TBA

(仮)

だらだらするのも

2019-08-11 | ブログ

 

暑い。

きょうもぐっすり寝られるかなあと思ったけれど、

エアコンなしで寝ているので、

台所で煮炊きをされると一発で目がさめる。

というか、蒸される。

そして、すごく不快に目がさめる。

 

「むかしばなし」見られる!

と思って見たら、この時期は怪談だった。

 

まだ今週のはましだったけど、来週のはやばいやつ。

そういうときに限って早く起きそうだけど。

EDの子たち、いいかげんやめて、とか思ってたりして。

 

で、昼ごはん食べてうたた寝。

たまにはこういうのありかな。

鑑定団のあと、小泉孝太郎さんのドラマやってた。

とうがらしのシャツ着てたけど、

あのトマトのシャツもひょっとしてこれの関係?

壇蜜さんも出てたけど、寝ちゃったから犯人わからない。

 

そのあとの「どこいこ!?」の途中で目がさめた。

これもゆっくり見るのひさしぶり。

黒田さんの奥さんの話がおもしろかった。

たまねぎをきつね色に炒めてと言ったら、

図鑑を持ってきてどのきつねの色か聞かれたとか、

あさりの砂抜きとか干しシイタケを戻すのをずっと見てたとか、

なんか、うん、いい人と結婚されたんだなあ、って感じ。

あと、やすよさんが黒田さんを雑に扱ってるのもおもしろかった。

「そんなんできんの、つよっさんとあんただけやで」みたいな。

 

 

 

「タバコの flavor」でうわっ!てなってちょっと避けてたんだけど

「COLORS」あたりから宇多田ヒカルさんはわりと好き。

アルバムを買ったりはしないけど、

ラジオでかかってると聴くし、切り取ってくりかえしても聴く。

「サントオリー」はなんか気持ち悪くて、

さっとチャンネル変えるかミュートするけど。

 

 

『宇多田ヒカルと海外文学、「自由」と「責任」』

この記事おもしろかった。

自由って好き勝手とは違う。なにをしてもいいのだけど、

それは自分自身でその何かを選ばなければいけない、ということでもある。

そしてそこには、必ず責任が伴う。

 

ある人たちは「自由」だけを振りかざす。

 

でも、自由に発言・表現すればリアクションがあるのはあたりまえ。

それを封じてしまうことは、言論弾圧でしかないし、

自分たちだけが「自由」にふるまえると思っているとしたら、

それは自分たちを特権階級と見なしているのと同じ。

 

自由に行動するのは勝手だけど、責任から逃れることはできない。

自分で選んだことならば自分で責任を負う必要がある。

 

「自己責任」の議論が起こるたびにいつも思う。

自分の現状に不満があるとき、その状態を誰も強制しているわけではないのに、

なぜ自分自身で変えようとは思わないのか。

 

自分の責任を放棄することは自由を放棄すること。

なにをするのか、なにをしないのか。

自分で決められることなはずなのに、なぜ他人のせいにするのか。

 

自分で決めたことに誇りを持って、

不安があっても、後悔しない、そして他人のせいにしない。

 

「アリとキリギリス」のキリギリスは、

キリギリスとしての生き方に誇りを持ってもいいと思う。

そんな勇気は自分にはないけど。

 

コメント
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