社会主義国キューバは、7月を『栄光の月』と呼んでいます。それは、1953年7月26日に、フィデル・カストロ率いる革命戦士130名が、モンカダ兵舎を襲撃してキューバ革命の火ぶたを切ったからです。この日は、キューバの最も大切な祝日となっています。
7月には、他にもキューバにとって栄光に満ちた諸事件が集中しています。キューバはアメリカ帝国主義の鼻先にあって、それが故に60年以上に渡って、アメリカ帝国主義による武力攻撃を含む卑劣極まりない破壊工作と前例を見ない経済封鎖を受け続けてきました。革命キューバは、それに屈することなく国の独立と社会主義体制を守り抜いてきました。革命キューバは、その実践でもって社会主義の正義と道徳性と理想を世界に知らしめてきました。それは搾取と抑圧に苦しむ全世界の人民を鼓舞してきたし、今も鼓舞し続けています。
革命的気概を失いつつある先進資本主義国の人民は、革命キューバの偉業から多くを学び、新たな前進の糧としなければなりません。以下に機関紙『グランマ』に掲載された『栄光の7月』を祝う文章を紹介し、私たちも共に『栄光の7月』を祝いたいと思います。この文章中、訳者が特に心惹かれたところは、フィデル・カストロの言葉を引用しつつ、「革命が危機に瀕しているのを見たとき、私がいつもする最初のことは、人民に呼び掛けることである。何故なら、人民に話すことによって、われわれは流血を少なくすることができるからである。何故ならその場合、弾丸を一発撃つ前に人民に千回呼びかける必要があるからである」と述べている箇所です。昨年7月11日の反政府行動も人民が暴動参加者を包囲して封じ込めたのでした。
なお訳者の能力不足により、不満足な訳文になっている点はご容赦下さい。以下の訳文はスペイン語版からのもので、英語版とはやや表現が異なっていることをお断りしておきます。 (老古子)
7月のヒロン[Un Girón en julio] (注1)
この人民は、休むことなく独立のために戦ってきた。彼らは、敵たちが彼らの絞殺を企てるたびに打ち勝ち、如何に生きるかを決める権利を奪おうとする連中に対しては断固として身構える。従って、挑発や脅迫に屈することはない。
7月は、キューバの人々にとって、紛れることのない革命の同義語である。この月には栄光の26日(注2)があるからである。この日、伝道者(注3)は、その計り知れない遺産によって、キューバの完全な尊厳に向かう不可逆的な道を歩み続けたフィデルとその世代全体を導くために復活した。
非常に多くの人間の偉大さ、非常に多くの犠牲、非常に多くの歴史は、神聖な理想である。それは、われわれの忍耐力、抵抗、諸原則、正義観の象徴的な表現である。
この人民は、休むことなく独立のために戦ってきた。彼らは、敵たちが彼らの絞殺を企てるたびに打ち勝ち、如何に生きるかを決める権利を奪おうとする連中に対しては断固として身構える。従って、挑発や脅迫に屈することはない。
その証拠は、経済的、商業的、金融的封鎖、国家テロリズムの実践、侵略の試みである。そして、それらが政権転覆計画に何の役にも立たなかったので、我々の敵たちは、所謂ソフトクーデターに賭けている。
連中は、2021年7月11日に、最も卑劣な形でそれを試したが、革命の根が、それを行い、改良し、確固として支える人々の深部に至っているその奥深さに無知であった。
連中は、大規模な政治コミュニケーション活動を展開することで、COVID-19パンデミックのピーク、それに起因する経済的危機、そして前例のない水準に強化された封鎖の諸措置の複合的な影響を、日和見主義的手法を利用したいと考えた。
最も明確な目的は何か? それは、物質的欠乏と困難は革命政府の運営の非効率性に責任があるという誤った考えを生み出し、その真の原因、すなわち米国の非人道的な経済的包囲を隠蔽することである。
彼らは世界に向かって、「独裁政権を打倒する」と見せかけた社会的爆発の観念を売り込んだ。しかし、彼らの計画には欠陥があった。彼らは、国家の統一、革命的計画に対する大多数の支持、平和の破壊と社会的征服を許さないという意志を過小評価していた。それはいつもと同様に、彼らに大失敗を余儀なくさせた。
キューバにおける継続性は虚言ではなく、必要な代償を払って革命を防衛することは空虚なスローガンではなく、自分たちの敵たちの大胆さを上回るキューバ人民が示している断固たる決意であることを、彼らは未だに理解していない。
