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第1回日本軍「慰安婦」博物館会議が開催~日本政府は事実を消そうとしても被害者の声を伝えることは止めることは出来ないだろう

2017-04-11 | 「慰安婦」問題

第1回日本軍「慰安婦」博物館会議が開催

日本政府は事実を消そうとしても被害者の声を伝えることは止めることは出来ないだろう

 

 日韓政府間「合意」後、性奴隷制度ではないと事実を歪曲した発言や、まるで「合意」が政府間の約束事のように菅官房長官など政府による歪曲した発言が浸透し、まるで韓国が約束を破っているかのような世論操作が成されています。しかし約束というなら、河野談話の「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」という国際的な約束を破っているのはどちらかは明白です。とはいえ、極右の台頭は激しく、この3月にも大阪・吹田市議会で「慰安婦像の設置反対と即時撤去を求める意見書」が可決されました。去年はアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)に爆破予告も送られてきました。そういう中で、4月1日に東京で第1回日本軍「慰安婦」博物館会議が行われました。

wamが「2015年12月、日韓両政府が『慰安婦』被害者の意思を聞かずに『合意』したことをもって、『慰安婦』問題がすべて解決したかのような雰囲気がメディアに広がっています。このようななか、『慰安婦』被害の実態とその歴史を伝える博物館の役割は、次世代への平和・人権教育という目的だけでなく、被害女性の被害回復のためにも、極めて重要になってきました」としてこの会議が開かれました。博物館は日本のwam(東京2005)だけでなく、韓国の「ナヌムの家日本軍『慰安婦』歴史館」(広州1998)を皮切りに、「民族と女性歴史館」(釜山2004)、「戦争の女性人権博物館」(ソウル2012)、「ヒウム日本軍『慰安婦』歴史館」(大邱2015)、中国の「南京利済巷慰安所旧址陳列館」(南京2015)、「中国『慰安婦』歴史博物館(上海2016)、フィリピンの「ロラズ・センター」(ケソン2008)、台湾の「阿媽の家-平和と女性人権館」(台北2016)と直近では「阿媽の家」が開館しました。会議の発言者にはアメリカの各地で国内で伝えるためにと碑の建設運動をされている、カルフォルニア州韓米フォーラムのフィリス・キムさんがいました。3月に日本の極右が提訴したカルフォルニアのグレンデールの碑の撤去を求める上訴が棄却されたことを「否定は裏目に出る。生存者や支援者の勝利だ」と報告されました。参加者には東ティモールの参事官もいました。

「日本政府は歴史を消そうと思っているかも知れないが、私たちが慰安婦被害者の声を伝えることを止めることはできない。私たちは次世代、そしてその次世代にも(声を)伝えなければならない義務がある」。フィリピン「リラフィリピーナ」のレチルダさんは「昨年日本大使館の人が資料室(ロラスセンター)を訪ねてきた時、自分はこのような話をした。日本政府がフィリピン政府に慰安婦博物館について抗議をしても、このような活動は国家ではなく市民が行っているので、止めることはできないだろうと言った。日本政府は被害者の声を押さえつけようという態度だが、私たちは資料を蓄積し永遠に伝えていくことができると言った」と話しました。博物館や碑の建設のプロセスの報告から、主催者wamの渡辺美奈さんは「作るまでにどんな努力があって、どんなに運営に工夫を凝らし大変な中、行っている。菅官房長官に言いたい。地道な民間の活動が歴史を作るのだ」とまとめられていましたが、被害国だから簡単に被害の事態を訴えるわけでもなく、生存者の思いをどう形作るか、考え抜いて建てられている碑を撤去せよとはとんでもないと感じました。

この日の会議が始まる前や終わる頃を見計らって、15人の極右が拡声器を使い「ヘイトスピーチ」をし、会場周辺は騒然となっていました。彼らは「うちの祖父がそんなひどいことをしたと(日本人が)話すとは、恥ずかしいではないか。北朝鮮か韓国に行ってしまえ」と叫んで、運動を忌むべきもののしたいと躍起でした。しかし、私たちはそれにひるむことなく、事実を持って対抗していかなければならないと改めて感じました。

後日談。ナヌムの家の所長との懇親会にて、政府による和解・癒し財団の拠出金を被害者が受け取ったといいますが、だまし討ちで、本人がわからないところで受け取らせていることが分かりました。曝露していきたいと思います。(さ)


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