TBA

(仮)

花火待つ 今年は誰も 来ていない

2018-08-10 | テレビ番組

遠花火っていう季語があったらしい…


こないだの花火。

毎年、そこは家族や、たぶんおともだちも集まって、

にぎやかに花火見物をしてたんだけど、

今年は誰もいなかった。


事情が聞けるほど親しいわけでもないけれど、

ちょっと気になる。

もっといい場所を見つけて、そっちで見てた、

なんてことならいいんだけど。




きょうも湿度が高い。

85%もあった。

ただ暑いのならわりと平気なつもりなんだけど、

湿気が多いのはしんどい。

雨、ちょっとだけ降ってたけどぱらぱらだったし。


父親の定期検査。特に異常はないらしい。

でも、先生の歯切れが悪くて、

妙に間を取って話されるので、なんか心臓に悪い。

悪い先生ではないと思うのだけど。





「世界の哲学者に人生相談」見た。

これは見逃してたやつ。

ちょいちょい再放送をはさんでくれるので助かる。


哀川翔さんって、男らしくすぱっとあっさり、

深く考えない方なのかと思ってたら、

真逆で一回「死んで」悟りを開いたような方なのらしい。

なんか、わかった感じ。


おがくずに埋もれて寝てた、とか、1000人に10人、とか、

ちょっとおもしろくなってしまうのもすてき。



「我々が存在するとき 死は存在せず

  死が存在するとき 我々は存在しない」

   まだ起こってないことを考えるのはムダ。

   うちの父親も似たようなことを言ってたような。



「死を意識するからこそ 人生は輝くのだ」

  後悔のないように生きよう。メメントモリ。



「自殺は真実の救済にならない」
 
  立ち向かえ 逃げてはいけない


「人生の意味がただひとつある それは"生きる行為"そのものである」

  生きてさえいれば、なにかいいことはある。

  「すきま風」みたいな… 「遠山の金さん」か。
 

「後悔の念の起こるのは 自己の力を信じすぎるからである」

  最近、似たような話をどっかで聞いた。

  自分の実力以上のことをやろうとするから失敗する、みたいな。


「純粋経験=ありのままに経験する」

  これはむずかしい。「善の研究」は図書館で見つけただけで挫折。

  古本屋さんの108円コーナーに書き込みだらけのがあったけど…


「折にふれ物に感じて思い出すのがせめてもの慰藉である

  死者に対しての心づくしである」

   忘れないこと。間違いをしてしまったときもそうかも。

   直接あやまれなかったとしても、二度と同じ間違いはしないこと。


個人的には、今回のTJさんの名言は、

「もの考えないときって よく眠れるよね」

  まさに。


この回、よかったなあ。

ミニコーナーもなくてぶれなかったし、

哀川アニキの、打てば響くような言葉もよかった。

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