駐車場に行くまでの間が少し高低差があって、
まんなかが坂、両脇が階段になっていたのだけど、
町内の人が車いすが通れるスロープにしてくれという依頼があったらしく、
坂と階段の半分ずつにして、車いすが通れるように幅を広げる工事がはじまった。
それはそれでいいんだけど、
問題はその道が全面通行止めになったこと。
そこを通ると駐車場までは50mくらいなんだけど、
とおせんぼされると、かるく300mは歩かないといけない感じ。
見えてるのに通れないのってうんざりだなあ。
あさってまでかあ。
しかも、この要望出たのってけっこう前のことで、
言いだした方はもう町内に住んでないという噂も…
しょうがないけどねえ。
で、車を出したのはいいけれど、
みょうに混んでて事故でもあったのかと思ったら、
先週末にショッピングモールがオープンしてて、
そこに行きたい人たちのおかげで渋滞してたのだそう。
ふだんなら2,3分のところを15分かかる始末。
その道はただでさえ交通量多いのに、
都市計画的にもうちょっとなんとかできなかったもんかなあ。
今月は「100分de名著」おもしろい。
指ぱっちんの小野さん。
「明石家電視台」にナジャさんとドラァグクイーンの人たちが出てた。
世間に居場所を見つけにくい人たちも、なんらかのコミュニティがあると居場所ができる。
自然発生的にできることもあるし、作ることもそんなに難しくはないかも。
でも、維持していくことはたぶんむずかしい。
必要なのは求心力のあるリーダー。
で、組織が大きく強くなると、派閥もできるし、組織自体がいろいろな問題を生む。
伊集院さんが言っていたように、
リーダーを慕ってみんな集まってくるけれど、
集まってきたもの同士がみんな仲良くなれるというわけでもない。
組織が大きくなればなるほど、考え方の違いも大きくなってくる。
そうなると、中心に立つものは変わっていかなければ組織は維持できないけれど、
変わらなければ組織自体が変わっていくことになる。
自然に分裂・解体することもあるだろうし、むりやりに維持しようとすることもあるだろう。
リーダーに権威づけして中央集権的になったり、まわりに敵を作ることで団結しようとしたり。
でも、わりと人間の歴史ってずっとそういうものだったのかも。
もうひとつ「救い」の問題。
祈りに信仰の対象は必要なのかどうか。
たぶん、本末転倒なことで、
祈りのためになにがしかの偶像が必要だっただけなのに、
うっかりその偶像のほうに権威を持たせたために、
重要になってしまったというようなぐらいのことなのでは。
『意を傾けることによって苦しんでいる人たちは
僕たちの前に一人の人間として存在する』
注意を向けてくれる人、同じ悩みを共有できる人がいてくれるだけで、
だれも孤立した存在にならなくてもすむはず。
ただ、孤立している人は救われてない、というのも違うような気もするけれど…
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