危険は疑いないのだから、キューバ人民は常に激戦の中にいた。これは7月11日に実証された(注4)。彼らは数時間でその小競り合いを粉砕した。
この教訓の下、あたかもフィデルやラウルやマルティが、そして祖国のすべての英雄たちが話しているかのように、党中央委員会第一書記で共和国大統領ミゲル・ディアス・カネル・ベルムデスは、街頭で革命を擁護するよう率直に呼びかけ、人民は躊躇することなく直ちにそこに居た。
それは、1959年1月8日(注5)その日に、差し迫った危機の状況における行動様式を定めた最高司令官(注6)の遺産に忠実な行為であった。最高司令官は、「革命が危機に瀕しているのを見たとき、私がいつもする最初のことは、人民に呼び掛けることである。何故なら、人民に話すことによって、われわれは流血を少なくすることができるからである。何故なら、その場合、弾丸を一発撃つ前に、人民に千回呼びかける必要があるからである・・・」と語った。
そしてこの人民は、この事業の至高の保護者としての自己の本性を、完全な勇敢さでもって認めさせ、都市の平穏は最重要であり、正当で率直な主張は、聞き入れてもらうために暴力を必要としないことを明らかにした。
何故なら、外国の利益に奉仕して、この主権国家の秩序を覆す権利は、誰も持っていないからである。
革命家たちが破壊的な国家転覆を打ち負かした7月11日を、彼らの雇い主たちのために乗っとろうとした連中は哀れである。
7月26日は、わが祖国の歴史において極めて多くの響きを持っているので、それを祝うにはひと月は短い。また、11日の圧倒的な勝利を、同じく1895年にマセオ(注7)がスペイン人の全軍をペラレホ原で敗走させ逃亡させた7月13日を付け加えるなら、これほどの栄光を可能にするには、どうすれば良いのだろう?
狡猾な傭兵の攻撃にとって、またヤンキーの介入を求めるまでの「橋頭堡」になりたいという夢想的願望にとって、米帝の最も大きい屈辱である場所と日が既に存在していた。それがヒロンである。
しかし、もしキューバの敵たちが彼らの卑屈な目的のために、連中の試みのたびにヒロンを手に入れることに固執するなら、彼らは1961年4月のように、2021年7月のように、毎回屈辱を味わうことになるだろう。
一方、革命的キューバは、依然として陽気で平和のうちにあり、理性、真実、正義の側にある。われわれは、時代が厳しいことを知っている。しかしまた、一時的現実である諸障害を乗り越えることができること、その複合性はわが国だけに限ったことではないことも同時に知っている。
われわれは、批判的な展望をもって、変革の精神をもって、創造的な抵抗をもって、そして革命の未来のために常に熟考された夢と希望をもって立ち続けているし、立ち続けるだろう。
〔原文〕https://www.granma.cu/cuba/2022-07-11/un-giron-en-julio-11-07-2022-00-07-22
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(注1)アメリカは1961年4月17日、亡命キューバ人を主体とする部隊をヒロン浜に上陸させて人民政府の転覆を図った。しかしキューバ人民の英雄的反撃によって、19日には上陸部隊は壊滅。この事件の舞台となったのが「ヒロン浜」である。
(注2)1953年7月26日、フィデル・カストロが率いる130名がモンカダ兵舎を襲撃し、キューバ革命の幕が切って落とされた。栄光の26日とはこの日を指す。
(注3)キューバでは、大文字でel Apóstol(伝道者)と書けばホセ・マルティーを指す。
(注4)2021年7月11日に起こったキューバでの反政府暴動。人民が率先して暴動参加者を包囲し、数時間で暴動は鎮圧された。
(注5)フィデル・カストロが首都ハバナに入り、革命政権が樹立された日。
(注6)Comandante en Jefeは、キューバではフィデル・カストロを指す。
(注7)アントニオ・マセオ(1845年6月14日~1896年12月7日)は、スペインからの第1次独立戦争の最も偉大な英雄の1人。1895年7月、マセオ少将率いるキューバ独立反乱軍は、アルセニオ・マルティネス・カンポス大将が指揮するスペイン軍をペラレホにおける戦闘で撃破し、キューバの独立に向けた大きな前進を勝ち取った。
