母の膵臓癌日記

膵臓癌を宣告された母の毎日を綴る

不安神経症?

2009年10月16日 23時10分30秒 | 日記
10月15日(木)
今日も母は朝から食欲がない。笑顔もなくすっかりやつれた表情をしている。

以前駅の近くの銀行に母と行ったときに母の通帳に記入をしようとしたら磁気の具合が悪くATMでの利用ができなかった。
その時は土曜日で窓口が開いていなかったので窓口の開いているときに直してもらおうと言ったが
なかなか機会がなくそのままになっていた。
「明日は調子が良かったら銀行に連れて行って」と昨日言っていたのだが、この表情では外出は無理ではないかと私は思った。

しかし、母は大丈夫だから行こうと言う。
「お昼はまたあの回転寿司に行こうね。」
母は元気な頃駅の周りに用があって出かけるときには駅前のデパートの近くにある回転寿司屋に立ち寄って
一人で昼食をとるのを楽しみにしていた。
「あそこは機械じゃなくて手で握ってくれるし、ネタもいいのよ。好きなものをちょこっとだけ食べられるし、時間もかからないしね。」

以前通帳記入が出来なかった日にその回転寿司屋に寄ったときは、もう癌になって食欲が落ちていたときだが
寿司二皿半、5貫を美味しく食べられてとても喜んでいたのだ。
またあそこに行けば美味しく食べられるかもしれない―そんな母の期待が痛いほどわかる。
しかしその日は寿司を食べて帰ればよかったのに、その後老眼鏡の度を直そうと眼鏡屋に寄ってがっくり疲れてしまい慌てて家に帰った。

「行ってもいいけど、欲張らないで用事は一つだけにしてね。」
と私が言うと母はうーん、と考え
「あと2つ銀行によってつけ込みだけするわ。それから帰りにクリーニング屋に寄ってくれる?パパの礼服を出さなきゃいけないから。」
私はため息が出た。細かい用事は一度にすませる母の性癖は直らないようだ。

行列のできる昼の時間を避け、銀行回りをしてから遅い昼食をとる予定で午後1時ごろ家を出る。
最初の銀行で通帳の磁気を直してもらった後、2件隣のドコモショップに私の簡単な用事で寄る。
母をシートに座らせ5分くらいの用事を済ませ戻ると母は
「なんだかね、一人になったら旨がドキドキしてきちゃって手が震えるような感じになっちゃったの。
あなたが早く戻らないかって、そればかり考えてた。
今はもう直ったけど困ったわ。一人じゃ外に出ることもできなくなったみたい。」と言う。
歩きながらああ情けない、どうしてこんなふうになっちゃったんだろうと一人でぼやく。
表情は見る影も無く憔悴しきっている。

他の銀行二つを回り用事を済ませると、回転寿司に向かう。
母は食事への期待でさっきのことは忘れたように、だんだん明るさを取り戻す。
回転寿司屋に着いたときには午後2時を回っていて、待つことなく席に案内される。
母の注文した好物のビントロが目の前に出され、私はそれとなく母の様子を伺う。
母は箸をとり寿司一貫をつまもうとするが、動作を止めてじっと寿司を見る。
ふっ、と母の小さなため息を感じて私は(ダメか…)と悲しくなる。
母はこんどは箸で寿司を小さく切り分けて少しずつ口に運び始める。美味しく、ではなくて仕方なく必死で食べようとしているのだ。
そんな母を見ると私も食欲がなくなったが、気づいたことを悟られないように自分の寿司を次々と取って食べた。
私が4皿たいらげる間に母はやっと1皿を終え、次のネギトロ巻きを注文したが
6個のうち2個だけ食べて私に残りを食べるようにと差し出す。

回転寿司を出ると母は私に
「美味しかった?」と聞く。実は母のことが気になってあまり味わって食べられなかったのだが
「うん、美味しかったよ。」と答えると「そう、良かった。」と言う。
「ママさんはどうだったの?」と答えはわかっているが訊いてみる。
母は寂しそうな笑みを浮かべながら首を横に振り
「いいなぁ…美味しく食べられて。」とつぶやく。そして
「でもお茶碗に半分くらいの量は食べたかな。いいよね、あのくらい食べれれば。」と自分に言い聞かせるように言う。

