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泥から咲いた蓮の花

現在、リハビリ中なブログです。長い目で見守ってくだせ~

待たれよ by マルクル

2004-12-01 01:20:22 | どろな話
前回に続き、ハウルネタで。ソフィーの容姿が変遷することに、とても興味がひかれた。そこで心動かされる。同じようなコメントを語ってくれている凡人むむむさんがいう「家」に、なるほどなと感心する。

「家」。ハウルが自室に配置しまくった魔女よけは、「家」の持つ意味を、とても素直に表現していると思う。そう、隠れ家。自分を守る砦。私たちは常に恐怖と戦いながら生きてきたということだ。自分の安全を守る家。動く城も、もちろんハウルの家。

「もののけ姫」の冒頭、アシタカがたたり神の呪いにふれ、集落の古老おひいさまがアシタカに問う。決められた死に対して、待つか自ら赴くか。このモチーフは、ソフィー、ハウルにも導入される。自ら赴くか…これは重要なファクターとして、いつもジブリ作品の根底に流れる。さぁ、「家」の機能を、誰かが作ったものと諦めるか、自分の手中に収めるか。

ハウルと契約し、その力を発揮する炎の悪魔カルシファーによって、地を這い続ける「家」。その家は、ハウルが恐怖する荒れ地の魔女から逃れる機能として発揮される。契約が消滅し、カルシファーは自由となり、ハウルは膨大な魔力を失って、人間の体と感覚を取り戻す。重い体こそ、心の重さと比喩されるソフィーとハウルのやりとりに拍手を送りたい。

人を超える「力」への願いによってハウルの城は動いた。そして戦争も起きた。エンディングで、カルシファーの力がなくなり崩壊したはずの城が蘇って空を飛ぶ。解放された「家」がある。そこにハウルとソフィーの抱擁がある。自由とは、支配する力がもたらすのではなく、自らに課した恐怖を手放すことではないか。そんな機会が誰にでも訪れると思う。その機が来るまで、焦らずに「待たれよ」by マルクル