茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

山内一豊の妻

2005-11-27 16:00:41 | 旅先にて
 妙心寺の塔頭寺院のひとつ、大通院。有名な山内一豊公のお墓がある。来年のNHK大河ドラマは山内一豊の妻だそう、来年は大通院も一般公開されるのではないか。一足先にお参りしてきた。大河ドラマで一豊公と妻千代様を演じる上川隆也さんと仲間由紀恵さんもお参りにいらしたそうです。

 大通院は入るところから特徴がある。院門は、“額門”、門が額縁の役割を果たしていることから呼ばれた。門の先に広がる道と左右の木々は手入れが行き届いてとても美しく、門を額縁にすると確かに一枚の絵のようだった。また、この門は他の山門と比べて高く作られているのが特徴で、参拝にきた殿様が馬から下りずにお参りできるよう配慮した為だという。その為、“馬上門”とも呼ばれる。
 額門を通り、長い参道を進むと霊屋(おたまや)がある。寛永十年、湘南国師が母である山内千代様の十七回忌に作ったお堂で、千代様の法号である見性院にちなんで“見性閣”という。内部には一豊公夫妻の無縫塔が二基並ぶ。無縫塔は禅宗の僧侶のお墓に用いられる形で夫妻が禅宗に帰依されたことを示す。男尊女卑の時代に夫婦で同じ大きさの塔が並んで祀られてある形はとても珍しく、二人の仲睦ましさが感じられる。一豊公は土佐で亡くなっているが子息湘南国師の手で大通院に一緒に葬られたそうだ。
 霊屋には、お二人の家紋が掲げられている。一豊公の家紋“三つ葉柏”、千代様の家紋“藤と三つ葉柏”。一豊公の三つ葉柏は、三菱財閥創始者の岩崎弥太郎氏が土佐藩出身でその家紋をモデルに今の三菱マークを作られた。確かに似ているといえば似ている。千代様の家紋はご自身の父の家紋と一豊公の家紋を合わせたもの。
 山内一豊公は尾張織田家に仕えていた山内盛豊の次男として生まれ、六歳で元服、通称を伊右衛門改め一豊となった。信長の死後、秀吉に仕えて各地の戦いに出陣し、関が原の合戦では徳川方につき、家康から高い評価を受けて土佐一国を与えられた。
 一豊公というと夫人千代様の内助の功で有名である。一番有名なのは、安土城下で開かれた馬市で名馬を見つけた一豊公が十両という高額に悩み千代様に相談したところ、結婚時に夫の一大事の時に使うようにと母から持たせてもらった十両を取り出して馬を買わせたという逸話。これは織田信長の耳にも入り、功名は戦場だけではない、普段からの備え、心構えが立派であるとして二百石を与えられた。こういった千代様の知恵と努力で一豊公はどんどん出世していく。 
 千代様は裁縫が大変上手で、今でいうパッチワークもしていたという。美しい和紙の千代紙は、千代様が裁縫で作った色形を準えたものから名づけられた。

 10才違いのご夫婦、一豊公が61歳でこの世を去った後、髪をおろして見性院となられた千代様もまた一豊公と同じ61歳で亡くなられた。戦国という厳しい時代をお互い協力しながら生きたお二人のお墓をお参りして、また清々しい気持ちになった。人は一人では生きていけない、一人より二人だなぁ。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 京都 妙心寺 | トップ | もみ手 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あ~いい夫婦愛に乾杯 (日野善郎)
2007-11-13 16:32:38
今の時代にお二人がいらしたら、どんな生き方をされるのだろうか。そう思わせてやまない理想のお二人のように感じます。
返信する
夫婦愛に乾杯 (m-tamago)
2007-11-15 12:26:59
日野善郎さん、こんにちは。はじめまして。
本当に理想的なお二人ですね。
長い人生色々あったのでしょうが、根本的にはお互いがお互いを尊敬しつつ生きていたのかもしれませんね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

旅先にて」カテゴリの最新記事