スーパーに寄って買い物とクリーニング出しを済ませ、家に帰る。
4時を過ぎているのでぼちぼち夕飯の支度を始めようとしていると、インターホンが鳴り
「ちょっと階下に下りてきて」と母の声が暗い。
何事かと慌てて下りると、母と父がダイニングにいる。
「今ね、部屋に一人でいたらまたドキドキしてきて一人でいられなくなっちゃったの。パパの部屋に行って腕をぎゅっとつかんじゃったのよ」
こんなふうに、と床にうずくまって両手を伸ばして椅子に座っている父の腕を掴んでみせる。
「えっ、家にいてもそうなったの?」
「そう、どうしてかしら。自分では不安を感じてるって思わないのに体がおかしくなるの。
パパのところに行ったら治ったんだけど、安定剤を飲もうとしてもどれだかわからなくて」
先週初めて出された安定剤をたくさんの薬の入った袋の中から探し当てることができずに、
ずっと以前に近くの開業医から出された安定剤を飲んでしまったらしい。
「すぐに呼んでくれれば良かったのに」と言って
安定剤の入っている場所を教えるが、きっとまた忘れてしまうだろう。
「今度から壁にかかってる薬ホルダー以外の薬を飲むときは私を呼んで。」と母に言う。

この後、夕食の煮魚を持っていくが母は自分の一切れの魚を半分の量にしてと言う。
「いつも残して捨てちゃうからもったいないのよ。」
私は半分切り分けた魚を持って2階に帰る。
しかし夜8時ごろ、明日病院に行く時間などについて話しに行き夕飯を食べられたか聞くと全く手をつけられなかったと母は言い、
こんな毎日が続いたまま人生の終わりを迎えるなんて耐えられない、とハンカチで顔を覆い涙を流す。
「もともと5年も10年も生きたいわけじゃない。2,3ヶ月でもいいから前と同じようにみんなと一緒に楽しく食べたい。
あなたも一生懸命やってくれているのに悪いとは思うんだけど…」
うっ、うっとしゃくりあげながら激しく泣く母を初めて見る。
こらえ切れなくなって私も涙があふれてくるが声を出さずに我慢し、しばらく母の嗚咽だけが部屋に響く。

少し気持ちを落ち着けてから私は言う。
「みんなに悪いとか、そんなことは考えなくていいのよ。
みんなママさんが長く生きてくれて、抗がん剤が効いてまた良くなってくれればって思ってるだけだよ。
ほら、あの病院で会ったおじさんみたいに最初は辛かったけど良くなって釣りに行ったりして元気で…ああなったらいいなと思うけど
ママさんが辛いだけだったら意味ないし、やめてもいいんだよ」
「でも自分でも意気地なしって思えて情けなくて…」と言ってまたしゃくりあげる。
「先生も言ってたじゃない。抗がん剤は癌もやっつけるけど自分もやっつけちゃうんです、
これで体力がなくなってしまうようなら悪でしかないからやめたほうがいいって。」
こんなに衰弱して精神的にも参っている母を見ると本当に抗がん剤を止めた方が良いと思えてしまう。
自分に置き換えても苦しみながら長らえるよりは、短くても楽な方がよほどましだ。
「とにかく、明日は抗がん剤を休んでまた体力が戻ったら始めればいいんじゃない?先生に相談してみよう。」

しばらくして母も落ち着き、明日使う車のガソリンが残り少ないと思い出して言う。
私はガソリンを入れにスタンドに行き、帰ると家の外にガウンを着た母が出てくる。
「今、アイスなら食べられるかと思って食べたら食べられたの。野菜ジュースも飲めそうだから買ってきて。」
コンビニでアイスを買って帰ると母はせんべいをテーブルの上に出し、
「こんなものなら食べられるかもしれない。アイスと野菜ジュースとこれくらいたべれればいいよね。」
と、少し明るい表情を取り戻している。私はほっとして
「いいよ。何でも食べられるものがあればいいじゃない。」と笑う。

この後私は風呂に入り湯船に漬かりながら今日のことを考える。
今日、母が寿司を掴もうとした箸を止めたときの硬い表情を思い、
前回5貫の寿司を美味しくた食べられたときの満面の笑顔を思い出すと涙が溢れて止まらない。
どうにかしてあの母の屈託の無い笑顔をもう一度見ることはできないのかと思う。