渡船場跡 渡船場跡
金比羅宮 金比羅宮説明板
渡船場跡・説明板 金比羅宮前
木曽川堤渡船場跡 渡船場堤跡
*起渡船場跡(上)・定渡船場跡!
住所=一宮市起字堤町38
美濃街道(美濃路)の定渡船場跡には、上流から上・中・下の三ヶ所の渡し場があり、
定渡船場・宮河戸・船橋河戸と呼ばれていました。 常時多くの人々に使用ていたのは、
「定渡船場」である。
江戸時代初期から、渡船場には「定渡船場」2艘・置船1艘・御召船1艘の、
合計4艘が尾張藩御船手役所から預けられ、他に鵜飼船や馬船も置かれ、
人々の往来を支えました。旅人だけでなく、西国の大名の参勤交代や、
京都の公家の往来にも使用されました。渡船場の実質的な管理は起宿の、
船庄屋が行い、船頭20人がいました。
昭和31年(1956)に現在の「濃尾大橋」が完成するまで、
この「渡船場」は、岐阜県(美濃国)と愛知県(尾張国)を結ぶ、
重要な交通手段であった。
(一宮市教育委員会・説明板より!)
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