10月12日(月)
今日は2年前に多発性骨髄腫で亡くなったY伯父(父の弟)の3回忌で父は朝早くから出かけていった。
多発性骨髄腫、というのはいわゆる血液の癌と言われる病気だ。
告知されたときは余命2年と思われていたが本人がとても前向きな性格で積極的に生きたためか、
結局8年も命を長らえることができた。
それでも最後の半年は痛みが尋常じゃなく、妻に「包丁を持って来て刺し殺してくれ」と言ったという。
今回夫婦で出席できない旨を伝えるときに初めて伯母に母の病気を報せたのだった。
父が一人で電車で行くのを母は心配したが、私がインターネットで乗り換え案内を調べ、印刷したものを持たせ夫が駅まで車で送る。
母は朝昼は食欲がないというもののそれなりに何とか食べられた。昨日よりは少し顔色がよく、声も明るいように思える。
そう本人に言うと「あのおじさんに負けないようにがんばらなくちゃね。」と言う。
「あのおじさん」というのは病院で会った、同じすい臓癌でも元気に過ごしている一つ年下の男性のことだ。
その男性も抗がん剤を始めた頃は辛かったと言っていたことから、自分も今は辛くても頑張って耐えれば元気になれるという希望を持ったのだ。
「そうだよY伯父さんだって気持ちが病気に負けなかったから長生きしたんだからね。」
夕食は何がいいか、と相談しに午後階下へ降りるとポロン、ポロンと大正琴の音が聞こえる。
母がダイニングテーブルの上で楽譜を見ながら大正琴を爪弾いている。
私を見ると中断して
「久しぶりに出してみたの。何もすることがなくて退屈だから。でもしばらくやってなおから忘れちゃってるわ。」
「また練習すれば弾けるようになるよ。時間あるんだからいっぱい練習できるじゃない」
「そうね、習ってたことがこういうときに使えるのね。頭の体操にもなっていいわ」
大正琴は以前近所の友達に週1回習いに行っていたのだがその友達が病気になって以来ずっとお蔵入りになっていた。
母は行動的な性格なので父のように家にいてじっとテレビを見続けることはできず、大正琴の存在を思い出したのだろう。
楽器なんて扱ったことが無い母が、持ち前の負けず嫌いで毎日何時間も練習していた頃を思い出す。
あの時のように根をつめることはできないだろうが、いま音楽で気晴らしができれば習っていた甲斐があったというものだ。
しかし、その後また調子が悪くなり夕食はまったく喉を通らなかったようだ。
「いいときと悪いときがあるよね。」
と言う母は愚痴をこぼしたいのを我慢しているように見えた。
今日は2年前に多発性骨髄腫で亡くなったY伯父(父の弟)の3回忌で父は朝早くから出かけていった。
多発性骨髄腫、というのはいわゆる血液の癌と言われる病気だ。
告知されたときは余命2年と思われていたが本人がとても前向きな性格で積極的に生きたためか、
結局8年も命を長らえることができた。
それでも最後の半年は痛みが尋常じゃなく、妻に「包丁を持って来て刺し殺してくれ」と言ったという。
今回夫婦で出席できない旨を伝えるときに初めて伯母に母の病気を報せたのだった。
父が一人で電車で行くのを母は心配したが、私がインターネットで乗り換え案内を調べ、印刷したものを持たせ夫が駅まで車で送る。
母は朝昼は食欲がないというもののそれなりに何とか食べられた。昨日よりは少し顔色がよく、声も明るいように思える。
そう本人に言うと「あのおじさんに負けないようにがんばらなくちゃね。」と言う。
「あのおじさん」というのは病院で会った、同じすい臓癌でも元気に過ごしている一つ年下の男性のことだ。
その男性も抗がん剤を始めた頃は辛かったと言っていたことから、自分も今は辛くても頑張って耐えれば元気になれるという希望を持ったのだ。
「そうだよY伯父さんだって気持ちが病気に負けなかったから長生きしたんだからね。」
夕食は何がいいか、と相談しに午後階下へ降りるとポロン、ポロンと大正琴の音が聞こえる。
母がダイニングテーブルの上で楽譜を見ながら大正琴を爪弾いている。
私を見ると中断して
「久しぶりに出してみたの。何もすることがなくて退屈だから。でもしばらくやってなおから忘れちゃってるわ。」
「また練習すれば弾けるようになるよ。時間あるんだからいっぱい練習できるじゃない」
「そうね、習ってたことがこういうときに使えるのね。頭の体操にもなっていいわ」
大正琴は以前近所の友達に週1回習いに行っていたのだがその友達が病気になって以来ずっとお蔵入りになっていた。
母は行動的な性格なので父のように家にいてじっとテレビを見続けることはできず、大正琴の存在を思い出したのだろう。
楽器なんて扱ったことが無い母が、持ち前の負けず嫌いで毎日何時間も練習していた頃を思い出す。
あの時のように根をつめることはできないだろうが、いま音楽で気晴らしができれば習っていた甲斐があったというものだ。
しかし、その後また調子が悪くなり夕食はまったく喉を通らなかったようだ。
「いいときと悪いときがあるよね。」
と言う母は愚痴をこぼしたいのを我慢しているように見えた。