疲れた。
そろそろ年賀状の準備もしないと。
家のプリンタを使うのも一年ぶり。
インクがどれくらい残ってたのかも記憶にない。
というか、そこまで行くのもけっこうたいへんだし、
行かないと残量はわからない。
wifiもつながってないし、コンセント抜いてるし。
と思ったら、去年のメモが。
自分で自分をほめてあげたくなったけれど、
黄色と黒が半分以下、赤は3/4。
書いてあったのはそれだけ。
詰めが甘い…
半分以下ってどれくらいなんだろう。
そして、それで何枚刷れるんだろう。
きょうだと電器屋さん行けたんだけど、やめといた。
かわりに図書館に寄ってみた。
古本を検索してて、ちょっと気になった本があって、
意外とお安くはなかったので、もしかしてと思って、
図書館の蔵書検索をしたらあった。
ささっと借りてきた。
図書館は半年ぶりくらいかな。
コロナが流行りだしてから行ってなかったから。
「100分de名著」やっと見た。
海のないところに住んでる人が、
サーフィンやダイビングに触れるのが遅くなるのはわかるし、
雪の降らないところに住んでる人が、
スキーやスノーボードと縁遠いこともわかる。
逆にいわゆる「二世」なんとかっていうのが多いのは、
こどものころから慣れ親しんでるからというのもわかる。
ただ、いろんな「素養」がないと芸術作品に触れても理解できない、
みたいなのはどうなんだろうかな。
その理論を導いたっていうアンケート調査にしても、
導き出したい回答を得るために、
恣意的な質問をしてるんじゃないかって疑いたくなるし、
わざわざ、社会階級や学歴などで「分断」しようとしているようにも見える。
”文化資本”っていう言い方も好きではない。
たまたま、お店のBGMかなんかで聞いた曲に感動することはあるだろうし、
広告だったり通りかかった場所で見た絵を見て気に入ることもあると思う。
なんていうか、なんでもかんでも環境のせいにしていいもんなのかな。
理屈としては通ってそうだから、飛びつきたくなるのはわからないでもないけど、
そういうのが好きな人たちって「利己的な遺伝子」なんかは、
嫌いだったりしないんだろうか。
そもそも趣味に優劣はないはずで、
なにを好きになろうがどうやって好きになろうがどうでもいいのでは。
知らないものは知りようがないって言われても…
そして”文化資本”とやらに恵まれていても、
自分が好きなものに気づかなかったり、見逃していては意味がない。
そして興味を持たなければ、猫に真珠、豚に小判。
結局は、本人の意志の問題。
やるやつはやるし、やらないやつはやらない。
ないものねだりをしてもしかたないのに。
それと、ヨーロッパの階級社会についての分析を、
そのまま日本に当てはめるのもまた違うのではないのかな。
階級や生まれの違いがあるから、っていう、
「言いわけ」としての免罪符や「下駄をはかせろ」論に使われるだけ。
なにかのせいにしても、問題を根本的に解決することはできないと思う。