朝一歩外に出ると、春の始まりの匂いがした。
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読み切った。うむ。
北海道の春は実際はまだ遠いけれども、この匂いがするのは、大地が春の準備を始めた合図だ。
このあとは、2回か3回ほど吹雪く日があって。大雪の日もちゃんとあって。
だけどそれは冬の最後の足掻きであり、今年の冬の寿命はもう終わりだと知っている吹雪だ。
そして確実に季節全体は春に向かう。
この匂いは多分、土が出している。
しまっていて、だけどどこか軽やかな土の匂い。
実際まだ道端は根雪が溶けておらず、土は見えない。
でも軽くなって薄くなった雪の隙間を縫うように,土やその中で眠る命の種が目覚めて外へと向かっている時に出る匂い。
そうだと勝手に感じている。
この匂いがすると、どんなに雪が降っていても、植物たちがもうすぐ芽吹いていくのだと楽しい気持ちになる。
ウキウキしてスキップしたくなる、そんな匂い。
私はそれを「春の女神が通り過ぎた朝」と呼んでいる。
春の女神がある日,夜のうちに山を降りてきて、そこら中に挨拶して回る。
「春が来ましたよ,目を覚ましなさい」
女神が通り過ぎていくと、家の中で冬眠状態だった様々な植物の種が文字通り目(芽)を覚ます。
そんなふうにいつも想像している。
それはある朝突然やってくる。
こちらはすっかり忘れているのに、
学校に行こうと玄関を開けた時。
会社に行こうと玄関を開けた時。
ゴミを出そうと玄関を開けた時。
ドアを開いた瞬間に、「それ」は勝手に鼻腔から入り込み,一気に脳まで達して私は思うのだ。
「あ!今日からもう春なのだ」と。
これは春だけではなく、夏や秋や冬にも訪れる。
私はいつも自然の中に身を置きたいと思うし、そこにある、あるあらゆることを五感で感じたいと思って生きている。
ただし、人間社会においてそのセンサーは、随分と役に立たないのだけれど(笑)
自然の中においては結構役に立つ。
四葉のクローバーを見つけるのも、山奥で笹林の下に隠れる蕨の群生を見つけるのも、静かに高い木の上で休んでいる珍しい鳥を見つけるのも。
すべてこのセンサーのおかげだと思っている。
そしてもう春に向かっているから、雪が溶けて、土が顔を出すと、そこに濡れそぼった,生まれたてのヤキの頭のような草が見えるはずだ。
密かに雪の下でこっそりと新しい草の芽が生まれてきているのを,もうすぐ見ることができる。
私は北海道の春しか知らない。
北海道でも、根雪がある冬の間ずっとすべてが雪に覆われている状態の場所しか知らない。
だから雪が降らない地方の春は、どんなふうに土が緩んでいくのか見たことがない。
本で読んだり人に聞いたりして想像するしかない。
例えばいつか、沖縄のようなあったかい場所で、いろんな季節を過ごしてみたいなと思う。
他の場所の春の匂いって初めて嗅いですぐにわかるんだろうか。
そんなことを考えるとワクワクが止まらなくなる。
この投稿を写真つきでエッセイに直してnoteにあげてみました(*^_^*)