なんて愛らしいのだろう。
束になって、「私はここよ。」と伝えようとしている。
木漏れ日の午後に、淡いピンクの小さな小花が集まって
幹の深くて濃い色の上に、まるでブーケのようだった。
きっと、日本人に似合うだろう。
人を可憐に引き立てて、どこまでも美しく演出してくれるに違いない。
ひとつの生涯に、若いだけで美しいのだ・・・という時期は
あっという間に過ぎていくもの。
どうか、若い人達は、飾らずに素のままで、
そんなかけがえのない時を迎えて欲しいと思うのだ。
素朴であることの、初々しさを美しさを
過ぎてから、あぁ、あの頃であったのだと
気づくものだから。
桜の持つ、素朴な清楚な美しさは
自然の中であるからこそ、際立つと思うのだ。