今日は、1番目の子が帰省して、実家で食事会という予定が無くなってしまい、
ちょうど敬老の日ということもあって、父の喜ぶ顔が見れると思ってたのに
残念でした。
敬老の日か・・・
モーリーもそんな日に、家族に労ってもらう日が来るとして、誰ひとり顔を見せて
くれなかったら、やっぱりガッカリするんだろうか。
ぼんやりそういうことを考えてました。
今は元気で、自分で動けて、子どもたちのところへだって行ける身。
親孝行という言葉はあまり好きじゃないけど、ただ、子どもたちがそれぞれの場所で、
幸せに暮らしてることが何よりの親孝行だと思うし、それ以上望むことはありません。
どんなに離れていても、子どもたちが幸せなら、会いに来てくれずとも・・・と思います。
だけど、自分が老いて、移動できる範囲も自分が出来ることも限られると、
子どもたちが帰省して、顔を見せてくれることが何より嬉しいと思うのではないか。
そうなったら、敬老の日に誰も顔を見せてくれないのは寂しいんじゃないか。
顔くらい見せに来てくれよ、そう思うのかも。
そんな敬老の日。
実家での食事会、早く出来るように子どもたちと調整します。
ちょうど敬老の日ということもあって、父の喜ぶ顔が見れると思ってたのに
残念でした。
敬老の日か・・・
モーリーもそんな日に、家族に労ってもらう日が来るとして、誰ひとり顔を見せて
くれなかったら、やっぱりガッカリするんだろうか。
ぼんやりそういうことを考えてました。
今は元気で、自分で動けて、子どもたちのところへだって行ける身。
親孝行という言葉はあまり好きじゃないけど、ただ、子どもたちがそれぞれの場所で、
幸せに暮らしてることが何よりの親孝行だと思うし、それ以上望むことはありません。
どんなに離れていても、子どもたちが幸せなら、会いに来てくれずとも・・・と思います。
だけど、自分が老いて、移動できる範囲も自分が出来ることも限られると、
子どもたちが帰省して、顔を見せてくれることが何より嬉しいと思うのではないか。
そうなったら、敬老の日に誰も顔を見せてくれないのは寂しいんじゃないか。
顔くらい見せに来てくれよ、そう思うのかも。
そんな敬老の日。
実家での食事会、早く出来るように子どもたちと調整します。