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*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *堀尾金助&姥堂! 堀尾公園&堀尾吉晴公!(松江城主・松江城国宝)

2020-04-23 | Weblog

*堀尾金助&姥堂! *堀尾吉晴公誕生地!    

*愛知県丹羽郡大口町堀尾跡1丁目

(島根県松江市・松江城主・松江城国宝)

*堀尾吉晴供養墓所!  (大口町堀尾跡2丁目16 *桂林寺本堂西側

*堀尾金助&母の墓所  (大口町堀尾跡2丁目16 *桂林寺本堂西側)

*堀尾公園!  住所=愛知県丹羽郡大口町堀尾跡1丁目

*参考まで!(熱田裁断橋!)

 住所=名古屋市熱田区伝馬2丁目5                   

     

堀尾公園                  姥堂(再現)

 

     

裁断橋(再現)     説明板(公園内)

 

     

さくら並木            五条川さくら堤

 

     

裁断橋(再現) 裁断橋(再現)

*裁断橋由来!「其の一」 

 時は天正十八年(1590)秀吉の「小田原攻め」に参加するべく、

  大口町御供所出身の「堀尾金助」が、北風の中を出征する情景と、

 「どうか、天の助けを得て無事に帰ってほしい」と一人息子を、

  尾張熱田宮の裁断橋で見送る、母の気持ちが詠われている。

 「其の二」

 母の願いも空しく、「堀尾金助」は十八才の若さで陣中にて病死。 

  その知らせを聞いた母親は、なげき悲しみ打ちひしかれている様子。

 「其の三」

 「堀尾金助」を亡くした母親は、毎日なげき悲しんでいたのですが、

  最後の別れの場となった「裁断橋」(熱田宮)を改修して、堀尾金助が何とか、

 極楽浄土へ行ける陽願うのでした。

裁断橋&姥堂(再現)

「其の四」

そして堀尾金助の死後、三十余年を経て、次第に忘れられようとしている中、

 母は息子・金助の三十三回忌の供養にと、「裁断橋」の改修を思いたちます。

そして、橋の擬宝珠に、「子を思う母の気持」をきざみ込み、橋を通る人が、

 金助のために、念仏を唱えてくれるよう願うのでした。

「其の五」

時は移り、かの「裁断橋」は昔の賑わいも失せ、通る人もほとんど無く、

 橋の辺りには、夏草が生い繁っている。すでに過ぎさった四百年余の、

年月は夢のよう遠い昔になってしまった。

裁断橋(再現)大口町(堀尾公園内)


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