7月には、他にもキューバにとって栄光に満ちた諸事件が集中しています。キューバはアメリカ帝国主義の鼻先にあって、それが故に60年以上に渡って、アメリカ帝国主義による武力攻撃を含む卑劣極まりない破壊工作と前例を見ない経済封鎖を受け続けてきました。革命キューバは、それに屈することなく国の独立と社会主義体制を守り抜いてきました。革命キューバは、その実践でもって社会主義の正義と道徳性と理想を世界に知らしめてきました。それは搾取と抑圧に苦しむ全世界の人民を鼓舞してきたし、今も鼓舞し続けています。
革命的気概を失いつつある先進資本主義国の人民は、革命キューバの偉業から多くを学び、新たな前進の糧としなければなりません。以下に機関紙『グランマ』に掲載された『栄光の7月』を祝う文章を紹介し、私たちも共に『栄光の7月』を祝いたいと思います。この文章中、訳者が特に心惹かれたところは、フィデル・カストロの言葉を引用しつつ、「革命が危機に瀕しているのを見たとき、私がいつもする最初のことは、人民に呼び掛けることである。何故なら、人民に話すことによって、われわれは流血を少なくすることができるからである。何故ならその場合、弾丸を一発撃つ前に人民に千回呼びかける必要があるからである」と述べている箇所です。昨年7月11日の反政府行動も人民が暴動参加者を包囲して封じ込めたのでした。
なお訳者の能力不足により、不満足な訳文になっている点はご容赦下さい。以下の訳文はスペイン語版からのもので、英語版とはやや表現が異なっていることをお断りしておきます。 (老古子)
7月のヒロン[Un Girón en julio] (注1)
この人民は、休むことなく独立のために戦ってきた。彼らは、敵たちが彼らの絞殺を企てるたびに打ち勝ち、如何に生きるかを決める権利を奪おうとする連中に対しては断固として身構える。従って、挑発や脅迫に屈することはない。
7月は、キューバの人々にとって、紛れることのない革命の同義語である。この月には栄光の26日(注2)があるからである。この日、伝道者(注3)は、その計り知れない遺産によって、キューバの完全な尊厳に向かう不可逆的な道を歩み続けたフィデルとその世代全体を導くために復活した。
非常に多くの人間の偉大さ、非常に多くの犠牲、非常に多くの歴史は、神聖な理想である。それは、われわれの忍耐力、抵抗、諸原則、正義観の象徴的な表現である。
この人民は、休むことなく独立のために戦ってきた。彼らは、敵たちが彼らの絞殺を企てるたびに打ち勝ち、如何に生きるかを決める権利を奪おうとする連中に対しては断固として身構える。従って、挑発や脅迫に屈することはない。
その証拠は、経済的、商業的、金融的封鎖、国家テロリズムの実践、侵略の試みである。そして、それらが政権転覆計画に何の役にも立たなかったので、我々の敵たちは、所謂ソフトクーデターに賭けている。
連中は、2021年7月11日に、最も卑劣な形でそれを試したが、革命の根が、それを行い、改良し、確固として支える人々の深部に至っているその奥深さに無知であった。
連中は、大規模な政治コミュニケーション活動を展開することで、COVID-19パンデミックのピーク、それに起因する経済的危機、そして前例のない水準に強化された封鎖の諸措置の複合的な影響を、日和見主義的手法を利用したいと考えた。
最も明確な目的は何か? それは、物質的欠乏と困難は革命政府の運営の非効率性に責任があるという誤った考えを生み出し、その真の原因、すなわち米国の非人道的な経済的包囲を隠蔽することである。
彼らは世界に向かって、「独裁政権を打倒する」と見せかけた社会的爆発の観念を売り込んだ。しかし、彼らの計画には欠陥があった。彼らは、国家の統一、革命的計画に対する大多数の支持、平和の破壊と社会的征服を許さないという意志を過小評価していた。それはいつもと同様に、彼らに大失敗を余儀なくさせた。
キューバにおける継続性は虚言ではなく、必要な代償を払って革命を防衛することは空虚なスローガンではなく、自分たちの敵たちの大胆さを上回るキューバ人民が示している断固たる決意であることを、彼らは未だに理解していない。
