朝から雨。
出かけるころにはやまないかなあと思ってたら、
出かけるころになってどしゃ降り。
しょうがないなあと思いつつ出かける用意をしてたらキャンセル。
ほっとしたけど、3か月ぶりに復活した仕事だったから、
喜んでられないのだった。
しょうがないけど。
買い物もするつもりだったから、そのまま出ようかとも思ったけど、
とくに急ぐ必要もないのにどしゃ降りの中に出かける意味もないので、
雨がやんでから自転車で出かけることにした。
豚バラブロックの安いのが買えたから、
きょうの晩ごはんは豚バラカレー。
「Jフットニスタ」見たけど、5人交替制っておもしろいかもね。
4バックにするなら、ジェソク選手必要なのでは?と思うけど、
宮本監督はなにかが気に入らないってことなんだろうか。
せっかく帰ってきたのに…
「ガンバTV」ないのが痛いなあ。
少々遅れてでも、深夜でも、ダイジェストでも、
こうやって地上波で放送してることが大事。
地上波でないと「やべっちFC」も意味ないんだけどねえ。
「100分de名著」今月はいまのところのらないなあ。
そもそもエンゲルスの「階級対立を隠ぺいするために国家を作った」というのが、
国家を否定するための理屈をでっちあげたものでしかないのに、
それを否定しようとしたとしても、どっちにしろ的外れなのでは。
古事記の例も遠野物語の例もよくわからない。
京極夏彦さんの「京極堂シリーズ」にあるように、
日常生活でよくわからないことがあったときに、わからないままでは不安だから、
そのレベルに応じてなにがしかの合理的な理屈をひねり出したのが、
妖怪のような幻想だったりするわけで、
幻想のために人が死んだりするわけではないのではないのかなあ。
鳥御前が死んだ理由がわからなかったから、
山の神の祟りという理屈を作り出したのであって、
その理屈のために鳥御前が死んだわけではないし、
おばあちゃんがなくなったあとにかわいがってたインコがなくなったのは、
道案内だよ、ってことにしとけばおさまりがいいだけのこと。
それを道案内といって殉死させてしまったら本末転倒。
国家は非合理的なものが出発点、っていうのも…?
所領安堵みたいな、ものすごく合理的な考え方からはじまってるような。
国家で感情を揺さぶられるというのも、身内の延長だからでは。
家族が集まると集落になって集落が集まると国になる。
それだけのことで、なぜ集まらないといけないかというと、
個々では自分たちを守り切れないから集団になる必要があるからだろうし。
個々の人間と国家というものを切り離して考えるからおかしなことになる。
それは幻想ではなくて、ものすごく現実的なところからきているものなはず。
そしてこの程度で「勇気のいる指摘」なのだとしたら、
いま世界で猛威を振るっている「正義」への同調圧力に対して、
疑問を投げかけたりすることのほうが、
もっともっととてつもなく勇気のいることなのではないかと思う。