土倉は犬塚卓一と共に1936年
(昭和11年)、名著『カーネーションの研究』(修教社書院)を上梓している。
現在、カーネーションはキク、バラと並ぶ生産高を誇る花卉植物であり、ハウス栽培で
周年供給している。しかし、最も需要が伸びるのは母の日の5月前後である。また、切り
花のイメージが強いが最近では鉢植えの品種も普及している。
国内生産量と、中華人民共和国やコロンビアなどからの輸入量は2012年時点でほぼ
同程度である。農研機構は国内のカーネーション栽培を支援するため、見た目の美しさや
切り花にした後の日持ち、萎凋細菌病への耐性などを増す品種改良を進めている。