危険は疑いないのだから、キューバ人民は常に激戦の中にいた。これは7月11日に実証された(注4)。彼らは数時間でその小競り合いを粉砕した。
この教訓の下、あたかもフィデルやラウルやマルティが、そして祖国のすべての英雄たちが話しているかのように、党中央委員会第一書記で共和国大統領ミゲル・ディアス・カネル・ベルムデスは、街頭で革命を擁護するよう率直に呼びかけ、人民は躊躇することなく直ちにそこに居た。
それは、1959年1月8日(注5)その日に、差し迫った危機の状況における行動様式を定めた最高司令官(注6)の遺産に忠実な行為であった。最高司令官は、「革命が危機に瀕しているのを見たとき、私がいつもする最初のことは、人民に呼び掛けることである。何故なら、人民に話すことによって、われわれは流血を少なくすることができるからである。何故なら、その場合、弾丸を一発撃つ前に、人民に千回呼びかける必要があるからである・・・」と語った。
そしてこの人民は、この事業の至高の保護者としての自己の本性を、完全な勇敢さでもって認めさせ、都市の平穏は最重要であり、正当で率直な主張は、聞き入れてもらうために暴力を必要としないことを明らかにした。
何故なら、外国の利益に奉仕して、この主権国家の秩序を覆す権利は、誰も持っていないからである。
革命家たちが破壊的な国家転覆を打ち負かした7月11日を、彼らの雇い主たちのために乗っとろうとした連中は哀れである。
7月26日は、わが祖国の歴史において極めて多くの響きを持っているので、それを祝うにはひと月は短い。また、11日の圧倒的な勝利を、同じく1895年にマセオ(注7)がスペイン人の全軍をペラレホ原で敗走させ逃亡させた7月13日を付け加えるなら、これほどの栄光を可能にするには、どうすれば良いのだろう?
狡猾な傭兵の攻撃にとって、またヤンキーの介入を求めるまでの「橋頭堡」になりたいという夢想的願望にとって、米帝の最も大きい屈辱である場所と日が既に存在していた。それがヒロンである。
しかし、もしキューバの敵たちが彼らの卑屈な目的のために、連中の試みのたびにヒロンを手に入れることに固執するなら、彼らは1961年4月のように、2021年7月のように、毎回屈辱を味わうことになるだろう。
一方、革命的キューバは、依然として陽気で平和のうちにあり、理性、真実、正義の側にある。われわれは、時代が厳しいことを知っている。しかしまた、一時的現実である諸障害を乗り越えることができること、その複合性はわが国だけに限ったことではないことも同時に知っている。
われわれは、批判的な展望をもって、変革の精神をもって、創造的な抵抗をもって、そして革命の未来のために常に熟考された夢と希望をもって立ち続けているし、立ち続けるだろう。
〔原文〕https://www.granma.cu/cuba/2022-07-11/un-giron-en-julio-11-07-2022-00-07-22
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(注1)アメリカは1961年4月17日、亡命キューバ人を主体とする部隊をヒロン浜に上陸させて人民政府の転覆を図った。しかしキューバ人民の英雄的反撃によって、19日には上陸部隊は壊滅。この事件の舞台となったのが「ヒロン浜」である。
(注2)1953年7月26日、フィデル・カストロが率いる130名がモンカダ兵舎を襲撃し、キューバ革命の幕が切って落とされた。栄光の26日とはこの日を指す。
(注3)キューバでは、大文字でel Apóstol(伝道者)と書けばホセ・マルティーを指す。
(注4)2021年7月11日に起こったキューバでの反政府暴動。人民が率先して暴動参加者を包囲し、数時間で暴動は鎮圧された。
(注5)フィデル・カストロが首都ハバナに入り、革命政権が樹立された日。
(注6)Comandante en Jefeは、キューバではフィデル・カストロを指す。
(注7)アントニオ・マセオ(1845年6月14日~1896年12月7日)は、スペインからの第1次独立戦争の最も偉大な英雄の1人。1895年7月、マセオ少将率いるキューバ独立反乱軍は、アルセニオ・マルティネス・カンポス大将が指揮するスペイン軍をペラレホにおける戦闘で撃破し、キューバの独立に向けた大きな前進を勝ち取った。