*村ちゃんの古城跡散策!

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*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *国営木曽三川公園&宝暦治水神社!(岐阜県海津市)!

2020-04-05 | Weblog

*国営木曽三川公園!     

住所=岐阜県海津市海津町油島2553

展望タワー

 

   

フラワーパーク  パーク内

 

*千本松原堤・治水神社!

*宝歴治水!

  昔この地方は木曽三川に囲まれ、木曽川より・長良川・揖斐川と、

  それぞ1メートル余りの川床の差があり、低くなっていました。

  その為土地の低い美濃側は絶えず水害を被り、徳川時代、

  特に慶長から宝暦にかけては、毎年氾濫して治水工事の嘆願が続き、

  ついに幕府は宝暦三年(1753)十二月二十五日、西国の雄藩「薩摩藩」に、

  お手伝い方を命じました。

 

*治水神社!

 当時、借財に苦しんでいた薩摩藩ではあるが藩の存亡を掛け、

 その命に従うことととなった総奉行に「平田靭負正輔(ゆきえまさすけ)」を任じ,

  年が明ける一月二十一日,江戸より次いて二十九日には,

  薩摩より総勢九百四十七名を出発させた。 

 途中大阪で工事費を調達し、二月二七日に四の手にわかれて、工事に着手。

 水との苦闘は難工事の連続、その上度重なる洪水に工事費ははるかに超過し、

 幕府側の迫害や屈辱、工事の邪魔等に耐えかねて、自決した者五三名、

 疫病の流行で病没三十三名にも及んだ。

 

     

説明板      犠牲者名碑

*総奉行は藩主・重利公に工事竣工の報告を副奉行に託し、

 全責任を負って宝暦五年(1755)五月二十五日、享年五十二才で、この世を去った。

 幕府の命令とはいえ三百里も離れた異郷の地を、水害苦難から救った薩摩藩の

 人達の血と汗と涙の結晶は、今もこの地に語り継がれて薩摩義士の偉業として、

 称される大治水工事であった。

 この治水神社は「平田靭負正輔(ゆきえまさすけ)」を祭神として、

 その時、亡くなられた八十余名の方々をお祀りして感謝の誠を捧げ、

 願望成就の神として崇敬されている。

 *宝暦治水由来書より!

 

 

 

 


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