茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

メリハリ

2005-12-10 17:56:00 | m-tamagoの物想い
 京都の紅葉を見たいとスケジュールを組んで旅行したがうまくいかなかった。最近、温暖化の影響か季節が読み取りにくくなった。ここのところ急に寒くなって、京都もやっと紅葉が見頃と思ったら早くも雪。桜の開花時期も予想が難しくなっているし、昔に比べて四季のうつろいがはっきりしなくなった気がする。
 旅行といえばつい寒いと温かい所へ、暑いと涼しい所へ出かけたいと思ってしまうが、実はおいしいものを食べたければ北国には冬に、南国には夏に行った方がよいようだ。地域の気候の特徴がもっとも出る時が食べ物も“旬”となる。でも、四季がはっきりしない昨今は旬の味も曖昧になっているのかもしれない。都会に住んでいるとなかなか旬のものを口にする機会も減るし、技術の進歩で旬でなくても年中栽培できる野菜や養殖魚も増えてきた。なんだか味気ない。

 最近、友人や職場、ご近所など世の中の付き合いが希薄になっていることが問題になっている。あっさりしているから傷つくこともない。そして、お互い気楽で居心地がいい。だけど、なんだか寂しい。家庭の中でも役割分担が希薄化、友達のような親子が増えている。が、先日テレビで見たアンケートでは雷オヤジほど尊敬されいい関係を築いているという結果が出ていた。親や先生は子供より先を生きる人ととして手本となる方向、自分のポリシーを見せ、必要な時はしっかり叱り道を正す必要があるんじゃないかと思う。
 いつの頃からか季節や食べ物と同じで人間関係にもメリハリというものがなくなってしまった。日々様々な人と接する中で人は悩み成長する。そのつもりがなくても言葉で人を傷つけていたり、傷つけられたり、取っ組み合いのけんかをしたりと、痛みを伴う濃密な関係を経験すると、全くつきあいがだめになってしまうこともある反面、その後の付き合いが深まることがある。なんだか寂しいのは当り障りないだけのつきあいせいだ。

 茶道でも緩急、メリハリは大切である。それぞれの持ち味があるので何がいいとはいえないけれど、個人的には点前ではお茶を点てるまではじっくりと、片付けるのは手際よくするのがいいのかなと思っている。茶杓の清め方や柄杓の構えなど場面によっても緩急はあるだろう。また、片付けや準備も臨機応変に状況判断してこなす必要がある。
 能の世界でも序破急という言葉がある。室町時代の能は一日の公演が4~5番以上あり、その一日の流れとして序:繊細でも激しくもない曲を堂々と演じる、破:それを溶き和らげて細やかに演じる、急:激しく一目を驚かすものを演じるとしていた。能の1番の流れの中にも、また1つの動作にもゆっくり動き、早く動き、最後はしっかり止まる等序破急がある。

 メリハリの薄れる世の中で私自身への戒めとして年の瀬にふと考えた。メリハリのない世の中、更に社会人になると季節を感じられる公式行事は皆無に等しく、自分なりの節目を作らなくてはいけない、毎年思うのだが、、、、、来年こそメリハリのある生活を!
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2 コメント

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世の中の流れが。。。 (渋樹)
2005-12-10 22:57:38
メリハリ無くなってますね、同感です。

唯一、決まってあるのは、古くからある祭りくらいでしょうか。

イベントや行事も年中やっているような気がするし、

親も子供も娯楽が多すぎて、昔のような節目が見当たりません。

楽しいことは良いことだと思いますが、

ピシっと締まった雰囲気も心地良い緊張感があって良いと思います。



偉そうなことが言える生活はしていませんが、

今日の記事を拝見して、そんなこと思いました。
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メリハリ (m‐tamago)
2005-12-11 16:25:06
渋樹さん、こんにちは。

昔はお祭りといえば特別な日でしたが、おっしゃるとおり最近は周りに日常的に娯楽が多すぎるのでしょうね。

何でもいつでもokだと感動や有り難味も薄れてしまうのかも、と思います。

週末のんびりしたので明日から仕事頑張らなきゃ、です。





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